雨上がりには

Two-dragon

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第二章 未来

26話 激動

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「晴くん、今日は歯のお姉さんの日だよ。お口の中を綺麗にして行こうね!」

「うん!あーん」

「上手になったわねぇ」

小さな歯ブラシで晴人の歯磨きをする。

「歯のお姉さんとこ行くぅー」

晴人は喜んで小さくジャンプしている。

「わ、わかったから、晴くん、じっとしてて!」

我が子ながらヘソを曲げると大変なのに、余程歯のお姉さんと気が合うらしい。香織は不思議に思い興味を持っていた。

晴人をチャイルドシートに乗せ童謡のCDをかけ、歯科医院に向かった。


「斉藤さん!出番よ!」

「え?」

「次は坊やよ!お願いね!」

「ああ、晴人くんですね!わかりました」

「おねぇちゃーん!」

診察室に入ってくるなり晴人は律子に抱きついた。

「コラー!晴くん!ダメじゃない!」

香織は慌てて晴人の元に向かう。

「晴人くん、こんにちは」

律子はマスクをとって笑顔で応えた。

「すみません、迷惑かけて」

香織が申し訳なさそうに言った。

「いえ、大丈夫ですよ、お母さ!」

「え!?」

「え!?」

香織も驚いている。

「律?」

「香織さん?」

「晴人の好きな歯のお姉さんって律だったの?」

「そ、そうみたいです…ね」

「ちょ、ちょっと、話したい事いっぱいあるんだけど、とりあえず診察よね?」

「そうですね…ハハハ…」

「じゃあ律、うちの子お願い」

「わかりました」

やはり診察はスムーズに終わり、会計の時に律子が顔を出した。

「香織さん、お久しぶりです」

「律、帰ってきてたんだね」

「はい、2年前に。香織さん、二人目?ですか?」

律子は香織のお腹を見て言った。

「ん?ああ、そうなのよー」

「晴人くんも可愛いし、香織さん幸せそう」

律子は微笑んで言った。

「うん。でも晴人は最近わがままで大変だけどね。それより、律、今日は仕事のあと予定入ってる?」

「いえ、特には」

「じゃあご飯食べない?」

「いいですね!それなら香織さん、私の家に来ませんか?この近くに住んでるんです」

「わかった。晴人は旦那に見ててもらうから」

「いえ、晴人くんと一緒に来てくださいよ」

「それだと私がゆっくり話せないじゃん」

「そういう事ですね、わかりました」

香織に住所を教え、晴人を笑顔で見送った。
ふたりが帰ったのを見計らって山科が興味津々で聞いてきた。

「斉藤さん、坊やのお母さんと知り合いだったの??」

「ええ、高校の先輩なんです」

「そうだったのねー」

「ここ何年も会ってなくて。私は高校卒業してからずっと県外に居ましたから、会う機会も少なくて。でも、こんな形で会えるとは思ってなかったんで、嬉しいですね」

「仲よかったんだね」

「はい。よくして頂きました」

「いいわねぇ、そういう関係。羨ましいわ」

「そうですね…」

律子は自分のせいで香織と疎遠になっていたことの罪悪感で一杯だった。


その日の診療は昼からは少なく、律子は定時で上がれた。

「お疲れ様でした」

「斉藤さん、明日は休みだから、ゆっくり楽しんでね!」

山科が笑顔で言った。

「ありがとうございます」

外に出ると昼間の暑さが残っていた。

「まだこの時間は暑いなあ」

夕方の西陽が眩しく手で顔を覆い陰を作る。車のエンジンをかけ、エアコンのスイッチを入れたところで香織から電話があった。

「もしもし、お疲れ様です」

「律こそお疲れさん!今から出るけどいい?」

「はい、私も今から帰ります。香織さん、晩御飯何がいいですか?」

「ピザ!」

「え?」

「頼もうよ!何にもしなくていいしさ!お酒は買っていくからねー」

「はい。あっ、でも香織さん飲めないんじゃ?」

「律のだよ」

「私は飲まなくてもいいですよ」

「ダーメ!飲みたいときもあるでしょ!」

「香織さん…ありがとうございます」

「場所はわかったから、後でね!」

「はい」

律子が帰り着いてから20分程して香織がやってきた。窓から手を振って香織を迎えた。

「ごめんね、買い物してたら遅くなっちゃって」

「大丈夫ですよ」

「ピザは頼んでおきました」

「オッケーありがとう。律、いい部屋だね!広いし」

「ありがとうございます。職場からも近いし、気に入ってます」

律子の部屋は1LDKのアパートで新築物件だった。真新しいフローリングやキッチンが綺麗に保たれている。

「律、いつ頃引っ越したの?」

「1年半前です」

「帰って来たんだったら連絡してくれればよかったのに」

「すみません…」

「でも、そうだよね…。涼一のバカのせいで律が気を使う事になったんだもんね…律…ごめんね」

「香織さんやめて下さい、悪いのは私なんです。涼一は何も…」

「ん!?」

香織は律子の手首の傷に気づいて聞いた。

「律…その傷って…まさか…」

律子は咄嗟に傷を隠そうとしたが、香織は手を掴んで言った。

「なんで…こんなことを…」

律子の頬には涙が伝った。

「律…辛かったね…ごめん…力になれなくて…」

律子は香織にしがみついて号泣した。

「香織さーん…!私…、私…」

姉妹のような二人は別々の場所でそれぞれの時間を過ごし、様々な出来事を経て嬉しい再会のはずだった。香織は自分とは余りに違う律子が背負ってきた辛く苦しい時間を悔やまずにはいられなかった。
二人は思い切り泣いた。
これからの幸せを願って…。

「律、よかったら色々聞かせて」

「はい」

ピザを囲み、香織はオレンジジュース、律子はビールで乾杯をした。
落ち着きを取り戻した律子はゆっくりと話し出した。

「2年前、こっちの花火大会に彼と弟と来てたんです。その時、彼と逸れてしまって、弟が探しに行ったんですけど、別々に私も探したんです、その時偶然涼一に会って…」

「涼一に?」

「はい。涼一も彼女と逸れたみたいで…私は自分の弱さに負けて、花火が終わるまで涼一と一緒に居ました。互いに大切な人がいるのに、離れる事が出来ませんでした」

「涼一が入院した時、病院にも行きました」

「え?病院に?」

「はい。でも、結局会わずに帰りました。新しい彼女と涼一の仲を壊したくなかったから…でも、逢いたかった…顔を見たかった…自分が自分じゃない様な感覚になって…」

「うん…」

「里奈ちゃんにも偶然会って…」

「え?里奈ちゃん?」

「はい。涼一の部屋で私の写真を見たことがあって私の顔を知ってたみたいで…」

「会ったんだ…」

「はい、凄く可愛くて…涼一の事を好きなのがよくわかりました」

「いい子だもんね…」

「そうなんです…私なんかより全然できてて
幸せなんだなぁって思えて」

「うん。でも、律も彼と上手くいってたんでしょ?」

「はい。彼の家族にもよくしてもらってました。好きだったし幸せだったと思います。でも、涼一の事が私の中から消える事は無かった…説明がつかない感情を抑える事が出来なくなっていました。そんな自分に嫌気が刺して…もうどうでもよくなって…気がついたら手首を…」

「香織は手で顔を覆い下を向いた」

「彼の呼ぶ声で目が覚めて救急車で運ばれました。それでも彼はこんな私を受け止めようとしてくれました。彼は私に、自分に正直になれって…勝手な私を最後まで許し続けて…。私が部屋を出て行く時、彼は帰って来ませんでした。
気を使ってくれたんだと思います。仕事も辞めて、実家に帰ってからしばらくは何もする気にならなくて、抜け殻の様な毎日でした。でも、このままじゃダメだと思って今の職場に就職して部屋も借りたんです」

「そうだったんだね…」

「香織さんにも申し訳なくて…」

「そんな事ないよ。私は律らしくあって欲しいだけ」

「はい…」

「涼一と連絡は取ってないんでしょ?」

「はい。電話番号を変えましたから、かかってくることもありません」

「律、涼一も里奈ちゃんと別れたんだよ…」

「え?!」

「たぶん律たちと同じくらいだったと思う」

「何で…涼一まで」

律の頬には涙が伝っている。

「私も詳しくは聞いてないけど、涼一に、今度は律子さんを見失わないで…って言ったみたい。律の彼氏と同じで…」

「里奈ちゃんがそんなことを…」

「律も涼一も本当不器用だよね!周りが先に気づいちゃんうだもの。ふたりともどれだけ鈍感なんだか」

「え?」

「自分に正直になるんでしょ?だったら、答えは見えてるでしょ?」

「でも、皆んなを傷つけた私にそんな資格は…」

「傷つけたからこそなんだけどなー。まぁ、律、今日は飲もう!久しぶりに会えたんだし」

「はい」

それから二人は今までの時間を埋めるように話をした。


「じゃあそろそろ帰るね」

「はい、ありがとうございました」

「こちらこそ、今度また歯のお姉ちゃんに会いに行くから」

「はい」

律子は微笑んだ。

帰り際に香織は律子の手首を見ながら言った。

「それと律、もうこんな事しないでね…私が許さないからね!」

「はい…すみません、心配かけて」

「じゃあまた」

「はい」

香織は手を振って帰って行った。





数日後、香織は涼一に電話をした。

「もしもし?」

「涼一、ごめん、仕事中でしょ?」

「うん、少しなら大丈夫だよ、どうしたの?」

「悪いんだけど、明日晴人を歯科医院に連れて行ってくれない?」

「俺が?」

「そう。私は検診で、浩介は現場から抜けれなくて。涼一、時間都合つかないかな?」

「ちょっと待って。予定確認するから」

涼一は手帳を取り出した。

「予約は何時?」

「14時30だよ」

「うん。大丈夫。14時頃晴人を迎えに行くよ」

「本当に?助かるー、私もその頃出れば大丈夫だから、待ってるね」

「わかった。じゃあね」


次の日。香織の家のインターホン鳴らし中に入ると晴人が走ってきた。

「りょぅ抱っこ~」

「おお晴人、久しぶりだなぁ」

そう言って抱き抱えた。奥から香織が顔を出して言った。

「涼一ありがとう!下駄箱の上に必要なもの置いてるから、あっ、歯科医院の場所わかる?」

「ああ、海の近くだろ?」

「そうそう!じゃあお願いね。私もなるべく早く帰るから」

「了解、じゃあ晴人行こうか」

「うん!歯のお姉ちゃんいくぅ」

「ん?歯のお姉ちゃん?何だそれ?」

「あーいいのいいの、晴人が言ってるだけだから」

「ふーん。じゃあ行ってくるよ」

晴人を車に乗せ走り出した。
20分程走ると歯科医院が見えてくる。

「あそこだな。晴人そろそろだぞー」

「うん!」

晴人は嬉しそうだった。

「晴人、歯医者さん嫌じゃないのか?」

「うん、歯のお姉ちゃんがいるからー」

「うーん。いまいち意味がわからないな」

車を止めて中に入ると、正面にある受付の女性が笑顔で迎えてくれた。

「こんにちは」

「すみません、お願いします」

涼一は診察券を渡した。

「内藤晴人君ですね。そちらにかけてお待ちください」

晴人は待合室の中を歩き回っている。

「おーい晴人、こっちに座ろう」

「うん」

二人は椅子に並んで座り、行儀よく待った。

「内藤さーん、診察室へどうぞー」

「よし、晴人呼ばれたぞ、行こう!」

「うん!」

晴人は自分でドアを開け入っていく。

「おい、晴人、走るなよ」

「お姉ちゃーん!」

晴人が大きな声で言った。

「ああ、晴人くん、こんにちは」

涼一は晴人を追って入ってきた。

「晴人、勝手に行っちゃ危な…」

!!

「え!?」

「ん!?」

晴人の前にナース服の律子が立っていた。

「律子??」

「涼一?」

「律子がなんで?ここに?」

涼一は動揺を隠せなかった。

「今はここで働いてるの…」

「そ、そうなんだ…」

ふたりとも会話を交わすのがやっとだった。

「晴人君診察するから…」

「わ、わかった」

医師の補助をしている律子と何度か目が合ったが、涼一はなぜ律子がここで働いているのか、連絡がつかない事も気になっていた。治療が終わると律子と晴人はピースサインで微笑んだ。

「じゃあ、晴人君、また今度ね」

「うん、またねー」

涼一はよそよそしく少し頭を下げて歯科医院をでた。車内の熱気を避けるためエアコンを入れてから晴人を助手席に乗せた。ご機嫌な晴人をよそに考え込みながら運転席に回った時だった。

「涼一!」

律子が走ってやってきた。

「律子…」

「久しぶりだね…この前の診察の時、香織さんとここで偶然会ったの…」

「そうなんだ。でも姉貴は何も言わなかったなぁ」

「そうなんだ…」

「そうだ、律子、歯のお姉ちゃんって?」

「ああ、私のことだよ。晴人君が気に入ってくれてるみたい」

「そうだったのか」

「うん…」

晴人が車の中から手を振っている。律子も微笑んで手を振り返した。

「律子、もしよければ今日の夜会えないか?」

「うん…わかった」

「夕方、前の海で待ってるから」

「うん…涼一…私もう行かないと…」

律子は足早に戻って行った。車に乗ると晴人が律子の真剣な顔を見て心配していた。

「お姉ちゃんないてたの?」

「大丈夫だよ。お姉ちゃんお仕事頑張ってるんだ」

「そっかぁ」

「よし、晴人帰ろうか」

「うん!」

涼一はゆっくりと走り出した。
16時前に帰り着くと香織は帰ってきていた。玄関のドアを開けると明るい声が響いた。

「晴くんおかえりー!」

「涼一ありがとう。助かったよ」

「ああ、それはいいけど、姉貴…律子が居たよ…会ったんだろ?」

「うん、会ったよ。その日の夜、律の家でご飯食べたし」

「なんで言わないの?」

「言ってたらあんた、晴人を連れて行ってた?」

「そ、それは…」

「ふたりとも不器用だからさ、お姉ちゃんとしてなんとかしないとって思ってね」

「なんだよそれー」

「で、話したんでしょ?律と」

「ああ。今日の夜、会うことになった」

「そっかー!よかったじゃん!涼一、あんたバカなんだから、ちゃんと話すんだよ!」

「誰がバカなんだよ!」

涼一がムキになって言い返したが、香織は真剣な顔をして言った。

「涼一、今度こそ、律を宜しくね…絶対手離しちゃダメだよ…」

「なんだよ急に…それに、あいつには彼氏が」

「別れたんだって…彼と」

「え?」

「だから、涼一、その事は気にしなくていいから。とにかく律と話しなさい!わかった?」

「あ、ああ。そうするよ…」

そう言って涼一は仕事に戻った。

(別れたから地元に?何があったんだ?)



「ねえ、斉藤さん、さっき坊やを連れて来てた人もお知り合いなの?」

「え、ええ…。晴人君の叔父さんで、弟なんですよ。先輩の。先輩も私も彼も同じ高校で部活も一緒だったんです」

「ああ、それでー!坊やのお母さんとよく似てたものね」

「確かに似てますよね」

「イケメンだったわね!彼モテてたんじゃない?」

「ま、まあ」

「ん?斉藤さん、なんか変ね。彼と何かあったの?」

「え?ええ、あの…昔の彼なんです…」

「ああ!そういう事ね」

「じゃあ、久しぶりの再会なの?」

「はい。2年くらい前に会ったきりで…」

「だったら焼け木杭に火がつくんじゃない?」

「そ、そんな事…」

「あら、余計な事言っちゃったかしら?」

「いえ、大丈夫です…」

「斉藤さん、若い頃は色々あるものよ。でもいつの間にか時が流れてその時の苦労なんて笑って話せる様になるんだから。だから今はいろんな事を精一杯頑張ったらいいのよ」

「はい…」

「彼の事もね!」

最後に山科は律子に小声で耳打して受付に戻った。

律子は不安な気持ちで押しつぶされそうだった。

(今の私を見て涼一はどう思っただろう…はぁ…どうしよう…)

「斉藤さん頑張ってね!」

山科はそう言って帰っていった。

「お疲れ様でした」

律子は今日も歩いて出勤していた。ここのところ天気も良く早めに家を出て歩くのが日課になっていた。
海の方に向かって歩いていると昼間見た涼一の車が止まっている。

「ふぅ…緊張してきた」

律子は呼吸を整えて近寄った時、涼一が律子に気づいて声をかけた。

「今日も暑いね」

「そうだね」



会話が続かず沈黙になった。
別々に歩んできた時間がふたりをそうさせた。

「とりあえず、飯行こうか」

「うん…」

「律子何食べたい?」

「何でも大丈夫だよ」

「そっか。じゃあ行こう」

ふたりは言葉少なに車に乗り込んだ。

「車変えたんだね」

「うん」

「不思議だね…」

律子が言った。

「ん?」

「私ね、涼一の車に乗ることはもう無いって思ってた」

「俺も…もう律子には会えないって思ってた」

少し間が空いて涼一が言った。

「俺、里奈と別れたんだ…」

「うん…香織さんから聞いた。でも何で?あれだけ仲よかったのに」

「俺が悪いんだ…里奈の気持ちを裏切った…傷つけてしまったんだ…」

「バカだね涼一は。あんないい子、そうは居ないのに」

「そうだな…そう思う」

「同じ会社なんでしょ?」

「ああ。でも、辞めたよ。今年の初めに」

「え?何で?」

「結婚したんだ。見合いした人と」

「え?本当なの?」

「うん。別れてしばらくして親から見合いを勧められたらしい」

「そうなんだ…」

「辞める前に少し話したけど、今は幸せだって言ってた」

「そっか…」

「あっ、里奈がその時に言ってたんだけど、俺が入院中に来てくれたんだろ?」

「え?ああ、うん…行った。香織さんから電話もらって」

「姉貴のやつ!」

「ううん、違うの、香織さんは里奈ちゃんとその時に初めて会って、すごくいい子って言ってたし、私に来てくれとは言わなかったよ。私が勝手に行ったの…」

「そうなの?」

「うん…私、心配でどうしようもなくて…でも、病院に着いて会いたかったのに勇気がなかった…里奈ちゃんとの仲を壊したいわけじゃなかったし…でも、どこかで気づいて欲しいって思ってたのかもしれない…偽名まで使って…
そっか…里奈ちゃん気づいてたんだね…本当にごめんなさい…」

「里奈も嘘ついたんだって」

「え?」

「俺に高橋さんって知り合い居ないから看護師さんに里奈が聞きに行ってくれたんだ。そしたら特徴が律子だったらしくて。それを知った俺が連絡するのが怖かったって。で、俺には年輩の人だったって言って」

「そうだったんだね…」

「ねぇ涼一…私も一人なの…」

「ああ、聞いたよ。律子は何で?」

「私も同じかな…隆くんを傷つけた…」

「そっか…」

「うん…もうこれ以上誰にも迷惑かけたくないって思って…仕事も辞めて番号も変えたんだ…」

「そうだったんだ…」

「律子」

「ん?」

「今日は飲みたい気分なんだ。いいかな?」

「うん…」

二人は近くの居酒屋に入りビールを頼んだ。

「乾杯!」

涼一が美味そうにビールを流し込んだ。それをみた律子は笑って言った。

「オヤジだね!」

「だなー。年とったよ」

「ハハハ!ちゃんと代行で帰るんだよー」

「わかってるよ」

タバコに火をつけながら言った。

それから涼一は飲み続け、やがて潰れてしまった。

「ちょっと、涼一!大丈夫?」

「うぅ、気持ち悪い…」

「あー!ちょっとこっち!」

上げそうになった涼一を外に連れ出した。

「うぅ…」

建物の隅で上げてしまった涼一を律子は背中をさすりながら窘めた。

「もう…飲み過ぎだって!」

「だって、飲みたかったから…」

「だからって…バカなの?」

涼一はその場に座り込んだ。

「もう!涼一、帰ろ」

律子は会計を済ませ代行を呼んだ。ふらつく涼一をなんとか車に乗せたがそのまま眠ってしまった。

「困ったなぁ…涼一の家わかんないや…」

少し考えてから律子は言った。

「運転手さんすみません、この先を右にお願いします」

律子は自分の家に向かった。

「涼一!着いたよ!」

「んん~」

フラフラと歩く涼一を律子が支える。

「もう!ちょっと、涼一!こっちだよ」

玄関ドアを開けるのもひと苦労して、ようやくソファに座らせた。

「大丈夫?お水持ってくるから」

「ん~…」

涼一はそのままソファに寝付いてしまった。冷蔵庫から水を持ってきた律子は涼一の寝顔を見て言った。

「なんでよぅ…久しぶりに逢えたのに…」

ペットボトルをテーブルの上に置き、腕時計を外した。左手の傷を隠す為、律子はいつも大きめの腕時計を着けていた。

「はぁ…」

傷を撫でながらテーブルにうつ伏せ、律子もそのまま眠ってしまった。



「ん?!ここはどこだ?」

先に起きたのは涼一だった。体を起こし辺りを見渡すと律子が眠っていた。

「律子…」

(そっか、昨日潰れて…ここは律子の部屋か)

眠っている律子を起こさないようにテーブルのペットボトルに手を伸ばした。静かに蓋を開けゆっくりと渇いた喉を潤す。

「ふう」

(飲み過ぎたな…)

灰皿も準備してあった。たばこに火を着けゆっくり燻らす。煙たかったのか律子も目覚めた。

「ん~、涼一おはよう…」

「おはよう。律子ごめん、俺潰れたんだな」

「そうだよ!大変だったんだから!具合どう?大丈夫?」

「うん。完全な二日酔いだよ」

「だろうね…あれだけ飲んでたら」

「ごめん、水もらってる」

「うん。お腹空いてない?」

「空いてる」

「わかった。朝食作るね」

律子はエプロンを着け髪を束ねた。冷蔵庫の中の卵を取り出しフライパンを火にかける。涼一はそんな律子の姿に懐かしさを感じた。

「何か久しぶりだな」

「んー?なんか言った?」

律子が聞き返した。

「久しぶりに見たよ。律子の料理してるところ」

ハハハ…
そうだねー
何年ぶりかな?

(俺達別れて随分経つんだな…)


15分程で出来上がった朝食を二人で囲み、昔話をしながら食べた。

「ありがとう、美味しかったよ」

「いえいえ。片付けちゃうね」

律子が皿を引こうとした時、涼一は手首の傷に気付いた。

「律子、その傷は?」

「え?ああ…えっと…」

律子は答えることができず黙っていた。

「もしかして…手首を…?」

「…」

「ちゃんと答えろよ!」

珍しく涼一が声を荒げた。律子は驚いて体がビクッと動いた。

「律子…なぜなんだ?」

今度は静かに問いかけた。

「ごめんなさい…私…どうしていいのかわらなくって…同棲してても涼一の事がずっとどこかにあって…そんな私だから…皆んなを傷つけてしまうから…だから、私…」

律子の涙がテーブルにこぼれ落ちた。

「だからってそんなこと…」

涼一は悲しそうな顔で続けた

「俺は律子を傷つけた。だからこそ律子が誰といても幸せになって欲しかったんだ。それなのに…」

「そんな勝手なこと言わないで!涼一に振られて辛かったんだよ…やっと新しい恋をして、なのに…私の事なんてどうでもよかったでしょ?
私が死んだって涼一には関係な…」

!!

涼一は律子の頬を叩いていた。律子は泣きながら頬を押さえた。

「死んでいいわけないだろ!死ぬなんて言わないでくれ…」

「叩いて悪かった…帰るよ…」

涼一は立ち上がり玄関へと歩いていく。

「待って!涼一、待ってってば!」

律子は涼一に駆け寄り背中にしがみついた。

「もう嫌なの…涼一を見送るのは…離れたくないよ…」

「律子…」

涼一は振り返って律子の手を取り傷を見つめた。涼一の涙が律子の傷にぽとりと落ちた。深い傷に沿って流れていくそれは悲しみに寄り添うかのように流れ続けた。

「ごめん…こんなになるまで…俺は…本当にごめん…」

「謝らないで…」

ふたりは黙って動かなかった。

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