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第八章 流転編
暴かれる過去
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数日ぶりにスカイが近衛隊に姿を見せたので、エディは周囲の目も気にせずに駆け寄って問い詰めた。リンとともにヤーシャール王子の前に呼び出されてから、一週間近く経っていた。
「隊長!アトゥイーは――?」
「しっ――」
スカイは険しい眼でエディを制したが、遅かった。
隊員が次々に集まってくる。
「アトゥイーはアルサーシャに戻っているんですよね?」
「なぜ訓練に出てこないんですか?」
「怪我でもしているんですか?」
国王周辺の事情は、シハーブや医師や付き人など、まだごく一部の者しか知らない。エディですら、例の会見の後に何が起こったかは知らされていなかった。近衛隊の隊員たちは純粋に仲間を思う気持ちから、スカイを質問攻めにした。
「あー……、アトゥイーは……」
スカイはどう伝えるべきか悩んだが、(いずれわかることだ)と観念して続けた。
「除隊だ」
「――――!!」
隊員たちは息を呑んだ。
「なんで……!?」
「隊長!一体どうしてですか!」
騒然とする隊員たちの中で、エディだけが言葉を失っていた。
(アトゥイー……アトゥイー、まさか――)
黒々とした予感が胸に広がっていく。まさか。
「――隊長、アトゥイーは……今どこに?」
エディの声は掠れていた。
「隊長……まさか――」
さすがにその先を口にすることはできなかった。まさか陛下に手討ちにされたのか、などとは。
スカイはエディの心中を察して言った。
「安心していいよ。怪我も病気もしていない。無事だ」
今のところはね――と、スカイは心の中で付け足した。
「……アトゥイーと、話したいんですが」
エディは言った。他の隊員もそれに続く。
「そうだ!いきなり除隊だなんて、納得いきませんよ!」
「理由はなんなんですか?」
隊員たちに詰め寄られて、スカイの顔から柔和さが消えた。
「反逆だ。逃亡した」
「え……っ」
思いも寄らない言葉に、その場は水を打ったように静かになった。
口を開いたのはエディだ。
「そんな、だって僕は――証言したのに!」
スカイがじろりとエディを睨みつけた。
「事実だ。アトゥイーは目下手配中だ。本人の在否に関わらず、早晩、軍法会議で処分が決まる。この話は終わりだ」
「……っ!」
エディはくるりと背を向けて駆け出した。
「エディ!?」
隊員たちが呼び止める。
「ほっとけ。訓練を続ける」
スカイが冷たく言い放って、隊員たちは腑に落ちない顔つきのまま従った。
エディはアトゥイーを探して、王宮内を走り回った。当然、どこにもその姿はなかった。
(ああ――ばかだ、僕は――逃亡したって隊長が言ったじゃないか……!)
それが本当なら、王宮の中にいるわけがない。だが他に、アトゥイーが行きそうな場所など知らない。まだアルサーシャにいるのだろうか、それとももうどこか、遠くの砂漠へと逃げたのか。
気がつくと、エディは兵舎にいた。
アトゥイーの個室はとうにない。エディは自室に戻って、呆然と椅子に腰を掛けた。
「アトゥイー……なんで」
あてもなくさまよわせた視線の先に、数冊の本が目に入った。
それは、アトゥイーが最後に返してきた本だった。
エディは本を手に取り、開いた。それは海洋貿易概史という本だった。
「……こんなに難しい本、読めるようになってたんだな」
始めは子供向けの絵本から貸していたのに、と、エディは懐かしく思い出した。
ぱらぱらとめくっていると、はらりと小さな紙片が落ちた。
拾い上げてみると、そこにはアトゥイーの字があった。
――いつもありがとう、エディ。エディがたくさんのことを教えてくれたおかげで、今わたしはここにいることができています。今はまだ、何も返せないのがもどかしいけれど、心から感謝しています。わたしの敬愛する、一番大切な友へ――
短い手紙を読み切る前に、文字が滲んだ。
「……なんだよ……また僕にはなんにも知らせないで、消えちゃったくせに……」
エディは机に突っ伏して、しばらくの間、肩を震わせていた。
食欲の湧かないまま、エディが兵舎の食堂で夕食をつついていると、胸元にずらりと徽章を並べた男が向かいの席に座った。
エディは顔を上げた。目の前にいたのはスカイだった。
スカイほど階級の高い将校が兵舎の食堂で食事を摂るのは珍しい。エディに用があってわざわざ来たのだろう。
「食が進まないようだ、エディアカラ少佐。訓練を途中放棄したせいで運動不足なんじゃないか?」
エディは無言で料理を口に運んだ。
「時に少佐。君の士官学校時代の学友から、ちょっとした話を耳にしたんだけどね。君が入隊当時、娼館通いしていたって」
エディの手が止まった。
「おや、どうしたの?まだたくさん残っているよ。ここのひよこ豆のフムスは結構いけるのに」
「……腹が空いていなくて」
エディはスプーンを置いた。
「ちょっと付き合え、エディ」
そう言って、スカイは席を立った。
スカイはエディの外出証を取ると、街へ出た。役所が並ぶ閑散とした大通りを抜けて、ウラ川に架かる橋を渡ると、街は徐々に賑やかになっていく。
「マクシミリアンといったかな。知ってる?」
スカイが切り出した。
「……士官学校からの友人です。部隊が分かれてからはあまり会っていませんが」
エディは答えた。
「そうそう。その彼が、以前君がある娼婦に入れあげてたっていう話を教えてくれたんだよ。そりゃもう毎月、給料日に金を握りしめて通ってたって」
エディは不機嫌な顔で視線を落とした。当時だったらそんなことを上官に言われたら真っ赤になっていただろうが、今更そんな話に動揺するほど初心ではない。
「真面目な君には、少し似つかわしくない噂話だったね。気を悪くした?」
「――いえ」
エディは憮然として答えた。
(――何が言いたい……?)
エディはスカイの意図に思いを巡らせた。タイミング的にアトゥイーのことだとは察しがついた。が、果たしてどこまで知っているのだろう。もし反逆して逃亡したという先程の話が事実であれば、うっかりエディが口を滑らせることでアトゥイーが窮地に陥ることも有り得る。
スカイはそんなエディをちらりと見て、ふふっと笑った。
「警戒してるね。無理もないか――誤解しないでほしいんだけど、僕は君と駆け引きするつもりはないんだ。単刀直入に言おう――アトゥイーは昔、娼婦だった?」
「……さあ」
エディはスカイの顔を見ずに言った。
「じゃあ質問を変えようかな。君が通ってたっていう娼館はどこ?」
「忘れましたよ、そんなの。大抵酒を飲んで酔っていたし、アルサーシャには山程娼館がありますからね」
エディは早口で答えた。ちょうど酒場が立ち並ぶ通りに入っていた。酔客達が道を塞いでいる間を、すり抜けるように二人は歩いていく。
「じゃ、その娼婦の名前は?」
「……なんだったかな……」
エディはまたしらばっくれた。マクシミリアンが覚えている可能性もあったが、もう一年以上前のことだ。もしスカイがそこまで掴んでいないなら、わざわざエディが自分からぺらぺらと白状する必要はない。
「エディ」
一段と冷ややかな声で、スカイが言った。
「軍法会議に召喚されたら、同じことを言えるか?偽証罪は、降格は免れないよ」
「では召喚された時にお話ししますよ」
スカイ相手に、エディは一歩も引かなかった。
降格が何だというのだろう。エディにとって、アトゥイーは守るべき友だ。彼女のためなら何も惜しくなかった。
「エディ……頼むから協力してくれ。僕はアトゥイーの味方だ。軍法会議にかけられる前に、なんとか打てる手を探しているんだ」
エディはスカイの顔を見た。その表情からは真意は読み取れない。
「……アトゥイーと今の話と、なんの関係があるんです」
エディは慎重に言葉を選んで言った。
「単刀直入に言ったらどうですか」
「アトゥイーという名は、アルサーシャの戸籍にはどこにもない。あれは偽名だ。僕は彼女がいつから何故その名を名乗るようになったのか知りたい。アトゥイーはアトゥイーになる前、――恐らく娼婦をしていた時、何と名乗っていた?それもまた、本名ではないのか?」
「――ふふっ」
エディは乾いた笑いを漏らした。
「いや、ごめんなさい――でも、なんか失礼だな。アトゥイーが娼婦だとか――そんなわけないでしょう。マクシミリアンが何と言ったか知りませんけど、アトゥイーは同僚で、大切な友人なんだ。たとえ隊長でも、友達を侮辱されたらそりゃ――気分が悪いですよ、僕だって」
「……マクシミリアンは――」
スカイは静かに言った。周囲は色街に差し掛かっていた。道行く酔客に、薄い衣をまとった商売女達が声を掛けている。
「その娼婦の名は覚えていないと言っていた。ただ、覚えているのは――背中いっぱいに、鞭の跡のある女だと……エディ、君がそう言っていた、と」
エディは眼を閉じ、深い溜め息をついた。
スカイはなおも続けた。
「覚えているかな?アトゥイーが傭兵隊にいた頃だ。砂漠の戦闘で怪我をして……あれは17ポイントだったかな。僕は砦の廊下で君とぶつかった」
エディは唇を噛んだ。
「……」
エディはよく覚えていた。他でもないエディが、矢を受けたアトゥイーを落馬しないように支えたのだ。そして。
「上の部屋ではザハロフ中佐がアトゥイーの手当をしていた」
「……もう、いいです」
「アトゥイーの服を脱がせ、傷を洗い、包帯を巻いて、しかも」
「隊長、もう」
「負傷して動けないのをいいことに、ザハロフは彼女を強姦しかけた」
「やめてください!」
エディはスカイの胸ぐらを掴んでいた。スカイは眉ひとつ動かさずに続けた。
「止めに入った僕が見た彼女の身体には、それはもう数え切れない程の鞭の痕が――」
言い終わる前に、エディの拳がスカイの頬を殴りつけた。
「きゃあっ!」
近くにいた商売女達が悲鳴を上げた。
口中を切ったスカイはぺっと血を吐き出した。
「――で、君は彼女を抱いたの?」
「――――!」
エディはスカイに掴みかかった。今度はスカイも応戦し、激しい殴り合いになった。
それがスカイの挑発だと、エディには分かっていた。だがそれでも、許せなかった。
「アトゥイーは……アトゥイーはそんなんじゃない――!」
「金を払って、通っていたんだろう?何も恥ずべきことじゃない」
「違う!僕は――僕は!」
抱きたいと思わなかったわけじゃない。会えない夜は毎夜毎夜、会いたくて仕方なかった。ライラが消えて、アトゥイーとして再会して、それでも変わらずに恋していた。だけど。
「そんなこと、できるわけがない……」
スカイの拳がエディの鳩尾に入った。
「ぐふっ……」
スカイは間髪入れずにエディの脇腹を蹴り倒す。エディは地面に転がった。
エディの襟元を掴み上げて、スカイは言った。
「――さあ、案内してくれ。その娼館に」
「いやだ」
エディはスカイを睨みつけた。スカイは容赦なくエディの顔を殴りつけた。
「言えよ」
「いや……だ」
エディの顔は赤黒く腫れ上がり、鼻や口からは血が流れている。
「こら!お前たち、何をしている!」
誰かが通報したのか、市中警備兵が駆けつけてきた。スカイの胸の徽章を見て、慌てて敬礼する。
「ああ、すまない。ちょっと部下とじゃれてたんだ」
スカイはエディを放して、警備兵に言った。
「君たちも、怖がらせてすまなかったね」
遠巻きに見ていた女達にも、スカイは爽やかな笑顔を向けた。
「さあ、立てよ。賭けは俺の勝ちだな!ほら、もう一杯やってこうぜ。お前のおごりで」
そんなことを言いながら、スカイはエディを立たせると、肩を組んでその場を去った。
「隊長!アトゥイーは――?」
「しっ――」
スカイは険しい眼でエディを制したが、遅かった。
隊員が次々に集まってくる。
「アトゥイーはアルサーシャに戻っているんですよね?」
「なぜ訓練に出てこないんですか?」
「怪我でもしているんですか?」
国王周辺の事情は、シハーブや医師や付き人など、まだごく一部の者しか知らない。エディですら、例の会見の後に何が起こったかは知らされていなかった。近衛隊の隊員たちは純粋に仲間を思う気持ちから、スカイを質問攻めにした。
「あー……、アトゥイーは……」
スカイはどう伝えるべきか悩んだが、(いずれわかることだ)と観念して続けた。
「除隊だ」
「――――!!」
隊員たちは息を呑んだ。
「なんで……!?」
「隊長!一体どうしてですか!」
騒然とする隊員たちの中で、エディだけが言葉を失っていた。
(アトゥイー……アトゥイー、まさか――)
黒々とした予感が胸に広がっていく。まさか。
「――隊長、アトゥイーは……今どこに?」
エディの声は掠れていた。
「隊長……まさか――」
さすがにその先を口にすることはできなかった。まさか陛下に手討ちにされたのか、などとは。
スカイはエディの心中を察して言った。
「安心していいよ。怪我も病気もしていない。無事だ」
今のところはね――と、スカイは心の中で付け足した。
「……アトゥイーと、話したいんですが」
エディは言った。他の隊員もそれに続く。
「そうだ!いきなり除隊だなんて、納得いきませんよ!」
「理由はなんなんですか?」
隊員たちに詰め寄られて、スカイの顔から柔和さが消えた。
「反逆だ。逃亡した」
「え……っ」
思いも寄らない言葉に、その場は水を打ったように静かになった。
口を開いたのはエディだ。
「そんな、だって僕は――証言したのに!」
スカイがじろりとエディを睨みつけた。
「事実だ。アトゥイーは目下手配中だ。本人の在否に関わらず、早晩、軍法会議で処分が決まる。この話は終わりだ」
「……っ!」
エディはくるりと背を向けて駆け出した。
「エディ!?」
隊員たちが呼び止める。
「ほっとけ。訓練を続ける」
スカイが冷たく言い放って、隊員たちは腑に落ちない顔つきのまま従った。
エディはアトゥイーを探して、王宮内を走り回った。当然、どこにもその姿はなかった。
(ああ――ばかだ、僕は――逃亡したって隊長が言ったじゃないか……!)
それが本当なら、王宮の中にいるわけがない。だが他に、アトゥイーが行きそうな場所など知らない。まだアルサーシャにいるのだろうか、それとももうどこか、遠くの砂漠へと逃げたのか。
気がつくと、エディは兵舎にいた。
アトゥイーの個室はとうにない。エディは自室に戻って、呆然と椅子に腰を掛けた。
「アトゥイー……なんで」
あてもなくさまよわせた視線の先に、数冊の本が目に入った。
それは、アトゥイーが最後に返してきた本だった。
エディは本を手に取り、開いた。それは海洋貿易概史という本だった。
「……こんなに難しい本、読めるようになってたんだな」
始めは子供向けの絵本から貸していたのに、と、エディは懐かしく思い出した。
ぱらぱらとめくっていると、はらりと小さな紙片が落ちた。
拾い上げてみると、そこにはアトゥイーの字があった。
――いつもありがとう、エディ。エディがたくさんのことを教えてくれたおかげで、今わたしはここにいることができています。今はまだ、何も返せないのがもどかしいけれど、心から感謝しています。わたしの敬愛する、一番大切な友へ――
短い手紙を読み切る前に、文字が滲んだ。
「……なんだよ……また僕にはなんにも知らせないで、消えちゃったくせに……」
エディは机に突っ伏して、しばらくの間、肩を震わせていた。
食欲の湧かないまま、エディが兵舎の食堂で夕食をつついていると、胸元にずらりと徽章を並べた男が向かいの席に座った。
エディは顔を上げた。目の前にいたのはスカイだった。
スカイほど階級の高い将校が兵舎の食堂で食事を摂るのは珍しい。エディに用があってわざわざ来たのだろう。
「食が進まないようだ、エディアカラ少佐。訓練を途中放棄したせいで運動不足なんじゃないか?」
エディは無言で料理を口に運んだ。
「時に少佐。君の士官学校時代の学友から、ちょっとした話を耳にしたんだけどね。君が入隊当時、娼館通いしていたって」
エディの手が止まった。
「おや、どうしたの?まだたくさん残っているよ。ここのひよこ豆のフムスは結構いけるのに」
「……腹が空いていなくて」
エディはスプーンを置いた。
「ちょっと付き合え、エディ」
そう言って、スカイは席を立った。
スカイはエディの外出証を取ると、街へ出た。役所が並ぶ閑散とした大通りを抜けて、ウラ川に架かる橋を渡ると、街は徐々に賑やかになっていく。
「マクシミリアンといったかな。知ってる?」
スカイが切り出した。
「……士官学校からの友人です。部隊が分かれてからはあまり会っていませんが」
エディは答えた。
「そうそう。その彼が、以前君がある娼婦に入れあげてたっていう話を教えてくれたんだよ。そりゃもう毎月、給料日に金を握りしめて通ってたって」
エディは不機嫌な顔で視線を落とした。当時だったらそんなことを上官に言われたら真っ赤になっていただろうが、今更そんな話に動揺するほど初心ではない。
「真面目な君には、少し似つかわしくない噂話だったね。気を悪くした?」
「――いえ」
エディは憮然として答えた。
(――何が言いたい……?)
エディはスカイの意図に思いを巡らせた。タイミング的にアトゥイーのことだとは察しがついた。が、果たしてどこまで知っているのだろう。もし反逆して逃亡したという先程の話が事実であれば、うっかりエディが口を滑らせることでアトゥイーが窮地に陥ることも有り得る。
スカイはそんなエディをちらりと見て、ふふっと笑った。
「警戒してるね。無理もないか――誤解しないでほしいんだけど、僕は君と駆け引きするつもりはないんだ。単刀直入に言おう――アトゥイーは昔、娼婦だった?」
「……さあ」
エディはスカイの顔を見ずに言った。
「じゃあ質問を変えようかな。君が通ってたっていう娼館はどこ?」
「忘れましたよ、そんなの。大抵酒を飲んで酔っていたし、アルサーシャには山程娼館がありますからね」
エディは早口で答えた。ちょうど酒場が立ち並ぶ通りに入っていた。酔客達が道を塞いでいる間を、すり抜けるように二人は歩いていく。
「じゃ、その娼婦の名前は?」
「……なんだったかな……」
エディはまたしらばっくれた。マクシミリアンが覚えている可能性もあったが、もう一年以上前のことだ。もしスカイがそこまで掴んでいないなら、わざわざエディが自分からぺらぺらと白状する必要はない。
「エディ」
一段と冷ややかな声で、スカイが言った。
「軍法会議に召喚されたら、同じことを言えるか?偽証罪は、降格は免れないよ」
「では召喚された時にお話ししますよ」
スカイ相手に、エディは一歩も引かなかった。
降格が何だというのだろう。エディにとって、アトゥイーは守るべき友だ。彼女のためなら何も惜しくなかった。
「エディ……頼むから協力してくれ。僕はアトゥイーの味方だ。軍法会議にかけられる前に、なんとか打てる手を探しているんだ」
エディはスカイの顔を見た。その表情からは真意は読み取れない。
「……アトゥイーと今の話と、なんの関係があるんです」
エディは慎重に言葉を選んで言った。
「単刀直入に言ったらどうですか」
「アトゥイーという名は、アルサーシャの戸籍にはどこにもない。あれは偽名だ。僕は彼女がいつから何故その名を名乗るようになったのか知りたい。アトゥイーはアトゥイーになる前、――恐らく娼婦をしていた時、何と名乗っていた?それもまた、本名ではないのか?」
「――ふふっ」
エディは乾いた笑いを漏らした。
「いや、ごめんなさい――でも、なんか失礼だな。アトゥイーが娼婦だとか――そんなわけないでしょう。マクシミリアンが何と言ったか知りませんけど、アトゥイーは同僚で、大切な友人なんだ。たとえ隊長でも、友達を侮辱されたらそりゃ――気分が悪いですよ、僕だって」
「……マクシミリアンは――」
スカイは静かに言った。周囲は色街に差し掛かっていた。道行く酔客に、薄い衣をまとった商売女達が声を掛けている。
「その娼婦の名は覚えていないと言っていた。ただ、覚えているのは――背中いっぱいに、鞭の跡のある女だと……エディ、君がそう言っていた、と」
エディは眼を閉じ、深い溜め息をついた。
スカイはなおも続けた。
「覚えているかな?アトゥイーが傭兵隊にいた頃だ。砂漠の戦闘で怪我をして……あれは17ポイントだったかな。僕は砦の廊下で君とぶつかった」
エディは唇を噛んだ。
「……」
エディはよく覚えていた。他でもないエディが、矢を受けたアトゥイーを落馬しないように支えたのだ。そして。
「上の部屋ではザハロフ中佐がアトゥイーの手当をしていた」
「……もう、いいです」
「アトゥイーの服を脱がせ、傷を洗い、包帯を巻いて、しかも」
「隊長、もう」
「負傷して動けないのをいいことに、ザハロフは彼女を強姦しかけた」
「やめてください!」
エディはスカイの胸ぐらを掴んでいた。スカイは眉ひとつ動かさずに続けた。
「止めに入った僕が見た彼女の身体には、それはもう数え切れない程の鞭の痕が――」
言い終わる前に、エディの拳がスカイの頬を殴りつけた。
「きゃあっ!」
近くにいた商売女達が悲鳴を上げた。
口中を切ったスカイはぺっと血を吐き出した。
「――で、君は彼女を抱いたの?」
「――――!」
エディはスカイに掴みかかった。今度はスカイも応戦し、激しい殴り合いになった。
それがスカイの挑発だと、エディには分かっていた。だがそれでも、許せなかった。
「アトゥイーは……アトゥイーはそんなんじゃない――!」
「金を払って、通っていたんだろう?何も恥ずべきことじゃない」
「違う!僕は――僕は!」
抱きたいと思わなかったわけじゃない。会えない夜は毎夜毎夜、会いたくて仕方なかった。ライラが消えて、アトゥイーとして再会して、それでも変わらずに恋していた。だけど。
「そんなこと、できるわけがない……」
スカイの拳がエディの鳩尾に入った。
「ぐふっ……」
スカイは間髪入れずにエディの脇腹を蹴り倒す。エディは地面に転がった。
エディの襟元を掴み上げて、スカイは言った。
「――さあ、案内してくれ。その娼館に」
「いやだ」
エディはスカイを睨みつけた。スカイは容赦なくエディの顔を殴りつけた。
「言えよ」
「いや……だ」
エディの顔は赤黒く腫れ上がり、鼻や口からは血が流れている。
「こら!お前たち、何をしている!」
誰かが通報したのか、市中警備兵が駆けつけてきた。スカイの胸の徽章を見て、慌てて敬礼する。
「ああ、すまない。ちょっと部下とじゃれてたんだ」
スカイはエディを放して、警備兵に言った。
「君たちも、怖がらせてすまなかったね」
遠巻きに見ていた女達にも、スカイは爽やかな笑顔を向けた。
「さあ、立てよ。賭けは俺の勝ちだな!ほら、もう一杯やってこうぜ。お前のおごりで」
そんなことを言いながら、スカイはエディを立たせると、肩を組んでその場を去った。
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