人当て鬼

貴美月カムイ

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掘り起こす

掘り起こす3

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 戸籍上の名前は「木下翔子」だった。窪田が言う。
「改名したのか。きっと新しい名前にして人生をやり直したかったのかもしれないな」
 窪田は日記をぺらぺらとめくっていく。
「これは不妊治療の記録だ。詳細に書いてある。不妊の原因がわからず、小沢との間に赤子ができないことに、とても悩んでいる。なかなか結婚に応じないことも書いてある。赤子ができれば必ず結婚してくれると思っていたみたいだ。こっちは治療の領収書だろうな。随分な束だ」
 窪田は光を当てながら書類などに矢継ぎ早に漁っていた。
「むっ?」
 窪田が声をあげる。「どうしましたか?」と和夫が真剣な声で聞く。
「日付が随分あいて日記が書かれている。ちょうど失踪したあたりの六年ほど前の日付になっている。小沢が身寄りのない女とできていて、急速に親密になっていくことに悩んでいるな。中には一日の日記が許さないとびっしり書かれているところもある」
 窪田は手に持ちながら日記を裏返して和夫に見せる。

 ユルサナイ ユルサナイ ユルサナイ
 ユルサナイ ユルサナイ ユルサナイ
 ユルサナイ ユルサナイ ユルサナイ

 和夫は寒気が走った。これが女の情念なのだろうか。不妊治療で悩み、赤ちゃんがなかなかできない間に他の女とできていることに許しがたい怒りを覚えたのだろうか。
「じゃあ、僕たちは逆恨みでもされて、こんな目にあってるんですか」
 和夫が訴えると、窪田は後ろ頭をぼりぼりと掻きながら「こんな呪いだの幽霊だのは信じたくもないがな……」と日記からは目を離さずにぼそりと漏らす。そして深いため息をひとつついて続ける。
「もしかしたら木下翔子は最後まで生きていたのかもしれないな」
 窪田の言葉に和夫は驚きを隠せず「え?」と声を上げた。
「ど、どういうことですか?」
「日記の最後に、小沢とできていた女を殺すと書いてある。その女が妊娠したそうだ。そのことに猛烈な憎しみを抱いたようだな。そこからは日記を書く余裕もなかったのかもしれないが、途切れている」
 和夫は思った。もし木下翔子が憎しみで二人を殺したなら、遺体は二つ出る。当然だ。
 だがよく考えてみれば白骨は頭部が二つ。体が一つ。ということは、体が一つ足りない。
「あと、一つ体の白骨があるはずですよね? 残りの白骨はどこに?」
 窪田は疲れきった顔の中にも神妙さをにじませて「わからん」と言った。
「一つは小沢のものだとしても、あの頭部、殺された女のものかもしれないな。イヤミったらしく小沢の頭だけは自分で持って、体は相手の女と一緒にさせた……」
 和夫は体を乗り出して窪田に言う。
「どちらにしても、もしかしたらどちらかの女が生きているかもしれないってことになりますよね」
「そういう可能性もあるが……俺たち二人が木下翔子の幻を見るくらいなら、木下自身が死んでいて、小沢と新しくできていた女が生きているということにもなりそうだが。女の骨はどちらのものか……やれやれ……あんなものも掘り起こしちまって、俺はどう弁明すればいいのかな……」
 確かに最新科学でしっかりと捜査物証を積み上げていく現代において、夢で見ましただとか、幻で女に言われました、などという理屈が通用するはずもない。自分でさえ詰問された。ましてや窪田自身で掘り当てたのだ。関係者なのではないかと疑われてもしょうがないだろう。窪田の憂鬱はそこにあるのではないかと和夫は思った。
 窪田は深くうつむきながら、体の中全てを吐き出すようにしてため息をついた。そして封筒を持って立ち上がり、
「また明日隣の空き地やらが騒がしくなる。今日は帰って、あっ……」
 言いかけたところで部屋の電気が消えた。しばらく使ってなかったせいで電球が古くなっていたのだろう。懐中電灯といい、この部屋といい、最後の寿命を全うしているかのような感じを和夫は受けた。
「今日は僕も疲れました。とりあえず、この部屋を出ましょう」
 和夫は志穂の手をとって言った。人の手のぬくもりが暑く寝苦しそうな夜でも心強い。
「すまんが、喉が渇いた。水を一杯くれないか。この近くには店もなくて不便でな」
 窪田が多少息を切らせて苦しそうに言っている。夜になってますます暑苦しくなるばかりで、涼む気配すらみせない。志穂は不可解な不審者に対して嫌そうな顔を一瞬見せたが窪田を手ひどく扱う理由も見つからず「いいですよ」と答えた。
 部屋を出るとき志穂が和夫の手を掴もうとして汗で冷えた腕がピトリと肌に重なり、二人ともビクリと一瞬体を震わせた。外は明るい月夜で虫の声が響いている。
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