30 / 230
第三章 王宮編
悪夢
しおりを挟む
あれから夜毎、悪夢を見る。
斬られて血塗れの男の傷口を、両手で必死で塞いでいる。塞いでも塞いでも、指の間からどくどくと血が流れ出てくる。こんなに血が出るはずはない、とうに人一人分よりも多い血が流れ出している。
見ると、溢れ出た血が甲板に広がって、床板の間から滴り落ちている。床板の節穴から下を覗き込むと、海が赤い色で染まっていく。おかしい。甲板の下には船倉があるはずなのに、穴の向こうは海面なのだ。
振り向くと大勢の水夫たちに取り囲まれている。無数の手が伸びてきて、押さえつけられ、犯され、身体中もみくちゃにされる。全身の骨が砕け、肉が押し潰される。肉片になって床に散らばって、ああ、わたしは死んだんだ、と思った時、節穴を覗いていた目玉が海へ落ちる。
海は、血で赤黒く粘っている。もはやそれは海水ではない、血液そのものだ。
血の海から起き上がる。まるでたった今、この血から生まれたかのようだ。血。血。血。夥しい量の血液が、ばらばらに千切れた肉を生成し、身体の中に流れ込み、脈打って、産み落とす――わたしを。
すぐ横に、斬られた男が横たわってこちらを見つめている。
「おマエのカラダにはユウボクのタミの血がナガれテいルはずダ――」
歪んだ声が脳内に不気味に響き、悲鳴を上げて飛び起きる。が、それは夢の中だけで、実際に声は出ていなかった。
宿舎の個室は静まり返っている。狭くて殺風景な部屋なのに、夢から覚めた安心感でほうっと息をつく。汗で濡れた下衣を脱ぎ、乾いたものに着替える。
もうすぐ夜明けだ。
窓に鉄格子ははまっていない。カーテンを開けると、うっすらと開けていく空が見えた。
『何故、お前はそちら側にいる?』
砂漠で果てた男の言葉が何度も蘇る。
「何故……ここにいるんだろう……」
生き延びるためか。
奴隷という運命から逃れるためか。
ひとを殺して。
『そちら側』とは何を指すのか。
一緒に来るか、とカイヤーンは言った。
何故、敵なのにあんなことを言ったのだろう。
アトゥイーは手の平を見た。うっすらと青い血管が走っている。
この血は、何なのだろう。血そのもの以上の、何か意味があるのだろうか。遊牧民の血が流れていたら、遊牧民にならなければならないのか。奴隷の血なら、一生奴隷か。
アトゥイーは頭を振った。そんなのは嫌だ。だけど、果たしてそれが戦う理由なのか、わからない。
「わたしは何故、ここで戦っているんだろう……」
――私を守るためだ――。
王はそう言った。
アトゥイーは指先でそっと唇に触れた。
――もっと強くなれ――。
そうだ。
強くなって、王を守れば、ここにいてもいいんだ。
斬られて血塗れの男の傷口を、両手で必死で塞いでいる。塞いでも塞いでも、指の間からどくどくと血が流れ出てくる。こんなに血が出るはずはない、とうに人一人分よりも多い血が流れ出している。
見ると、溢れ出た血が甲板に広がって、床板の間から滴り落ちている。床板の節穴から下を覗き込むと、海が赤い色で染まっていく。おかしい。甲板の下には船倉があるはずなのに、穴の向こうは海面なのだ。
振り向くと大勢の水夫たちに取り囲まれている。無数の手が伸びてきて、押さえつけられ、犯され、身体中もみくちゃにされる。全身の骨が砕け、肉が押し潰される。肉片になって床に散らばって、ああ、わたしは死んだんだ、と思った時、節穴を覗いていた目玉が海へ落ちる。
海は、血で赤黒く粘っている。もはやそれは海水ではない、血液そのものだ。
血の海から起き上がる。まるでたった今、この血から生まれたかのようだ。血。血。血。夥しい量の血液が、ばらばらに千切れた肉を生成し、身体の中に流れ込み、脈打って、産み落とす――わたしを。
すぐ横に、斬られた男が横たわってこちらを見つめている。
「おマエのカラダにはユウボクのタミの血がナガれテいルはずダ――」
歪んだ声が脳内に不気味に響き、悲鳴を上げて飛び起きる。が、それは夢の中だけで、実際に声は出ていなかった。
宿舎の個室は静まり返っている。狭くて殺風景な部屋なのに、夢から覚めた安心感でほうっと息をつく。汗で濡れた下衣を脱ぎ、乾いたものに着替える。
もうすぐ夜明けだ。
窓に鉄格子ははまっていない。カーテンを開けると、うっすらと開けていく空が見えた。
『何故、お前はそちら側にいる?』
砂漠で果てた男の言葉が何度も蘇る。
「何故……ここにいるんだろう……」
生き延びるためか。
奴隷という運命から逃れるためか。
ひとを殺して。
『そちら側』とは何を指すのか。
一緒に来るか、とカイヤーンは言った。
何故、敵なのにあんなことを言ったのだろう。
アトゥイーは手の平を見た。うっすらと青い血管が走っている。
この血は、何なのだろう。血そのもの以上の、何か意味があるのだろうか。遊牧民の血が流れていたら、遊牧民にならなければならないのか。奴隷の血なら、一生奴隷か。
アトゥイーは頭を振った。そんなのは嫌だ。だけど、果たしてそれが戦う理由なのか、わからない。
「わたしは何故、ここで戦っているんだろう……」
――私を守るためだ――。
王はそう言った。
アトゥイーは指先でそっと唇に触れた。
――もっと強くなれ――。
そうだ。
強くなって、王を守れば、ここにいてもいいんだ。
0
お気に入りに追加
98
あなたにおすすめの小説
淫らな蜜に狂わされ
歌龍吟伶
恋愛
普段と変わらない日々は思わぬ形で終わりを迎える…突然の出会い、そして体も心も開かれた少女の人生録。
全体的に性的表現・性行為あり。
他所で知人限定公開していましたが、こちらに移しました。
全3話完結済みです。
ちょっと大人な体験談はこちらです
神崎未緒里
恋愛
本当にあった!?かもしれない
ちょっと大人な体験談です。
日常に突然訪れる刺激的な体験。
少し非日常を覗いてみませんか?
あなたにもこんな瞬間が訪れるかもしれませんよ?
※本作品ではPixai.artで作成した生成AI画像ならびに
Pixabay並びにUnsplshのロイヤリティフリーの画像を使用しています。
※不定期更新です。
※文章中の人物名・地名・年代・建物名・商品名・設定などはすべて架空のものです。
【R18】愛され総受け女王は、20歳の誕生日に夫である美麗な年下国王に甘く淫らにお祝いされる
奏音 美都
恋愛
シャルール公国のプリンセス、アンジェリーナの公務の際に出会い、恋に落ちたソノワール公爵であったルノー。
両親を船の沈没事故で失い、突如女王として戴冠することになった間も、彼女を支え続けた。
それから幾つもの困難を乗り越え、ルノーはアンジェリーナと婚姻を結び、単なる女王の夫、王配ではなく、自らも執政に取り組む国王として戴冠した。
夫婦となって初めて迎えるアンジェリーナの誕生日。ルノーは彼女を喜ばせようと、画策する。
イケメン彼氏は年上消防士!鍛え上げられた体は、夜の体力まで別物!?
すずなり。
恋愛
私が働く食堂にやってくる消防士さんたち。
翔馬「俺、チャーハン。」
宏斗「俺もー。」
航平「俺、から揚げつけてー。」
優弥「俺はスープ付き。」
みんなガタイがよく、男前。
ひなた「はーいっ。ちょっと待ってくださいねーっ。」
慌ただしい昼時を過ぎると、私の仕事は終わる。
終わった後、私は行かなきゃいけないところがある。
ひなた「すみませーん、子供のお迎えにきましたー。」
保育園に迎えに行かなきゃいけない子、『太陽』。
私は子供と一緒に・・・暮らしてる。
ーーーーーーーーーーーーーーーー
翔馬「おいおい嘘だろ?」
宏斗「子供・・・いたんだ・・。」
航平「いくつん時の子だよ・・・・。」
優弥「マジか・・・。」
消防署で開かれたお祭りに連れて行った太陽。
太陽の存在を知った一人の消防士さんが・・・私に言った。
「俺は太陽がいてもいい。・・・太陽の『パパ』になる。」
「俺はひなたが好きだ。・・・絶対振り向かせるから覚悟しとけよ?」
※お話に出てくる内容は、全て想像の世界です。現実世界とは何ら関係ありません。
※感想やコメントは受け付けることができません。
メンタルが薄氷なもので・・・すみません。
言葉も足りませんが読んでいただけたら幸いです。
楽しんでいただけたら嬉しく思います。
身分差婚~あなたの妻になれないはずだった~
椿蛍
恋愛
「息子と別れていただけないかしら?」
私を脅して、別れを決断させた彼の両親。
彼は高級住宅地『都久山』で王子様と呼ばれる存在。
私とは住む世界が違った……
別れを命じられ、私の恋が終わった。
叶わない身分差の恋だったはずが――
※R-15くらいなので※マークはありません。
※視点切り替えあり。
※2日間は1日3回更新、3日目から1日2回更新となります。
イケメン彼氏は警察官!甘い夜に私の体は溶けていく。
すずなり。
恋愛
人数合わせで参加した合コン。
そこで私は一人の男の人と出会う。
「俺には分かる。キミはきっと俺を好きになる。」
そんな言葉をかけてきた彼。
でも私には秘密があった。
「キミ・・・目が・・?」
「気持ち悪いでしょ?ごめんなさい・・・。」
ちゃんと私のことを伝えたのに、彼は食い下がる。
「お願いだから俺を好きになって・・・。」
その言葉を聞いてお付き合いが始まる。
「やぁぁっ・・!」
「どこが『や』なんだよ・・・こんなに蜜を溢れさせて・・・。」
激しくなっていく夜の生活。
私の身はもつの!?
※お話の内容は全て想像のものです。現実世界とはなんら関係ありません。
※表現不足は重々承知しております。まだまだ勉強してまいりますので温かい目で見ていただけたら幸いです。
※コメントや感想は受け付けることができません。メンタルが薄氷なもので・・・すみません。
では、お楽しみください。
【R18】深層のご令嬢は、婚約破棄して愛しのお兄様に花弁を散らされる
奏音 美都
恋愛
バトワール財閥の令嬢であるクリスティーナは血の繋がらない兄、ウィンストンを密かに慕っていた。だが、貴族院議員であり、ノルウェールズ侯爵家の三男であるコンラッドとの婚姻話が持ち上がり、バトワール財閥、ひいては会社の経営に携わる兄のために、お見合いを受ける覚悟をする。
だが、今目の前では兄のウィンストンに迫られていた。
「ノルウェールズ侯爵の御曹司とのお見合いが決まったって聞いたんだが、本当なのか?」」
どう尋ねる兄の真意は……
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる