イシュラヴァール放浪記

道化の桃

文字の大きさ
上 下
226 / 230
イシュラヴァール拾遺

番外編 王子たち 前編

しおりを挟む
 ――どうしてこうなったのだろう――。
 ごとごとと間断なく馬車に揺られて、思考はぐるぐると同じ場所を回っている。
 ついこの間まで後宮の頂点にいた者が乗るには、あまりに質素な馬車の中。人目を忍ぶようにぴったりとカーテンを閉めているので、車内は薄暗い。
 生気のない顔で薄暗がりの一点を見つめる母を気遣うように、王子バハルはサラ=マナの手にそっと自分の手を重ねた。
「母上」
「……大丈夫よ、バハル」
 息子の手を握り返して、サラ=マナは言った。微笑んだつもりだったが、唇の端が僅かに歪んだだけだった。
(笑えやしないわ)
 いったいどこで間違ったのだろう。
 若くして死んだ正妃に代わり、後宮に君臨してきた。王子も産んだ。
 だがその王子――バハルは、正妃の遺した兄姉たちの利発さに比べて、いつもどこか大人しかった。成長しても、特段目を瞠るような才を覗わせることもない。
 サラ=マナは息子を見遣った。不安げに見上げてくる黒目がちな瞳が愛おしい。
 だが、もう十三である。兄である第一王子マルス=バセルが十二の年齢には、王国内に所領を与えられ、翌年にはシャルナクの大学へ留学していた。それに比べて。
 第二王子は愚鈍だ――。
 とても王の器ではない――。
 臣ばかりか民までも、そう囁く声が、サラ=マナの耳にも入ってくる。
 第一王子と王女を産んだ正妃が早死にしたのは幸いに、サラ=マナは後宮での地位を確立してきた。第三王子は早逝し、その母親は精神を病んだ。誰がなんといおうと、王子を産んだ女は自分しか残っていないのだ。そのはずだったのに。
 サラ=マナはバハルの肩を抱き寄せた。
「大丈夫。お前まで廃嫡されたわけではないわ。離宮に着いたら、お前は王宮にお戻りなさい。王都に戻っても恥ずかしくないよう、お祖父様に豪華な馬車を用意していただきましょう」
「いやです、母上。ひとりで戻るなど」
 怯えたように言う息子の言葉が、母への気遣いから出たものではないことは、サラ=マナにも分かっていた。
 バハルは怖いのだ。
 母の庇護も指示もなく、王宮で立ち回れる器量などない。だからこそサラ=マナは息子をり立てることに腐心してきた。なのに。
(どうしてこうなったのだろう……?いったいどこで間違ったのか)
 王は変わった。それまで後宮の若い姫になど興味を示さなかったというのに。だからこそ、後宮でのサラ=マナの権力は確たるものだったのに。
 あの小娘が現れてから、すべては変わってしまった。
「……汚らわしい……あんな、下賤の女を」
「アトゥイー様のことですか?」
「あの女、シハーブ様にまで取り入って。なんて浅ましい女。あの女のせいで、陛下は変わっておしまいになった」
「母上」
 サラ=マナは、覗き込んでくる息子の頭を掻き抱いた。
「おお、かわいいバハル。どうかお前は王宮に戻って、陛下のお心を正しく導いておくれ。宰相のアリーが、力になってくれる」
「母上、いやです、母上も共に戻りましょう」
「バハル……」
 ああ、とサラ=マナは嘆息した。この息子はなんと無垢で愛らしく、無知で、暗愚なのだろう。サラ=マナが王都を追放された身であることの意味すら、理解できていないのだ。いまだに母と共に王宮に戻れると思っている。
 サラ=マナは暗鬱たる気持ちで、窓のカーテンを少し開けた。
 荒れ地にぽつぽつと灌木が生える景色がどこまでも続いている。
 その地平線に、砂埃が立った。
 なんだろう、と思う間もなく、それはみるみる大きくなる。
 がくん、と馬車が揺れ、猛スピードで走り出した。
「賊だ!」
 供の騎馬が馬車の横を囲むように駆ける。
 バハルは顔いっぱいに恐怖を湛えて、母の膝にしがみついた。
 サラ=マナは一瞬、険しい目で息子を見下ろした。その腰の剣は飾りか。自分が男なら舌打ちしたいような気分だった。我が子ながら、あまりに腰抜けだ。
 そんな母の思いになど気付くこともなく、バハルはがたがたと震えていた。
 ぎゃあっ、と断末魔の声がして、窓のすぐ横を駆けていた騎馬が一騎、崩れるように視界から消えた。馬の足音に混じり、争う声と剣の噛み合う音が聞こえる。
「母上、どうしましょう……どうしましょう……!」
「落ち着きなさい、バハル……」
 やがて馬車は大きく曲がると、ぎしぎしと軋みながら停まった。
 サラ=マナとバハル、そして二人の従者が、馬車から引きずり出された。
「きゃあっ……!」
 サラ=マナは青ざめた顔で男たちを見上げた。無礼者、と叫びたかったが、恐怖のあまり声が出ない。
 賊は一様に薄汚い無精髭を生やし、埃っぽいターバンで顔を隠すように無造作に巻きつけている。サラ=マナの腕を掴んで地面に引き倒した手も、にたにたと下卑た笑みを浮かべた顔も、何もかもが汚らしく、サラ=マナの背を悪寒が走った。
「見ろよ!すげえいい身なりをしてやがる」
 汚れた手が、サラ=マナの襟元を乱暴に掴んだ。
(服を――引き破られる――!)
 思わず目を瞑った瞬間、馬車の向こう側から声がした。
「おい、待て!積み荷に王家の紋章がついてる。こいつら、只者じゃねえぞ」
「王家の女だと!?」
 サラ・マナの襟首を掴んだ男の目の色が変わった。その男は蓬髪に破れ果てた布切れを申し訳に巻き、衣類も汚れてすっかり変色した襤褸を幾重にも重ねたようななりで、賊の中でも目立って異様な雰囲気を纏っていた。いつ身体を洗ったのだろう、きつい体臭を放っている。
「そりゃあいい、八つ裂きにして骨までしゃぶってやるぜぇ」
 男は歯並びの悪い口でにいっと嗤った。サラ=マナはぞっとして身震いした。
「落ち着けよ。どこぞの奥方か、うまくすりゃあ身代金がたんまり取れる。連れて帰ってかしらに相談して、それから殺しても遅くねぇ」
 積み荷を検分していた男が、襤褸を着た男をたしなめた。こちらはターバンで顔を隠している。
「殺すのは俺にやらせろよ。いっぺん犯しながら殺してみたかったんだよぉ。それも、高貴な女ってのをな」
 襤褸の男は抗議がましい声を上げたが、結局サラ=マナの襟から手を放した。
「そう焦るな。服も高く売れそうだ。帰ってからゆっくり剥いてやろうぜ。そっちの小僧もな」
 顔を隠した男がバハルを顎で指して言った。バハルは終始、地面に蹲ったまま震えていた。
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

【R18・完結】蜜溺愛婚 ~冷徹御曹司は努力家妻を溺愛せずにはいられない〜

花室 芽苳
恋愛
契約結婚しませんか?貴方は確かにそう言ったのに。気付けば貴方の冷たい瞳に炎が宿ってー?ねえ、これは大人の恋なんですか? どこにいても誰といても冷静沈着。 二階堂 柚瑠木《にかいどう ゆるぎ》は二階堂財閥の御曹司 そんな彼が契約結婚の相手として選んだのは 十条コーポレーションのお嬢様 十条 月菜《じゅうじょう つきな》 真面目で努力家の月菜は、そんな柚瑠木の申し出を受ける。 「契約結婚でも、私は柚瑠木さんの妻として頑張ります!」 「余計な事はしなくていい、貴女はお飾りの妻に過ぎないんですから」 しかし、挫けず頑張る月菜の姿に柚瑠木は徐々に心を動かされて――――? 冷徹御曹司 二階堂 柚瑠木 185㎝ 33歳 努力家妻  十条 月菜   150㎝ 24歳

【R18】幼馴染な陛下は、わたくしのおっぱいお好きですか?💕

月極まろん
恋愛
 幼なじみの陛下に告白したら、両思いだと分かったので、甘々な毎日になりました。  でも陛下、本当にわたくしに御不満はございませんか?

性欲の強すぎるヤクザに捕まった話

古亜
恋愛
中堅企業の普通のOL、沢木梢(さわきこずえ)はある日突然現れたチンピラ3人に、兄貴と呼ばれる人物のもとへ拉致されてしまう。 どうやら商売女と間違えられたらしく、人違いだと主張するも、兄貴とか呼ばれた男は聞く耳を持たない。 「美味しいピザをすぐデリバリーできるのに、わざわざコンビニのピザ風の惣菜パンを食べる人います?」 「たまには惣菜パンも悪くねぇ」 ……嘘でしょ。 2019/11/4 33話+2話で本編完結 2021/1/15 書籍出版されました 2021/1/22 続き頑張ります 半分くらいR18な話なので予告はしません。 強引な描写含むので苦手な方はブラウザバックしてください。だいたいタイトル通りな感じなので、少しでも思ってたのと違う、地雷と思ったら即回れ右でお願いします。 誤字脱字、文章わかりにくい等の指摘は有り難く受け取り修正しますが、思った通りじゃない生理的に無理といった内容については自衛に留め批判否定はご遠慮ください。泣きます。 当然の事ながら、この話はフィクションです。

【R18】散らされて

月島れいわ
恋愛
風邪を引いて寝ていた夜。 いきなり黒い袋を頭に被せられ四肢を拘束された。 抵抗する間もなく躰を開かされた鞠花。 絶望の果てに待っていたのは更なる絶望だった……

極上の一夜で懐妊したらエリートパイロットの溺愛新婚生活がはじまりました

白妙スイ@書籍&電子書籍発刊!
恋愛
早瀬 果歩はごく普通のOL。 あるとき、元カレに酷く振られて、1人でハワイへ傷心旅行をすることに。 そこで逢見 翔というパイロットと知り合った。 翔は果歩に素敵な時間をくれて、やがて2人は一夜を過ごす。 しかし翌朝、翔は果歩の前から消えてしまって……。 ********** ●早瀬 果歩(はやせ かほ) 25歳、OL 元カレに酷く振られた傷心旅行先のハワイで、翔と運命的に出会う。 ●逢見 翔(おうみ しょう) 28歳、パイロット 世界を飛び回るエリートパイロット。 ハワイへのフライト後、果歩と出会い、一夜を過ごすがその後、消えてしまう。 翌朝いなくなってしまったことには、なにか理由があるようで……? ●航(わたる) 1歳半 果歩と翔の息子。飛行機が好き。 ※表記年齢は初登場です ********** webコンテンツ大賞【恋愛小説大賞】にエントリー中です! 完結しました!

イケメン彼氏は年上消防士!鍛え上げられた体は、夜の体力まで別物!?

すずなり。
恋愛
私が働く食堂にやってくる消防士さんたち。 翔馬「俺、チャーハン。」 宏斗「俺もー。」 航平「俺、から揚げつけてー。」 優弥「俺はスープ付き。」 みんなガタイがよく、男前。 ひなた「はーいっ。ちょっと待ってくださいねーっ。」 慌ただしい昼時を過ぎると、私の仕事は終わる。 終わった後、私は行かなきゃいけないところがある。 ひなた「すみませーん、子供のお迎えにきましたー。」 保育園に迎えに行かなきゃいけない子、『太陽』。 私は子供と一緒に・・・暮らしてる。 ーーーーーーーーーーーーーーーー 翔馬「おいおい嘘だろ?」 宏斗「子供・・・いたんだ・・。」 航平「いくつん時の子だよ・・・・。」 優弥「マジか・・・。」 消防署で開かれたお祭りに連れて行った太陽。 太陽の存在を知った一人の消防士さんが・・・私に言った。 「俺は太陽がいてもいい。・・・太陽の『パパ』になる。」 「俺はひなたが好きだ。・・・絶対振り向かせるから覚悟しとけよ?」 ※お話に出てくる内容は、全て想像の世界です。現実世界とは何ら関係ありません。 ※感想やコメントは受け付けることができません。 メンタルが薄氷なもので・・・すみません。 言葉も足りませんが読んでいただけたら幸いです。 楽しんでいただけたら嬉しく思います。

【R18】隣のデスクの歳下後輩君にオカズに使われているらしいので、望み通りにシてあげました。

雪村 里帆
恋愛
お陰様でHOT女性向け33位、人気ランキング146位達成※隣のデスクに座る陰キャの歳下後輩君から、ある日私の卑猥なアイコラ画像を誤送信されてしまい!?彼にオカズに使われていると知り満更でもない私は彼を部屋に招き入れてお望み通りの行為をする事に…。強気な先輩ちゃん×弱気な後輩くん。でもエッチな下着を身に付けて恥ずかしくなった私は、彼に攻められてすっかり形成逆転されてしまう。 ——全話ほぼ濡れ場で小難しいストーリーの設定などが無いのでストレス無く集中できます(はしがき・あとがきは含まない) ※完結直後のものです。

一夜限りのお相手は

栗原さとみ
恋愛
私は大学3年の倉持ひより。サークルにも属さず、いたって地味にキャンパスライフを送っている。大学の図書館で一人読書をしたり、好きな写真のスタジオでバイトをして過ごす毎日だ。ある日、アニメサークルに入っている友達の亜美に頼みごとを懇願されて、私はそれを引き受けてしまう。その事がきっかけで思いがけない人と思わぬ展開に……。『その人』は、私が尊敬する写真家で憧れの人だった。R5.1月

処理中です...