人当て鬼

貴美月カムイ

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白骨

白骨2

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 中年刑事は、はっと気がついて、頭をぼりぼりとかきながら笑った。
「ああ、これは失敬。私、田辺良子という女性の失踪事件について調べていまして、その事件の重要参考人である小沢紀之さんがここに住んでいると聞きまして、こうして足取りを辿っているわけです」
「たなべ……りょうこ?」
 志穂の口から語尾上がりの言葉が出ると、窪田刑事は写真を取り出して見せた。少し古ぼけた写真には、証明写真のようにスーツ姿で微笑みと真面目さを出して女が写っている。その時和夫はどこかで写真の女性を見たことがあると思った。そして、脳裏によぎった一瞬の面影から和夫は、「あっ」と小さく叫び、「木下翔子」と口から名前が漏れた。
 瞬時に窪田の目の色が変わり、和夫を射るような目つきになった。
「どうして田辺良子のもう一つの名前を知っているのですかね?」
 和夫はきょとんとして「え?」と聞き返した。志穂が和夫を驚いた顔で見て、何か言いたげに口を開けている。そして「私も……」と何かを言いかけた。
「ん? 管理人さん。どうかしましたか?」
 志穂は窪田に聞かれて振り向き、和夫と同じようにきょとんとしながら「え?」と聞き返した。
「管理人さんも木下翔子の名前を知っているのですか?」
「え? あ、私、どこかで聞いたことがあるような気がして。でもどこで聞いたか思い出せない。同級生の誰かに、そんな名前の子がいたのかも」
 神妙な顔つきになり、窪田は「そうですか」とため息交じりの言葉を吐いた。
「何か事件を起こしたのですか? 小沢さん」
 窪田は「ちょっとタバコ吸っていいですかね?」と聞いて、額に浮かんだ汗を手の甲で拭ってから、懐からタバコを取り出して火をつけた。
「もう、十年近くも前になりますが、家族が大きな借金を背負って、田辺良子は家族含め疾走する形となりました。それからは夜の街で働くのに木下翔子という偽名をずっと使っていたようです。各地を転々としていたようですが、八年ほど前に小沢紀之と知り合ったようです。その後同棲。小沢紀之は、過去に家を火災で焼失させていました。深夜に起こった出来事でその日ちょうど酒を飲みに出ていた小沢は助かりましたが、家族は全員亡くなる形となりました。そういう悲しいもの同士、惹かれるものがあったのでしょう。しかし六年ほど前に田辺良子は忽然と姿を消しました。部屋には、女性の血痕と、人型の焼け跡のようなものが残されていました。その後の足取りは不明。同棲していた人間は小沢紀之には間違いなく、なんらかの事件に巻き込まれた可能性が高いため、彼を探していました」
一気に窪田は言うと一呼吸置いて言った。
「どこかで木下翔子と出会ったことがありますね?」
 窪田は二人に向かって断定的口調で聞いてきた。特に和夫に対してからは目を離さなかった。和夫の心の隅々まで見通すような、しわの奥の年季の入った目が、和夫を石のように緊張させた。
 和夫は「夢で見た」と言っても信じてもらえないだろうと思って焦りを感じた。隠しているのではないかと思われても自分は何も知らない。どちらにせよ疑われることに妙な汗が出てきた。
 窪田はおかしいと思ったのか「どうかしたのですか?」と聞いてきた。
「わからないのです」
 と和夫は素直に言うと、窪田は怪訝そうな顔をして「わからない?」と返してきた。
「本当にどこでこの名前を知ったかわからないのです。でもどこかで聞いたのです。それが、どこでなのかがわからない。顔もどこかでみたような気がするけれど、わからないのです。思い出せない」
「わかりました」 
 窪田はすぐさま和夫に言った。あまりにもあっさりと引いたので和夫は逆に驚いた。これ以上聞いても無駄だと悟ったのか、時間を置けばまた思い出すこともあるだろうと思ったのか、窪田は話題を変えた。
「小沢さんの部屋を見せてくれませんかね。なに、何もおおまかにはいじりはしませんよ。協力してくれる範囲で結構です」
 「わかりました」と志穂が鍵を探し出すと、和夫は封筒のことを思い出した。封筒を返さなければと思って部屋を探すと、置いた場所に封筒はなかった。「あれ?」と言いながら部屋中をうろうろしていると、志穂が「どうしたの?」と聞いてくるので、「封筒を見なかったかい?」と聞くと、「そういえば」と言って一緒に探してくれたがなかった。
 二十分ほど待たされた窪田は小沢の部屋へと行くことになった。正規の捜査なら現場には部外者は入れることができないが、捜査令状もない管轄外での捜査で窪田は二人が入ることを大目に見た。友人代表と、アパート代表。ちょうどいい組み合わせだと思った。
 二階へと外から上がり、「205号室」の鍵を志穂が開けようとすると、ドアが何かに突っかかったように開かない。力を入れると紙を擦るような音がして鈍くドアは開いていった。
 室内はカーテンが閉められていて薄暗く、玄関のドアの下には手紙が山積みになっていた。いずれも宛先不明で返ってきたものばかりだった。何十通と言う手紙が床へと落ちて長い時間積み上がっていた。それは封筒の黄ばみ方でよくわかった。
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