上 下
8 / 15

目を見て話せない

しおりを挟む
 実は頭をぶつけたっていうのも記憶障害なのも嘘で、急に前世の記憶が戻ったんです! って正直に言った方がいいのかな?
 いやでも、そんなこと言ったら余計に頭がおかしいと思われて大事になっちゃうかも……。

「ママ、どうかしたの?」
「っ……ううん。なんでもないよ」

 咄嗟に笑顔を取り繕って首を振る。
 そんな俺をじっと見上げて、「だいじょうぶだよ」とリアムが手を握ってくれた。

「ぼくがついてるからだいじょうぶ」
「っ……うん」

 ああ、やっぱりうちの子は天使だ。
 リアムの優しさに鼻の奥がツンとして、誤魔化すようにへらっと締りのない顔で笑う。

「ママはぼくがまもってあげるね」
「え……?」
「せんせい、ママはもうしんさつイヤだって」
「リアム様……」
「ママがないちゃうから、きょうはもうおわりです」

 ピョンと俺の膝から飛び降りたリアムが、「ママ、いこう」と俺の手を引いた。
 バーランダー先生がびっくりした顔で固まっている。

「あ、すいません、俺……」
「……奥様、ご事情がおありなのですよね」
「へ?」
「伊達に何十年とこの仕事をしておりません。老いぼれたとはいえ、奥様が何かを隠そうとしていらっしゃることはすぐに分かりましたよ」
「っ、そ、その」
「ご安心ください。旦那様には、脳波にも異常は見られず、健康そのものであるとお伝えしておきますので」
「え……」

 バーランダー先生が優しく微笑んで、パタンとカルテを閉じた。

「奥様がこのお屋敷にいらしてから、主治医としてずっとお側で診させていただいておりました。……その日々の中で、今が一番晴々としたお顔をしていらっしゃる。例えどのようなご事情があったとしても、奥様が健やかに過ごされることが私にとって一番の喜びなのです」
「バーランダー先生……」

 じわ、と視界が涙で滲む。
 そんな俺の顔を見て、「ママないてる!」とリアムが叫んだ。

「せんせい、ママのことなかせないで!」
「ああ、これは大変失礼致しました。ふふ、失礼、頼もしいナイトですな」

 堪えきれないとばかりに噴き出した先生に、俺もつられて笑っていた。

「はい、世界で一番の頼もしいナイトです!」
「なんのはなし?」

 当のリアムだけは、俺たちのやりとりの意味が分からずにきょとんとしていた。

 ***

 昨日交わした約束の通り、一日中ずっとリアムと一緒にいた。
 ドライフルーツが沢山入った焼き菓子を一緒に食べて、一緒に絵本を読んで、日が沈んで外が涼しくなった頃には手を繋いで庭園を散歩した。
 リアムはずっとご機嫌で、「ママといっしょだとたのしい」って何度も言ってくれた。俺もめちゃくちゃ楽しかった。
 楽しい時間ほど過ぎるのは早い。あっという間に夜になって、昨日と同じように家族三人で夕食を囲んでいた。

「それでね、ママとおにわでかくれんぼしたの」

 定位置となった俺の膝に座って、リアムは身振り手振りを交えながら、今日一日の出来事を楽しそうにジュード様に報告する。

「そうか」

 多少素っ気ない返事だけど、それでもリアムの話をちゃんと聞いている辺り、ジュード様なりに真摯に向き合ってくれているのだろう。
 一方の俺はと言えば、ジュード様の顔を見る度に昨夜の出来事が頭に蘇ってしまって、気恥ずかしさからまともに顔を見られずにいた。

「フィオナがおにをやったの。ママといっしょにかくれたんだけど、すぐにみつけられちゃった。ね、ママ?」
「え、あ、うんっ。そうだね」

 急に話を振られて、声が裏返りそうになったのを何とか咳払いで誤魔化す。

「リアムは上手に隠れられてたけど、俺のお尻が茂みから出ちゃってたんだよね」
「ママはおっちょこちょいなんだよね」
「あはは、そんな言葉誰から聞いたの?」
「バーランダーせんせい」
「先生とそんな話してたの?」
「うん!」
「ふふ、リアムはバーランダー先生と仲良しなんだね」
「うん。……ママがこわかったときも、ママのおはなしきかせてくれたんだよ」
「え……」

 さっきまで楽しそうにしていたリアムが、不意に顔を曇らせる。

「ママはね、かなしいことがたくさんあって、じょうずにわらえないんだってせんせいがいってたの」

 長い睫毛に縁取られた大きな瞳が俺を見上げる。

「だからぼく、ママがたくさんわらってくれてうれしい。いまのママが、とってもだいすき」
「リアム……」

 胸が詰まって、うまく言葉が出てこない。

「……ありがとう」

 やっとの思いで絞り出した声は掠れていたけど、リアムは満足そうに笑ってくれた。
 そんな俺たちのやり取りを見て、ジュード様は何かを考え込むように口元に手を当てた。
 チラ、と目を向けると、ちょうど俺のことを見ていたらしいジュード様と目が合った。
 ハッとしたように僅かに瞠目したジュード様が、ふいっと顔を背ける。目を逸らされるのはいつものことだけど、今日のジュード様はいつもと少し違う気がした。

「ジュード様?」

 大丈夫ですか? という意味も込めて思って名前を呼んだけど、「……いや」と短い否定の言葉しか返ってこなかった。
 それきり、ジュード様は無言になってしまったけど、その後もリアムと笑い合う俺の顔をじっと見つめては、俺と目が合うと逸らすということが何度か続いた。
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

そばにいてほしい。

15
BL
僕の恋人には、幼馴染がいる。 そんな幼馴染が彼はよっぽど大切らしい。 ──だけど、今日だけは僕のそばにいて欲しかった。 幼馴染を優先する攻め×口に出せない受け 安心してください、ハピエンです。

初夜の翌朝失踪する受けの話

春野ひより
BL
家の事情で8歳年上の男と結婚することになった直巳。婚約者の恵はカッコいいうえに優しくて直巳は彼に恋をしている。けれど彼には別に好きな人がいて…? タイトル通り初夜の翌朝攻めの前から姿を消して、案の定攻めに連れ戻される話。 歳上穏やか執着攻め×頑固な健気受け

バイバイ、セフレ。

月岡夜宵
BL
『さよなら、君との関係性。今日でお別れセックスフレンド』 尚紀は、好きな人である紫に散々な嘘までついて抱かれ、お金を払ってでもセフレ関係を繋ぎ止めていた。だが彼に本命がいると知ってしまい、円満に別れようとする。ところが、決意を新たにした矢先、とんでもない事態に発展してしまい――なんと自分から突き放すことに!? 素直になれない尚紀を置きざりに事態はどんどん劇化し、最高潮に達する時、やがて一つの結実となる。 前知らせ) ・舞台は現代日本っぽい架空の国。 ・人気者攻め(非童貞)×日陰者受け(処女)。

僕は貴方の為に消えたいと願いながらも…

夢見 歩
BL
僕は運命の番に気付いて貰えない。 僕は運命の番と夫婦なのに… 手を伸ばせば届く距離にいるのに… 僕の運命の番は 僕ではないオメガと不倫を続けている。 僕はこれ以上君に嫌われたくなくて 不倫に対して理解のある妻を演じる。 僕の心は随分と前から血を流し続けて そろそろ限界を迎えそうだ。 ┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈ 傾向|嫌われからの愛され(溺愛予定) ━━━━━━━━━━━━━━━ 夢見 歩の初のBL執筆作品です。 不憫受けをどうしても書きたくなって 衝動的に書き始めました。 途中で修正などが入る可能性が高いので 完璧な物語を読まれたい方には あまりオススメできません。

傾国の美青年

春山ひろ
BL
僕は、ガブリエル・ローミオ二世・グランフォルド、グランフォルド公爵の嫡男7歳です。オメガの母(元王子)とアルファで公爵の父との政略結婚で生まれました。周りは「運命の番」ではないからと、美貌の父上に姦しくオメガの令嬢令息がうるさいです。僕は両親が大好きなので守って見せます!なんちゃって中世風の異世界です。設定はゆるふわ、本文中にオメガバースの説明はありません。明るい母と美貌だけど感情表現が劣化した父を持つ息子の健気な奮闘記?です。他のサイトにも掲載しています。

王子様走れ!その先に愛しい婚約者の尻が待っているぞ!!

ミクリ21
BL
王子様が走ります!

婚約者は俺にだけ冷たい

円みやび
BL
藍沢奏多は王子様と噂されるほどのイケメン。 そんなイケメンの婚約者である古川優一は日々の奏多の行動に傷つきながらも文句を言えずにいた。 それでも過去の思い出から奏多との別れを決意できない優一。 しかし、奏多とΩの絡みを見てしまい全てを終わらせることを決める。 ザマァ系を期待している方にはご期待に沿えないかもしれません。 前半は受け君がだいぶ不憫です。 他との絡みが少しだけあります。 あまりキツイ言葉でコメントするのはやめて欲しいです。 ただの素人の小説です。 ご容赦ください。

【完結】あなたの妻(Ω)辞めます!

MEIKO
BL
本編完結しています。Ωの涼はある日、政略結婚の相手のα夫の直哉の浮気現場を目撃してしまう。形だけの夫婦だったけれど自分だけは愛していた┉。夫の裏切りに傷付き、そして別れを決意する。あなたの妻(Ω)辞めます!  すれ違い夫婦&オメガバース恋愛。 ※少々独自のオメガバース設定あります (R18対象話には*マーク付けますのでお気を付け下さい。)

処理中です...