イシュラヴァール放浪記

道化の桃

文字の大きさ
230 / 230
イシュラヴァール拾遺

番外編 朝焼け

しおりを挟む
 イシュラヴァール王国の政変から二年近くが経とうとしていた。
 新王バハルは王都ララ=アルサーシャと、アルヴィラ解放戦線が制圧した砂漠のおよそ半分ほどに及ぶ地域とを治めていた。一方、前王マルスはアズハル湾を本拠地として、西側の海岸沿いの地域を次々と支配下に取り込んでいた。マルスは海賊をも従えて西側の周辺国との交易路をすべて押さえていたため、新政権は外交もままならなかった。勢い、東のアルナハブ王国との繋がりが強くなっていったが、アルナハブもまたイシュラヴァール新政権と懇意にしているダレイ派とニケ王妃派でまっぷたつに分かれ、不安定な政情が続いていた。
 唯一中立を保っているレーの港はカナン一派が仕切っていた。カナン自由民には正式な軍隊はなかったが、カナンを構成する人々の多くが軍経験者ということもあり、強力な自警団によって町の治安が守られていた。カナンの勢力もまた、イシュラヴァール各地に拠点を増やしていった。というのも、奴隷解放を掲げていたために国内外の逃亡奴隷や解放奴隷がこぞってレーを目指したのだ。レーの町は前王時代の三倍の規模まで膨れ上がった。レーでは奴隷たちにレーの市民として登録証を発行していたため、奴隷たちは新たな職業につき、また町を出て新しい生活を始める者も多かった。彼らは街道沿いに町を作り、新たなカナンの拠点としたのだ。
 更に、地方を治めていた豪族の中には、この乱に便乗して一旗揚げようという者もいた。南部の辺境では、盗賊上がりのような者たちまでが勢いづいて、王国は先の見えない混迷の時代へと転がり落ちていくようだった。
 人々は次第に、この混乱を治める指導者を待ち望むようになった。
 傀儡かいらいのバハルに代わってアトラスが王になるべきという者。逆にアトラスを排してバハルが自ら統治すべきという者。前王マルスを呼び戻すべきだという者。いっそイシュラヴァール王家を解体し、アルヴィラの指導者ジェイクが主導して遊牧民国家を独立させるべきだという者。カナン自由民も例外ではなく、イランやカナルのもとにはカナンの独立を望む声が幾度となく寄せられた。
「カナンは今頃、何やってんだろうなぁ」
 イランは時折、星空を見上げて呟く。いつか船の上で、同じようにカナンと星空を見上げたことを思い出す。
『未練がましいなぁ、イラン』
 酒瓶を手にしたカナルが、イランの横にどっかりと座って酒を勧めてきた。カナルはイランと二人きりの時は、まだアルナハブ語になる。
『心配しなくても、ユーリと仲良く旅してるって話だぜ』
『誰から聞いた?』
『行商人さ。ずっと南の市場で会ったっていうから、ひと月以上前じゃないか』
『ジェイクとは決裂してるからなぁ。北部こっちには近寄りたくないだろうな』
 そう言って、イランはカナルに注がれた酒を一口飲んだ。
『焦らなくても、いずれまた会えるさ』
 カナルもまた、ぐいと酒を煽った。
『この状況は長くは続かねぇよ。いつか必ず、カナンもユーリも表舞台に出てくる』
『そうだなぁ……あいつは望まないだろうが』
 イランは苦笑した。
『どうだろうな?星の位置だって、何千年もたてば変わっちまう。人の心だって変わらないわけがねえ』
『――それでも、あいつは俺のとこには来ないだろうさ』
 盃に滴り落ちるように呟かれた言葉に、カナルはイランの背をぽんと叩いて応えた。

   *****

 夜明け前、まだ真っ暗な岩場の中で、ふとユーリは目を覚ました。
(……ファーリア?)
 ヌールはすうすうと健やかな寝息を立てて眠っている。
 だが、その向こうにいるはずのファーリアの姿がない。
 ユーリはヌールを起こさないよう細心の注意を払って起き上がると、岩場の外へ出た。
 空がうっすらと白み始めている。
 ユーリはぐるりと岩場の回りを駆けた。馬も駱駝も、静かに繋がれたままだ。
 ファーリア、と大声で叫びそうになったユーリの頭上から、囁くような声が降ってきた。
「ユーリ」
「……ファーリア!」
 見上げると、岩棚の上にファーリアがいた。
 ユーリはほうっと息を吐くと、岩棚によじ登ってファーリアを抱きしめた。
「どうしたの?」
「……また、どこかへ消えたのかと」
「ちょっと早く目がさめただけよ」
 ファーリアは安心させるようにユーリの頭を撫でた。
「信じてないわけじゃないんだ」
 ファーリアを抱きしめたまま、ユーリが言った。
「わかってる」
 東の地平が輪郭を現して、あたりが徐々に明るくなっていく。
「ねえ、ユーリ。これ見て」
 ファーリアが、二人の座っていた岩棚の少し先を指した。
 そこには、岩を石でひっかいたような跡があった。
「ここ、前にも来たことがあったのね」
 その跡を指先でなぞりながら、ファーリアが言った。
「ああ」
 ユーリは思い出した。この跡はファーリアがつけたものだ。もう何年も前、二人が出逢って間もない頃に、この岩屋に泊まった、その時に。すっかり消えてしまって僅かな跡しかのこっていないが、それはファーリアが描いたものだった。
「思い出した……お前の絵だ」
「見た?」
「ああ、ちゃんと見たよ。俺がここに来たときには、ジャヤトリアの兵がいたが」
「お礼をしたかったの。でもわたし、字が書けなかったから」
 ファーリアは近くにあった石を拾って、古い跡をなぞった。
「……あんまりうまく描けないわね」
 そう言いながらファーリアが描いたのは、数年前と同じ、笑い合う男女の絵だった。
「そんなことはない。でも、なんで俺は――間に合わなかったんだろうな、あの時」
 ファーリアは、二人の間に一回り小さな笑顔を描く。
「いいの。わたし、何も後悔していない。だってヌールが生まれたんだもの。無駄なことなんてなかったのよ、何も」
「ファーリア……」
 ユーリはファーリアの背中を抱きしめた。
 朝日が岩棚をオレンジ色に染めていく。
「それにね、ユーリ」
 ヌールを描き終えたファーリアは、更にその横に小さな丸を描いた。
 眠るように両眼を閉じて、口元に微笑みを浮かべた小さな小さな顔。
「……ファーリア、まさか……!」
 ファーリアはユーリを振り返った。少し恥ずかしそうな、喜びを抑えきれない顔で。
「名前、考えてね。お父さん」






   *****

完読ありがとうございました。

続編「イシュラヴァール戦記」執筆中です。
もしよろしければ、そちらもどうぞよろしくお願いします。
しおりを挟む
感想 4

この作品の感想を投稿する

みんなの感想(4件)

平井ゆづき
2021.09.15 平井ゆづき

連載お疲れ様でした!
とても楽しく読ませていただきました!続編も楽しみにしてます🙌

2021.09.15 道化の桃

ありがとうございます!
続編はスッキリ完結させますので、ぜひよろしくお願いします!

解除
2021.08.18 ユーザー名の登録がありません

退会済ユーザのコメントです

2021.08.18 道化の桃

ありがとうございます!嬉しいです〜!

解除
スパークノークス

お気に入りに登録しました~

2021.08.17 道化の桃

ありがとうございます!

解除

あなたにおすすめの小説

【完結】退職を伝えたら、無愛想な上司に囲われました〜逃げられると思ったのが間違いでした〜

来栖れいな
恋愛
逃げたかったのは、 疲れきった日々と、叶うはずのない憧れ――のはずだった。 無愛想で冷静な上司・東條崇雅。 その背中に、ただ静かに憧れを抱きながら、 仕事の重圧と、自分の想いの行き場に限界を感じて、私は退職を申し出た。 けれど―― そこから、彼の態度は変わり始めた。 苦手な仕事から外され、 負担を減らされ、 静かに、けれど確実に囲い込まれていく私。 「辞めるのは認めない」 そんな言葉すらないのに、 無言の圧力と、不器用な優しさが、私を縛りつけていく。 これは愛? それともただの執着? じれじれと、甘く、不器用に。 二人の距離は、静かに、でも確かに近づいていく――。 無愛想な上司に、心ごと囲い込まれる、じれじれ溺愛・執着オフィスラブ。 ※この物語はフィクションです。 登場する人物・団体・名称・出来事などはすべて架空であり、実在のものとは一切関係ありません。

私が王子との結婚式の日に、妹に毒を盛られ、公衆の面前で辱められた。でも今、私は時を戻し、運命を変えに来た。

MayonakaTsuki
恋愛
王子との結婚式の日、私は最も信頼していた人物――自分の妹――に裏切られた。毒を盛られ、公開の場で辱められ、未来の王に拒絶され、私の人生は血と侮辱の中でそこで終わったかのように思えた。しかし、死が私を迎えたとき、不可能なことが起きた――私は同じ回廊で、祭壇の前で目を覚まし、あらゆる涙、嘘、そして一撃の記憶をそのまま覚えていた。今、二度目のチャンスを得た私は、ただ一つの使命を持つ――真実を突き止め、奪われたものを取り戻し、私を破滅させた者たちにその代償を払わせる。もはや、何も以前のままではない。何も許されない。

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

JKメイドはご主人様のオモチャ 命令ひとつで脱がされて、触られて、好きにされて――

のぞみ
恋愛
「今日から、お前は俺のメイドだ。ベッドの上でもな」 高校二年生の蒼井ひなたは、借金に追われた家族の代わりに、ある大富豪の家で住み込みメイドとして働くことに。 そこは、まるでおとぎ話に出てきそうな大きな洋館。 でも、そこで待っていたのは、同じ高校に通うちょっと有名な男の子――完璧だけど性格が超ドSな御曹司、天城 蓮だった。 昼間は生徒会長、夜は…ご主人様? しかも、彼の命令はちょっと普通じゃない。 「掃除だけじゃダメだろ? ご主人様の癒しも、メイドの大事な仕事だろ?」 手を握られるたび、耳元で囁かれるたび、心臓がバクバクする。 なのに、ひなたの体はどんどん反応してしまって…。 怒ったり照れたりしながらも、次第に蓮に惹かれていくひなた。 だけど、彼にはまだ知られていない秘密があって―― 「…ほんとは、ずっと前から、私…」 ただのメイドなんかじゃ終わりたくない。 恋と欲望が交差する、ちょっぴり危険な主従ラブストーリー。

屈辱と愛情

守 秀斗
恋愛
最近、夫の態度がおかしいと思っている妻の名和志穂。25才。仕事で疲れているのかとそっとしておいたのだが、一か月もベッドで抱いてくれない。思い切って、夫に聞いてみると意外な事を言われてしまうのだが……。

禁断溺愛

流月るる
恋愛
親同士の結婚により、中学三年生の時に湯浅製薬の御曹司・巧と義兄妹になった真尋。新しい家族と一緒に暮らし始めた彼女は、義兄から独占欲を滲ませた態度を取られるようになる。そんな義兄の様子に、真尋の心は揺れ続けて月日は流れ――真尋は、就職を区切りに彼への想いを断ち切るため、義父との養子縁組を解消し、ひっそりと実家を出た。しかし、ほどなくして海外赴任から戻った巧に、その事実を知られてしまう。当然のごとく義兄は大激怒で真尋のマンションに押しかけ、「赤の他人になったのなら、もう遠慮する必要はないな」と、甘く淫らに懐柔してきて……? 切なくて心が甘く疼く大人のエターナル・ラブ。

愚かな側妃と言われたので、我慢することをやめます

天宮有
恋愛
私アリザは平民から側妃となり、国王ルグドに利用されていた。 王妃のシェムを愛しているルグドは、私を酷使する。 影で城の人達から「愚かな側妃」と蔑まれていることを知り、全てがどうでもよくなっていた。 私は我慢することをやめてルグドを助けず、愚かな側妃として生きます。

【R18】純粋無垢なプリンセスは、婚礼した冷徹と噂される美麗国王に三日三晩の初夜で蕩かされるほど溺愛される

奏音 美都
恋愛
数々の困難を乗り越えて、ようやく誓約の儀を交わしたグレートブルタン国のプリンセスであるルチアとシュタート王国、国王のクロード。 けれど、それぞれの執務に追われ、誓約の儀から二ヶ月経っても夫婦の時間を過ごせずにいた。 そんなある日、ルチアの元にクロードから別邸への招待状が届けられる。そこで三日三晩の甘い蕩かされるような初夜を過ごしながら、クロードの過去を知ることになる。 2人の出会いを描いた作品はこちら 「純粋無垢なプリンセスを野盗から助け出したのは、冷徹と噂される美麗国王でした」https://www.alphapolis.co.jp/novel/702276663/443443630 2人の誓約の儀を描いた作品はこちら 「純粋無垢なプリンセスは、冷徹と噂される美麗国王と誓約の儀を結ぶ」 https://www.alphapolis.co.jp/novel/702276663/183445041

処理中です...
本作については削除予定があるため、新規のレンタルはできません。

このユーザをミュートしますか?

※ミュートすると該当ユーザの「小説・投稿漫画・感想・コメント」が非表示になります。ミュートしたことは相手にはわかりません。またいつでもミュート解除できます。
※一部ミュート対象外の箇所がございます。ミュートの対象範囲についての詳細はヘルプにてご確認ください。
※ミュートしてもお気に入りやしおりは解除されません。既にお気に入りやしおりを使用している場合はすべて解除してからミュートを行うようにしてください。