イシュラヴァール放浪記

道化の桃

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第八章 流転編

死体置場

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 イシュラヴァール国軍による反乱軍制圧作戦は苛烈を極めていた。
 いまや軍の半数以上が砂漠地帯に展開し、各ポイントを拠点に反乱軍を攻撃していた。
 制圧に当たる兵士たちは、ただ一つの命を受けて戦場へと投入された。
 ――敵を殲滅せよ――。
 これまで、あくまでポイントの守備と奪還が主体だったのが、敵兵を一人でも多く減らす――殺戮することが目的となった。そして、その中でも最も求められたのが、反乱軍の首謀者――ユーリ・アトゥイーの首である。
「王国の平和と秩序を乱した大反逆者ユーリ・アトゥイーを捕らえよ。どれほどの血を流してでも、必ず引きずり出し、処刑台へと引っ立てるのだ」
 国王の勅命が下り、高額の賞金が懸けられ、今や国中がユーリ・アトゥイーを追っていた。
 対する反乱軍も、周辺の部族を巻き込んで膨れ上がり、その兵力は三万を超えると見られていた。「砂漠の黒鷹」を死守するため、また彼に憧れて、多くの若い兵たちが黒い装束を纏って戦った。土地勘に長けた彼らは少数精鋭部隊で国軍を翻弄し、果敢に迎撃した。
 結果、戦況は一進一退で、広大な砂漠は両軍によって徐々に南北に分断されつつあった。
 そんな中、王宮からひっそりと姿を消した「もう一人のアトゥイー」について、ある噂が囁かれるようになった。
「アトゥイーが――死んだ?」
「しっ」
 食堂で思わず声を上げたウラジーミル・ザハロフを、パブロが制した。
「公には誰も知らないことになってる。飲み仲間の一人が、数日前、死体置場モルグに何体かの遺体が運び込まれたのを見たんだと。その中に近衛兵のアトゥイーもいたらしい」
「人違いじゃないのか?」
「それが、近衛隊長が自ら検分してそう言ったそうだ」
「だがあいつは、陛下の――」
 情婦になっていたはずだ。その噂は傭兵隊にも流れてきていた。
 ウラジーミルに苦い思い出が蘇る。17ポイントで負傷したアトゥイーを抱こうとして、駆けつけたスカイに完膚なきまでに打ちのめされた。あれがアトゥイーに触れた最後だった。今思えば、あの時既にスカイはアトゥイーをマルスの後宮に入れるつもりだったのだろう。
 パブロは意味ありげに頷いた。
「ああ。陛下の機嫌を損ねるようなことをして、手打ちになったって噂もある……だがな、あの王様がそんなことするかねぇ?それにな、同じ頃に側室のサラ=マナ様がお郷に帰られてるらしい――女同士、ひと悶着あったのかもな」
「あいつは大人しそうに見えて、気が強いからなぁー……」
 ウラジーミルは懐かしむような口調で言った。実際、傭兵隊で共に戦った日々が懐かしかった。勢い、側妻に、と考えたこともあったが、娼館で初めて出会った時から成長を見ていると、娘のような愛しさもあった。
「なに、そうそう死にはせんだろう。しぶとい奴だからな」
「お前もそう思うか?俺も死ぬはずねえと思ってよ。だがどのみち、明日から傭兵隊おれたちも遠征だ。気にはなるが、真偽の程を確かめることはできねえだろうな」
 パブロは黒い巻毛をひと振りして言った。ウラジーミルはしばらく考え込んでいたが、やがて一言
「……ちょっと出かけてくる」
と立ち上がった。
「え?おい!」
「心配するな、景気づけに一杯やって、女でも抱いてくる。朝までには戻るさ」
 そう言い残して、ウラジーミルは夜の市街へと消えていった。

 エディアカラは近衛兵から市中警備隊に異動となった。上官命令に背いたかどでの、事実上の降格である。
 そのエディの耳にも、アトゥイー死亡説は届いていた。
 市内で夜勤を終えた早朝、エディは王宮に向かった。かつての顔見知りには目もくれず、足早に「星の間」へと向かう。
 ここのところ、国王はほぼすべての時間を「星の間」に籠もって過ごしているという。
「星の間」は元来、限られた者しか入れない。後宮の警備を一部「星の間」周辺に回し、側近そばちかくにはスカイとシハーブが交代で詰めていた。
 市中警備に降格となったエディは「星の間」へ立ち入る資格を失っていたが、勝手知ったる宮殿内である。早朝の警備の交代のタイミングを図って滑り込んだ。
「――エディ!?」
 庭先で微睡んでいたスカイが、エディの気配に気づいて飛び起きた。
「星の間」には王の他に人影はない。王は長椅子に横になって眠っていた。
「どうしてここに――」
 スカイは押し殺した声でエディに詰め寄った。
「スカイ様、アト……った!」
 エディがアトゥイーの名を言い終わる前に、スカイが思い切りエディの頬をつねりあげた。そのまま頬を引っ張って廊下へ出る。
「い゛、い゛い゛い゛い゛!」
「静かにしたまえ、お寝み中だ」
 万が一にも、王にアトゥイーの名を聞かせてはならない。いつ発作が起きるかわからないのだ。スカイは「星の間」から十分に離れてから、ようやくエディの頬を放した。
「……アトゥイーが……」
 エディは赤く腫れた頬を撫でながら言った。
「そのことか。彼女は死んだよ」
 スカイはさらりと言った。
「そんな……うそだ、なんで」
「信じられない?」
「当然です……だって……だってあの後、見つかった話も聞かなかった」
「それが、見つかったのさ。遺体でね」
 エディは顔面から血の気が引いていくのを感じた。
「ついておいで」
 スカイはエディを伴って、外へ出た。
 宮殿に隣接する軍部の先には陸軍病院があり、その片隅に死体置場モルグはあった。
 地下にある死体置場は、ひんやりと涼しい。だがやはり死体の放つ屍臭は抑えきれず漂っていた。灰色の分厚いコンクリートで壁も天井も床も囲まれて、まるでこのまま生き埋めになるかのような閉塞感があった。
 遺体は整然と並んだ狭いベッドの上に寝かされ、布を被せられていた。家族が確認して身元が判明するまでここに置かれるが、腐敗が進むと遺品だけ残して共同墓地に葬られる。反乱軍との戦闘が激化している影響で、遺体の数も多かった。
 スカイは並んだベッドの間を通り過ぎ、奥の少し大きな台の前に立って、エディを手招いた。
 台の上には遺品が並べられていた。
 その中のひとつーー黒々と固まった血の痕がべったりとついた、一枚の女物の上衣を、スカイは指した。
「あれだ。アトゥイーがあの夜着ていた服だ」
 エディは胸が締め付けられて、思わず大きく息を吸った。が、次の瞬間、鼻をつく屍臭にむせかえった。
「……こんな、服だけ……?……はっ」
 引き攣った笑いが漏れる。
「ハハッ……!ははは……!こんな、こんな服一枚で、何の証拠にもならないじゃないか……!」
 信じたくない。この衣を濡らした夥しい血液が、アトゥイーの身体を流れていたものだなんて。
「遺体は?遺体はどこなんですか!?これか?こっちか!?」
 エディは片端から、並んだ遺体に掛けられた布を剥がして回った。
「やめなさい、エディ」
 スカイがエディの手首を掴む。
「……見ない方がいい。遺体のはあっちだ」
 スカイが指した先には、ベッドはなかった。代わりに、床に直に大きなむしろが敷かれている。その上に積まれたにも、他の遺体同様に布が掛けられていた。
「見つけたときには既に腐敗が進んでいた。それ以前に――人の形をしていない」
「――――!」
 うそだ。
 エディは額に手を当てた。冷静にならなければ、と自分に言い聞かせる。
 何かがおかしい。だが、疑う理由が思いつかない。アトゥイーが死んだと、スカイが嘘をつく理由が。
 ということは、やはり言葉通りにアトゥイーは死んだのか。しかし、それにしては遺体の確認もできないなんて、なんてお粗末な顛末だろう。
 エディは混乱した。
「……なんで……?」
「エディ?」
「……隊長……なぜ死んだんです?アトゥイーは……アトゥイーを、誰が……一体誰が殺したんですか!」 
 手首を掴んだ腕を掴み返して、エディはスカイに迫った。
「……聞かないほうがいいと思うけどね」
 スカイは瞑目し、溜息をついた。
「言ってください。納得できない」
「街のごろつき五人ばかりに襲われたらしい」
 エディの目の前が一瞬、暗転した。
「彼女は短剣しか持っていなかったし、その上衣一枚しか着ていなかった」
 スカイの声が耳に入ってこない。いや、聞こえてはいても、頭が言葉として処理できない。
 興奮でチカチカする視界の端に、血で汚れた衣が映った。
(ああ、アトゥイー……どうしていつも君だけが、こんなふうに傷つけられなければならないんだ?)
 それから数十秒間の記憶が、エディにはない。
「――エディ……エディ……」
 スカイの声で、エディは我に返った。
「しっかりしろ、エディ!」
 気がつくと、死体置場の外にいた。既に太陽は高く登っている。
「夜勤明けだろう。部屋に帰って休んだほうがいい」
 スカイに言われるままに、エディはふらふらと兵舎へと帰っていった。
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