イシュラヴァール放浪記

道化の桃

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第三章 王宮編

酒場

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 夢も見ないで眠りたい――。

 ララ=アルサーシャからは合計五本の街道が各地方に向かって伸びている。
 西に向かう街道はすぐ近くの港町レーまでを繋ぎ、東へ向かうイシュラヴァール街道は砂漠を横断して、隣国アルナハブまで続いている。北へ向かう街道は、数千年前から栄えていたといわれる地域へと向かっていたが、二百年前の地殻変動でかつての大国は粉々に海に没した。今は小さな島が点在するその海では、細々と漁業を営む人々が僅かにいるのみである。南へ向かうバハル街道は、同じく砂漠をしばらく南下して海に出ると、そのまま海岸線沿いに半島の南端まで続いている。南東へ向かう砂漠街道は、総延長は最も長く、広大な砂漠にひたすら伸びて、やがて無数の交易路に分岐していく。砂漠街道は別名バーディヤ街道とも呼ばれ、分岐した交易路は砂漠に生きる遊牧民たちの生活圏に網の目のように広がっていた。
 その南東の門のすぐ脇にある酒場に、帽子を目深まぶかにかぶった男が美しい鹿毛の馬で乗り付けた。後からもう一騎、髭面の男が続く。
「いらっしゃい。お二人で?」
「待ち合わせだ」
 暗い店内には白い水煙草の煙が立ち込めて、客たちの顔は判然としない。帽子の男は、店の奥で半ば机に突っ伏すようにして酒を飲んでいる男を見つけ、横に座る。
「もうよせ、アトゥイー」
 ユーリの手から酒瓶を取り上げると、帽子の男は言った。くん、と瓶の口を嗅ぐ。
「しかもこれ、蒸留酒アラックじゃないか」
「……ジェイクか」
 ユーリは顔も上げずに言った。
「お前、酒なんか飲めないくせに」
「ほっといてくれ」
 ユーリはジェイクの手から酒瓶を取り返し、勢いよく煽った。
「……げふっ、ゲホゴホッ」
 むせて咳き込むユーリの背を、ジェイクがさする。
 砂漠の遊牧民にはあまり飲酒の習慣がない。その由来は古い戒律によるものだ。たまに飲用されるのは、ラクダの乳を発酵させたごく弱い乳酒のみである。
 酒の代わりに、水煙草は多くの遊牧民が慣れ親しんでいた。この国の酒場にはそういう客のために水煙草も置いてある店が多い。
「ほっとけよ……水煙草じゃ酔えないんだ」
 あれからユーリは、ファーリアを探して昼も夜もアルサーシャの街を歩き回っていた。ひと月以上かけて、もう探していない場所はないというくらい探し尽くし、諦めて街を出ようとして、それでももしかしてまだ街の中にいるのかもしれないと迷い、結局ここ一週間ほどは街道の入口に留まって出入りする人の流れをただ眺めていた。
 夜、寝ようとすると、あの日が蘇る。毎晩、あの碧い眼と闘っては負け続けている。見てもいないのに、あの薄暗い部屋で夜毎よごとさいなまれるファーリアの姿が目に浮かぶ。
 ユーリは眠れなくなった。夢は後悔の塊だ。目を閉じると眠りより先に襲ってくる。
 眠れなくて酒を飲んだ。慣れない酒を飲み続けると、いつしか眠っていた。目覚めた時の頭痛と吐き気が、ままならない罪悪感を少しだけ和らげてくれるような気がした。
 ジェイクは初めて見る弱り切った友人の姿に、半ば呆れ、半ば同情した。
「大の男が女のせいで酔い潰れて泣いている姿なんて見られたもんじゃないな」
「……泣いてない」
「まあ、そうまで想える相手がお前にできて、俺は嬉しいよ。女に興味がないのかと心配していたからな」
「そうだそうだ。ユーリはいつだって言い寄ってくる女たちを袖にして、飄々としやがって」
 それまで黙って聞いていた髭の男――ハッサが言うと、ジェイクの手から酒瓶を奪って自分も飲んだ。
「手に入らない女のことなんか、酔っ払って全部忘れちまえ!俺なんて恋人どころか、女に言い寄られたことすらないんだからな!くそ!」
「いや、ハッサ、今はそういう話ではなくて――」
 ジェイクがハッサから酒瓶を取り上げる。
「じゃあどういう話だって言うんだ。同じじゃないか」
 ハッサが再び酒瓶を取り返し、ぐびりと飲む。
「同じだ同じだ。どうせ俺は女ひとり救えない駄目な男だ」
 今度はユーリに酒瓶が回る。ぐびぐびと浴びるように飲むユーリから、ジェイクが慌てて酒瓶を取り上げた。
「だから、こんな強い酒をそんなふうに飲むんじゃない!後で酷い目にあうぞ!」
 そのジェイクの手から、更に酒瓶を取り上げた者がいた。
「酷い目になんかあわないよ。うちの酒は最上級品だ。悪酔いしない」
 三人はジェイクの背後に立った男を見上げる。男は手にしたグラスに酒を注いで、ひとくち口に含んで言った。
「やあ皆さん、お揃いで。奥に料理も用意させている。話はそこでしよう」
 優雅な手付きで店の奥を指す。ひと目で高価なものと分かる総刺繍の上衣に、磨き込まれた革靴、派手な色のクラバットは絹だ。「ララ=アルサーシャいちの放蕩息子」カスィムの出で立ちには、一分の隙もない。
「――ああ」
 ジェイクとハッサが立ち上がる。
「……お前も来るんだよ、アトゥイー!」
 ジェイクが座ったままのユーリの腕を掴む。が、酔いの回ったユーリは数歩歩いて膝が折れた。
 その様子を見て、カスィムが思い出したように言った。
「――そうそう、例の彼女……ライラだったか。君の恋人だったんだね。彼女も酒は初めてだと言っていたが」
 はた、とユーリが顔を上げた。カスィムは軽やかに笑って続ける。
「おいしそうに飲んでいたよ、真っ赤なワインを」
 男の眼に艶めかしい色が宿ったのをみとめて、ユーリの頭に血が上った。
「カスィム……あんた、まさかあいつを」
「やだな、僕はただの客さ。恋人がいたなんて知らなかったし、そもそも僕にはそんなこと関係ない。まあ、やることはやったがね」
「…………っ!」
 ユーリがカスィムの襟元を掴む。
「お陰で彼女の居場所を知れたでしょう。まあ、その様子だと無駄足だったようだが」
 カスィムに殴りかかるユーリを、ジェイクとハッサが止める。
 カスィムは笑顔を崩さぬまま襟を直すと、三人を奥の間へと促した。
「さあ、取引の話をしよう――」
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