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第六章 アルナハブ編
地下迷宮
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急すぎる階段は途中からすっかり斜面になった。煉瓦が敷かれていたはずの床もいつのまにか地面がむき出しになっている。
ほとんど滑り降りるようにして、アトゥイーとリンは通路の底まで辿り着いた。
「ここは……」
薄暗い照明の中、目の前にぽっかりと闇が口を開けていた。
闇への入り口には、鉄格子の扉がついている。
と、その時。どしん!と衝撃がアトゥイーの背中を打った。たった今アトゥイーたちが降りてきた通路から、人が転がり落ちてきたのだ。
「ぐっふ!」
「痛ってぇーーー………」
咄嗟に剣を構えてアトゥイーは振り返る。だが、地面に座り込んで後ろ頭を撫でているのは、近衛隊のヨナだった。アトゥイーよりも少し年長だが、歳が近いので気の置けない仲間だ。
「ヨナ!」
「お前なぁ、勝手に走って行き過ぎだよ!追いかけるこっちの身にもなりやがれ!」
「追いかけて……きたの?」
思いがけない言葉に、思わずアトゥイーは聞き返す。スカイが同行の近衛隊員たちにアトゥイーを守れと命じたことをアトゥイーは知らなかった。
「スカイ隊長に、死んでも無事に連れ帰れって凄まれたからな。……あれ?『死んでも無事に』っておかしくねぇ?『死ぬ気で無事に』だったかな?まぁいーや。いやー、まるっとうまく治まるとはさすがに思っていなかったけど、まさかこんな事態になるとはなぁ」
「……ごめん」
「なんでアトゥイーが謝るんだ?」
横からリンが言った。
「だって……わたしのせいで、危険な目に……」
アトゥイーは申し訳ない気持ちでいっぱいだった。
「……わたしなんかのために……」
だがリンは、何を言っているのかわからない、とでも言いたげな顔だ。
「スカイがヨナに命令したことであって君の意志ではないんだろう?君の預かり知らぬところで交わされた会話を後から知って、勝手に責任感じて、謝るしかできないとでも言いたげに下向いて謝って。それで謝られた側が嬉しいとでも思っているのか?君の態度からは甘えと卑屈さしか感じない。悪いけど」
「……っ」
甘え。
そんなふうに見られているとは思わなかった。アトゥイーは唇を噛む。
「君の劣等感は君の問題であって、任務とは関係ない。スカイは近衛隊長の立場から必要があってそう命じたのだし、ヨナは隊員としてスカイの命令を遂行しているだけだ。もう一度言う、君の劣等感とは、関係ないんだ」
傭兵隊の仲間として何度か共に戦ったリンの言葉は、アトゥイーの胸にぐさぐさと刺さる。彼の冷静さも手伝って、それはあまりに正論で、アトゥイーは恥ずかしさに涙が出そうになった。
「――わかったら、くだらない感傷を戦場に持ち込まないでくれ」
「まあまあ。アトゥイーもなんだかめんどくさい立場みたいだし、俺だってそこんとこ理解できないわけじゃないからさ。それに、俺は命令以前に戦友としてアトゥイーのことは大切だからな」
ヨナの優しさが心に沁みる。アトゥイーは本当に涙が出かけて、顔を伏せた。
「何より、上よりここが危険かなんてわかんないぜ?」
そう言いながら、ヨナは鉄格子の扉に手をかける。予想に反して、その扉に鍵はかかっておらず、ギィと軋んでたやすく開いた。
「……開いた」
ヨナがアトゥイーとリンを振り返る。
「……まあ、戻るわけにもいかないし」
背後には先程の通路しかない。
三人はひとつ頷き合って、暗闇へと足を踏み入れた。
「俺たちを追ってきた奴らは?」
リンがヨナに訊ねる。
「ああ、奴ら、ここに落ちたらもう助からないからって、引き上げてったよ。ここ、相当やばいところらしいぜ」
ヨナは辺りを窺うように視線を巡らす。
アトゥイーも、気付いていた。恐らくはリンも。
緊迫した空気の中。
……フーッ……フーッ……フーッ……
かすかな息遣いが聞こえてきて、それがだんだん大きくなる。
……フーッ……フーッ……フーッ……
……フゥーッ……フゥーッ……フゥーッ……フゥーッ……
……フーッ……フーッ……フーッ……フフーッ……フフゥーッ……フゥーッ……
大きく、そして。
「……増えてる……」
アトゥイーの呟きに、ヨナが頷き、三人は背中合わせに身構えた。リンが短銃を構える。
アトゥイーは背中にリンの気配を感じた。背後をアトゥイーに任せきって、前方にすべての意識を集中している。
ああそうか、とアトゥイーは思う。
(リンはわたしを本当に対等な仲間だと認めてくれているんだ)
だから、甘えるなと言ったのだ。劣等感を持つ必要なんかないと。そんなものは捨てて、さっさと同じ場所に上がってこいと。
リンもヨナもサハルも皆、とっくにアトゥイーを対等な仲間と認めていると。
息遣いの主の数が、増えていく。三人、五人、六人……十人……二十……。
「……っ、一体何人いやがる……っ!」
ヨナが焦れた声で言う。暗闇の中、無言の呼吸音に取り囲まれる。
「ねえ、ここが上より安全かも、ってさっき言った?」
アトゥイーが隣で剣を構えるヨナに言った。
「相対的な話だから、こっちが安全だとは言ってない」
ヨナが混ぜ返す。
三人はしばらくそうやって臨戦態勢を取っていたが、ふとリンが言った。
「……殺意がない」
リンは銃を下ろした。
アトゥイーとヨナも構えを解き、抜き身のままの剣を下ろす。
と、ふわりと弱い明かりが幾つか灯った。
闇に包まれていた空間が現れ、まず天井の低さに驚く。そしてその天井は、ごつごつとした奇怪な形に突き出しているのだ。
「なに、ここ……」
「……鍾乳石だ……」
リンが呟いた。
床面は起伏のある岩場だが、長年の間に歩行者によって削られたのか、表面はつるりとしている。
その空間自体はそこまで広さはなかったが、ずっと奥の方まで続いていて、ざっと見渡した限りでも無数の分岐路が見て取れる。
そこに、うじゃうじゃと人間がいた。
「……っ、あんたたち、何者なんだ……?」
人々から発せられる異臭にむせそうになりながら、ヨナが言った。彼らは一様に生気のない顔つきをし、元が何色だったのか分からないほど汚れ且つ擦り切れた衣類を身につけ、裸足の足は皮膚がぶよぶよと膨れ上がり、そこここで固く痘痕になり、更にそれが半分ふやけて、歪な形状に成り果てていた。
「鍾乳洞だ、ここは……こんな場所が月光宮の地下にあったなんて」
リンが言った。
鍾乳洞の奥は、アトゥイーたちがいる場所よりも少し高く、広くなっている。明かりはそこの天井から差していた。
ジリリリリリリリ!
突然けたたましいベルが鳴り、人々が一斉に奥を向いた。
ドサドサドサッと何かが上から落ちてきて、皆が我先にと走り寄って群がる。
「な、何!?」
アトゥイーたちは彼らの行き先を注視する。すると、最後に、ドサーッと大きな塊が落ちてきた。
「きゃあああっ!」
「……えっ!?」
三人が驚いたのは、その落ちてきたのが人間で、更に激しく見覚えがあったからである。
「……い……ったぁーーー……」
三人は人混みを掻き分けて駆け寄った。
「サハル!」
落ちてきたのは、近衛隊の女兵士だった。
「うぎゃあ!なんだこれ!?」
サハルが叫んだのも道理、サハルは大量の食物……というよりも、食べ残しの生ゴミと共に落ちてきたのだ。
地下の住人たちはサハルには目もくれず、その残飯に群がって喰い付き始めた。
「アトゥイー!ヨナ!リン!無事だったのね!」
残飯と人の山を乗り越えて、サハルはアトゥイーたちの前まで辿り着く。
「お前なぁ……なんでいきなり上から落ちてくるんだよ?」
ヨナが呆れた調子で言う。
「いやー……謁見の間いたら私の腕じゃ絶対死ぬもん。とりあえず逃げようと思って闇雲に走ったら、なんかおいしそうな匂いがしたからさあ」
「呑気だな、おい」
ヨナの合いの手を完全に無視して、サハルは続ける。
「行ってみたら厨房みたいな部屋に出ちゃってね。でも見つかっちゃって、残飯と一緒にここに落っことされちゃって」
「本物のバカか、お前は」
ヨナが溜息をついた。
「……残飯か……」
落ちてきた食料に群がる人々を、アトゥイーはあらためて眺めた。
(奴隷……)
ジャヤトリアの屋敷で出た食べ残しを、まるで家畜の餌のように与えられていた記憶が蘇る。
今、自分の腹は満たされている。だからこの光景がおぞましい、と思うけど。
(でも、おなかがすいてたら……わたしも食べてる)
その饐えた味が舌の奥に広がる。それが忘れたはずの記憶の欠片だとわかっていても。
切ない。
生きる以前に、食べることしかできない人たち。それが腐りかけていても、誰かの歯形がついていても、それすら食べられない日々が続いたら。
きっと食べている。
食べるしかないから。食べて一日を生き延びる意味を考えることもなく。
同じ人間に生まれて。
「……ここは地獄か……?」
ヨナが言う。
「ここは牢獄だ。あれは囚人の餌場。もっとも、地獄と言っても差し支えないと思うけれども」
唐突に響いた声の方向を見ると、林のように連なり垂れる鍾乳石の合間に、青くぼうっと浮かび上がる人影があった。
「誰だ!」
ヨナが誰何の声を掛ける。
青白い逆光の中に浮かび上がったのは、線の細い男のシルエットだ。
「君たちはイシュラヴァール人か」
そう、男は滑らかなイシュラヴァール語で言った。
「そうだ。和平協定の使節として宰相を訪ねて参った」
ヨナが答える。
「その使節がなぜ、このような場所に?何か罪でも犯したか?」
「……あなたは誰だ?」
アトゥイーが訪ねた。どう見ても腐肉に群がる獄囚とは毛色が違う。
「私はヤーシャールだ」
四人は息を呑んだ。
「ヤーシャール王子……!」
それは六人の王子と十人以上の王女を産み出したアルナハブ王家の、第五王子ヤーシャールその人だった。
ほとんど滑り降りるようにして、アトゥイーとリンは通路の底まで辿り着いた。
「ここは……」
薄暗い照明の中、目の前にぽっかりと闇が口を開けていた。
闇への入り口には、鉄格子の扉がついている。
と、その時。どしん!と衝撃がアトゥイーの背中を打った。たった今アトゥイーたちが降りてきた通路から、人が転がり落ちてきたのだ。
「ぐっふ!」
「痛ってぇーーー………」
咄嗟に剣を構えてアトゥイーは振り返る。だが、地面に座り込んで後ろ頭を撫でているのは、近衛隊のヨナだった。アトゥイーよりも少し年長だが、歳が近いので気の置けない仲間だ。
「ヨナ!」
「お前なぁ、勝手に走って行き過ぎだよ!追いかけるこっちの身にもなりやがれ!」
「追いかけて……きたの?」
思いがけない言葉に、思わずアトゥイーは聞き返す。スカイが同行の近衛隊員たちにアトゥイーを守れと命じたことをアトゥイーは知らなかった。
「スカイ隊長に、死んでも無事に連れ帰れって凄まれたからな。……あれ?『死んでも無事に』っておかしくねぇ?『死ぬ気で無事に』だったかな?まぁいーや。いやー、まるっとうまく治まるとはさすがに思っていなかったけど、まさかこんな事態になるとはなぁ」
「……ごめん」
「なんでアトゥイーが謝るんだ?」
横からリンが言った。
「だって……わたしのせいで、危険な目に……」
アトゥイーは申し訳ない気持ちでいっぱいだった。
「……わたしなんかのために……」
だがリンは、何を言っているのかわからない、とでも言いたげな顔だ。
「スカイがヨナに命令したことであって君の意志ではないんだろう?君の預かり知らぬところで交わされた会話を後から知って、勝手に責任感じて、謝るしかできないとでも言いたげに下向いて謝って。それで謝られた側が嬉しいとでも思っているのか?君の態度からは甘えと卑屈さしか感じない。悪いけど」
「……っ」
甘え。
そんなふうに見られているとは思わなかった。アトゥイーは唇を噛む。
「君の劣等感は君の問題であって、任務とは関係ない。スカイは近衛隊長の立場から必要があってそう命じたのだし、ヨナは隊員としてスカイの命令を遂行しているだけだ。もう一度言う、君の劣等感とは、関係ないんだ」
傭兵隊の仲間として何度か共に戦ったリンの言葉は、アトゥイーの胸にぐさぐさと刺さる。彼の冷静さも手伝って、それはあまりに正論で、アトゥイーは恥ずかしさに涙が出そうになった。
「――わかったら、くだらない感傷を戦場に持ち込まないでくれ」
「まあまあ。アトゥイーもなんだかめんどくさい立場みたいだし、俺だってそこんとこ理解できないわけじゃないからさ。それに、俺は命令以前に戦友としてアトゥイーのことは大切だからな」
ヨナの優しさが心に沁みる。アトゥイーは本当に涙が出かけて、顔を伏せた。
「何より、上よりここが危険かなんてわかんないぜ?」
そう言いながら、ヨナは鉄格子の扉に手をかける。予想に反して、その扉に鍵はかかっておらず、ギィと軋んでたやすく開いた。
「……開いた」
ヨナがアトゥイーとリンを振り返る。
「……まあ、戻るわけにもいかないし」
背後には先程の通路しかない。
三人はひとつ頷き合って、暗闇へと足を踏み入れた。
「俺たちを追ってきた奴らは?」
リンがヨナに訊ねる。
「ああ、奴ら、ここに落ちたらもう助からないからって、引き上げてったよ。ここ、相当やばいところらしいぜ」
ヨナは辺りを窺うように視線を巡らす。
アトゥイーも、気付いていた。恐らくはリンも。
緊迫した空気の中。
……フーッ……フーッ……フーッ……
かすかな息遣いが聞こえてきて、それがだんだん大きくなる。
……フーッ……フーッ……フーッ……
……フゥーッ……フゥーッ……フゥーッ……フゥーッ……
……フーッ……フーッ……フーッ……フフーッ……フフゥーッ……フゥーッ……
大きく、そして。
「……増えてる……」
アトゥイーの呟きに、ヨナが頷き、三人は背中合わせに身構えた。リンが短銃を構える。
アトゥイーは背中にリンの気配を感じた。背後をアトゥイーに任せきって、前方にすべての意識を集中している。
ああそうか、とアトゥイーは思う。
(リンはわたしを本当に対等な仲間だと認めてくれているんだ)
だから、甘えるなと言ったのだ。劣等感を持つ必要なんかないと。そんなものは捨てて、さっさと同じ場所に上がってこいと。
リンもヨナもサハルも皆、とっくにアトゥイーを対等な仲間と認めていると。
息遣いの主の数が、増えていく。三人、五人、六人……十人……二十……。
「……っ、一体何人いやがる……っ!」
ヨナが焦れた声で言う。暗闇の中、無言の呼吸音に取り囲まれる。
「ねえ、ここが上より安全かも、ってさっき言った?」
アトゥイーが隣で剣を構えるヨナに言った。
「相対的な話だから、こっちが安全だとは言ってない」
ヨナが混ぜ返す。
三人はしばらくそうやって臨戦態勢を取っていたが、ふとリンが言った。
「……殺意がない」
リンは銃を下ろした。
アトゥイーとヨナも構えを解き、抜き身のままの剣を下ろす。
と、ふわりと弱い明かりが幾つか灯った。
闇に包まれていた空間が現れ、まず天井の低さに驚く。そしてその天井は、ごつごつとした奇怪な形に突き出しているのだ。
「なに、ここ……」
「……鍾乳石だ……」
リンが呟いた。
床面は起伏のある岩場だが、長年の間に歩行者によって削られたのか、表面はつるりとしている。
その空間自体はそこまで広さはなかったが、ずっと奥の方まで続いていて、ざっと見渡した限りでも無数の分岐路が見て取れる。
そこに、うじゃうじゃと人間がいた。
「……っ、あんたたち、何者なんだ……?」
人々から発せられる異臭にむせそうになりながら、ヨナが言った。彼らは一様に生気のない顔つきをし、元が何色だったのか分からないほど汚れ且つ擦り切れた衣類を身につけ、裸足の足は皮膚がぶよぶよと膨れ上がり、そこここで固く痘痕になり、更にそれが半分ふやけて、歪な形状に成り果てていた。
「鍾乳洞だ、ここは……こんな場所が月光宮の地下にあったなんて」
リンが言った。
鍾乳洞の奥は、アトゥイーたちがいる場所よりも少し高く、広くなっている。明かりはそこの天井から差していた。
ジリリリリリリリ!
突然けたたましいベルが鳴り、人々が一斉に奥を向いた。
ドサドサドサッと何かが上から落ちてきて、皆が我先にと走り寄って群がる。
「な、何!?」
アトゥイーたちは彼らの行き先を注視する。すると、最後に、ドサーッと大きな塊が落ちてきた。
「きゃあああっ!」
「……えっ!?」
三人が驚いたのは、その落ちてきたのが人間で、更に激しく見覚えがあったからである。
「……い……ったぁーーー……」
三人は人混みを掻き分けて駆け寄った。
「サハル!」
落ちてきたのは、近衛隊の女兵士だった。
「うぎゃあ!なんだこれ!?」
サハルが叫んだのも道理、サハルは大量の食物……というよりも、食べ残しの生ゴミと共に落ちてきたのだ。
地下の住人たちはサハルには目もくれず、その残飯に群がって喰い付き始めた。
「アトゥイー!ヨナ!リン!無事だったのね!」
残飯と人の山を乗り越えて、サハルはアトゥイーたちの前まで辿り着く。
「お前なぁ……なんでいきなり上から落ちてくるんだよ?」
ヨナが呆れた調子で言う。
「いやー……謁見の間いたら私の腕じゃ絶対死ぬもん。とりあえず逃げようと思って闇雲に走ったら、なんかおいしそうな匂いがしたからさあ」
「呑気だな、おい」
ヨナの合いの手を完全に無視して、サハルは続ける。
「行ってみたら厨房みたいな部屋に出ちゃってね。でも見つかっちゃって、残飯と一緒にここに落っことされちゃって」
「本物のバカか、お前は」
ヨナが溜息をついた。
「……残飯か……」
落ちてきた食料に群がる人々を、アトゥイーはあらためて眺めた。
(奴隷……)
ジャヤトリアの屋敷で出た食べ残しを、まるで家畜の餌のように与えられていた記憶が蘇る。
今、自分の腹は満たされている。だからこの光景がおぞましい、と思うけど。
(でも、おなかがすいてたら……わたしも食べてる)
その饐えた味が舌の奥に広がる。それが忘れたはずの記憶の欠片だとわかっていても。
切ない。
生きる以前に、食べることしかできない人たち。それが腐りかけていても、誰かの歯形がついていても、それすら食べられない日々が続いたら。
きっと食べている。
食べるしかないから。食べて一日を生き延びる意味を考えることもなく。
同じ人間に生まれて。
「……ここは地獄か……?」
ヨナが言う。
「ここは牢獄だ。あれは囚人の餌場。もっとも、地獄と言っても差し支えないと思うけれども」
唐突に響いた声の方向を見ると、林のように連なり垂れる鍾乳石の合間に、青くぼうっと浮かび上がる人影があった。
「誰だ!」
ヨナが誰何の声を掛ける。
青白い逆光の中に浮かび上がったのは、線の細い男のシルエットだ。
「君たちはイシュラヴァール人か」
そう、男は滑らかなイシュラヴァール語で言った。
「そうだ。和平協定の使節として宰相を訪ねて参った」
ヨナが答える。
「その使節がなぜ、このような場所に?何か罪でも犯したか?」
「……あなたは誰だ?」
アトゥイーが訪ねた。どう見ても腐肉に群がる獄囚とは毛色が違う。
「私はヤーシャールだ」
四人は息を呑んだ。
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