イシュラヴァール放浪記

道化の桃

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第七章 愛執編

女の謀略

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 イシュラヴァールは総じて乾いた土地なのに、監獄の空気だけ湿っているのはなぜだろう、と女は思った。
 足を踏み入れた瞬間から、まとわりつくように悪臭が漂っている。女はそっと袖で口と鼻を覆った。その袖口が視界に入り、いつもの繊細な文様が織り込まれた衣ではなく、土色の質素な古着を着ていたことを思い出した。
「面会だって?」
 悪臭が顔面の皮膚にまで染み付いたような顔色の獄吏が女をじろりと睨みつけた。ごわついた髪は脂ぎった艶を纏って顎髭まで繋がり、唇はいやらしく歪み、吊り上がった太い眉の下には品定めするような眼差しが光っている。女はこんな男の目に触れるだけで身が汚れるような思いがして、おぞけだった。
「ええ」
 極力短く答える。会話を交わすだけで嫌悪感が走る。
「なんて名だ」
 女は囚人の名を伝えた。
「そいつらは独房だな。看守に案内させる。ここで待て」
 獄吏は面会相手の名を帳面に走り書いてから、女に椅子を勧めた。
 女は清潔感という言葉からは程遠い椅子を一瞥し、立っていることに決めた。
「結構ですわ」
 獄吏はにやりと笑うと、看守を呼びつけて何事か囁いた。
「今、ちょっと取り込み中でな。少し時間がかかりそうだ」
「取り込み中……?」
 女は怪訝そうに聞き返した。こんな場所に長居したくはない。さっさと用を済ませて外の空気を胸いっぱい吸いたかった。
「ああ……ほら、聞こえねぇかい?」
 獄吏は何が愉しいのか、にたにたと笑みを浮かべて手の平を耳元に当ててみせた。
 女が耳を澄ますと、遠くから呻き声が聞こえてきた。それが拷問を受ける虜囚のものだと気付いて、女は顔色を変えた。
「……うッ……」
 ハンカチを取り出して口元を押さえた女を、獄吏はにたにたとめ回している。
 ややあって先程の看守が戻ってきて、獄吏に目配せをした。獄吏が頷く。
 その様子に、女は違和感を感じた。獄吏がいきなり姿勢を正したように見えたからだ。つい今しがたまでだらりと片足に重心をおいて腹を突き出していたというのに、背筋を伸ばし、まっすぐに脇に下ろした腕は指先まで神経が行き届いている。
 看守の後から入ってきた人物には見覚えがあった。
「――シハーブ殿……!」
「いつ来るかいつ来るかと待ちわびていた――さあ、その手に持っているものを見せてもらおう」
 女は腕に下げていた籠を背中に回した。
「ただの、差し入れですわ……親類が囚われていますので」
「ほう。後宮付きの女官の親類が獄中にいるとは穏やかでない。誰だ?」
 女が答えないので、シハーブは獄吏を振り返った。
「面会相手は先週入った兵士です。三人揃って投獄された」
 獄吏が先程の帳面をシハーブに手渡した。
「くっ!」
 女は籠の中に忍ばせていた小瓶をあおった。
「こいつ――!」
 一瞬のことだった。獄吏が女に飛びついて口に手を突っ込んだが、遅かった。ぎゃあおうう……、と断末魔の叫びを上げ、女は息絶えた。
「やられた……毒だ」
 獄吏が女の脈を確認して言った。
「……よい。この小瓶とその女の死体だけで証拠になろうよ」
 シハーブは僅かに憐れむような目で女を一瞥した。
(主人に命令されて、従うしかなかったのだろうが……哀れというべきか、愚かというべきか)
 とにかく重要な証人を暗殺されることは防いだ。バラドで軍規違反で捕らえられた兵士たちが、しきりに「命じられた」と訴えていたと聞き、誰かが口封じに現れると踏んで手を回していたのが奏功した。
 だが、新たな問題がシハーブを悩ませていた。
 死んだ女は、サラ=マナ付きの女官だ。
 ファーリアの一件でマルスの精神が今とても危うい状態なのは火を見るより明らかだ。そこに加えて第一側室の陰謀など。
(――言えるか、今のマルス様に)
 シハーブは重苦しい表情のまま、監獄を後にした。
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