人当て鬼

貴美月カムイ

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甘い香りが誘って

甘い香りが誘って3

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「ええ。母は突然小沢さんがいなくなられて困っていたみたいなんです。旅かと思いきや帰ってこないみたいだし、母が入院してその間、代わりにここに来たので詳しくは知らないのですが、毎日手紙を書いていたようで私も何度かポストに投函しているのを見たことがあります。その封筒は小沢さんからもらったものなのかしら?」
 若い女性は和夫の古ぼけた封筒を見ながら言うと、和夫は「ああ、これ、彼が持っていたものなんです」と言って封筒を若い女に渡した。
 若い女性は封筒の裏表を確認し、再度表を見ると、「あら?」と声を上げた。
「どうしたんです?」
「えっと……204号室はないのはさっき二階をうろうろしていたからわかるだろうけれど……番地が違うわね」
「え?」
「この番地、この隣の空き地だから」
 和夫はふっと隣を見ると、草の生い茂った空き地が見えた。長い間建物が建っていないことが腰の高さまでありそうな草で覆われていることでわかる。視線を和夫が戻すと女と目があい、沈黙が流れる。しばらくの沈黙に気まずくなったのか女がしゃべりだす。
「それにしても今日は本当に暑いですよね」
そう言いながら「はあ……」と息を吐き、ひたいに浮き出る汗を半袖のティーシャツから出た白く細い腕でぬぐう女の仕草は和夫にとって艶めいて見えた。
「クーラーが壊れてしまって本当に大変……暑いでしょう? このあたりじゃお店もあまりないからよかったら冷たいお茶でも飲んでいきませんか?」
 そう言ってくるりと背を向ける女のティーシャツの背中は汗で張り付いていて、ブラジャーと背中の線をくっきりと浮き上がらせていた。思いのほか細い腰くびれに和夫は目を奪われ、つい女の素肌を思い浮かべてしまっている時に、追い討ちのように女の汗のよい香りが鼻をくすぐって和夫は勃起しそうになっていた。
 女が管理人室のドアを開けると中から湿気でモアっとした温室のような空気が流れてきた。生暖かい空気が体にまとわりついてきて外にいるよりも不快な暑さを和夫に感じさせた。汗が脂汗のようににじみ出てくるようで早く外に出たい気持ちが大きくなりそうだった。
「ごめんなさい。暑いでしょう。本当にこんな時期にクーラーが壊れてしまって大変です。水風呂くらいしか体を冷やすものはなくなってしまって今日も先ほど入っていたばかりなの。今お茶差し上げますから待っていてください」
 そう言って女はグラスを用意し、冷蔵庫からペットボトルの緑茶を出してコップに入れる。和夫が部屋を見回すと若い女性の部屋というよりも、どこか年配が住んでいる取り揃え立った。色も物の揃えも毛羽立っているものはなく、落ち着いていた。若い女が着るようなセンスのあるものは少なく、置物も古ぼけたものが多い。部屋の様子を見て、目の前の女性がここには住んでいないことはハンガーにかけてある茶色の似合わない大きめの服からもすぐにわかった。一人暮らしの狭い部屋。管理人室といえども他の部屋と同じ作りなのだろう。キッチンも同じ部屋にある。
 時折、妙に甘い匂いが和夫の鼻をくすぐった。どこからか香ってくる。女の匂いだろうかと和夫は気になり女をちらちらと見てしまう。台所にいる女はスイカを切っているようだった。
「あの、こんなものしかありませんが、どうぞスイカでも召し上がってください」
 女の持ってきたスイカを、礼を言いながらほおばる和夫を見て女は問いかけてきた。
「それで、小沢さんにどのような用事だったのかしら?」
 和夫は今まで起こったことを包み隠さず女にしゃべるのはちゅうちょした。あまりにも現実離れしていて馬鹿にされるのではないかと思ったからだった。
「ええと、久しぶりに街中で出会って、軽く食事をしたのですが、その時にこの封筒を落としたものですから、礼がてら、突然で失礼かとは思ったのですが、少し友人の様子を見てみたくなりまして、こうして封筒を頼りに来たのです。返したら、すぐ帰るつもりだったのですがね」
 和夫の話を聞きながら女はうつむきながら大きく息をしている。よく見ると激しい運動でもしてきたかのようにびっしょりと汗をかいていて、もうティーシャツがすけて薄い水色のブラジャーが見えている。
「大丈夫ですか? お体の具合でも。ちゃんと水を飲まないといけない。熱中症なのでは?」
 心配して和夫が近寄ると鼻の奥に強く甘い匂いが届き和夫はめまいを起こした。封筒がかさかさいっているような気がしたがめまいで見ることができない。
(な、なんだこれは……)
 ふっと和夫が気を失いかけた次の瞬間和夫は女と目が合っていた。女の目の色が先ほどとはどこか違って感じた。艶めいて潤んでいるが、どこかで見たような寒気のするような目をしていた。
「だ、誰だ……」
 和夫は思わず口走った言葉に驚いていた。確かに先ほどの女なのに別人のように思えたからだ。甘い匂いが脳をくすぐっているように和夫は感じ、興奮し、痛いほど勃起していた。
(くっ……この匂いのせいか……)
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