67 / 230
第五章 恋情編
側室の苦言
しおりを挟む
「陛下、ご寝所にゆかれる前に少々お時間をくださいませ」
その夜、後宮に戻ってきたマルスを女官たちの先頭で出迎えたのは、側室のサラ=マナだった。第二王子バハルの母に当たる。
「――わかった」
何の話か、マルスは薄々感づいていた。
サラ=マナはマルスの腕に手をかけると、マルスの後ろに控えていたアトゥイーに言った。
「アトゥイー様、少々お借りしますわ」
ナイフで襲われた前例があったので、アトゥイーは一瞬迷ったが、マルスが目配せしたので一礼して下がった。借りるも何も、アトゥイーにマルスを独占する権利などもとからない。サラ=マナはさすがに第一側室の貫禄で、アトゥイーを表立っていびるようなことはしなかった。
「少し歩きましょうか」
二人は中庭に出た。
「陛下。最近、後宮の秩序が乱れておりまする」
「わかっている」
「小うるさい女と思し召されるのを覚悟で申し上げますと、陛下のお立場であまり前例にないことをなさるのは、争いのもととなりまする」
「――わかっている」
が、どうしようもないのだ。ファーリアへの欲求を止められない。恋愛初期の情熱などひと月もすれば治まるだろうと高を括っていたが、どうもその気配はない。
「ご執心の方がいらっしゃるのは構いませぬ。ただ、後宮の中の女になさっていただきたいのでございます。外にも出られる女に手が付いて、万一のことがありましたら、それこそ後々の争いの種になりまする。もし陛下がどうしても彼女をとおっしゃるなら、せめて後宮にお迎えあそばすことをお考えくださいませ。でなければ後宮22人の姫君方に示しがつきませぬ」
つまり身分不詳の「ご落胤」が生まれるのは困る、というのだ。原則後宮から出られない姫たちが孕んだとしたら、父親は疑うべくもなく国王だが、自由に出入りできる身分の女に王の手が付いたとなれば、その限りではない。サラ=マナの懸念は、至極尤もな話である。
「――よく、わかった」
サラ=マナはくすりと微笑った。
「なんと素直でいらっしゃること。陛下ともあろうお人が」
いつしか二人は、ジャスミンの庭に来ていた。
「後宮のことはそなたに任せている。正妃もなく、もう一人の側室も伏せっている中で、一人で取り仕切るのは気苦労も多かろう。頭の上がろうはずもない」
「……お美しい方でしたわ、正妃様は」
つと、サラ=マナの指先がジャスミンの枝先を手折る。
「ヤスミン様が亡くなられてから、陛下は抜け殻のようでしたわね。連戦連勝だった戦もぱったりとお出にならなくなって……後宮の姫たちは、それまでヤスミン様お一人が独占してらした陛下の寵をようやく賜われると、皆躍起になって磨いたものですわ。陛下はちらりとも見向きもされませんでしたけれど」
「あれから十四、五年になるか……当時は私も若かったからな。父も引退したとはいえ健在であったし、後宮のことまで考えが回っていなかった。が、子が二人では少なすぎると言われてな」
「それでようやくわたくしとイザベル様に御子が生まれて……でも、陛下のお心はあの時のままでしたわね。イザベル様のお二人目の御子ができたら――幼くしてお亡くなりになりましたけれど――元の、氷のような陛下に戻ってしまわれましたわね。わたくしたちを平等に愛してくださっているようでいて、決して誰にも陛下がお心を許すことはありませんでしたわ」
そんなことはない、とは、マルスは言えなかった。
「……すっかりお見通しだな。さすがお前は賢い女だ」
「まさか。わたくしったら、ばかみたい。いっときなどシハーブ様にも妬いたりしましたのよ」
サラ=マナはくすくすと笑う。
「それは勘ぐり過ぎだろう」
マルスもつられて笑った。こういうところがサラ=マナは巧い。相手を立て、場の空気をうまく和ませて、男を追い詰めることがない。
「昔のことですわ……わたくしにはバハルがおりまする。十分に幸せを頂戴しましたわ。もし陛下がお心を許せる方と出会って、新たにお妃にお迎えあそばすなら、それはこの国にとっても喜ぶべきこと。わたくしも息子共々祝福いたしますわ」
つまり、こそこそと隠れるようにアトゥイーを呼びつけていないで、さっさと妃に迎えてはどうか、と言っているのだ。マルスが遠慮しているとしたら、その一番の相手は第一側室であるサラ=マナであることは、誰の目にも明白だ。だからこそ自分からマルスを解放せねばと考えたのであろう。
(――本当に、賢い女だ)
「わたくしは、バハルが成人したらお暇を頂戴したいと考えておりまする」
「帰るのか、故郷へ」
「いいえ、旅に出てみとうございます。わたくしは生まれ育った屋敷と後宮しか知らずに生きてまいりました。できることなら、一度、ほかの国も見てみとうございます」
「わかった。その時には最大限の援助を約束しよう」
マルスはそう約束して、サラ=マナのひたいに口づけた。
その夜、後宮に戻ってきたマルスを女官たちの先頭で出迎えたのは、側室のサラ=マナだった。第二王子バハルの母に当たる。
「――わかった」
何の話か、マルスは薄々感づいていた。
サラ=マナはマルスの腕に手をかけると、マルスの後ろに控えていたアトゥイーに言った。
「アトゥイー様、少々お借りしますわ」
ナイフで襲われた前例があったので、アトゥイーは一瞬迷ったが、マルスが目配せしたので一礼して下がった。借りるも何も、アトゥイーにマルスを独占する権利などもとからない。サラ=マナはさすがに第一側室の貫禄で、アトゥイーを表立っていびるようなことはしなかった。
「少し歩きましょうか」
二人は中庭に出た。
「陛下。最近、後宮の秩序が乱れておりまする」
「わかっている」
「小うるさい女と思し召されるのを覚悟で申し上げますと、陛下のお立場であまり前例にないことをなさるのは、争いのもととなりまする」
「――わかっている」
が、どうしようもないのだ。ファーリアへの欲求を止められない。恋愛初期の情熱などひと月もすれば治まるだろうと高を括っていたが、どうもその気配はない。
「ご執心の方がいらっしゃるのは構いませぬ。ただ、後宮の中の女になさっていただきたいのでございます。外にも出られる女に手が付いて、万一のことがありましたら、それこそ後々の争いの種になりまする。もし陛下がどうしても彼女をとおっしゃるなら、せめて後宮にお迎えあそばすことをお考えくださいませ。でなければ後宮22人の姫君方に示しがつきませぬ」
つまり身分不詳の「ご落胤」が生まれるのは困る、というのだ。原則後宮から出られない姫たちが孕んだとしたら、父親は疑うべくもなく国王だが、自由に出入りできる身分の女に王の手が付いたとなれば、その限りではない。サラ=マナの懸念は、至極尤もな話である。
「――よく、わかった」
サラ=マナはくすりと微笑った。
「なんと素直でいらっしゃること。陛下ともあろうお人が」
いつしか二人は、ジャスミンの庭に来ていた。
「後宮のことはそなたに任せている。正妃もなく、もう一人の側室も伏せっている中で、一人で取り仕切るのは気苦労も多かろう。頭の上がろうはずもない」
「……お美しい方でしたわ、正妃様は」
つと、サラ=マナの指先がジャスミンの枝先を手折る。
「ヤスミン様が亡くなられてから、陛下は抜け殻のようでしたわね。連戦連勝だった戦もぱったりとお出にならなくなって……後宮の姫たちは、それまでヤスミン様お一人が独占してらした陛下の寵をようやく賜われると、皆躍起になって磨いたものですわ。陛下はちらりとも見向きもされませんでしたけれど」
「あれから十四、五年になるか……当時は私も若かったからな。父も引退したとはいえ健在であったし、後宮のことまで考えが回っていなかった。が、子が二人では少なすぎると言われてな」
「それでようやくわたくしとイザベル様に御子が生まれて……でも、陛下のお心はあの時のままでしたわね。イザベル様のお二人目の御子ができたら――幼くしてお亡くなりになりましたけれど――元の、氷のような陛下に戻ってしまわれましたわね。わたくしたちを平等に愛してくださっているようでいて、決して誰にも陛下がお心を許すことはありませんでしたわ」
そんなことはない、とは、マルスは言えなかった。
「……すっかりお見通しだな。さすがお前は賢い女だ」
「まさか。わたくしったら、ばかみたい。いっときなどシハーブ様にも妬いたりしましたのよ」
サラ=マナはくすくすと笑う。
「それは勘ぐり過ぎだろう」
マルスもつられて笑った。こういうところがサラ=マナは巧い。相手を立て、場の空気をうまく和ませて、男を追い詰めることがない。
「昔のことですわ……わたくしにはバハルがおりまする。十分に幸せを頂戴しましたわ。もし陛下がお心を許せる方と出会って、新たにお妃にお迎えあそばすなら、それはこの国にとっても喜ぶべきこと。わたくしも息子共々祝福いたしますわ」
つまり、こそこそと隠れるようにアトゥイーを呼びつけていないで、さっさと妃に迎えてはどうか、と言っているのだ。マルスが遠慮しているとしたら、その一番の相手は第一側室であるサラ=マナであることは、誰の目にも明白だ。だからこそ自分からマルスを解放せねばと考えたのであろう。
(――本当に、賢い女だ)
「わたくしは、バハルが成人したらお暇を頂戴したいと考えておりまする」
「帰るのか、故郷へ」
「いいえ、旅に出てみとうございます。わたくしは生まれ育った屋敷と後宮しか知らずに生きてまいりました。できることなら、一度、ほかの国も見てみとうございます」
「わかった。その時には最大限の援助を約束しよう」
マルスはそう約束して、サラ=マナのひたいに口づけた。
0
お気に入りに追加
98
あなたにおすすめの小説
淫らな蜜に狂わされ
歌龍吟伶
恋愛
普段と変わらない日々は思わぬ形で終わりを迎える…突然の出会い、そして体も心も開かれた少女の人生録。
全体的に性的表現・性行為あり。
他所で知人限定公開していましたが、こちらに移しました。
全3話完結済みです。
ちょっと大人な体験談はこちらです
神崎未緒里
恋愛
本当にあった!?かもしれない
ちょっと大人な体験談です。
日常に突然訪れる刺激的な体験。
少し非日常を覗いてみませんか?
あなたにもこんな瞬間が訪れるかもしれませんよ?
※本作品ではPixai.artで作成した生成AI画像ならびに
Pixabay並びにUnsplshのロイヤリティフリーの画像を使用しています。
※不定期更新です。
※文章中の人物名・地名・年代・建物名・商品名・設定などはすべて架空のものです。
イケメン彼氏は年上消防士!鍛え上げられた体は、夜の体力まで別物!?
すずなり。
恋愛
私が働く食堂にやってくる消防士さんたち。
翔馬「俺、チャーハン。」
宏斗「俺もー。」
航平「俺、から揚げつけてー。」
優弥「俺はスープ付き。」
みんなガタイがよく、男前。
ひなた「はーいっ。ちょっと待ってくださいねーっ。」
慌ただしい昼時を過ぎると、私の仕事は終わる。
終わった後、私は行かなきゃいけないところがある。
ひなた「すみませーん、子供のお迎えにきましたー。」
保育園に迎えに行かなきゃいけない子、『太陽』。
私は子供と一緒に・・・暮らしてる。
ーーーーーーーーーーーーーーーー
翔馬「おいおい嘘だろ?」
宏斗「子供・・・いたんだ・・。」
航平「いくつん時の子だよ・・・・。」
優弥「マジか・・・。」
消防署で開かれたお祭りに連れて行った太陽。
太陽の存在を知った一人の消防士さんが・・・私に言った。
「俺は太陽がいてもいい。・・・太陽の『パパ』になる。」
「俺はひなたが好きだ。・・・絶対振り向かせるから覚悟しとけよ?」
※お話に出てくる内容は、全て想像の世界です。現実世界とは何ら関係ありません。
※感想やコメントは受け付けることができません。
メンタルが薄氷なもので・・・すみません。
言葉も足りませんが読んでいただけたら幸いです。
楽しんでいただけたら嬉しく思います。
ドSでキュートな後輩においしくいただかれちゃいました!?
春音優月
恋愛
いつも失敗ばかりの美優は、少し前まで同じ部署だった四つ年下のドSな後輩のことが苦手だった。いつも辛辣なことばかり言われるし、なんだか完璧過ぎて隙がないし、後輩なのに美優よりも早く出世しそうだったから。
しかし、そんなドSな後輩が美優の仕事を手伝うために自宅にくることになり、さらにはずっと好きだったと告白されて———。
美優は彼のことを恋愛対象として見たことは一度もなかったはずなのに、意外とキュートな一面のある後輩になんだか絆されてしまって……?
2021.08.13
イケメン社長と私が結婚!?初めての『気持ちイイ』を体に教え込まれる!?
すずなり。
恋愛
ある日、彼氏が自分の住んでるアパートを引き払い、勝手に『同棲』を求めてきた。
「お前が働いてるんだから俺は家にいる。」
家事をするわけでもなく、食費をくれるわけでもなく・・・デートもしない。
「私は母親じゃない・・・!」
そう言って家を飛び出した。
夜遅く、何も持たず、靴も履かず・・・一人で泣きながら歩いてるとこを保護してくれた一人の人。
「何があった?送ってく。」
それはいつも仕事場のカフェに来てくれる常連さんだった。
「俺と・・・結婚してほしい。」
「!?」
突然の結婚の申し込み。彼のことは何も知らなかったけど・・・惹かれるのに時間はかからない。
かっこよくて・・優しくて・・・紳士な彼は私を心から愛してくれる。
そんな彼に、私は想いを返したい。
「俺に・・・全てを見せて。」
苦手意識の強かった『営み』。
彼の手によって私の感じ方が変わっていく・・・。
「いあぁぁぁっ・・!!」
「感じやすいんだな・・・。」
※お話は全て想像の世界のものです。現実世界とはなんら関係ありません。
※お話の中に出てくる病気、治療法などは想像のものとしてご覧ください。
※誤字脱字、表現不足は重々承知しております。日々精進してまいりますので温かく見ていただけると嬉しいです。
※コメントや感想は受け付けることができません。メンタルが薄氷なもので・・すみません。
それではお楽しみください。すずなり。
如月さんは なびかない。~クラスで一番の美少女に、何故か告白された件~
八木崎(やぎさき)
恋愛
「ねぇ……私と、付き合って」
ある日、クラスで一番可愛い女子生徒である如月心奏に唐突に告白をされ、彼女と付き合う事になった同じクラスの平凡な高校生男子、立花蓮。
蓮は初めて出来た彼女の存在に浮かれる―――なんて事は無く、心奏から思いも寄らない頼み事をされて、それを受ける事になるのであった。
これは不器用で未熟な2人が成長をしていく物語である。彼ら彼女らの歩む物語を是非ともご覧ください。
一緒にいたい、でも近づきたくない―――臆病で内向的な少年と、偏屈で変わり者な少女との恋愛模様を描く、そんな青春物語です。
【R18】純粋無垢なプリンセスは、婚礼した冷徹と噂される美麗国王に三日三晩の初夜で蕩かされるほど溺愛される
奏音 美都
恋愛
数々の困難を乗り越えて、ようやく誓約の儀を交わしたグレートブルタン国のプリンセスであるルチアとシュタート王国、国王のクロード。
けれど、それぞれの執務に追われ、誓約の儀から二ヶ月経っても夫婦の時間を過ごせずにいた。
そんなある日、ルチアの元にクロードから別邸への招待状が届けられる。そこで三日三晩の甘い蕩かされるような初夜を過ごしながら、クロードの過去を知ることになる。
2人の出会いを描いた作品はこちら
「純粋無垢なプリンセスを野盗から助け出したのは、冷徹と噂される美麗国王でした」https://www.alphapolis.co.jp/novel/702276663/443443630
2人の誓約の儀を描いた作品はこちら
「純粋無垢なプリンセスは、冷徹と噂される美麗国王と誓約の儀を結ぶ」
https://www.alphapolis.co.jp/novel/702276663/183445041
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる