ラブ・ソングをあなたに

天川 哲

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沼田 安夫

4.その"ラブ"は、どんな形の

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 駅の周りは、閑散としていて、足音がやけに響いた。
 サクラを追いかけて、ひとまず駅の方まで駆けてきた沼田は、しきりに周りを見渡していた。
 しかし、人のいる気配が全くせず、見当違いだったのかもしれない、と深く溜息をついた。
 先程まで走っていた所為か、呼吸も荒く、なかなか心拍も落ち着かない。
 だが、落ち着かないのはそれだけが原因ではないのであろう。

 「ヤっさんのしていることは、ただの八つ当りだよ!?」

 先程から、サクラの言葉が頭の中をリフレインしてばかりいる。
 ──八つ当り──
 言い得て妙である、と沼田は俯向いた。
 そう、別にサクラは何一つ悪いことなどないのだ。
 感謝こそされ、嫌味や悪態をつかれる道理など一切ない。
 わかってはいた。それでも、何故か口をついてしまった。
 現状、惨めでしかない。
 サクラに追いついたところで、どうすればいいというのだろう。謝るのか。
 しかし、謝ったところで何かが解決するわけでもない。今抱いているこの気持ちは、二人の奇妙な関係性が変わら ない限り、悪化こそすれ、好転はないだろう。
 「一体どうすりゃいいっていうんだよ……」
 沼田は独りごち、足を止めた。
 気付けば、かなり遠くまで来てしまったらしい。
 先程まで駅の方まで来ていたと思っていたが、見慣れない景色が広がっていた。
 「まずいな……帰れなくなっちまう……ん?」
 ふと、聞き慣れた声が聴こえた。
 (歌??サクラか?)
 声のする方へゆっくりと進むと、道端に置かれたベンチに腰掛け、明後日を眺めながら口ずさむサクラの姿があっ た。
 ひとまず声を掛けようと、一歩踏み出した沼田であったが、そのまま動けなくなってしまった。

 ──きっと今のぼくは、前が見えなくて
  いつまでも真っ暗なんだって思っていた
   でもさ、長いトンネルもいつか出口があって
    曲がり角の手前は、前なんて見えないもので

 一歩ずつでいいから、戻ったっていいから
  生きてるってこと、忘れないで──

 サクラの口ずさむ歌詞が、またしても沼田の心を鷲掴んだ。
 やばい、と思った時には、もう遅かった。
 一度溢れた涙も声も、もはや止められる術はなかった。
 沼田の嗚咽が、辺りに響き渡り、サクラは驚いて振り向いた。
 初めて会ったときと同じ様に、辺りを憚ることなく泣き続ける沼田の姿を、サクラはとても愛おしく思った。
 「……泣き虫」
 ふふっ、と笑みをこぼしながら、サクラは沼田へ近づき、そっと抱きしめた。
 「ごめんね、ヤっさんも辛いよね、きっと
 でもね、ヤっさんはただ、生きるってことを忘れないでいてくれたらいいの」
 「お、お、お前は、どうしたいんだよ、ぉ」
 「このまま、毎日ヤっさんが元気にしてくれていたら、それだけでいいよ、今は」
 沼田は、いまだ止まらない涙を拭う術もなく、サクラの肩を濡らした。
 サクラは、何度も沼田の背中を擦り、赤子をあやすようにリズムを取った。
 よく晴れた夜空に、真っ白い三日月が二人をぼんやりと照らしていた。 

 「さっきの歌、オリジナルか?」 
 「わたしはオリジナルしか歌わないよー」
 「そうか」
 「なになに?他のも聴きたいって?しょうがないなぁ」
 「いや、別に」
 「そこは聴きたいって言ってよぉ……」
 サクラの機嫌も直り、お互いに折り合いがついたところで、どちらからとなく帰路をたどることとなった。
 くだらない話を続けながら歩く中で、ふと沼田は、サクラの素性が気になった。
 「なあ、お前は普段、なんの仕事してるんだ?」
 「あれ?言ってなかったっけ?」
 「その覚えはないな」
 「うーん、客商売??」
 「随分アバウトだな」
 えへへ、とはにかむサクラであったが、どこかこれ以上の侵入を阻む気配を感じ、沼田はそれ以上聞くことができなかった。
 (そういえば、俺はサクラのこと、何も知らないな)
 気になりだすと、今まで気にしていなかったことが不思議なほどに、そればかりが気になってしまった。
 沼田は、隣で歩くサクラの横顔を眺め、湧き上がる何かを感じながらも、それが何かを理解できなかった。
 結局、その後何事もなく家に戻り、そのまま眠りに落ちてしまった。

 目が覚めたとき、サクラはもう既に家を出たあとだった。
 卓袱台の上には、相変わらずメモと千円札が一枚あった。

 (おはようー! ヤっさん、サクラがいないからって泣いちゃだめだよー?いい天気だー)

 ふっ、と思わず苦笑しながら、メモをきれいに畳んで手近にあったインスタントコーヒーの空き缶に仕舞った。
 「気にするだけ無駄だな」
 独りごちた沼田は、よく晴れた空を仰ぎながら、ベランダに出て煙草に火をつけた。
 どうにかしなきゃ、変わらない。
 沼田は、拳を固く握り、小さく首肯した。
 これ以上、サクラに背負われているわけにはいかない。
 決意を後押しするように、爽やかな風が吹き抜けた。
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