イシュラヴァール放浪記

道化の桃

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第八章 流転編

番外編 出会い

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 砂漠地帯は長く不毛の地とされてきた。
 周辺のどの国も、砂に埋まった広大な土地に価値を見いださず、遙か昔から歴史が紡がれることはなかった。一年を通してほとんど雨がふらず、灼熱の太陽に灼かれる、死の砂漠。
 だが、その不毛の地にも、その環境に順応して生きる動物はいた。長い時間をかけて、乾燥した土地に適応した植物もあった。
 そして、砂漠を生きる場所として選んだ人々がいた。
 砂漠に生きる遊牧民たちは、大小の部族がそれぞれのしきたりのもと、遊牧をして生活していた。道なき砂の海を縦横無尽に駆け巡る彼らが、この地の主役だ。
 砂漠を挟んだ西と東、また南方に広がる海の向こうの大陸と、北方の大国、砂漠地帯は周辺国の交易の通過点だった。旅の商人たちは、広大な砂漠を越えるために、遊牧民と繋がった。商人たちは遊牧民に道を教わり、水や食料や情報を売買し、西から東へ、南から北へ、様々なものを運んだ。
 ジェイクの叔父も、そんな商人のうちの一人だった。
 叔父夫婦には子がいなかった。そこでジェイクを引き取って、商売を手伝わせ、ゆくゆくは後継にしようと考えていた。
 十歳になるジェイクが砂漠でユーリと出会ったのは、そういう経緯によるものだった。
 初めて二人が会った日、ユーリは遊牧民の男に連れられてジェイクの前に現れた。男はその旅のガイド兼用心棒だ。腕の立つ部族の者を連れていると、盗賊に狙われにくい。
「子連れか。大丈夫か?」
 足手まといにならないのか、という意味を込めて、ジェイクの叔父はその男に訊いた。男は表情を変えずに答えた。
「心配ない。こいつは俺よりも腕が立つ」
 叔父は半分冗談だと受け取ったのか、曖昧な笑顔を返したが、男もユーリも真面目そのものだった。
 ジェイクはその少年をまじまじと見た。歳はジェイクと同じか、ひとつふたつ下か。黒い髪、黒い瞳のその少年は、黒いターバンに膝丈の黒い上衣、腰には凝った飾り紐を巻いて、いっぱしの遊牧民の出で立ちをしていた。
 一方ジェイクは綿のシャツにベスト、ゆったりしたラインの膝下で裾がすぼまったズボンに帽子という、いかにも商人の家の子といった服装だ。
「僕はジェイク」
「ユーリ・アトゥイーだ」
「へえ、珍しい姓だね」
「祖先は遙か東の果てから来たと聞いている。もう、俺しか残っていないけど」
「彼はお父さんじゃないの?」
 ジェイクはユーリを連れてきた男を目で指して言った。ユーリは首を振った。
 ユーリとすぐに親しくなったのは、年齢が近いせいもあったが、お互い親のいない境遇ということも親近感に繋がったのかもしれない。ジェイクの父母も、数年前、イシュラヴァール軍が辺境の自治都市を制圧した際に、戦闘に巻き込まれて死んでいた。兄弟たちはそれぞれ親戚や知人にばらばらに引き取られていった。
 旅の間、やるべきことはたくさんあったが、ジェイクとユーリは仕事の合間を縫って遊んだ。棒きれで斬り合いの真似事などもしたが、ジェイクの腕は到底ユーリには及ばなかった。
「砂漠の旅は初めてか?」
「うん。僕の家族はフーフのオアシスに住んでたんだ。去年両親が死んで、それから叔父さんが面倒見てくれてる。叔父さんは一年の半分は旅をしているんだって」
「あとの半分は?」
「商売に行った先の街で過ごす。次はシャルナクまで行くんだ。楽しみだよ」
「船に乗るのか?」
 ユーリが羨ましそうな顔をしたので、ジェイクは少しだけ得意になった。両親が生きていた頃はフーフの町の近郊にある海によく家族で遊びに行っていたし、船にも乗ったことがあった。
「勿論さ。レーから出ている連絡船で渡るんだ」
「俺は海も見たことがないな」
「本当に?でも今回はレーまで一緒に行くんだろう?」
「いや、ガイドはアルサーシャまでだ。アルサーシャからレーは街道が整備されているし、王都の兵が警備しているから、ガイドがいなくても安全なんだ」
 砂漠のことについては、ユーリはなんでも知っていた。
 遊牧民の男は、時折野営地を離れることがあった。夕刻、野営地が決まると、ユーリにテントの設営を任せて自分は馬でどこかへ行き、数時間で戻ってきた。
「塩を採りに行ってるんだ」
 ユーリは説明した。
「塩?」
「ああ。塩の採掘場は砂漠にいくつかあるんだが、部族の者しか知らない。道もないから、他の部族の者は絶対に行けない」
 叔父は男から塩を買った。シャルナクなどでは砂漠産の塩は高く売れるという。
「あっちの方は塩田しかないからな。岩塩は重宝されるんだ」
 そう言って叔父が見せてくれた塩はほんのり青く、確かに珍しい色をしていた。

 旅程を半分ほど進んだある日、事件は起きた。
 朝いつものようにテントを畳んでいると、遠くから砂埃を上げて一騎の騎馬が駆けてきた。
 遊牧民の男が、初めて顔色を変えた。
 長時間駆けてきたのだろう、騎馬の男も馬も消耗していた。その男も、同じ遊牧民のようだった。二人は二言三言会話を交わすと、ガイドの男が叔父に何事か頼んだ。彼は旅の間、一貫して表情を崩さず、冗談も世辞のたぐいも一切口にせず、客である叔父に媚びたり頭を下げたりという態度も一切取らなかった。その彼が、叔父に必死に頼み込み、何事か謝っている。
 やがて話がついたのか、ガイドの男はひらりと馬に飛び乗った。
「俺も行く!」
 それまで黙っていたユーリが叫んだ。
「だめだ。お前は残って彼らを守れ」
 そう言い残し、男二人は連れ立って去っていった。
 その日、夜になっても彼らは帰らなかった。
「――おい!」
 叔父が叫んだときには遅かった。我慢しきれなかったユーリは、馬に跨って駆け出していった。
 ジェイクと叔父は、ユーリを追った。ユーリの馬は速く、到底追いつけるものではなかった。ジェイクたちはどんどん引き離されていった。あと少し長く走っていたら、確実に見失っていただろう。
 しばらく走ると、遠くに白い煙が見えてきた。ユーリは煙の方向へ一目散に駆けていく。そしてようやく、二人は砂丘に身を潜めているユーリに追いついた。
 眼下には惨状が広がっていた。
「――っ!」
 ジェイクは胸を突かれたような衝撃を覚えた。一年前、フーフの町が戦場になった日の光景が蘇った。
 累々と続く、人と馬の死体。あちこちで燃やされたテントがまだぶすぶすと燻っている。
 その向こうに、兵士の一団がいた。戦闘のあったすぐ横で野営をしている。
「……くっ……!」
 剣を手に砂を蹴ったユーリの肩を、間一髪、叔父が抑え込んだ。
「だめだ!今君が行っても殺されるだけだ!」
「だけど!みんなが……!!」
「俺はあいつに君のことを頼むと言われたんだ。君は俺に、死んだ男との約束を破らせる気か!?」
「俺だけ戦わずに逃げるなんて、俺はそんなに子供じゃない!俺は、俺は――!」
「それは君の矜持だろう。誇り高い部族だと聞いている。気持ちはわかるが、そんなもののために捨てていいほど、君の命は軽くないよ」
 ジェイクは叔父がそんな話し方をするのが意外だった。相手はジェイクより歳下なのに、まるで大人に話しているようだ。
「部族のために戦うことは、彼らが十分にやったんだ。君がやるべきことは無謀な戦いを挑むことじゃない……君は未来を託されたんだ。わかるな?」
 怒りに燃えるユーリの瞳から、涙が一筋こぼれた。それはまだあどけない丸さの残る頬を伝って、乾いた砂に染みを落とした。
 気づけばジェイクも涙を流していた。死んでいった一族の未来。そんな重いものを託されて、この先ひとりで生きていくのか、ユーリは。そう思うと、悲しみを超えた途方もない苦悩を感じた。
 三人はテントに戻り、眠れない夜を過ごした。
 翌朝、叔父は「街道の様子を見てくる」と言って、一人、出かけていった。昨日の戦闘でこの地方一帯が緊張状態に陥っている可能性がある。新たな戦闘に巻き込まれないとも限らない。
「この駱駝に乗っていくといい。帰り道を知っている」
 ユーリが自分の――元は遊牧民の男の――駱駝を貸した。
「助かる。夜までには戻る」
 その日一日、ユーリはほとんど喋らなかった。ジェイクもまた、黙りこくっていた。ジェイクの両親は死んだが、まだ叔父がいる。兄弟たちも、離れてしまってはいたが無事でいる。一族を失ったユーリに、かける言葉などなかった。
 叔父は、その夜だいぶ遅くなってから、野営地に戻ってきた。
「レーはだめだ。アルサーシャへの街道が封鎖されている。西へ抜けて、アズハル湾から出ている貨物船にでも乗せてもらおう」
 叔父の声は疲れていた。
「……アズハルまでなら送れる」
 ユーリはぽつりと言った。
「助かるよ」
 叔父はそう言って、ユーリの肩に手を置いた。

「海だ……」
 初めて見る海に、ユーリはしばし言葉を失ったようだった。やがて我に返ったのか、一言、
「大きいな」
と言ったので、ジェイクは思わず笑ってしまった。ユーリは水平線に視線が釘付けになったまま続けた。
「水の向こう側が見えない」
「当たり前だよ。言っておくけど、海は砂漠より大きいからな」
 ジェイクが横を見ると、ユーリの顔には笑みが浮かんでいた。あの日以来、初めての笑顔だった。
「一緒に来るか?」
 アズハルの港で、叔父はユーリに訊ねた。
 ユーリは首を振った。
「一人で大丈夫だ。馬も駱駝もいるし、隊商キャラバンの通り道も知っている。塩の採掘場も、俺が守らないと――だから、大丈夫だ」

 その後も、叔父と共に砂漠を旅していると、度々ユーリと出会った。キャラバンの立ち寄る大きな市場に行くと、何かしら情報が得られる仕組みになっているらしい。特に約束をしていなくても、ジェイクたちが旅をしているとユーリはふらりと現れた。時折はガイドを頼むこともあった。彼は言葉通り、一人で暮らしているようだった。
 十五歳になったジェイクは、叔父の勧めで商学校に入り、叔父について旅をすることはなくなった。
 ユーリが、ハッサら散り散りに逃げた部族の生き残りと再会するのは、更に少し後のことである。
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