218 / 230
イシュラヴァール拾遺
番外編 誓い 後編
しおりを挟むマルスはシハーブのことが気に入ったらしく、本当に毎日のように宮殿に呼びつけた。
おかげでシハーブの家庭教師は暇を出されてしまった。シハーブはマルスの遊び相手だけでなく、勉強時間にも付き合わされたからだ。
マルスは新しい遊び相手を「シハーブ」と姓で呼んだ。「アフマドなんて平凡すぎて覚えられない」というのがその理由だ。
授業が終わると、二人は宮殿の中を遊び回った。マルスは宮殿のあらゆる通路について、とてもよく知っていた。役人の中でも高位の者しか入れない部屋も、図書館の非公開文書が収められている保管庫の鍵の在り処も、使用人の休憩所も、厨房の屋根伝いに馬屋に出られることも。
そして、一日に一度は、あの王宮の西の端に佇む塔の下へ行った。
「母上はあそこに閉じ込められていた。一度もあの塔を出ないまま、死んでしまった」
シハーブがマルスと会ってひと月が経った頃、マルスがぽつりぽつりと話しだした。
マルスが言うには、マルスの母は何か重い罪に問われて、塔に幽閉されていたというのだ。それを子供の妄想だと切り捨てるには、マルスはあまりに理性的だったし、宮殿の中の様々な事情に通じていた。
宮殿から帰った夜、たまたま屋敷で顔を合わせた父に、シハーブはそれとなくマルスの母について尋ねたことがある。父はしばらく無言でシハーブを見つめた後、
「殿下はお寂しいお方だ。お前は殿下のお心の、一番そばにいなさい。これから先、いつも、何があっても、殿下のお味方でいなさい」
と言った。シハーブの父は、たとえそれが幼い息子であっても、相手を子供扱いしない男だった。その顔は真剣そのもので、どこか哀しげだった。
「シハーブ、今日は町へ出るぞ」
ある日、授業が終わるなりマルスはそう言った。
マルスとシハーブは宮殿の中の普通なら入れないような場所まで散々入り込んでいたので、シハーブは、守役に内緒で町に出ることなど今更何の問題もないような気がしていた。今日の冒険はそれか、と思った程度だった。
いつもの通りまんまと守役の女達をまいて、二人は出入りの業者の荷車に潜り込んで門を出た。
「マルス様、どちらへ?」
荷車から飛び降りて、シハーブはマルスに尋ねた。
「ウラ川はどっちだ?」
そう訊かれて、シハーブは目を瞬いた。
「知らないんですか?」
ウラ川は、アルサーシャを横切る川で、王都に住むものなら知らない者はいない。
「地図では頭に入っていたのだが」
「マルス様……もしかして、王宮の外に出たことって……」
「三度目だ。一度目は赤ん坊の頃だったから覚えていない。二度目は、去年の花祭に、広場に出た」
つまりマルスは、地図上の川の場所は知っているが、荷車の中に隠れていた間の道順を知らないので、自分が今どこにいるかわからないのだった。
一方シハーブは母や乳母に連れられて町を出歩くことも珍しくなかったので、王宮の周辺であればだいたいの地理は分かっていた。
「こっちです」
ウラ川はイシュラヴァールを蛇行しながら横切っている。ひとまずシハーブは一番近い川辺へとマルスを案内した。
「ウラ川、といっても、広いからな……」
川岸に立ったシハーブが呟いた。アネモネの花がそよ風に揺れている。
「工事をしているだろう。そこへ行きたい」
マルスが言った。シハーブは「ああ」と得心した。ウラ川の護岸工事の指揮を、シハーブの父が執っていたのだ。
「それじゃもう少し下流ですね」
アネモネの花が咲く川岸を、二人は連れ立って歩いた。マルスが丈の高い草に足元を取られそうになると、シハーブはその腕をとって支えた。
徐々に日が傾いてきた。
(そろそろ帰らないと……)
シハーブは少し焦った。振り向くと、マルスが頬を上気させ、真剣な目で草を漕いでついてくる。
「もう、すぐです……」
帰らなければと思う心とは真逆のことを、シハーブは口にしていた。
(この人の願いを叶えるんだ)
シハーブもまた、必死で先へ進んだ。マルスが見たいと思うものを、見せたかった。いやむしろ、マルスの見るものをシハーブは見たかった。たとえそれが面白くもなんともない工事現場だろうが、マルスが見たがったという事実が、その風景を特別なものにするだろう。
太陽はどんどん地平線へと落ちていき、空は真っ赤に染まっていった。さすがに日が暮れて出歩くのは危険だ。子供をさらって売り飛ばす輩もいる。だが、シハーブは覚悟を決めていた。
(何があっても、この人を守る)
精一杯の誓いを小さな胸に抱いて、見上げた西の空に宵の明星が輝いた。
「――着いた……あそこです……!」
シハーブが指差した先をマルスが見つめる。その額には、汗の粒がきらきらと浮かんでいた。
「ありがとう、シハーブ」
オレンジ色の残照を背に、マルスは輝くような笑顔で言った。
国王の寵愛を受けていた側室が、王子殺害の容疑をかけられて息子共々追放されたのは、そのひと月ほど後のことである。
聞いた話では、ウラ川の工事現場から側室のものと思しき首飾りが見つかった、という。それは四年前に第二王子が命を落とした場所と、奇しくも同じであった。
この一件により、既に戦死していた第一王子、殺害された第二王子、追放された第三王子に続いて、母の疑惑が晴れたマルスが王位継承権の第一位となった。それはしかし、血塗られた玉座――そう、人々に噂された。
マルスが十五の歳に、国王はマルスに王位を譲って隠居した。間もなくマルスは、その血塗られた運命に相応しく、砂漠に住む異民族――遊牧民たちの掃討戦を開始したのである。
砂漠は血の色に染まっていった。
シハーブがあのアカシアの樹の下の出会いについて疑いを持ったのも、その頃のことである。
マルスは自分と出会う前から父の仕事を知っていたのではないか――シハーブの父が仕切っていた護岸工事の詳細を把握するために、シハーブを側近くに仕えさせるよう仕向けたのではないか。
「まさか……な」
シハーブは数歩先を行くマルスの銀の髪を追いながら、小さく呟いた。
首飾りが果たして本当に四年間も川岸の泥地に眠っていたのかは、誰も知らない。
0
お気に入りに追加
98
あなたにおすすめの小説
淫らな蜜に狂わされ
歌龍吟伶
恋愛
普段と変わらない日々は思わぬ形で終わりを迎える…突然の出会い、そして体も心も開かれた少女の人生録。
全体的に性的表現・性行為あり。
他所で知人限定公開していましたが、こちらに移しました。
全3話完結済みです。
ちょっと大人な体験談はこちらです
神崎未緒里
恋愛
本当にあった!?かもしれない
ちょっと大人な体験談です。
日常に突然訪れる刺激的な体験。
少し非日常を覗いてみませんか?
あなたにもこんな瞬間が訪れるかもしれませんよ?
※本作品ではPixai.artで作成した生成AI画像ならびに
Pixabay並びにUnsplshのロイヤリティフリーの画像を使用しています。
※不定期更新です。
※文章中の人物名・地名・年代・建物名・商品名・設定などはすべて架空のものです。
イケメン彼氏は年上消防士!鍛え上げられた体は、夜の体力まで別物!?
すずなり。
恋愛
私が働く食堂にやってくる消防士さんたち。
翔馬「俺、チャーハン。」
宏斗「俺もー。」
航平「俺、から揚げつけてー。」
優弥「俺はスープ付き。」
みんなガタイがよく、男前。
ひなた「はーいっ。ちょっと待ってくださいねーっ。」
慌ただしい昼時を過ぎると、私の仕事は終わる。
終わった後、私は行かなきゃいけないところがある。
ひなた「すみませーん、子供のお迎えにきましたー。」
保育園に迎えに行かなきゃいけない子、『太陽』。
私は子供と一緒に・・・暮らしてる。
ーーーーーーーーーーーーーーーー
翔馬「おいおい嘘だろ?」
宏斗「子供・・・いたんだ・・。」
航平「いくつん時の子だよ・・・・。」
優弥「マジか・・・。」
消防署で開かれたお祭りに連れて行った太陽。
太陽の存在を知った一人の消防士さんが・・・私に言った。
「俺は太陽がいてもいい。・・・太陽の『パパ』になる。」
「俺はひなたが好きだ。・・・絶対振り向かせるから覚悟しとけよ?」
※お話に出てくる内容は、全て想像の世界です。現実世界とは何ら関係ありません。
※感想やコメントは受け付けることができません。
メンタルが薄氷なもので・・・すみません。
言葉も足りませんが読んでいただけたら幸いです。
楽しんでいただけたら嬉しく思います。
ドSでキュートな後輩においしくいただかれちゃいました!?
春音優月
恋愛
いつも失敗ばかりの美優は、少し前まで同じ部署だった四つ年下のドSな後輩のことが苦手だった。いつも辛辣なことばかり言われるし、なんだか完璧過ぎて隙がないし、後輩なのに美優よりも早く出世しそうだったから。
しかし、そんなドSな後輩が美優の仕事を手伝うために自宅にくることになり、さらにはずっと好きだったと告白されて———。
美優は彼のことを恋愛対象として見たことは一度もなかったはずなのに、意外とキュートな一面のある後輩になんだか絆されてしまって……?
2021.08.13
イケメン社長と私が結婚!?初めての『気持ちイイ』を体に教え込まれる!?
すずなり。
恋愛
ある日、彼氏が自分の住んでるアパートを引き払い、勝手に『同棲』を求めてきた。
「お前が働いてるんだから俺は家にいる。」
家事をするわけでもなく、食費をくれるわけでもなく・・・デートもしない。
「私は母親じゃない・・・!」
そう言って家を飛び出した。
夜遅く、何も持たず、靴も履かず・・・一人で泣きながら歩いてるとこを保護してくれた一人の人。
「何があった?送ってく。」
それはいつも仕事場のカフェに来てくれる常連さんだった。
「俺と・・・結婚してほしい。」
「!?」
突然の結婚の申し込み。彼のことは何も知らなかったけど・・・惹かれるのに時間はかからない。
かっこよくて・・優しくて・・・紳士な彼は私を心から愛してくれる。
そんな彼に、私は想いを返したい。
「俺に・・・全てを見せて。」
苦手意識の強かった『営み』。
彼の手によって私の感じ方が変わっていく・・・。
「いあぁぁぁっ・・!!」
「感じやすいんだな・・・。」
※お話は全て想像の世界のものです。現実世界とはなんら関係ありません。
※お話の中に出てくる病気、治療法などは想像のものとしてご覧ください。
※誤字脱字、表現不足は重々承知しております。日々精進してまいりますので温かく見ていただけると嬉しいです。
※コメントや感想は受け付けることができません。メンタルが薄氷なもので・・すみません。
それではお楽しみください。すずなり。
如月さんは なびかない。~クラスで一番の美少女に、何故か告白された件~
八木崎(やぎさき)
恋愛
「ねぇ……私と、付き合って」
ある日、クラスで一番可愛い女子生徒である如月心奏に唐突に告白をされ、彼女と付き合う事になった同じクラスの平凡な高校生男子、立花蓮。
蓮は初めて出来た彼女の存在に浮かれる―――なんて事は無く、心奏から思いも寄らない頼み事をされて、それを受ける事になるのであった。
これは不器用で未熟な2人が成長をしていく物語である。彼ら彼女らの歩む物語を是非ともご覧ください。
一緒にいたい、でも近づきたくない―――臆病で内向的な少年と、偏屈で変わり者な少女との恋愛模様を描く、そんな青春物語です。
【R18】純粋無垢なプリンセスは、婚礼した冷徹と噂される美麗国王に三日三晩の初夜で蕩かされるほど溺愛される
奏音 美都
恋愛
数々の困難を乗り越えて、ようやく誓約の儀を交わしたグレートブルタン国のプリンセスであるルチアとシュタート王国、国王のクロード。
けれど、それぞれの執務に追われ、誓約の儀から二ヶ月経っても夫婦の時間を過ごせずにいた。
そんなある日、ルチアの元にクロードから別邸への招待状が届けられる。そこで三日三晩の甘い蕩かされるような初夜を過ごしながら、クロードの過去を知ることになる。
2人の出会いを描いた作品はこちら
「純粋無垢なプリンセスを野盗から助け出したのは、冷徹と噂される美麗国王でした」https://www.alphapolis.co.jp/novel/702276663/443443630
2人の誓約の儀を描いた作品はこちら
「純粋無垢なプリンセスは、冷徹と噂される美麗国王と誓約の儀を結ぶ」
https://www.alphapolis.co.jp/novel/702276663/183445041
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる