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第三章 王宮編
近衛隊長の事後処理
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――ほら、みてごらん。
誰かがこちらを指差している。
――あれは兵士のふりをしている娼婦だよ――。
――いいや、娼婦のふりをしている奴隷だよ――。
「……ちがう、ちがう」
どこからか手が伸びてきて、気付くと服を剥ぎ取られて素っ裸になっている。相手の正体も分からないまま、ひたすら走って逃げる。
――娼婦のくせに。
――男に抱かれるしかない女のくせに。
――遊牧民のふりをして――。
「ちがう、ちがう、わたしは……っ!」
どこからか飛んできた矢に射抜かれる。
押さえた両手がみるみる間に真っ赤に染まっていく。
「お前の身体には、遊牧の民の血が流れているはずだ……俺と、同じ」頭の中で声が響き、ふと下を見ると、流れ出た血で池のようになっている。足元に広がる血溜まりは、自分のものだろうか。それとも肩口からざっくりと斬られ、血を流しながらこちらを見ている、あの男のものだろうか。
その唇が何事か言っている。が、その声は聞こえない。それもそのはず、そもそも声が出ていない。
唇の動きだけでは何を言っているのかもわからない。
「……血はもう止まっています。このまま安静に……一週間ほどは……」
跡切れ跡切れに静かな声が聞こえて、アトゥイーは夢から覚めた。
「あ、起こしちゃったかな」
うっすらと目を開けると、そこにはスカイの爽やかな笑顔があった。
「丁度いい、薬を飲ませておきましょう」
アトゥイーを挟んでスカイと反対側に、医師らしき老人が座っている。薬は蜂蜜に溶かされて甘苦い。
スカイは砦の外に豪奢なテントを幾つも張っていた。ユーリの小さなテントとは違い、天井は大きな梁で支えられて高く、砂の上には幾重にも絨毯が敷かれて、いい香りが焚きしめられている。
アトゥイーはその一番大きなテントに寝かされていた。
「……ありがとうございます、スカイ」
アトゥイーは思い出したように言った。
「うん?ああ、気にしないで。僕の仕事だから」
アトゥイーは首を傾げた。近衛兵の部下だから、アトゥイーの面倒を見るのも仕事だと言っているのだろうか。
その顔を見たスカイが、またくすっと笑った。
「君をさ。無事に連れ帰るように言われているから」
誰に、とはスカイは言わなかった。
「さ、ゆっくりお休み。まず君は傷を治さなくちゃ」
清潔な寝床で毛布にくるまっていると、さっき見た悪夢が嘘のようだ。飲まされた薬のせいか、傷の痛みも薄れていく気がする。アトゥイーは心地よい安心感に包まれて、とろとろとまた眠りに落ちていった。
*****
「あ、陛下、言っちゃったんだ」
スカイは、なんだつまらない、という顔をした。
スカイはアトゥイーをララ=アルサーシャに連れ帰った。アトゥイーは怪我の治療のため、王宮内にある救護院に入院している。
「まさか、お前も知っていたのか?」
シハーブは呆れた。二人は連れ立って救護院へ向かっていた。
「ええ」
「本当に?あの、あいつが女だって?」
「ええ」
「嘘だろ……いつから……?」
シハーブは、信じられない、という顔で額に手を当てた。
「一番最初に会った時かな。覚えてます?握手したんですよね、僕。その時、あ、ちっちゃいなって。女の子の手でしたもん」
「知らなかったのは俺だけか……じゃあお前、女と分かって傭兵隊なんぞへ入れたのか」
「軍には女性の兵士もいますしね。規律は守られてるし、問題ないかなって」
「その規律が破られたんだろうが!?」
軍規では、男女問わず、任務中の性行為は禁じられている。風紀の乱れを防ぎ、また兵士同志の私刑の抑制の意味もあった。地方軍では多少緩むことはあっても、国王お膝元のアルサーシャ駐屯軍では厳しく守られていた。
「結果的に、僕の読みが甘かったのは認めますよ。元々傭兵たちは外国から来てますから、我々とは道徳観がかけ離れてるんですよねぇ。でもまさかあんな行動に出るとは。しかも相手が」
「アトゥイーか」
シハーブが溜息をつく。彼にはどうにもアトゥイーの存在が厄介事の種のようにしか思えない。
「危うく僕の首まで飛ぶかと思って、ヒヤヒヤしましたよ。ほんと、間に合って良かったぁー」
「で、軍病院じゃなくわざわざ王宮救護院に入れたってわけか」
「未遂とはいえ、アトゥイーが襲われたなんて噂が立ったら後々面倒、だから事件は公にせず、ザハロフ中佐も表向きはお咎めなし。でも次はないし、次が起きたら僕らの立場もない。目の届く宮殿内に置いておくのが一番だと」
「結局、奴のわがままに振り回されてるだけじゃないか」
「どうでしょうねぇ――あの方のなさることは、たとえわがままでも全て意味があると、僕は信じていますから」
スカイはにっこりと笑った。シハーブはまた溜息をついた。
救護院は軍部と反対側、王宮の西の端にあった。救護院の窓から見える庭には小さな噴水があり、花壇には色とりどりの花が咲いて、傷病人の心を癒やしてくれる。
「やあ、アトゥイー。調子はどうだい?」
病室では、アトゥイーが既に服を着て立っていた。
「退院だって聞いたから、迎えに来たよ。支度はどれくらいでできる?」
スカイがにこやかに言った。
「もうできています。お二人とも、わざわざ来てもらってすみません。大した荷物もないから、一人で帰れるのに」
「ああ、そのことだけど、君の宿舎は引き払ったよ。宮殿の中に部屋を用意してあるから、今日からそこに泊まって」
アトゥイーは目をぱちくりとした。
誰かがこちらを指差している。
――あれは兵士のふりをしている娼婦だよ――。
――いいや、娼婦のふりをしている奴隷だよ――。
「……ちがう、ちがう」
どこからか手が伸びてきて、気付くと服を剥ぎ取られて素っ裸になっている。相手の正体も分からないまま、ひたすら走って逃げる。
――娼婦のくせに。
――男に抱かれるしかない女のくせに。
――遊牧民のふりをして――。
「ちがう、ちがう、わたしは……っ!」
どこからか飛んできた矢に射抜かれる。
押さえた両手がみるみる間に真っ赤に染まっていく。
「お前の身体には、遊牧の民の血が流れているはずだ……俺と、同じ」頭の中で声が響き、ふと下を見ると、流れ出た血で池のようになっている。足元に広がる血溜まりは、自分のものだろうか。それとも肩口からざっくりと斬られ、血を流しながらこちらを見ている、あの男のものだろうか。
その唇が何事か言っている。が、その声は聞こえない。それもそのはず、そもそも声が出ていない。
唇の動きだけでは何を言っているのかもわからない。
「……血はもう止まっています。このまま安静に……一週間ほどは……」
跡切れ跡切れに静かな声が聞こえて、アトゥイーは夢から覚めた。
「あ、起こしちゃったかな」
うっすらと目を開けると、そこにはスカイの爽やかな笑顔があった。
「丁度いい、薬を飲ませておきましょう」
アトゥイーを挟んでスカイと反対側に、医師らしき老人が座っている。薬は蜂蜜に溶かされて甘苦い。
スカイは砦の外に豪奢なテントを幾つも張っていた。ユーリの小さなテントとは違い、天井は大きな梁で支えられて高く、砂の上には幾重にも絨毯が敷かれて、いい香りが焚きしめられている。
アトゥイーはその一番大きなテントに寝かされていた。
「……ありがとうございます、スカイ」
アトゥイーは思い出したように言った。
「うん?ああ、気にしないで。僕の仕事だから」
アトゥイーは首を傾げた。近衛兵の部下だから、アトゥイーの面倒を見るのも仕事だと言っているのだろうか。
その顔を見たスカイが、またくすっと笑った。
「君をさ。無事に連れ帰るように言われているから」
誰に、とはスカイは言わなかった。
「さ、ゆっくりお休み。まず君は傷を治さなくちゃ」
清潔な寝床で毛布にくるまっていると、さっき見た悪夢が嘘のようだ。飲まされた薬のせいか、傷の痛みも薄れていく気がする。アトゥイーは心地よい安心感に包まれて、とろとろとまた眠りに落ちていった。
*****
「あ、陛下、言っちゃったんだ」
スカイは、なんだつまらない、という顔をした。
スカイはアトゥイーをララ=アルサーシャに連れ帰った。アトゥイーは怪我の治療のため、王宮内にある救護院に入院している。
「まさか、お前も知っていたのか?」
シハーブは呆れた。二人は連れ立って救護院へ向かっていた。
「ええ」
「本当に?あの、あいつが女だって?」
「ええ」
「嘘だろ……いつから……?」
シハーブは、信じられない、という顔で額に手を当てた。
「一番最初に会った時かな。覚えてます?握手したんですよね、僕。その時、あ、ちっちゃいなって。女の子の手でしたもん」
「知らなかったのは俺だけか……じゃあお前、女と分かって傭兵隊なんぞへ入れたのか」
「軍には女性の兵士もいますしね。規律は守られてるし、問題ないかなって」
「その規律が破られたんだろうが!?」
軍規では、男女問わず、任務中の性行為は禁じられている。風紀の乱れを防ぎ、また兵士同志の私刑の抑制の意味もあった。地方軍では多少緩むことはあっても、国王お膝元のアルサーシャ駐屯軍では厳しく守られていた。
「結果的に、僕の読みが甘かったのは認めますよ。元々傭兵たちは外国から来てますから、我々とは道徳観がかけ離れてるんですよねぇ。でもまさかあんな行動に出るとは。しかも相手が」
「アトゥイーか」
シハーブが溜息をつく。彼にはどうにもアトゥイーの存在が厄介事の種のようにしか思えない。
「危うく僕の首まで飛ぶかと思って、ヒヤヒヤしましたよ。ほんと、間に合って良かったぁー」
「で、軍病院じゃなくわざわざ王宮救護院に入れたってわけか」
「未遂とはいえ、アトゥイーが襲われたなんて噂が立ったら後々面倒、だから事件は公にせず、ザハロフ中佐も表向きはお咎めなし。でも次はないし、次が起きたら僕らの立場もない。目の届く宮殿内に置いておくのが一番だと」
「結局、奴のわがままに振り回されてるだけじゃないか」
「どうでしょうねぇ――あの方のなさることは、たとえわがままでも全て意味があると、僕は信じていますから」
スカイはにっこりと笑った。シハーブはまた溜息をついた。
救護院は軍部と反対側、王宮の西の端にあった。救護院の窓から見える庭には小さな噴水があり、花壇には色とりどりの花が咲いて、傷病人の心を癒やしてくれる。
「やあ、アトゥイー。調子はどうだい?」
病室では、アトゥイーが既に服を着て立っていた。
「退院だって聞いたから、迎えに来たよ。支度はどれくらいでできる?」
スカイがにこやかに言った。
「もうできています。お二人とも、わざわざ来てもらってすみません。大した荷物もないから、一人で帰れるのに」
「ああ、そのことだけど、君の宿舎は引き払ったよ。宮殿の中に部屋を用意してあるから、今日からそこに泊まって」
アトゥイーは目をぱちくりとした。
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