イシュラヴァール放浪記

道化の桃

文字の大きさ
上 下
204 / 230
イシュラヴァール拾遺

番外編 紅玉 後編☆

しおりを挟む
 朝、マルスより早く目覚めても、ルビーはマルスより先にはベッドを出ない。マルスが浅い眠りから目覚める時、その手が誰かを探してシーツの上をさまようからだ。
 ルビーは気づいていた。
 シーツを掻いた両腕がルビーを見つけて抱き寄せる時、目を閉じたままのマルスが小さく眉を寄せる。僅かに苦しそうに、そしてとても悲しそうに。
(一体、誰を想って……)
 気にならないといえば嘘になる。だがそれを問い詰めるほど、ルビーのプライドは低くなかった。

 マルスが船長室のドアを開けると、すぐ横にスカイが寄りかかっていた。
「一晩中いたのか?」
「ええまあ、警護も兼ねて」
 スカイはいかにも眠そうに伸びをして、それから意味ありげな表情でマルスの顔を覗き込んだ。
「なんだ?」
「いえ。ただ、残酷なことをされているな、と」
「……百も承知だ」
 マルスは苦笑した。
「だが今、私に必要なのはルビーだ」
「承知しておりますとも。最愛のご子息は安全な奥地ばしょに隠して、しかも砂漠の黒鷹とカナンの頭目という最強の警備付き。大切になさってるんだなあって」
「嫌味を言うな。私とて、できることなら息子レグルスを手元に置いておきたい」
「ええ、その寂しさをあの気の強い美人で紛らわせてることは重々理解しておりますとも」
「口の減らない奴だ。シハーブが恋しいぞ」
 そう言いながらも、こうしてスカイが口さがなくなじってくれるお陰で、マルス自身の後ろめたさが軽くなっていることも分かっていた。何だかんだ、有能な側近なのだ。
「そうおっしゃらずに、陛下。例のもの、ご用意できましたよ」
 スカイは小さな包みを取り出して、マルスに渡した。
「手間を掛けたな。……こんなもので機嫌が取れるとは思っておらぬが」
 マルスは包みを懐にしまった。
「機嫌が取れてしまうから、残酷だって言ったんですけどね……」
 背後でぽつりと落とされたスカイの呟きは、マルスの耳には届かなかった。
 その夜マルスは、ルビーを連れて陸へ上がった。
「どこへ行くのだ?」
「着いてくれば分かる」
 日が落ちて人のまばらになった司令部に、マルスは入っていった。
 四階建ての最上階、広いテラスのある一室に、明かりを灯させる。
「ここは――」
 ルビーは目をみはった。
 ランプの暖かな光に浮かび上がった室内には、最上級の調度品が揃えられている。それらはシハーブが選りすぐって手配した物だった。広いテラスからはアズハル湾の明かりを一望できる。故郷の自分の屋敷にも、こんなに贅沢な部屋はない。逃亡中の身で、この贅沢が当然のように許される――。
(このひとは、都を追われても、やはりこの国の国王なんだわ……)
 ルビーは初めて、気後れしている自分に気付いた。街中や船の上で会っていたマルスはあまりに近すぎて、手を伸ばせば容易たやすく触れることができた。だが本来そのような場所に居るべきではない人物なのだと、今になって思い知らされたような気分だった。
「実は私も初めて入った」
 マルスは事も無げに言って、テラスに出た。
 主のいない部屋にはしかし、毎晩律儀に香が焚き染められていたらしく、カーテンや寝具からはいい香りが立ち上ってくる。
「スラジャ、いい風だぞ」
 マルスに呼ばれて、ルビーもテラスに出た。部屋の隅で気配を消して控えていた兵士に、マルスが目配せすると、兵士は間もなくワインを持って現れた。
「なにぶん王宮とは勝手が違う。海軍の基地内ゆえ女官などは置けぬが、くつろいでいいぞ」
 そんなことを言われても、あまりに場違いな気がして、所在がない。何より部屋の真ん中には、巨大な寝台が、いかにも上等な光沢を放つ絹を何枚も纏って、鎮座しているのだ。
 ルビーは思わず、くんくんと自分の臭いを嗅いでいた。服も髪も、潮風にまみれてべたついている。
「ああ、先に湯を使うか?すまぬな、気が利かず」
 マルスは注ぎかけたワイングラスを卓に置いた。
「いや、あの、着替えもないし」
「湯から出るまでには着替えを持ってこさせる。ゆっくり湯浴みするが良い」
 マルスが部屋の隅の戸を開けると、そこには浴室が設えてあった。
「あ……でも……」
 柄にもなく狼狽えるルビーの肩を、マルスは後ろから抱いた。
「――ここを使うのは、そなたが最初だ。そしてこの先、他の誰にも使わせない」
「……!」
 スラジャは赤面した。自分の幼い嫉妬心を見透かされた気がした。
「そなただけだ、スラジャ」
 マルスが耳元で囁いた。そして、ひんやりとしたものが首にあたった。
「これは――?」
 ルビーの胸元に、大きなルビーの首飾りが下がっていた。
「私が王都を取り戻すには、まだしばし時間が必要だ。それでもそなたが構わなければ、一度リアラベルデへ行こう。共和国元首――そなたの父上に、挨拶をしに」
「…………っ」
 ルビーの頬を涙が伝った。泣くつもりなんてなかったのに、あとからあとから溢れ出て止まらない。
「……っく……ふぅっ……」
「スラジャ」
 マルスがルビーを抱き締め、口付けを落とす。頬に、耳元に、首筋に。
「うぅ……っ……!」
 我慢できずに、ルビーは振り向いてマルスに抱きついた。
 喰らい合うように口づけを交わし、身体を絡ませる。マルスの嵐のような愛撫に包まれながら、
(マルスがこの部屋を今まで使わなかったのは……)
ルビーはつい、思いを巡らせてしまう。本当はこの部屋に招きたいひとが他にいたのではないかと。
「ああ!」
 浴室で、立ったまま背後から貫かれて、ルビーの思考は散じた。
 目の前の鏡には、自分の裸体ごしにマルスが映っていた。行き場のない怒りと途方も無い哀しみを、氷色の瞳に湛えて。

 浴室から出ると、マルスが言った通り、二人分の着替えが用意されていた。
 さらさらと肌の上を心地よく滑る衣に包まれて、二人は寝台に横になった。マルスの手が優しくルビーの髪を撫でている。
(こんなベッドは、広すぎるわ……)
 このきれいな部屋の広い寝台の上で、明日の朝になれば、マルスはまた誰かを探してしまうのだろうか。
 そんなことを考えながら、ルビーは窓の外の月をいつまでも見つめていた。


*****

次回は短編の予定です。主役は忘れられキャラトップ10入りしてそうなあの人。
しおりを挟む
感想 4

あなたにおすすめの小説

淫らな蜜に狂わされ

歌龍吟伶
恋愛
普段と変わらない日々は思わぬ形で終わりを迎える…突然の出会い、そして体も心も開かれた少女の人生録。 全体的に性的表現・性行為あり。 他所で知人限定公開していましたが、こちらに移しました。 全3話完結済みです。

ちょっと大人な体験談はこちらです

神崎未緒里
恋愛
本当にあった!?かもしれない ちょっと大人な体験談です。 日常に突然訪れる刺激的な体験。 少し非日常を覗いてみませんか? あなたにもこんな瞬間が訪れるかもしれませんよ? ※本作品ではPixai.artで作成した生成AI画像ならびに  Pixabay並びにUnsplshのロイヤリティフリーの画像を使用しています。 ※不定期更新です。 ※文章中の人物名・地名・年代・建物名・商品名・設定などはすべて架空のものです。

イケメン彼氏は年上消防士!鍛え上げられた体は、夜の体力まで別物!?

すずなり。
恋愛
私が働く食堂にやってくる消防士さんたち。 翔馬「俺、チャーハン。」 宏斗「俺もー。」 航平「俺、から揚げつけてー。」 優弥「俺はスープ付き。」 みんなガタイがよく、男前。 ひなた「はーいっ。ちょっと待ってくださいねーっ。」 慌ただしい昼時を過ぎると、私の仕事は終わる。 終わった後、私は行かなきゃいけないところがある。 ひなた「すみませーん、子供のお迎えにきましたー。」 保育園に迎えに行かなきゃいけない子、『太陽』。 私は子供と一緒に・・・暮らしてる。 ーーーーーーーーーーーーーーーー 翔馬「おいおい嘘だろ?」 宏斗「子供・・・いたんだ・・。」 航平「いくつん時の子だよ・・・・。」 優弥「マジか・・・。」 消防署で開かれたお祭りに連れて行った太陽。 太陽の存在を知った一人の消防士さんが・・・私に言った。 「俺は太陽がいてもいい。・・・太陽の『パパ』になる。」 「俺はひなたが好きだ。・・・絶対振り向かせるから覚悟しとけよ?」 ※お話に出てくる内容は、全て想像の世界です。現実世界とは何ら関係ありません。 ※感想やコメントは受け付けることができません。 メンタルが薄氷なもので・・・すみません。 言葉も足りませんが読んでいただけたら幸いです。 楽しんでいただけたら嬉しく思います。

ドSでキュートな後輩においしくいただかれちゃいました!?

春音優月
恋愛
いつも失敗ばかりの美優は、少し前まで同じ部署だった四つ年下のドSな後輩のことが苦手だった。いつも辛辣なことばかり言われるし、なんだか完璧過ぎて隙がないし、後輩なのに美優よりも早く出世しそうだったから。 しかし、そんなドSな後輩が美優の仕事を手伝うために自宅にくることになり、さらにはずっと好きだったと告白されて———。 美優は彼のことを恋愛対象として見たことは一度もなかったはずなのに、意外とキュートな一面のある後輩になんだか絆されてしまって……? 2021.08.13

赤ずきんちゃんと狼獣人の甘々な初夜

真木
ファンタジー
純真な赤ずきんちゃんが狼獣人にみつかって、ぱくっと食べられちゃう、そんな甘々な初夜の物語。

イケメン社長と私が結婚!?初めての『気持ちイイ』を体に教え込まれる!?

すずなり。
恋愛
ある日、彼氏が自分の住んでるアパートを引き払い、勝手に『同棲』を求めてきた。 「お前が働いてるんだから俺は家にいる。」 家事をするわけでもなく、食費をくれるわけでもなく・・・デートもしない。 「私は母親じゃない・・・!」 そう言って家を飛び出した。 夜遅く、何も持たず、靴も履かず・・・一人で泣きながら歩いてるとこを保護してくれた一人の人。 「何があった?送ってく。」 それはいつも仕事場のカフェに来てくれる常連さんだった。 「俺と・・・結婚してほしい。」 「!?」 突然の結婚の申し込み。彼のことは何も知らなかったけど・・・惹かれるのに時間はかからない。 かっこよくて・・優しくて・・・紳士な彼は私を心から愛してくれる。 そんな彼に、私は想いを返したい。 「俺に・・・全てを見せて。」 苦手意識の強かった『営み』。 彼の手によって私の感じ方が変わっていく・・・。 「いあぁぁぁっ・・!!」 「感じやすいんだな・・・。」 ※お話は全て想像の世界のものです。現実世界とはなんら関係ありません。 ※お話の中に出てくる病気、治療法などは想像のものとしてご覧ください。 ※誤字脱字、表現不足は重々承知しております。日々精進してまいりますので温かく見ていただけると嬉しいです。 ※コメントや感想は受け付けることができません。メンタルが薄氷なもので・・すみません。 それではお楽しみください。すずなり。

如月さんは なびかない。~クラスで一番の美少女に、何故か告白された件~

八木崎(やぎさき)
恋愛
「ねぇ……私と、付き合って」  ある日、クラスで一番可愛い女子生徒である如月心奏に唐突に告白をされ、彼女と付き合う事になった同じクラスの平凡な高校生男子、立花蓮。  蓮は初めて出来た彼女の存在に浮かれる―――なんて事は無く、心奏から思いも寄らない頼み事をされて、それを受ける事になるのであった。  これは不器用で未熟な2人が成長をしていく物語である。彼ら彼女らの歩む物語を是非ともご覧ください。  一緒にいたい、でも近づきたくない―――臆病で内向的な少年と、偏屈で変わり者な少女との恋愛模様を描く、そんな青春物語です。

【R18】純粋無垢なプリンセスは、婚礼した冷徹と噂される美麗国王に三日三晩の初夜で蕩かされるほど溺愛される

奏音 美都
恋愛
数々の困難を乗り越えて、ようやく誓約の儀を交わしたグレートブルタン国のプリンセスであるルチアとシュタート王国、国王のクロード。 けれど、それぞれの執務に追われ、誓約の儀から二ヶ月経っても夫婦の時間を過ごせずにいた。 そんなある日、ルチアの元にクロードから別邸への招待状が届けられる。そこで三日三晩の甘い蕩かされるような初夜を過ごしながら、クロードの過去を知ることになる。 2人の出会いを描いた作品はこちら 「純粋無垢なプリンセスを野盗から助け出したのは、冷徹と噂される美麗国王でした」https://www.alphapolis.co.jp/novel/702276663/443443630 2人の誓約の儀を描いた作品はこちら 「純粋無垢なプリンセスは、冷徹と噂される美麗国王と誓約の儀を結ぶ」 https://www.alphapolis.co.jp/novel/702276663/183445041

処理中です...