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イシュラヴァール拾遺
番外編 東方異聞 後編
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記述が分かりづらかったらすみません。位置関係はこんなかんじ↓です。
シャルナク帝国
リアラベルデ 北の帝国
↑ ↑
西の海←イシュラヴァール←アルナハブ←タリムの故郷→東の大国→東の海
↓
山脈
↓
南の海
そろそろ地図が必要かも・・・
*****
山賊たちは、タリムと残った姉二人を奴隷商人に売った。
姉二人は奴隷商人の隙を見計らって、タリムだけを逃がした。
タリムは山へと駆けた。そのあたりでは、子供が一人で山に入ったら生きられない、と言われていた。タリムは裏をかくつもりで、必死で酸素の薄い山道を駆けた。
やがて雪が降り出した。
身を切るような雪混じりの風を避けて、崖下のくぼみに身を寄せていたところを、山の民に見つけられた。
その山の民は、無口な男だった。男の小さなテントで、ランプで煮立てた粥を食べ、眠った。二人は何日もかけて、山脈の南側に抜けた。そこには小さな町があった。森もあった。泉からは水が溢れていた。
「海がない」
とタリムが言った。
「海はもっとずっと南だ」
男が言った。
「お前が山の民になるなら面倒を見てやる」
タリムは首を振った。
「僕は海に行く」
男と別れ、タリムは旅を続けた。通りかかる町では注意深く情報を集めた。盗賊の出る山、人買いの身なり、子供を攫う時の常套句、眠り薬の種類など、身を守るための情報を掻き集めて、神経を尖らせて歩いていると、不思議と危険な目に遭うことは減った。
それでも何度か騙されかけて、タリムは戦い方を覚えた。元々タリムの部族は体術に優れていた。年に二回ほど、大会も行われていた。タリムは大会で優勝するほどではなかったが、それでもいくつか技を身に着けていたのだ。最初の山賊相手には足が竦んで動けなかったが、いざ戦うと心に決めて臨めば、子供相手と油断している者にはそこそこ通用した。相手を倒さないまでも、逃げ出すことはできた。親切だと思っていた相手が、手の平を返してタリムを騙してくることだけが、タリムの心を荒ませた。幾度も騙されて、タリムはもう誰も信じられなかった。
山脈の南側は豊かな水と緑で覆われていた。気候は温暖で、タリムの故郷よりずっと過ごしやすかった。そして、ずっと多くの人間が暮らしていた。山を降りるに従って、どんどん人の数は増えた。タリムの言葉はもう通じなかった。タリムは片言を覚えながら、ひたすら海を目指した。
海に取り立てて目的があったわけではない。だが何か目標がないと、歩き続けられなかった。歩き続けないと生きていけないような気がした。
「海へ行くのか、坊主」
声を掛けてきたその男は、奴隷商人だった。
「僕をさらって売り飛ばそうって気なら、やめときなよ。客の金を盗んで逃げるよ」
その頃には、タリムは凡そ年齢に不相応なほどの落ち着きを身に着けていた。奴隷商人の男はからからと笑った。
「確かに、そんなに肝が座ってちゃあ、どこにも売れねぇなぁ」
それでもなんとなくその奴隷商人と旅をすることになったのは、ただ行き先が同じだったというだけではない。
タリムは金を稼ぐあてを探していた。最近身体が大きくなってきて、貧しい子供と同情する金持ちから施しを受けるのも、そろそろ限界だった。それに、その奴隷商人とはなんとなく気が合った。はなから信用していない相手には、裏切られることもない。それが気楽だったのかもしれない。
タリムは奴隷商人と旅をするうち、彼の仕事ぶりを覚えていった。
「なんだてめえ、こんな稼業、なんも良いことねぇぞ?ひたすら恨みを買うだけの、業の深い仕事だ」
「じゃあなんであんたはやってるの」
騙されて売られて野垂れ死ぬより、騙してでも生き延びる方がましだと思ったし、実際自分は騙す側の方が向いている気がした。他人を信じるのをやめ、いつも一歩引いた目で見ているうちに、逆に相手に自分を信じさせる術を身に着けたからだ。信じるより先に信じさせれば、操ることなど容易い。
だが奴隷商人の答えは、タリムのそんな思いとは少し違っているようだった。
「さぁなぁ。なんの因果か、前世の宿業か……いずれにせよ、いい死に方はしねぇだろうなってことは覚悟してるさ」
「ふうん……」
やがて二人は小さな港町に出た。
「ここは東で迫害されて逃げてきた少数民族が行き着く港だ。奴隷でもいいから食わせてほしいって人間が大量にいる。こいつらをあちこちに売りさばくのさ」
奴隷商人は北から連れてきた何人かの女達を、町の小さな娼館に売った。その金を持って難民キャンプに向かい、何人か買い付ける算段を整えた。
それから奴隷商人は港へ行き、タリムをある男に紹介した。男は海賊船の船長で、見上げるような巨躯だった。
「おい、こいつが船に乗りたいってさ」
「なんだ、奴隷に払う金はねぇぞぉ?」
船長は見た目に似合わず、明るく親しみやすい声をしていた。
「いらねぇよ。そいつは奴隷じゃねぇ。俺の友達だ」
奴隷商人はそう言って、どこかへと去っていった。
それ以来、タリムが彼を見たことはない。
「お前さん、名前は?」
大男の船長がタリムに訊いた。
「……タリム」
「俺はドレイクだ。お前さんはどっから来たんだ?」
タリムは遠い北の空を見遣った。あの天を衝くような山は、とっくに見えなくなっていた。
「もうなくなった国からだよ」
と、タリムは答えた。
シャルナク帝国
リアラベルデ 北の帝国
↑ ↑
西の海←イシュラヴァール←アルナハブ←タリムの故郷→東の大国→東の海
↓
山脈
↓
南の海
そろそろ地図が必要かも・・・
*****
山賊たちは、タリムと残った姉二人を奴隷商人に売った。
姉二人は奴隷商人の隙を見計らって、タリムだけを逃がした。
タリムは山へと駆けた。そのあたりでは、子供が一人で山に入ったら生きられない、と言われていた。タリムは裏をかくつもりで、必死で酸素の薄い山道を駆けた。
やがて雪が降り出した。
身を切るような雪混じりの風を避けて、崖下のくぼみに身を寄せていたところを、山の民に見つけられた。
その山の民は、無口な男だった。男の小さなテントで、ランプで煮立てた粥を食べ、眠った。二人は何日もかけて、山脈の南側に抜けた。そこには小さな町があった。森もあった。泉からは水が溢れていた。
「海がない」
とタリムが言った。
「海はもっとずっと南だ」
男が言った。
「お前が山の民になるなら面倒を見てやる」
タリムは首を振った。
「僕は海に行く」
男と別れ、タリムは旅を続けた。通りかかる町では注意深く情報を集めた。盗賊の出る山、人買いの身なり、子供を攫う時の常套句、眠り薬の種類など、身を守るための情報を掻き集めて、神経を尖らせて歩いていると、不思議と危険な目に遭うことは減った。
それでも何度か騙されかけて、タリムは戦い方を覚えた。元々タリムの部族は体術に優れていた。年に二回ほど、大会も行われていた。タリムは大会で優勝するほどではなかったが、それでもいくつか技を身に着けていたのだ。最初の山賊相手には足が竦んで動けなかったが、いざ戦うと心に決めて臨めば、子供相手と油断している者にはそこそこ通用した。相手を倒さないまでも、逃げ出すことはできた。親切だと思っていた相手が、手の平を返してタリムを騙してくることだけが、タリムの心を荒ませた。幾度も騙されて、タリムはもう誰も信じられなかった。
山脈の南側は豊かな水と緑で覆われていた。気候は温暖で、タリムの故郷よりずっと過ごしやすかった。そして、ずっと多くの人間が暮らしていた。山を降りるに従って、どんどん人の数は増えた。タリムの言葉はもう通じなかった。タリムは片言を覚えながら、ひたすら海を目指した。
海に取り立てて目的があったわけではない。だが何か目標がないと、歩き続けられなかった。歩き続けないと生きていけないような気がした。
「海へ行くのか、坊主」
声を掛けてきたその男は、奴隷商人だった。
「僕をさらって売り飛ばそうって気なら、やめときなよ。客の金を盗んで逃げるよ」
その頃には、タリムは凡そ年齢に不相応なほどの落ち着きを身に着けていた。奴隷商人の男はからからと笑った。
「確かに、そんなに肝が座ってちゃあ、どこにも売れねぇなぁ」
それでもなんとなくその奴隷商人と旅をすることになったのは、ただ行き先が同じだったというだけではない。
タリムは金を稼ぐあてを探していた。最近身体が大きくなってきて、貧しい子供と同情する金持ちから施しを受けるのも、そろそろ限界だった。それに、その奴隷商人とはなんとなく気が合った。はなから信用していない相手には、裏切られることもない。それが気楽だったのかもしれない。
タリムは奴隷商人と旅をするうち、彼の仕事ぶりを覚えていった。
「なんだてめえ、こんな稼業、なんも良いことねぇぞ?ひたすら恨みを買うだけの、業の深い仕事だ」
「じゃあなんであんたはやってるの」
騙されて売られて野垂れ死ぬより、騙してでも生き延びる方がましだと思ったし、実際自分は騙す側の方が向いている気がした。他人を信じるのをやめ、いつも一歩引いた目で見ているうちに、逆に相手に自分を信じさせる術を身に着けたからだ。信じるより先に信じさせれば、操ることなど容易い。
だが奴隷商人の答えは、タリムのそんな思いとは少し違っているようだった。
「さぁなぁ。なんの因果か、前世の宿業か……いずれにせよ、いい死に方はしねぇだろうなってことは覚悟してるさ」
「ふうん……」
やがて二人は小さな港町に出た。
「ここは東で迫害されて逃げてきた少数民族が行き着く港だ。奴隷でもいいから食わせてほしいって人間が大量にいる。こいつらをあちこちに売りさばくのさ」
奴隷商人は北から連れてきた何人かの女達を、町の小さな娼館に売った。その金を持って難民キャンプに向かい、何人か買い付ける算段を整えた。
それから奴隷商人は港へ行き、タリムをある男に紹介した。男は海賊船の船長で、見上げるような巨躯だった。
「おい、こいつが船に乗りたいってさ」
「なんだ、奴隷に払う金はねぇぞぉ?」
船長は見た目に似合わず、明るく親しみやすい声をしていた。
「いらねぇよ。そいつは奴隷じゃねぇ。俺の友達だ」
奴隷商人はそう言って、どこかへと去っていった。
それ以来、タリムが彼を見たことはない。
「お前さん、名前は?」
大男の船長がタリムに訊いた。
「……タリム」
「俺はドレイクだ。お前さんはどっから来たんだ?」
タリムは遠い北の空を見遣った。あの天を衝くような山は、とっくに見えなくなっていた。
「もうなくなった国からだよ」
と、タリムは答えた。
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