イシュラヴァール放浪記

道化の桃

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第七章 愛執編

王の殺意☆

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 ファーリアの細い首に手を掛けながら、マルスはぼんやりと記憶を辿っていた。
 それは、初めて出逢った夜だった。
 中途半端に欠けた月が出ていた。
 最初、少年かと思った。短い髪で兵士の出で立ちをしていたせいでもあるが、何よりもその動きが鮮やかだった。入り組んだ路地の崩れかけた階段をひらりひらりと駆けて、敵を倒していく。迷いなく命を奪っていく姿は、どこかこの世のものとは思えない美しさがあった。
 女だ、と思ったのは、声を聞いた瞬間だ。桜色の唇から発せられる、小鳥の鳴くような声に確信した。
 思えばその瞬間に、恋をしていた。
 名は、と、訊ねた。
 ファーリアは、何と答えたのだったか。
「……かは……っ……」
 気道を緩やかに塞がれたファーリアが苦しげに喉を波打たせ、マルスは現実へと引き戻された。
 ぎり、と手に力をこめる。
(……そうだ……なかなか名乗らなかったのだ、ファーリアは)
 あの夜、ファーリアが名乗るべきか迷っているのが、傍目にもわかった。口ごもり、逡巡し、終いには半ば脅されて、それでようやく発せられたのが。
「……アトゥイー……」
 マルスは呟いた。
 それもまた偽名だった。シハーブが戸籍を調べて、そんな人間はいないと言った――。
 マルスは、首を絞めていた手を緩めた。
「…………げほ!がはっ!……ハァッ……ハァッ……」
 空気を吸い込んだファーリアが咳き込む。
 マルスは再び呟いた。
「……ユーリ……アトゥイー……」
 びくっとファーリアの肩が震えた。
「……同じ名だ……」
 偶然か。
(――あの日、名前を問われて答えに窮して、その名を口にした――偶然?)
 いや。
「偶然など……ない……」
 そう、すべての物事は必然的に起きている。ただその事象同士の繋がりが、見えていないだけ――。
(もしくは、見ようとしなかったのか)
 ファーリアを欲するあまり、その可能性に目を向けようとしてこなかった。つまり、ファーリアに男がいるという可能性だ。
「……げほっ……げほっ……」
 まだ咳き込みながら、ファーリアは寝台の上で後退った。
「ユーリ・アトゥイー」
 マルスが繰り返す。
「けほっ……」
「そうなのか?アルヴィラで、そなたを抱いた男は」
 ファーリアは答えない。
「ユーリ・アトゥイーなのか!?答えよ!!」
 ファーリアは黙ったまま、真っ直ぐにマルスを見返した。
「まさか……最初から、通じて……?」
 マルスの声は、怒りと屈辱に震えている。
「違う」
「この期に及んで、そなたの何を信じろというのだ!」
 ファーリアとの蕩けるような日々が、マルスの脳裏に去来する。
「謀反人と通じて、私を籠絡しに来たのか」
「違う――あ!」
 マルスはファーリアを押し倒し、一気に穿ち抜いた。
「そなたに溺れてゆく私の姿を、陰では嘲笑っていたのか」
「違……っ」
 マルスはもう数え切れないくらい射精を繰り返しているのに、その器官は一向に衰える気配がなかった。感情のたかぶりに呼応して、幾度でも固く大きく張り詰める。
 ファーリアの躰もまた、マルスを歓喜して受け入れる。局部が赤く腫れ上がるほどに犯され続けて、もはや痛みしか感じないのに、それでもマルスが侵入してくるとぴったりと吸い付いて締め付けた。夜毎マルスと愛し合った記憶を躰が覚えている。
「ああ……っ」
「愚かな王よと嗤っていたのか!」
 ファーリアの子宮を激しく突き上げながら、マルスは再びファーリアの首に手を掛けた。
「グッ」
 喉を塞がれて、ファーリアは声もなく口を開閉させた。いっぱいに見開いた目尻から涙が零れ落ち、口の端からも涎がひとすじ流れた。
 やがて粘膜がぎゅううっと収縮し、打ち込まれた楔を目一杯締め上げた。
「――くっ……」
 マルスは一瞬、全てを忘れて恍惚とした。

 ふわりと身体が宙に浮くような感覚の後、一瞬だけファーリアの意識が途切れた。
 ふと見下ろすと、寝台の上でマルスに首を絞められている自分の姿がある。
 とても不思議な気分だった。離れた場所から、自分自身を見つめている。鏡で見るのとは違う、見たこともない角度から――。
(あ……っ……!)
 突然、霧が晴れるように迷いが晴れていくのが分かった。
 誰かが言っていた。どうやら歴史の歯車に巻き込まれているようだ、と。
 マルスも、ファーリアも、ユーリも、歯車のひとつにすぎない。
 複雑に絡み合い、紡がれてゆく運命の歯車。
(こんなところで――こんなことで、死ねない)

「――っは!」
 マルスは我に返って手を放した。いつの間にかファーリアの中に射精してしまっている。
 ファーリアは青白い顔で横たわっていた。呼吸音は聞こえない。
(殺してしまったか――?)
 マルスは背筋がぞくりとした。
「ファー……リア……?」
 蝋のようなファーリアの顔に、恐る恐る触れた。その指先は冷え切って、小刻みに震えている。
「あ……あ……」
 人を斬り殺したことも、撃ち殺したこともある。死体を見たことなど数え切れない。男も女も。子供の死体だけは心が痛んだ。
 だが、今のこの感情はなんだろう。悲しみでも罪の意識でもない。
 強いていえば恐怖に近い、強烈な。
「ファーリア……っ」
 絞り出すようにもう一度呼んだ、その時。
「――ヒィッ……!」
 ファーリアは胸を大きく波打たせて、息を吹き返した。
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