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侯爵夫人としての役目

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 俺は今、人生最大級に緊張していた。
 何人分なの!? ってくらいにドデカいベッドの上に、ちょこんと正座して待つこと数分。

「お、落ち着け俺。大丈夫、ただ話するだけかもしれないし」

 スーハーと大きく深呼吸しながらブツブツひとりごとを呟く。
 なんで俺が今こんなにも緊張しているのかというと、話は小一時間前に遡る。


「ママ……」

 うりゅりゅと瞳に涙を溜めたリアムが、きゅっと俺の服の裾を掴む。今すぐにでも抱っこして柔らかなほっぺたにチュウしたい衝動に駆られたけど、なんとか理性を総動員して耐えた。

「ごめんね、リアム。一緒におねんねしたいけど、今日はパパと大事なお話があるから」
「……やだ」
「ああ、そんな顔しないで、ね? ほら、クマさんもワンちゃんもウサギさんも、リアムと一緒におねんねしたいって。みんなで一緒におねんねしたら寂しくないよ」

 ベッドに寝転ぶリアムを囲むようにして、ふわふわのぬいぐるみたちを並べる。
 その中心で、リアムは今にも泣きそうな顔をしていた。

「……ママもいっしょがいい」
「ん゛んっ!」

 行かないで、と控えめに俺の服を掴むリアムは天使だ。いやもう大天使。
 こんなに可愛くおねだりされたらなんでも言うことを聞きたくなっちゃうけど、今日だけは聞いてあげられなかった。
 リアムのためを思うからこそ、ジュード様ときちんと話し合わないといけないんだ。
 心を鬼にして、そっとリアムの手を引き剥がす。

「ママ……」
「リアム、明日は一日中ずっと一緒にいるって約束するから、今日は一人でおねんねできる?」
「……あしたも、だっこしてくれる?」
「もちろん! 明日も明後日も、いつでも抱っこするよ」
「やくそく?」
「うん、約束」

 小指を差し出すと、おずおずと小さな指が絡んでくる。指切りげんまんをして笑い合った後、名残惜しい気持ちに蓋をしてリアムの部屋を後にした。
 そうして、話し合いのためにジュード様を探そうと屋敷の中をほっつき歩いていたところを、焦った様子のメイドさんたちに呼び止められた。

「奥様、お待ちくださいませ!」
「あ、はい! なんでしょうか!?」
「旦那様がお呼びです。すぐにお支度を整えますので、私共とご一緒にいらしてください」
「支度?」

 旦那さんと話し合いするのに、わざわざ支度なんて必要なんだろうか。
 もしかして俺が思ってるよりちゃんとした話し合いな感じ? 格式ばった厳かな感じのやつなんだろうか。

「失礼いたします」
「え、あ、ええ?」

 サーッと青ざめた俺の両腕を捉えると、メイドさんたちは有無を言わさない力強さで俺をどこかへ引っ張っていく。
 アワアワしている間に連れて来られたのはお風呂場で、メイドさん三人がかりであっという間に裸に剥かれてしまった。

「え、あ、ちょっ、そんなとこダメです!」
「慣れていますのでお気になさらず」

 看護師さんに清拭してもらったことはあるけど、それとこれとはまた違った恥ずかしさがある。
 真っ赤になって抵抗する俺を軽くあしらいながら、メイドさんたちは実に手際よく隅々まで俺の体を磨き上げた。
 お風呂上がりには丁寧に髪を梳かれて、顔から体から足先まで全身にいい匂いのするクリームを塗りたくられ、スベスベのナイトガウンに着替えさせられた。
 更には訳が分からないまま鏡の前に座らされ、ご丁寧にメイクまで施される始末である。

「あの……こ、これは一体、なんのためのお粧しなんでしょうか……?」

 急いでいるのか、鬼気迫る表情で俺の身支度を整えてくれるメイドさんに、恐る恐る問いかけてみる。

「お、奥様……」

 どうしてか、一番年若いメイドさんが恥じらうように頰を染めた。
 え、俺なんか変な質問しちゃった……?
 謎の空気に困惑していれば、俺の顔に何かを塗りたくっていた年長者らしきメイドさんが、コホンと咳払いした。

「旦那様と夜をお過ごしになるのですから、相応に着飾るのは当然のことです」
「あ、そうなんですね。なんかすいません、俺あんまりそういう知識がなくて。いやまあでも、そんなに時間もかからないと思うんで、こんなにしていただかなくても大丈夫な気はしますけど、はは」
「……奥様、閨房でのことは公に語らないのがマナーでございますよ」
「あ、はい! すいません……」

 反射的に謝ってしまったけど、ケイボウでのことってなんだろう。

「あのぉ、すいません」
「なんでしょうか」
「さっき仰ってたケイボウって、一体なんのことでしょうか」
「っ!」

 俺以外のその場の全員が息を詰めたのがわかった。
 え、俺もしかして聞いちゃいけないこと聞いた……? なんかやっちゃった?

「あ、あの、俺……」
「奥様はご自分のお役目をお忘れですか?」
「へ?」
「男児をお産みになったとはいえ、侯爵家の未来はまだ安泰とは言えません。奥様にはまだ、侯爵夫人としてのお役目が残されています」
「そ、そうなんですか」

 もしかしてこれって、遠回しに『跡取りを一人産んだくらいで気を抜いてるんじゃねーよ』的なことを言われてる?
 内心ビクビクしていれば、メイドさんがハッとしたように口を開いた。それからすぐに俺から身を離して、深々と頭を下げた。

「失礼いたしました。出過ぎた発言でした」
「い、いえ……」

 ちょっとびっくりしただけなので。そう言葉を続けようとして、メイドさんの体が小刻みに震えていることに気がついた。

「あ、あのっ、全然気にしてないので大丈夫です! どうかお顔を上げてください!」

 戸惑うような間があってから、メイドさんが恐る恐ると顔を上げた。
 顔面蒼白とは正にこのことだ。顔から血の気を引かせたメイドさんに、俺の方がショックを受けてしまった。

「す、すいません俺、純粋に気になるなぁくらいの感じで質問しちゃったんですけど、全然悪気とかはなくてですね、気に触るようなことを言っちゃったならこちらこそすみません」
「奥様……」

 しどろもどろに弁明する俺を見て、メイドさんが困惑したように瞳を揺らした。

「本当に、奥様なのですか……?」
「へ?」
「あ、いえっ、申し訳ありません」
「ああいや、怒ってるんじゃないんです。確かに自分でもさっきから態度変だなって思ってるので、むしろ混乱させてしまってすみません。もしかしたら今まで俺結構キツい感じだったかもしれないんですけど、人見知りなだけなのであんまり気にしないでください! 思ったこととか全然言っていただいて大丈夫ですので!」

 いきなり饒舌になった俺に、メイドさんが目を白黒させた。

「あ、ありがとうございます」
「いや俺の方こそ……あの、今聞くのも変かもしれないんですけど、さっき言ってたお役目ってその、夫婦の営み的なことですか……?」
「は、はい。予定日が近づいて参りましたので、旦那様もそのためにご帰宅なされたのかと……」
「ええと、予定日ってなんのことでしたっけ?」
「……奥様の、発情期ヒートの時期です」
「ヒート?」
「その、発情期です」
「ああ、発情期……え!? 発情期ですか!?」
「は、はい」

 しれっと言われたけど、え!? 発情期って、ワンちゃんとか猫ちゃんのアレだよな? え、この世界の俺って発情期あるの? しかもその周期を周りの人に把握されてるの?
 え、どういうこと!?

「お、俺って、発情期があるんですか?」
「は、はい」
「え、それはその、皆さんもそうなんですか……?」

 ヤバい、これもしかしてセクハラかな。
 ヒヤヒヤしながらメイドさんたちの顔を見回す。皆さん一様に「いいえ」と首を振った。

「我々はβですので、発情期はありません」
「べ、べーた?」

 全くもって何を言われているのか分からない。
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