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しゃれこうべの誘惑3
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「実は夏の大雨の時に妻を亡くしてしまったのだ。それから方々を探しに探し、性も根も尽き果てボロボロになりかけた頃ようやく骨となった骸と出会うことになった。ただ手がかりは骸に張り付いていた着物だけ。あの骨が本当の妻ならばと思い、今しゃれこうべに粘土を貼り付け、今一度、今一度その顔を俺に見せて欲しいと作っている最中なのだ。そこでどうしても髪が欲しい。妻は肩のところまで髪があったから短くてはいけないのだ。幸せな生活が突如としてこのような理不尽なことになったが、俺にはまだ諦められん。最後一目、あの美しかった顔をこの目で見て、そして供養をしてやりたいのだ。どうかこの通り。俺はこれ以上引き裂かれたような胸を押さえつけて生きてはいけんのだ。どうか、どうか頼む」
土間の下で土に額をこすりつけ、おいおいと涙を流す。妻というのも嘘ではあるが嘘ではない。松兵衛の頭の中では既に妻になった後のことまで何度もしたのだから。
しばらくして「ふぅー」と長い溜息が聞こえた。
「困りましたね……」
松兵衛は顔を上げることなくひたすら頭をこすり付けている。
床屋はしばらくして「今、どれほどお持ちなのですか?」と諦めたような声で言ってくるので、ありたけの金を持ってきたつもりではあったが、
「一文銭が二千枚とちょっと……」
としぶしぶ涙混じりに告げた。
「はぁーー……」
さらに長い溜息を床屋は吐き、すくっと立ち上がる音がして奥の棚を探す音がする。
戻ってきて「お顔をお上げください。こちらも心残りが多くありますが、そのお金を置いて出て行ってください。これがその髪です。どうか、どうか大切にお使いください。この髪にも悲しみが宿っていますから」と悲しそうな瞳で見つめながら包み紙を差し出してきた。
「ありがとうございます。ありがとうございます」
精一杯の感謝を言い、松兵衛は羽毛が風に舞い上がるように軽やかな足取りで家へと急ぎ帰った。
さすがに飲まず食わずで一日を過ごすと体が悲鳴をあげていることにようやく気がつく。
玄関口で瓶から水を汲んで茶碗四杯ほど勢いよく飲み干し、土間に上がるなりどっと漬物石を背負ったようになり倒れこむ。
ここでへばっては千代に会えぬ。しっかり栄養を取ろうと取っておいた干し肉も入れて汁をこしらえた。有り金のほとんどを髪の毛に使い、明日の生活すらわからぬ身となったが、そんなことは知るかと執念を煮えたぎらせていた。
やっとのことで汁を作り、腹中へと流し込むようにして喰らうと、落ちるようにして眠った。
次の朝起き上がると昨夜の残り汁を全てたいらげ、今度は米を炊き、糊作りを始めた。
包み紙を持つと重くのしかかってくるようだった。若干手が震えている。松兵衛の興奮は完成に近づくにつれ高まってくるのだった。
虫が寄り付かぬよう塩と酢を加えれば次は一本ずつ丁寧に髪の毛を植え込んでいくわけだが、包み紙を開くと、それはもう見事な艶髪があったのだ。
確かにあの床屋が出し渋るのも、さもありなんと感嘆するほどである。
髪を植える作業が実に時間がかかった。気がつけば夜になり、眠りについていた。
終われば丸三日ほどかかったのだから、肩の重い荷が下りたような気持ちで息を深々と吐いた。
「ううむ……」
髪は包丁で切りそろえたが、我ながら見事な出来栄えと言う他ない。その顔立ちは千代に他ならなかった。
松兵衛は生涯で一番のよい仕事をしたような気がしていたが、やはり物足りない。当然のことに顔は土。顔色が悪いのだ。はてさて、どうするか。おしろいを塗ればよいのか。紅で飾るか。
「よしっ!」
悩んでいてもしょうがない。ここまで来たのだ。おしろいや紅ぐらいは、いくら田舎の農村であろうと婚儀があるのだからあるだろうし、少しぐらいは譲ってくれるだろう。
そう考え安次郎の元を尋ねた。
安次郎の妻が松兵衛の来訪を気にし、もてなそうとするが安次郎が「いやいや、ちょっと二人だけの話があるから、外に出てくる」と強引に外へ連れ出した。
そして歩きながら小声で「それで上手くいってるか」と周囲を気にしながら話してくるので「最後の作業が残っている。どうにかしておしろいと紅を用意できんか。それで出来上がるのだ」と申し訳なく目の色を伺うと少し考え「うーむ、しばらく化粧をした姿など見ておらぬし、あいつ持っておったかな……なんとかしよう」と小声ながらも快い返事が聞けたことに心底松兵衛は安堵した。
次の日松兵衛の家に安次郎が駆け込んできた。
土間の下で土に額をこすりつけ、おいおいと涙を流す。妻というのも嘘ではあるが嘘ではない。松兵衛の頭の中では既に妻になった後のことまで何度もしたのだから。
しばらくして「ふぅー」と長い溜息が聞こえた。
「困りましたね……」
松兵衛は顔を上げることなくひたすら頭をこすり付けている。
床屋はしばらくして「今、どれほどお持ちなのですか?」と諦めたような声で言ってくるので、ありたけの金を持ってきたつもりではあったが、
「一文銭が二千枚とちょっと……」
としぶしぶ涙混じりに告げた。
「はぁーー……」
さらに長い溜息を床屋は吐き、すくっと立ち上がる音がして奥の棚を探す音がする。
戻ってきて「お顔をお上げください。こちらも心残りが多くありますが、そのお金を置いて出て行ってください。これがその髪です。どうか、どうか大切にお使いください。この髪にも悲しみが宿っていますから」と悲しそうな瞳で見つめながら包み紙を差し出してきた。
「ありがとうございます。ありがとうございます」
精一杯の感謝を言い、松兵衛は羽毛が風に舞い上がるように軽やかな足取りで家へと急ぎ帰った。
さすがに飲まず食わずで一日を過ごすと体が悲鳴をあげていることにようやく気がつく。
玄関口で瓶から水を汲んで茶碗四杯ほど勢いよく飲み干し、土間に上がるなりどっと漬物石を背負ったようになり倒れこむ。
ここでへばっては千代に会えぬ。しっかり栄養を取ろうと取っておいた干し肉も入れて汁をこしらえた。有り金のほとんどを髪の毛に使い、明日の生活すらわからぬ身となったが、そんなことは知るかと執念を煮えたぎらせていた。
やっとのことで汁を作り、腹中へと流し込むようにして喰らうと、落ちるようにして眠った。
次の朝起き上がると昨夜の残り汁を全てたいらげ、今度は米を炊き、糊作りを始めた。
包み紙を持つと重くのしかかってくるようだった。若干手が震えている。松兵衛の興奮は完成に近づくにつれ高まってくるのだった。
虫が寄り付かぬよう塩と酢を加えれば次は一本ずつ丁寧に髪の毛を植え込んでいくわけだが、包み紙を開くと、それはもう見事な艶髪があったのだ。
確かにあの床屋が出し渋るのも、さもありなんと感嘆するほどである。
髪を植える作業が実に時間がかかった。気がつけば夜になり、眠りについていた。
終われば丸三日ほどかかったのだから、肩の重い荷が下りたような気持ちで息を深々と吐いた。
「ううむ……」
髪は包丁で切りそろえたが、我ながら見事な出来栄えと言う他ない。その顔立ちは千代に他ならなかった。
松兵衛は生涯で一番のよい仕事をしたような気がしていたが、やはり物足りない。当然のことに顔は土。顔色が悪いのだ。はてさて、どうするか。おしろいを塗ればよいのか。紅で飾るか。
「よしっ!」
悩んでいてもしょうがない。ここまで来たのだ。おしろいや紅ぐらいは、いくら田舎の農村であろうと婚儀があるのだからあるだろうし、少しぐらいは譲ってくれるだろう。
そう考え安次郎の元を尋ねた。
安次郎の妻が松兵衛の来訪を気にし、もてなそうとするが安次郎が「いやいや、ちょっと二人だけの話があるから、外に出てくる」と強引に外へ連れ出した。
そして歩きながら小声で「それで上手くいってるか」と周囲を気にしながら話してくるので「最後の作業が残っている。どうにかしておしろいと紅を用意できんか。それで出来上がるのだ」と申し訳なく目の色を伺うと少し考え「うーむ、しばらく化粧をした姿など見ておらぬし、あいつ持っておったかな……なんとかしよう」と小声ながらも快い返事が聞けたことに心底松兵衛は安堵した。
次の日松兵衛の家に安次郎が駆け込んできた。
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