イシュラヴァール放浪記

道化の桃

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第九章 海賊編

街道

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 何頭もの馬が、日の暮れた街道を駆けていく。

 港町レーから流れ出て来るのは、戦闘から逃れた役人や市場を訪れていた客たち、王都へ応援を求める兵士などである。一方、ララ=アルサーシャからは、スカイが治安部隊数十騎を率いて向かっていた。数キロを置いて百騎ほどが続き、更にもう百五十騎が王都を出る準備を進めていた。
 レーの手前一キロの場所で、スカイはレーから転がるように逃げてきた一台の馬車を止めた。
「これはこれは、レーの市長殿ではないですか」
 贅沢な装飾が施された馬車を覗き込んで、スカイが言った。
「ああ、あんたは……!」
 馬車の中の市長は髪も服も乱れ、これ以上ないほどに動揺していた。まさに這々の体という言葉がぴったりの様子である。
「挨拶が遅れました。近衛隊長のスカイ・アブドラです」
「……ああ……聞いたことがある……国王陛下にくっついている、奴隷上がりの金髪小僧か」
 スカイは眉根を僅かに寄せたが、この俗物の市長の偏見に満ちた嫌味に反応するほど暇ではなかった。馬車の中を覗き込んで、市長の妻と二人の子、そして奥に老母が乗っているのを確認する。
「ご家族もご無事なようで、何よりです。ところで賊の正体は?海賊だというのは本当ですか?」
「あ、ああ。カナン自由民とか名乗っていた。奴隷船荒らしだ」
「成程。で、首領はでした?」
「あ?……ええと――外国人のようだったな。アルナハブあたりの。若い女を連れていた」
 スカイはそれを聞いて満足し、小さく微笑んだ。実際に交渉に立ったのはカナン――若い女の方だったのに、市長はスカイの言葉に引きずられるように「首領は男だった」と思い直していた。
 スカイは王都方面へ去る市長一家を見送ると、その場で後続の百騎を待って、攻撃を開始した。先発の弓隊が、街道に陣取ったカナン軍に矢を放つ。
「なぜ賊は市長を人質に取らなかったんでしょうね?」
 部下の一人が首を傾げる。
「その価値を感じなかったんじゃないか。余程有能な人物でもない限り、市長職など殺されても次を派遣すればいい」
「でも殺しもしないで逃がすなんて、腑に落ちません。何か裏があるのでは?」
市長おとこ間諜スパイなどできる脳があるものか。カナンは単に、無駄な血を流したくはないのさ」
 まるで知り合いのことでも話しているようだ、と部下は思ったが、口には出さなかった。
「レーに駐在している外国の出先機関の役人は、誰も街道こっちに逃げてきていなかった。船で逃れたとも考えにくい。恐らく人質は彼らだろうね」
 王国にとって、地方官の身の安全などよりも、内乱に外国の要人が巻き込まれるほうが手痛い。
(そんな知識まで、いつの間に身につけていた?……アトゥイー)

 矢の雨をかいくぐって、カイヤーンたちが猛スピードで敵陣に突っ込んでいく。
「くそっ、速い……!」
 弓隊は一気に詰められた間合いに対応できずに四散した。控えていた騎馬兵が応戦する。が、少しするとカイヤーンたちは闇の向こうに消えていった。かと思うと、全く予想もしない方角から突撃してくる。砂漠の戦闘民族が得意とする波状攻撃だ。
 激しくぶつかり合う音を闇の向うに聞きながら、一頭の馬が街道の脇をすり抜けていった。
(ユーリ……ユーリ……生きていて……お願い……ユーリ……)
 ちらちらと記憶が蘇る。この街道は、昔通ったことがある。奴隷として。
 何ももたずに、名前すら変えられて、娼館に売られた日。
 もうそんな奴隷がひとりもこの道を通らなければいい。カナンたちは、そのために戦っている。
 だが今は、そんなことはどうでもよかった。
 あの時も、今も、逢いたいのは、たった一人。
「ユーリ……っ!」

 一方、ララ=アルサーシャから続々と出発する軍馬の合間に、同じく街道の脇をすり抜けるようにレー方面へと駆けていく二頭の馬があった。先導する馬の背に乗った人物の長いマントから、ひらひらと青い衣がのぞいている。
「お嬢様、着替えは?」
 スラジャの馬の後ろにぴったりとくっついて走る、付き人の青年が言った。
「そんな暇があるか!ドレイクはレーに入っていたな?」
「ええ、奴隷市の日ですから、来ているはずです」
 スラジャは馬に鞭を入れた。
「奴がカナンとやらに肩入れする前に、押さえておかねば……!」
 自由港化の意志がマルスにはないことがわかった今、スラジャにとってレーが戦場になるのはやぶさかではなかった。だが、その主役の座のひとつには自分が座るはずだった。せめて交渉のテーブルに遅れるわけにはいかない。カードを持っているのに出しそびれるなどという下手を打つわけにはいかないのだ。
「お嬢様、あまり駆けさせますと目立ちます」
「構うか!止められたらサキルラートの名を出すまでだ。それに、あっちも討伐でそれどころじゃあるまい」
「二百……以上はいそうですね」
「今、砂漠で内乱が起きている。そんな中、王都では祭をして余裕を見せつけ、更にレーにこれほどの兵を割けるのか」
 スラジャはちらりと、街道いっぱいに並んで駆けていく軍馬の群れを見遣った。
「やはり正攻法では無理だな、イシュラヴァールは」
「そのための縁談では?」
「お前、出過ぎだぞ」
 スラジャがぴしゃりと言った。
 街道の左右には、軍馬の他にも多くの馬や馬車が行き交っていた。だが、夜目で互いの姿までははっきりしない。
 だから、スラジャはレー方面から全速力で駆けてきた一頭の馬に乗っていた小柄な人物の顔までは見えなかったし、密かに王都から自分たちを追ってくる一頭の馬があるのにも気付いていなかった。
 そしてそれは、スラジャたちを追う男も同様だった。
 夜道でスラジャたちを見失わないよう、といって気付かれないよう、一定の距離とスピードを保って進むのはなかなか神経を使った。
 薄暗い街道沿いで、スラジャたちの影を凝視する視界の端を、ちらりと黒い影が過ぎった。
「――――」
 ふと、男は振り返った。
 その黒い馬は、既に小さな影になって街道の彼方に消えていくところだった。
(まさか、な)
 一瞬、その馬を追いかけて正体を質したい衝動に駆られたが、すぐに、そんな事をして何になる、と思い直した。なんとなく気にはなったが、あれはただのレーから逃れてきた商人か何かに違いない。それよりも今は、スラジャの動きを追わなければ。そう、自分に言い聞かせた。

 あれが、かつて彼のもとに風のように現れて去っていった少女である筈がない。
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