イシュラヴァール放浪記

道化の桃

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第十章 王都編

クーデター

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「そのシャレムの男が今更なんの用だ」
 マルスが青白い光をその身にまとわせて、凛々りんりんと鳴る声を議場に響かせた。
「俺を砂漠へ追いやった異母弟おとうとに、誰が玉座に座るのが相応しいか思い知らせて差し上げたくてな」
 碧眼の男――アトラスは、勝ち誇ったように嗤った。
「兄だと……?」
「ああ、貴様のな。忘れたとは言わせねぇ。ジュディードの姓は王の系譜だ。俺は絶対にこの名を捨てたりしねぇ。本来、貴様の兄である俺こそが、正統な王の血脈なんだよ。それが貴様のせいで宮廷を追われた。以来、俺は砂漠を彷徨って、貴様はのうのうと玉座に座っている――」
「私怨で国を荒らすのが正統な王か?ふざけるな。前王の側室だった貴様の母が私の母を陥れ、それが露見した時から、貴様と王家との縁は切れている」
「ではなぜシャレムを滅ぼした?辺境の遊牧民族を弾圧した結果が、このざまだ。貴様こそが私怨で国を操っているだろうが!」
 二十年前、若かったマルスは辺境の遊牧民族を一斉に討伐した。領土拡大という大義名分のもと、多くの血が流された。シャレム族は遊牧民の中でも有数の部族だったが、当時軍神王と恐れられたマルスの常勝軍団の前に四散した。激しい制圧戦の結果、イシュラヴァールは砂漠を支配し、周辺国と対等に渡り合える国力をつけたのだ。
 ――しかしそこに、母を不遇の死に追いやったシャレム族の女への――ひいては遊牧民全体への遺恨がなかったかと言われたら、否定はできない。
 マルスは大きな玉座に居心地悪そうに座っている息子に目を遣った。政争に巻き込まれた哀れな王子は、父の顔すらも直視できずにひたすらうつむいていた。
「……サラ=マナとバハルをどうやってたぶらかした?」
「誑かすとはご挨拶だな。それこそ貴様が色欲に溺れてサラ=マナ殿を遠ざけたのだろうが。俺は権力者の不条理ってやつが嫌いでねぇ」
 マルスの全身から、青白い怒りが立ち上った。
「……それ以上言ってみろ。貴様の舌を掻き切ってくれる」
 マルスは抜身の剣先をまっすぐにアトラスへ向けた。バシン、と刀身に青い静電気が走る。
「おいおい、立場ってのを分かってるのか?周りを見てみろ。さっさと譲位に応じないと、力づくでさせることになるぜ?」
 アトラスが合図すると、マルスの両側に兵士が立ち、マルスに槍を突きつけた。マルスは剣を収めて言った。
「――面白い。貴様ら、顔を覚えておこう。逆賊にくみし王をないがしろにする者共ものどもよ」
 兵士たちの顔色が、あからさまに変わった。槍を構えた手が小刻みに震えている。
 たった一人、敵に囲まれて、それでもマルスは王者としての威厳を微塵も損なっていなかった。そしてその態度は、充分にアトラスを苛立たせた。
 アトラスはつかつかとマルスに歩み寄り、おもむろにその顔を一発、殴り飛ばした。
「――――っつ……」
 銀の髪が舞った。マルスの唇の端から、つうっと一筋、血が流れた。
(シハーブがいない……)
 マルスは議場に居並んだ面々を眺め渡した。
 彼がこの騒動に気付かないわけがない。どこかで機会を窺っているか、それとももう捕らえられたか。最も考えたくない可能性は――。
「マルス様、そろそろ観念なされてはいかがか」
 物心つく前から慣れ親しんだ男の声がして、マルスはそちらを振り仰いだ。議場の壁際に巡らされた二階の傍聴席から見下ろす、純白のターバンと純白の長衣の男。
「シハーブ……!」
「ハーッハッハッハッハ!」
 議場にアリー宰相の高笑いが響いた。
「そうそう、陛下、申し上げるのが遅くなりましたが、シハーブ殿には以前より我々の掲げる理念に賛同いただいているのですよ。残念でしたな!この宮廷で陛下に味方するものなど、もはや誰一人……ハッハッハ!沈みゆく船に、フフッ、誰が乗りたいと思うのだ?」
 アリー宰相は唾を飛ばして喋りながらも、笑いを堪えきれないという様子だ。
「アリー、貴様――」
「さあ陛下、いえ、マルス殿!国王最後の仕事として、その王冠をバハル様に戴冠ください!さあ!」
 マルスは立ち尽くした。
 遠く、民衆が叫ぶ声が聞こえてくる。
 宮殿の外、王都の外は、狂気と嘆きに満ちていた。戦って、戦って、倒れて、血を流し続けても前に進もうとする人々が、信念をかけてぶつかり合っていた。
 目の前には、滑稽なほど喜色満面のアリー宰相の顔、何も映していない若い息子の顔、野望と憎しみに満ちた異母兄の顔。
 見上げれば、人生を共に歩んできた盟友シハーブの、空洞のような両の瞳。
 すべてが、何一つ噛み合っていない。
 アリー宰相が目配せを送ると、マルスの両脇を固めた兵士がマルスの両腕を掴んだ。無理矢理に卓上の王冠をマルスの手に掴ませようとする。
「……う、おおおおお……っ……」
 マルスは低く唸った。
 兵士の手を振り払った、と見えた時には、もう剣を抜き放っていた。
「貴様――」
 そう言ったのが、果たして誰だったのか。
 とにかくマルスの剣は、一閃でアリー宰相と一番近くにいた兵士数名を斬り払った。
 パァン――!と銃声が響いた。
「マルス様!ここは自分が!軍部はまだ持ちこたえています!早く……!」
 撃ったのはシハーブだった。立て続けに銃声が響く。
 シハーブが入口付近の兵士を正確に撃ち抜いていき、マルスの逃げ道を作る。
「シハーブ!お前も逃げろっ!」
「おのれ――撃て!相手は一人だ、撃ち落とせええっ――!!」
 宰相の怒声がして、銃を持った幾人かの兵士たちがシハーブを狙って撃った。
「マルス様!お逃げください!必ず――」
 その後の言葉はもう、聞こえなかった。
 純白の衣が鮮血で染まったのを、マルスは視界の端に捉えた。
 マルスは議場を飛び出した。議場の周囲はいつの間にか、アリー宰相派の軍人や官吏たちに取り囲まれていた。
「陛下……!」
 マルスは暫時、彼らと対峙した。乱れた銀髪の間から覗いた王の顔は鬼気迫って美しく、人々は一時、おのれの立場と目的とを忘れた。
「捕らえよ!国王を、捕らえよ!!国を守るのだーっ!」
 議場の中から聞こえてくる、悲鳴のような宰相の声で、彼らは我に返った。そして遅まきながら、次々と剣を抜いた。
「――どけ」
 マルスが言った。地の底から湧いてくるような冷たさをはらんだ声に、人々は震えた。
「どけ。死にたいのか」
 数十人に囲まれて唯一人。しかしマルスは、自分を取り囲む一人ひとりの動きをすべて見切っていた。その場にいた百戦錬磨の将校たちはそれを肌で感じとり(勝てない)と悟った。実戦経験のない官吏たちは、ただただその迫力に圧倒されていた。
 マルスの全身から殺気が吹き出していた。人混みは自然と割れた。
 集まった人々をかき分け、剣で脅し、マルスは進んだ。誰一人、王に斬りかかれる者はいなかった。
 正門が破られたのだろう、民衆が宮殿内になだれ込んでくる音が聞こえる。
 マルスは一人、南東にある軍部とは逆の方角へ向かっていた。
 王宮の北西の、古い塔へと。
「ファーリア……!」
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