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イシュラヴァール拾遺
番外編 紅玉 後編☆
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朝、マルスより早く目覚めても、ルビーはマルスより先にはベッドを出ない。マルスが浅い眠りから目覚める時、その手が誰かを探してシーツの上をさまようからだ。
ルビーは気づいていた。
シーツを掻いた両腕がルビーを見つけて抱き寄せる時、目を閉じたままのマルスが小さく眉を寄せる。僅かに苦しそうに、そしてとても悲しそうに。
(一体、誰を想って……)
気にならないといえば嘘になる。だがそれを問い詰めるほど、ルビーのプライドは低くなかった。
マルスが船長室のドアを開けると、すぐ横にスカイが寄りかかっていた。
「一晩中いたのか?」
「ええまあ、警護も兼ねて」
スカイはいかにも眠そうに伸びをして、それから意味ありげな表情でマルスの顔を覗き込んだ。
「なんだ?」
「いえ。ただ、残酷なことをされているな、と」
「……百も承知だ」
マルスは苦笑した。
「だが今、私に必要なのはルビーだ」
「承知しておりますとも。最愛のご子息は安全な奥地に隠して、しかも砂漠の黒鷹とカナンの頭目という最強の警備付き。大切になさってるんだなあって」
「嫌味を言うな。私とて、できることなら息子を手元に置いておきたい」
「ええ、その寂しさをあの気の強い美人で紛らわせてることは重々理解しておりますとも」
「口の減らない奴だ。シハーブが恋しいぞ」
そう言いながらも、こうしてスカイが口さがなく詰ってくれるお陰で、マルス自身の後ろめたさが軽くなっていることも分かっていた。何だかんだ、有能な側近なのだ。
「そうおっしゃらずに、陛下。例のもの、ご用意できましたよ」
スカイは小さな包みを取り出して、マルスに渡した。
「手間を掛けたな。……こんなもので機嫌が取れるとは思っておらぬが」
マルスは包みを懐にしまった。
「機嫌が取れてしまうから、残酷だって言ったんですけどね……」
背後でぽつりと落とされたスカイの呟きは、マルスの耳には届かなかった。
その夜マルスは、ルビーを連れて陸へ上がった。
「どこへ行くのだ?」
「着いてくれば分かる」
日が落ちて人のまばらになった司令部に、マルスは入っていった。
四階建ての最上階、広いテラスのある一室に、明かりを灯させる。
「ここは――」
ルビーは目を瞠った。
ランプの暖かな光に浮かび上がった室内には、最上級の調度品が揃えられている。それらはシハーブが選りすぐって手配した物だった。広いテラスからはアズハル湾の明かりを一望できる。故郷の自分の屋敷にも、こんなに贅沢な部屋はない。逃亡中の身で、この贅沢が当然のように許される――。
(このひとは、都を追われても、やはりこの国の国王なんだわ……)
ルビーは初めて、気後れしている自分に気付いた。街中や船の上で会っていたマルスはあまりに近すぎて、手を伸ばせば容易く触れることができた。だが本来そのような場所に居るべきではない人物なのだと、今になって思い知らされたような気分だった。
「実は私も初めて入った」
マルスは事も無げに言って、テラスに出た。
主のいない部屋にはしかし、毎晩律儀に香が焚き染められていたらしく、カーテンや寝具からはいい香りが立ち上ってくる。
「スラジャ、いい風だぞ」
マルスに呼ばれて、ルビーもテラスに出た。部屋の隅で気配を消して控えていた兵士に、マルスが目配せすると、兵士は間もなくワインを持って現れた。
「なにぶん王宮とは勝手が違う。海軍の基地内ゆえ女官などは置けぬが、くつろいでいいぞ」
そんなことを言われても、あまりに場違いな気がして、所在がない。何より部屋の真ん中には、巨大な寝台が、いかにも上等な光沢を放つ絹を何枚も纏って、鎮座しているのだ。
ルビーは思わず、くんくんと自分の臭いを嗅いでいた。服も髪も、潮風にまみれてべたついている。
「ああ、先に湯を使うか?すまぬな、気が利かず」
マルスは注ぎかけたワイングラスを卓に置いた。
「いや、あの、着替えもないし」
「湯から出るまでには着替えを持ってこさせる。ゆっくり湯浴みするが良い」
マルスが部屋の隅の戸を開けると、そこには浴室が設えてあった。
「あ……でも……」
柄にもなく狼狽えるルビーの肩を、マルスは後ろから抱いた。
「――ここを使うのは、そなたが最初だ。そしてこの先、他の誰にも使わせない」
「……!」
スラジャは赤面した。自分の幼い嫉妬心を見透かされた気がした。
「そなただけだ、スラジャ」
マルスが耳元で囁いた。そして、ひんやりとしたものが首にあたった。
「これは――?」
ルビーの胸元に、大きなルビーの首飾りが下がっていた。
「私が王都を取り戻すには、まだしばし時間が必要だ。それでもそなたが構わなければ、一度リアラベルデへ行こう。共和国元首――そなたの父上に、挨拶をしに」
「…………っ」
ルビーの頬を涙が伝った。泣くつもりなんてなかったのに、あとからあとから溢れ出て止まらない。
「……っく……ふぅっ……」
「スラジャ」
マルスがルビーを抱き締め、口付けを落とす。頬に、耳元に、首筋に。
「うぅ……っ……!」
我慢できずに、ルビーは振り向いてマルスに抱きついた。
喰らい合うように口づけを交わし、身体を絡ませる。マルスの嵐のような愛撫に包まれながら、
(マルスがこの部屋を今まで使わなかったのは……)
ルビーはつい、思いを巡らせてしまう。本当はこの部屋に招きたい女が他にいたのではないかと。
「ああ!」
浴室で、立ったまま背後から貫かれて、ルビーの思考は散じた。
目の前の鏡には、自分の裸体ごしにマルスが映っていた。行き場のない怒りと途方も無い哀しみを、氷色の瞳に湛えて。
浴室から出ると、マルスが言った通り、二人分の着替えが用意されていた。
さらさらと肌の上を心地よく滑る衣に包まれて、二人は寝台に横になった。マルスの手が優しくルビーの髪を撫でている。
(こんなベッドは、広すぎるわ……)
このきれいな部屋の広い寝台の上で、明日の朝になれば、マルスはまた誰かを探してしまうのだろうか。
そんなことを考えながら、ルビーは窓の外の月をいつまでも見つめていた。
*****
次回は短編の予定です。主役は忘れられキャラトップ10入りしてそうなあの人。
ルビーは気づいていた。
シーツを掻いた両腕がルビーを見つけて抱き寄せる時、目を閉じたままのマルスが小さく眉を寄せる。僅かに苦しそうに、そしてとても悲しそうに。
(一体、誰を想って……)
気にならないといえば嘘になる。だがそれを問い詰めるほど、ルビーのプライドは低くなかった。
マルスが船長室のドアを開けると、すぐ横にスカイが寄りかかっていた。
「一晩中いたのか?」
「ええまあ、警護も兼ねて」
スカイはいかにも眠そうに伸びをして、それから意味ありげな表情でマルスの顔を覗き込んだ。
「なんだ?」
「いえ。ただ、残酷なことをされているな、と」
「……百も承知だ」
マルスは苦笑した。
「だが今、私に必要なのはルビーだ」
「承知しておりますとも。最愛のご子息は安全な奥地に隠して、しかも砂漠の黒鷹とカナンの頭目という最強の警備付き。大切になさってるんだなあって」
「嫌味を言うな。私とて、できることなら息子を手元に置いておきたい」
「ええ、その寂しさをあの気の強い美人で紛らわせてることは重々理解しておりますとも」
「口の減らない奴だ。シハーブが恋しいぞ」
そう言いながらも、こうしてスカイが口さがなく詰ってくれるお陰で、マルス自身の後ろめたさが軽くなっていることも分かっていた。何だかんだ、有能な側近なのだ。
「そうおっしゃらずに、陛下。例のもの、ご用意できましたよ」
スカイは小さな包みを取り出して、マルスに渡した。
「手間を掛けたな。……こんなもので機嫌が取れるとは思っておらぬが」
マルスは包みを懐にしまった。
「機嫌が取れてしまうから、残酷だって言ったんですけどね……」
背後でぽつりと落とされたスカイの呟きは、マルスの耳には届かなかった。
その夜マルスは、ルビーを連れて陸へ上がった。
「どこへ行くのだ?」
「着いてくれば分かる」
日が落ちて人のまばらになった司令部に、マルスは入っていった。
四階建ての最上階、広いテラスのある一室に、明かりを灯させる。
「ここは――」
ルビーは目を瞠った。
ランプの暖かな光に浮かび上がった室内には、最上級の調度品が揃えられている。それらはシハーブが選りすぐって手配した物だった。広いテラスからはアズハル湾の明かりを一望できる。故郷の自分の屋敷にも、こんなに贅沢な部屋はない。逃亡中の身で、この贅沢が当然のように許される――。
(このひとは、都を追われても、やはりこの国の国王なんだわ……)
ルビーは初めて、気後れしている自分に気付いた。街中や船の上で会っていたマルスはあまりに近すぎて、手を伸ばせば容易く触れることができた。だが本来そのような場所に居るべきではない人物なのだと、今になって思い知らされたような気分だった。
「実は私も初めて入った」
マルスは事も無げに言って、テラスに出た。
主のいない部屋にはしかし、毎晩律儀に香が焚き染められていたらしく、カーテンや寝具からはいい香りが立ち上ってくる。
「スラジャ、いい風だぞ」
マルスに呼ばれて、ルビーもテラスに出た。部屋の隅で気配を消して控えていた兵士に、マルスが目配せすると、兵士は間もなくワインを持って現れた。
「なにぶん王宮とは勝手が違う。海軍の基地内ゆえ女官などは置けぬが、くつろいでいいぞ」
そんなことを言われても、あまりに場違いな気がして、所在がない。何より部屋の真ん中には、巨大な寝台が、いかにも上等な光沢を放つ絹を何枚も纏って、鎮座しているのだ。
ルビーは思わず、くんくんと自分の臭いを嗅いでいた。服も髪も、潮風にまみれてべたついている。
「ああ、先に湯を使うか?すまぬな、気が利かず」
マルスは注ぎかけたワイングラスを卓に置いた。
「いや、あの、着替えもないし」
「湯から出るまでには着替えを持ってこさせる。ゆっくり湯浴みするが良い」
マルスが部屋の隅の戸を開けると、そこには浴室が設えてあった。
「あ……でも……」
柄にもなく狼狽えるルビーの肩を、マルスは後ろから抱いた。
「――ここを使うのは、そなたが最初だ。そしてこの先、他の誰にも使わせない」
「……!」
スラジャは赤面した。自分の幼い嫉妬心を見透かされた気がした。
「そなただけだ、スラジャ」
マルスが耳元で囁いた。そして、ひんやりとしたものが首にあたった。
「これは――?」
ルビーの胸元に、大きなルビーの首飾りが下がっていた。
「私が王都を取り戻すには、まだしばし時間が必要だ。それでもそなたが構わなければ、一度リアラベルデへ行こう。共和国元首――そなたの父上に、挨拶をしに」
「…………っ」
ルビーの頬を涙が伝った。泣くつもりなんてなかったのに、あとからあとから溢れ出て止まらない。
「……っく……ふぅっ……」
「スラジャ」
マルスがルビーを抱き締め、口付けを落とす。頬に、耳元に、首筋に。
「うぅ……っ……!」
我慢できずに、ルビーは振り向いてマルスに抱きついた。
喰らい合うように口づけを交わし、身体を絡ませる。マルスの嵐のような愛撫に包まれながら、
(マルスがこの部屋を今まで使わなかったのは……)
ルビーはつい、思いを巡らせてしまう。本当はこの部屋に招きたい女が他にいたのではないかと。
「ああ!」
浴室で、立ったまま背後から貫かれて、ルビーの思考は散じた。
目の前の鏡には、自分の裸体ごしにマルスが映っていた。行き場のない怒りと途方も無い哀しみを、氷色の瞳に湛えて。
浴室から出ると、マルスが言った通り、二人分の着替えが用意されていた。
さらさらと肌の上を心地よく滑る衣に包まれて、二人は寝台に横になった。マルスの手が優しくルビーの髪を撫でている。
(こんなベッドは、広すぎるわ……)
このきれいな部屋の広い寝台の上で、明日の朝になれば、マルスはまた誰かを探してしまうのだろうか。
そんなことを考えながら、ルビーは窓の外の月をいつまでも見つめていた。
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