イシュラヴァール放浪記

道化の桃

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第八章 流転編

地下組織

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「目が覚めた?」
 ファーリアが目覚めると、狭い部屋の寝台の上だった。天井が低い。傍らにはザラがいた。
「ここは……?」
「覚えてる?あんたが裏町にいたのを、ここに連れてきたのよ」
 ザラはそう言って、水の入ったコップをファーリアに手渡した。ファーリアは頷いた。
「なんとなく……」
「ねえあんた、家はどこなの?家族は?」
 ザラが尋ねる。ファーリアは首を振った。
「帰るところはあるの?」
 ファーリアはまた首を振った。ザラは溜め息をついた。
「名前……は、言いたくないんだっけ」
「…………」
「もしかして、カナン?」
「…………!」
 ファーリアは弾かれたように顔を上げた。
 ザラは枕元に置かれた短剣に視線を投げた。
「悪いね、ちょいと見させてもらったよ。そいつに彫ってあったからさ。違うの?」
 ファーリアも探検に目をやった。
 カナン。
 短剣の持ち主だった男の、女房の名だと聞いた。顔を見たこともない女の――。
(いや、もし彼がわたしの父だったとしたら……)
 ファーリアは眼を閉じた。だがやはり、忘れてしまった母の名はおろか、顔も声も思い出せなかった。
「好きに呼べばいい……ここはどこ?」
「あらまあ、達観したようなこと言っちゃって。ま、おいおい聞かせてくれたらいいわ。ここはアルヴィラ解放戦線のアルサーシャ支部――いわゆる反乱軍の、アジトよ」
 そう言って、ザラはファーリアに顔を寄せて囁いた。
「ねえ、あの男たち、あんたが殺ったの?」
 ファーリアは答えなかった。
「昨夜の捕物騒ぎも――実はあんたと関係があるんじゃないの?」
「……ごめん、話せない」
 それで追い出されるなら、それも仕方ないとファーリアは思った。ここが反乱軍のアジトなら、信用できない人間を置いてはおけないだろう。だがもし――アジトを知られたことで、ファーリアを生かしておけないと彼らが考えたら。
(もし殺されそうになったら、逃げ切れるだろうか)
 ファーリアはちらりと短剣に眼を走らせた。だが、ザラは意外にも、あっけらかんと言った。
「ねえ、行くところがないなら、ここにいなよ。腕が立つなら大歓迎さ」
「……いいのか?」
「誰だって言いたくないことはあるわよ。こんな時代だもの。それよりあんた、起きられるならいい加減その服着替えなよ。水浴びできる場所に案内するわ」
 殺した男の一人から奪った服は、血がこびりついていたのでそのまま捨てた。代わりの服も靴も、ザラが自分のものを貸してくれた。
「やだ。あんたちゃんと女の服を着ると見違えるのね」
 アルサーシャのスラム一帯の地下に、蜘蛛の巣のようにザラたちの根城は張り巡らされていた。いくつもの拠点を隠し通路がつないでいる。万一発覚したらその通路を塞いで、ダミーの拠点に誘導し、本来の拠点は見つからないように工夫されている。
 仲間は数百人はいるという話だが、今のところファーリアのいる拠点には二、三十人ほどが出入りするのみだ。
「ここは『バラ』って呼ばれてる。他にも『肩』『もも』『すね』てな感じさ。うちは肉屋だからね」
 他にも鍛冶屋や酒屋、道路工夫など、多岐に渡る仲間がいるらしい。
(そんなにたくさんの人たちが、王家に敵対しているのか……)
 豊かで美しい都だと思っていた。何もない砂漠に比べたら、天国のような都だった。
 それでもスラムはあり、奴隷もいる。ちょっと裏街に入れば、飢えた子どもたちが路上に蹲っている。
「兄貴の店はさ、売り物にならない肉を料理して孤児たちに食わせてやってるんだ。
「孤児院があるんじゃないのか?」
「奴隷や娼婦の子は、孤児院の中でも差別されるのよ。あと移民ね。孤児院を出ても、移民はまともな仕事はもらえないし、食い詰めて奴隷以下の暮らしをしてる人たちもいる。うちは商売やってるからまだマシだけど、ちょっといい店だとうちの肉は扱ってもらえない。他人事じゃないよ」
「ザラも移民?」
「そうよ。兄さんの目利きと仕入れルートはアルサーシャいちよ。でも政府のお偉いさんは絶対にうちの肉は買わない。移民の扱う肉は汚らわしいって言われる。うちが闇業者に安く卸した肉を、王宮御用達の高級肉屋が買い取って、それを高級料理屋が買い取って、ぐずぐずに柔らかくなるまで煮込んだやつを食べて、ようやくおいしいって言う。最高の肉だって言う。でもそれ、うちの汚らわしい肉だからね?ね、おかしいでしょう?」
 ザラは力強く言った。
「それでもね。うちはいいのよ、なんだかんだで商売できてるからさ。でも、そうじゃない人たちがたっくさんいるの。大人も子どもも、たくさん。みんなおかしいなって思ってるけど、どうにもできないし、どうにかする方法もわからないの」
 ファーリアはそれまで、自分でも、自分の周りの誰かでもなく、世の中そのものがおかしいと考えたことはなかったので、ザラの話はとても新鮮だった。
 ザラは続けた。
「兄貴もあたしも、たまたま稼げてるだけ。ラッキーなだけなのよ。でもそんなラッキーなんかなくったって、誰でも安心して暮らせないと、おかしいでしょう?まだ子どもなのに、真面目に働いてるのに、蔑まれて、踏みつけられて、そんなの、おかしいじゃない」
 ザラの話は、ファーリアに衝撃を与えた。
(わたしは……自分が奴隷から抜け出すことばかり考えていた)
 奴隷だった自分を振り返る。それはとても苦い記憶。痛くて、寒くて、ひもじい記憶。汚物の始末をし、残飯を喰らい、鎖に繋がれて眠る日々の記憶。まだ胸も膨らみきらぬ頃から犯されて、鞭打たれた記憶。
 抜け出したかった。いつか逃げてやると思った。死ぬ前に、自由になりたかった。――でも。
(わたしは自分さえ奴隷から抜け出せば……自分さえ惨めな思いをしなければ、それでいいと思っていた……?)
 ファーリアはぞっとした。それよりももっと恐ろしいことに気付いたのだ。
 身分を偽って王宮に入った時から、ファーリアは、奴隷の上に立つのが当たり前になってはいなかっただろうか。
(そうじゃないんだ……奴隷制度そのものが、間違い……?)
 シュイユラーナは、そんなファーリアを一体どんな目で見ていたのだろう。
 ファーリアは震えた。自覚なく、かつての自分を踏みしだいて生きていたのだろうか。
 どんなに知識を増やしても、ファーリアには思考する習慣がなかった。物事を俯瞰して考えることも、してこなかった。
 兵士になった時から、自分でも気づかないままに、奴隷制度を許容する側に立ってしまってはいなかったか。マルスに湯水のように与えられる豊かさに、心地よく浸かっていた。それがどこから得られたものかも考えずに。
 恥ずかしさに身を引き絞られるようだ。
 自分はなんて狭い世界しか見てこなかったのだろう。エディに本を借りて、マルスの側近くに仕えて、自分の知識が増えていくような気がしていた。エディやリンと肩を並べ、いっぱしの近衛兵になれたと思っていた。マルスに愛されて、自分にも愛される価値があるのだと知らされた。だがそれはすべて錯覚だったのだ。
 たまたま、若くて、女で、マルスの好みの顔と身体を持っていただけ。
 たまたま、マルスが、気紛れに奴隷娘を愛したから。
 たまたま、あの夜、出会ったから。
 もしあの夜、銀の月が出ていたあの夜、出会ったのがマルスじゃなくて、この間のごろつきだったら。
「わたしも、ラッキーだっただけか……」
 乾いた自嘲の笑いが込み上げてくる。
(ユーリは……ユーリは何を考えて、戦っているんだろう――)
 アルヴィラ解放戦線は、元々は砂漠の遊牧民たちが起こした反乱だという。彼らはなぜ、何が不満で、何を求めて、立ち上がったのだろう。
(王家が――マルスが、間違っているの?)
 しかし、何が間違いなのだろう?
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