イシュラヴァール放浪記

道化の桃

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第五章 恋情編

シハーブ家の養子

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「――そうそう、アトゥイーの件ですが」
 沈黙を破ったのはスカイだった。
「シハーブ様、例の件、お考えいただけましたか?」
「ああ、私の養子にという話だろう。問題ない、話は通してある」
「え……?」
 アトゥイーはようやくかすれた声で聞き返した。口の中がからからに乾いていた。
「きみ、後宮から出たいって言ってたでしょう。シハーブ様が後見についてくださって、シハーブ様のお屋敷に入れてもらえることになったんだよ」
 スカイが説明するが、アトゥイーは話についていけない。頭の中はユーリのことでいっぱいだった。
「なるほど。考えたな、スカイ」
 マルスが言った。
「側室ならともかく、正妃に迎えられるならきちんとした家の後ろ盾が必要ですからね。その点シハーブ様なら申し分ないかなと」
「後宮がこれ以上ざわつくのは私としてもいただけませんからな。幸い私には子もいませんし、丁度いいという話になりまして」
「シハーブ様のお屋敷であれば王宮のすぐ目の前ですし、陛下も色々と便利じゃないですか?」
「スカイ、ひとこと多い」
 当事者であるアトゥイーを差し置いて進んでいく会話を、アトゥイーはぼんやりと聞いていた。まるで別の世界で繰り広げられている話のようだった。

 数日後、アトゥイーは後宮を出て、シハーブの家に移った。
 王国を巡る情勢が緊迫化していたこともあり、諸々の手順は簡単に済まされた。
 シハーブの家は本当に王宮の門を出てすぐ前の区画にあった。宮殿とは比ぶべくもないが、それでも十分に広大な敷地に、華美ではないが重厚な屋敷が建っている。
 引越しに先立って、アトゥイーはシハーブの家に挨拶に行った。
 シハーブの家は代々官吏を務めてきた家柄だった。シハーブの父は老いてはいたがまだ壮健で、威厳に溢れる容貌と態度でアトゥイーを迎えた。母は既に他界したといい、後妻が横に控えていた。
「近衛兵だとか」
「はい」
「その若さで、さぞ腕が立つとみえる。知識もそれに見合うよう、よく学ぶように。あとで我が家の図書室に案内させよう」
「ありがとうございます」
「女の身で気を遣うことも多かろうが、我が家と思って寛いで過ごしてくれたまえ」
 敷地内にはシハーブの姉夫婦の一家と、まだ独立していない弟が二人住んでいたが、姉を除くと総じて生真面目な性格のようで、家の中は概ね静かだった。
 アトゥイーに充てがわれた一室は、後宮で使っていた部屋と大差ない広さだった。が、さすがに使用人の部屋とは違って調度品にどこか温かみを感じた。それはちょっとした遊び――動物を模した置物や、素朴な一輪挿しや、端切れで作ったようなキルティングの掛け布団など――が作り出す家庭的な雰囲気で、家族を持ったことのないアトゥイーにも不思議と安らぎを与えた。

 引越しの日の朝、エディから借りていた本を返しに、アトゥイーは久しぶりに軍部の兵舎を訪れた。
「いままでありがとう。シハーブ様のお屋敷には図書室があるから、しばらくはそこの本を読んでみるわ」
「そっか。図書館があるなんて、すごいお屋敷なんだろうな」
 本を受け取ったエディは、代わりに一冊の本を差し出した。
「これは貸すんじゃなくて、君にプレゼントしたいんだ。受け取ってくれるかな」
 それは深い臙脂色の表紙に金箔で文字が押された、美しい装丁の本だった。
「エディ……ありがとう。きれいな本だ」
 アトゥイーはその金色の文字を指で撫でて言った。それは最初に本を貸したときからのアトゥイーの癖だった。
「……おめでとう、なのかな」
 エディはためらいがちに言った。
「気が早いわ。戦争も始まるっていうのに」
 アトゥイーは小さく笑った。
 エディもつられて笑う。それから眩しいような、少し懐かしむような目でアトゥイーを見つめた。
「最後に、一回だけ呼ばせて」
「なに?」
 本から顔を上げたアトゥイーをまっすぐに見つめて、エディは言った。
「さようなら、ライラ。好きだった」
 どうして別れなんか、と、アトゥイーはまた笑おうとしたが、笑えなかった。
 代わりに両手を伸ばすとエディを抱き締めた。
「エディ、友だちになってくれてありがとう」
「うん、アトゥイー。君は一生の友だちだ」
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