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第九章 海賊編
夜の兎たち
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「マリア」
カナンも抱き返す。
「ごめんなさい、マリア」
「何言ってるのよ。あの後あたしがどれだけ後悔したか……ああ、生きてたんだねぇ……」
マリアはうっすらと涙を浮かべて言った。カナンから身体を離して、まじまじと眺める。
「なんだかずいぶんと勇ましくなっちゃって。でも、綺麗になったね。あたしの目は間違ってなかったわ」
「おいおい、はじめにこいつを見立てたのは俺だぜ?」
庭の騒ぎを聞きつけてやってきたイドリスが言った。
「イドリス!」
「よう、元気そうじゃねぇか」
「イドリス、マリア、ごめんなさい、実は追われているの」
カナンの言葉に、マリアとイドリスの顔色が変わった。
「何があったんだい?」
マリアが心配そうに訊いた。
「……お願い、匿ってほしいの。……なんでもするから」
そしてカナンは、長い話をした。
『夜の兎』を出て、兵士になったこと。エディと友達になったこと。派遣されたアルナハブで、ユーリと再会したこと。国軍から逃げたこと。
「彼女――ザラには、その時に助けてもらったの」
その後、仲間と共に奴隷船を襲って奴隷を解放し、更にレーの奴隷市を襲ったこと――。
「……じゃあ、会えたんだね?あの男と」
マリアはずっと気がかりだったのだ。あの日、ライラが消えた部屋で、狂ったように啼いていた男のことが。
カナンは頷いた。
「やっぱり、あの日、ユーリはここに来ていたのね」
「ああ、あんたとすれ違って、酷く落ち込んでいた。あんたの部屋に閉じ籠もってねぇ……会えて、本当に良かった」
カナンはまた、胸がずきんと痛んだ。ユーリが『夜の兎』を突き止めていたことは、カスィムから聞いて知っていた。そして、長い時間を掛けてカナンの居場所を突き止め、エクバターナまで追ってきた。そのユーリのもとを、自分から去ってしまった。
(きっと、すごく傷つけてしまった……もう許してはくれないかもしれない……)
でも、それでも、助けなければ。
(ユーリが生きているから、わたしは前に進める。絶対に、助け出す)
「……彼は軍に捕まってしまった。このままじゃ処刑されてしまう。助けに行かないと」
「待って、あんたの言ってるのってユーリ・アトゥイーかい?ユーリが、捕まった?」
ザラが話に割って入った。
「ええ、21ポイントで。……知らなかったの?カイヤーンがレーまで伝えに来たわ」
「カイヤーン……」
解放戦線でも有数の手練だ。それが、わざわざレーまで行ったことに、ザラは驚いていた。解放戦線の仲間でもないカナンのためにである。確かに、警備の厳しい王都を素通りしたのはわかる。つまり、それほどの危険を犯してまで、カイヤーンはカナンに伝えに走ったのだ。
「カナン……あんた、何者……?」
ザラが知っているのは、カナンが近衛兵のアトゥイーだったということだけだ。だが彼女には、ザラの知らない何か――イランやカイヤーンが命を懸けるほどの、何かがあるのだ。
「お願い、マリア。少しでいい、ザラとわたしを匿ってほしいの。返しきっていないお金を払えと言うなら、働くわ。だからお願い」
カナンは懇願した。反乱軍の一味を匿ったと知られたら、マリアもイドリスもただではすまないだろう。それでも他に頼れるところはなかった。
「……とりあえず、中に入って休みな。あんたも」
マリアはザラにも声を掛けて、屋内へと促した。
『夜の兎』は祭の酔客で大繁盛だったので、イドリスはすぐに仕事に戻っていった。
「部屋は今夜は客で一杯なんだよ。落ち着かないだろうけど、ここにいてくれるかい」
マリアはそう言って、二人を一階の酒場の隅の卓に通した。周囲にぴっちりとカーテンを下ろし、中が見えないようにする。
「ねえ、ここって娼館でしょう?」
ザラが小声でカナンに言った。
「ええ」
カナンは短く答えた。
「ちょっと、あんたさっき、なんでもするって言ってたけどさ。あたしは娼婦なんて嫌よ。できないわ」
そこへカーテンを開けて、温かい茶を載せた盆を持ったマリアが現れた。
「まあ、随分な言われようだわねぇ」
「……ごめんなさい」
ザラはさすがに気まずくなって謝った。マリアはふん、と鼻を鳴らした。
「ザラはしなくていい。もし必要ならわたしがする」
カナンはきっぱりと言った。
「それにわたしはこの店に借りがある」
イドリスはカナンを20万ラーナで買った。その借金は、記憶では確か半分も返していなかったのではないか。
だがそれを聞いたマリアの返事は、カナンが思いもしなかったことだった。
「ライラ、あんたの借金はねえ……全部、中佐が払ってくれたんだよ」
「え……っ……?」
カナンは目を見開いた。マリアは頷く。
「10万ラーナ。つい半月前のことさ。もう逢うこともないだろうから、って言ってねぇ」
「中佐……ザハロフ中佐……」
「名前、聞いたのかい?」
マリアが言った。カナンは頷いた。
そして、カイヤーンから聞いた21ポイントの話を思い出していた。カナンはユーリのことで頭が一杯だったが、カイヤーンは確かにこう言っていた。
――傭兵隊長の男をユーリが殺した。そこを、狙撃手に撃たれた――と。
「中佐は――砂漠で戦死した。そう聞いた」
「なんてこと……」
マリアは片手を額に当てて、深い溜息をついた。
「死期を――悟ったわけじゃないだろうけどねぇ……何か虫が知らせたのか」
三人はしばし故人の死を悼むように沈黙していたが(もっとも、彼と面識のないザラはただ黙っていただけだったが)、やがて気を取り直すようにマリアが言った。
「ま、そんなわけだからさ。あんたはもうお金の心配なんてしないでいいんだよ。好きなだけいな。ただし、あたしらはあんたが反乱軍とかそういうのは知らない。娼妓の見習いで置いてやってるだけ。それでいいね?」
「でも、匿ってもらうのに何もしないわけには――」
「じゃあ雑用を手伝ってもらうよ。第一、そんな身体のあんたに客を取らせるわけにいかないだろ」
「え?」
ザラはカナンが怪我でもしていたのかと、まじまじとカナンを見た。が、カナンはなぜか複雑な表情をして下を向いてしまった。
「ライラ、あんた自分でも気付いてたんだろ?商売柄、女の身体のことなら大体わかっちまうもんでね」
「え、え?ええ!?ほんとに?」
ザラは目を丸くして言った。
カナンも抱き返す。
「ごめんなさい、マリア」
「何言ってるのよ。あの後あたしがどれだけ後悔したか……ああ、生きてたんだねぇ……」
マリアはうっすらと涙を浮かべて言った。カナンから身体を離して、まじまじと眺める。
「なんだかずいぶんと勇ましくなっちゃって。でも、綺麗になったね。あたしの目は間違ってなかったわ」
「おいおい、はじめにこいつを見立てたのは俺だぜ?」
庭の騒ぎを聞きつけてやってきたイドリスが言った。
「イドリス!」
「よう、元気そうじゃねぇか」
「イドリス、マリア、ごめんなさい、実は追われているの」
カナンの言葉に、マリアとイドリスの顔色が変わった。
「何があったんだい?」
マリアが心配そうに訊いた。
「……お願い、匿ってほしいの。……なんでもするから」
そしてカナンは、長い話をした。
『夜の兎』を出て、兵士になったこと。エディと友達になったこと。派遣されたアルナハブで、ユーリと再会したこと。国軍から逃げたこと。
「彼女――ザラには、その時に助けてもらったの」
その後、仲間と共に奴隷船を襲って奴隷を解放し、更にレーの奴隷市を襲ったこと――。
「……じゃあ、会えたんだね?あの男と」
マリアはずっと気がかりだったのだ。あの日、ライラが消えた部屋で、狂ったように啼いていた男のことが。
カナンは頷いた。
「やっぱり、あの日、ユーリはここに来ていたのね」
「ああ、あんたとすれ違って、酷く落ち込んでいた。あんたの部屋に閉じ籠もってねぇ……会えて、本当に良かった」
カナンはまた、胸がずきんと痛んだ。ユーリが『夜の兎』を突き止めていたことは、カスィムから聞いて知っていた。そして、長い時間を掛けてカナンの居場所を突き止め、エクバターナまで追ってきた。そのユーリのもとを、自分から去ってしまった。
(きっと、すごく傷つけてしまった……もう許してはくれないかもしれない……)
でも、それでも、助けなければ。
(ユーリが生きているから、わたしは前に進める。絶対に、助け出す)
「……彼は軍に捕まってしまった。このままじゃ処刑されてしまう。助けに行かないと」
「待って、あんたの言ってるのってユーリ・アトゥイーかい?ユーリが、捕まった?」
ザラが話に割って入った。
「ええ、21ポイントで。……知らなかったの?カイヤーンがレーまで伝えに来たわ」
「カイヤーン……」
解放戦線でも有数の手練だ。それが、わざわざレーまで行ったことに、ザラは驚いていた。解放戦線の仲間でもないカナンのためにである。確かに、警備の厳しい王都を素通りしたのはわかる。つまり、それほどの危険を犯してまで、カイヤーンはカナンに伝えに走ったのだ。
「カナン……あんた、何者……?」
ザラが知っているのは、カナンが近衛兵のアトゥイーだったということだけだ。だが彼女には、ザラの知らない何か――イランやカイヤーンが命を懸けるほどの、何かがあるのだ。
「お願い、マリア。少しでいい、ザラとわたしを匿ってほしいの。返しきっていないお金を払えと言うなら、働くわ。だからお願い」
カナンは懇願した。反乱軍の一味を匿ったと知られたら、マリアもイドリスもただではすまないだろう。それでも他に頼れるところはなかった。
「……とりあえず、中に入って休みな。あんたも」
マリアはザラにも声を掛けて、屋内へと促した。
『夜の兎』は祭の酔客で大繁盛だったので、イドリスはすぐに仕事に戻っていった。
「部屋は今夜は客で一杯なんだよ。落ち着かないだろうけど、ここにいてくれるかい」
マリアはそう言って、二人を一階の酒場の隅の卓に通した。周囲にぴっちりとカーテンを下ろし、中が見えないようにする。
「ねえ、ここって娼館でしょう?」
ザラが小声でカナンに言った。
「ええ」
カナンは短く答えた。
「ちょっと、あんたさっき、なんでもするって言ってたけどさ。あたしは娼婦なんて嫌よ。できないわ」
そこへカーテンを開けて、温かい茶を載せた盆を持ったマリアが現れた。
「まあ、随分な言われようだわねぇ」
「……ごめんなさい」
ザラはさすがに気まずくなって謝った。マリアはふん、と鼻を鳴らした。
「ザラはしなくていい。もし必要ならわたしがする」
カナンはきっぱりと言った。
「それにわたしはこの店に借りがある」
イドリスはカナンを20万ラーナで買った。その借金は、記憶では確か半分も返していなかったのではないか。
だがそれを聞いたマリアの返事は、カナンが思いもしなかったことだった。
「ライラ、あんたの借金はねえ……全部、中佐が払ってくれたんだよ」
「え……っ……?」
カナンは目を見開いた。マリアは頷く。
「10万ラーナ。つい半月前のことさ。もう逢うこともないだろうから、って言ってねぇ」
「中佐……ザハロフ中佐……」
「名前、聞いたのかい?」
マリアが言った。カナンは頷いた。
そして、カイヤーンから聞いた21ポイントの話を思い出していた。カナンはユーリのことで頭が一杯だったが、カイヤーンは確かにこう言っていた。
――傭兵隊長の男をユーリが殺した。そこを、狙撃手に撃たれた――と。
「中佐は――砂漠で戦死した。そう聞いた」
「なんてこと……」
マリアは片手を額に当てて、深い溜息をついた。
「死期を――悟ったわけじゃないだろうけどねぇ……何か虫が知らせたのか」
三人はしばし故人の死を悼むように沈黙していたが(もっとも、彼と面識のないザラはただ黙っていただけだったが)、やがて気を取り直すようにマリアが言った。
「ま、そんなわけだからさ。あんたはもうお金の心配なんてしないでいいんだよ。好きなだけいな。ただし、あたしらはあんたが反乱軍とかそういうのは知らない。娼妓の見習いで置いてやってるだけ。それでいいね?」
「でも、匿ってもらうのに何もしないわけには――」
「じゃあ雑用を手伝ってもらうよ。第一、そんな身体のあんたに客を取らせるわけにいかないだろ」
「え?」
ザラはカナンが怪我でもしていたのかと、まじまじとカナンを見た。が、カナンはなぜか複雑な表情をして下を向いてしまった。
「ライラ、あんた自分でも気付いてたんだろ?商売柄、女の身体のことなら大体わかっちまうもんでね」
「え、え?ええ!?ほんとに?」
ザラは目を丸くして言った。
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