イシュラヴァール放浪記

道化の桃

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第十章 王都編

産声

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 まるで自分自身に言い聞かせているようだ、とユーリは思った。
 アルヴィラ解放戦線は巨大になりすぎた。ユーリはしばしば、ジェイクがもはやユーリの手の届かないところを見ていると感じていた。王都をここまで荒廃させる必要があったのか。これから自分たちはどこへ行こうとしているのか。ユーリには皆目見当がつかず、先が見えないまま戦うのは、どこか空恐そらおそろしかった。
そいつさえ殺せば――全部」
 終わってほしい。それは願いであって、現実ではない。
「ちがう、ユーリ」
 ファーリアは静かに言った。
「誰かを殺せば平和になるなんて、おかしい」
 ユーリは言葉を失った。
 ファーリアは血で汚れたマルスの上衣を引き裂いた。下に着ていた革製の防具が、ざっくりと裂けている。ファーリアはマルスが持っていた短刀でベルトを切って防具を外し、切り裂いた布を巻き付けて止血した。
 ユーリはファーリアがマルスの手当をする様子を呆然と見下ろした。
「……お前は、俺よりそいつを選ぶのか」
 こんな間抜けなことを言いたいわけじゃない、とユーリは思った。だが、他に言葉が浮かばない。
「選ぶなんて……そんなつもりは」
「じゃあ、なぜかばう!?俺が……お前が、こいつに何をされたか――」
「それはわかってる!でも……!」
 ファーリアは顔を上げられなかった。マルスにそうさせたのはファーリア自身だったから。
「子供が……うまれるの……ユーリ」
 包帯を巻き終わったファーリアは、遠い地平線に目をやった。その彼方では、たくさんの人々が今も戦っている。たくさんの命が奪われている。この血だらけの世界に、子供がうまれる。
「そのうちひとりで立てるようになって、言葉を覚えて、馬の乗り方や、星座を覚えて……この子ができてから、そういうことをよく考えるの」
 ――戦いをやめて、駱駝を飼って、塩を売って、生きていけたら。子どもを産んで、育てて、毎晩こうして星を見て……。
 いつか願った、あれは叶わない夢なのだろうか。
「たくさん笑ってほしいの。傷ついたり、殺されたりしないでほしいの。生きて、生きて、おとなになるまで……だから」
 これ以上、血を流さないで。汚さないで。この世界を。
 新しい命を、平和で安らかなもので包んであげたいから。
「……もう、殺さないで……だって、子供がうまれてくるのに」
 その手を血で汚さないで。
「……っ」
 ファーリアはそのまま砂の上にうずくまった。
「ファーリア!?」
「大……丈夫……、すぐ治まる……から」
 腹部を押さえて蹲ったまま、ファーリアが切れ切れに言った。その額に脂汗が滲んでいる。
「いつからだ?」
 マルスがファーリアの背に手を回して訊いた。
「さっき……馬で走ってた時に、急に」
「何度目だ?」
「三……四回目、かも」
「おい、なんの話だ?」
 事情の飲み込めないユーリが尋ねた。
「恐らく陣痛だ。もうすぐ産まれる」
 マルスが答えた。
「産まれるって、今か!?」
 さすがのユーリも狼狽うろたえた。
「いや、まだ痛みの間隔が開いているから……だが、早ければ数時間だと聞く。王都に戻るか、或いはここから一番近い街に」
 マルスは今いる場所の正確な位置を確認しようと、辺りを見回した。
「ここからなら王都が一番近い」
 ユーリが言った。
「だが、王都は――」
 マルスは眉根を寄せて逡巡した。王都は戦場と化している。加えて、マルスは王宮からも追われる立場だ。戻ったらアトラスらにどういう扱いを受けるか。第一、ファーリアが安全に出産できる場所などあるのだろうか。
「……ここから一時間ほどの場所に、岩屋がある。水も湧いている。ひとまずそこへ避難する。ゆっくり行っても、二時間はかからない」
 ユーリは少し迷ってから、言った。
「王様、あんたも来るか?」

 太陽が西に傾きかける頃、三人は岩屋に着いた。
 岩場はユーリがたまに利用していたので、最低限の生活用品が揃っていた。
「出産に立ち会ったことはあるか?」
 マルスがユーリに尋ねた。
「いいや……俺は一族と離れて暮らしていたから……あんたはあるのか?その、経験が」
「付きっきりではないがな。だいたいの流れはわかる。とにかく火を絶やさぬことだ。産湯うぶゆと、あとは清潔な布があればよいのだが」
「わかった」
 マルスの指示で、ユーリが火を起こし湯を沸かした。それからユーリは弓を手に外へ出ていき、しばらくして鳥を一羽と蛇を一匹捕まえて戻ってきた。手早く鳥の羽をむしって血抜きをし、蛇は頭を落として皮を剥ぐ。更に岩場の奥の地面を掘ると、貯蔵されていた芋がいくつか出てきた。ユーリは焚き火でそれらを調理した。
「食べられるか?」
「うん」
 ファーリアは陣痛の合間に、上体を起こして食事をとった。
「おいしい」
 ファーリアはほっとしたように言った。食欲はあるのか、とユーリは思った。そういえば初めて会った日も、ファーリアはユーリの作った食事をぺろりと平らげていた。
 おかしなことになったと思う。なぜこの狭い岩屋に、よりによって国王と顔を突き合わせているのか。相手は手負いだ、さっさと殺してしまえばいい。ファーリアは後からなんとでも説得すればいい――。だが、ユーリはファーリアの頑固さに薄々気付いていた。結果、この三竦みである。
「……王様の口に合うか、分からんが」
 ユーリは色々考えることを諦めて、マルスに皿を渡した。どっちみち、産気づいたファーリアに気圧されて、殺意はもうどこかへ隠れてしまっていた。
「ありがとう」
 マルスは少し躊躇ったが、ひと口含むと、長い時間をかけて噛み、ゆっくりと飲み下した。塩だけのシンプルな味が、じんわりと身体に取り込まれていった。
「……私は四人、子を授かったが」
 マルスはぽつりぽつりと話しだした。
「一人目と二人目は難産だった。陣痛が始まってから出てくるまでに、丸二日もかかった。結局二人目の出産の後、きさきは体調を崩したまま死んだ。三人目は一日で出てきた。四人目は早産で、丁度、私が王都を離れていた時だった。身体の弱い王子を産んでしまったと、母のイザベルは大層気に病んでいたな」
 その四人目――第三王子は、数年後に病死した。
「医師の見立てでは、腹の子はもう十分に育っているはずだ。安心して産むが良い」
「……殺さない?」
 ファーリアはマルスに訊いた。
「私はこの国の王だ。この国に産まれてくる命はすべて、私の子も同然だ」
 マルスは穏やかに微笑むと、ファーリアの上に屈み込み、張り詰めた腹部に接吻した。
「殺さない。約束する」
「――ねえ、ユーリ」
「なんだ」
「ユーリは誰の子か、聞かないのね」
「子供は宝だ。誰の子でも平等に、祝福される。砂漠のどの部族でも、それは変わらない」
 ユーリは事も無げに言った。遊牧民は子供を殺さない。

 深夜、耐えられないほどの痛みがファーリアを襲った。
「我慢するな。声を出していい」
 歯を食いしばっているファーリアに、マルスが言った。
「っああああ!!」
 叫び声と共に破水が起こった。
「ユーリ!赤子が出てくる、頭を支えろ!」
 マルスは怪我で思うように動けない。ユーリはファーリアの脚側に回った。
 ファーリアはマルスにしがみついた。ファーリアの爪がマルスの両腕に食い込む。
「あーーーーっ!」
「……出てきた!もう少しだ、頑張れ!」
 ユーリのてのひらに、ぬるりと塊が落ちてきた。
「いや、ゆっくりでいい……ファーリア、出てくる方法は赤子が知っている。自然に身をゆだねよ」
 マルスはファーリアの耳元で囁いた。ファーリアが必死でしがみついてくる。人を殺すためではなく、産むために、戦っている。
 ――願わくは、とマルスは祈った。
 願わくは、この娘ファーリアの未来が幸福に包まれたものであるように。これまでの憂いや苦しみを忘れるほどに、光に包まれたものであれ、と。
「――――っ、あぁ……!」
 ファーリアが大きく息を吐いた。
 焚き火の温かい灯に照らされた岩屋に、産声が響き渡った。
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