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六、サキの嘘
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私は嘘をついた。
何も知らないふりをして、子供を装って、みんなを騙した。全部知っている。みんなが本当は大人だってことも、本当の願いも。まだ迷っていたから、みんなには言えなかった。
子供時代は思い出したくない。父は私が産まれる前から家にいなくて、母には別の家で一緒に住んでいる恋人がいるらしかった。
学校からのお便りや、必要な物があれば書いておくメモ紙は、ポストに入れておく決まりだった。学校に行っている間に母が回収し、食費と必要物資を買うお金を置いていく。
美人で優しい声で人気な鹿族の担任の先生は、うちの事情を知っていて、「何か困ることはある?」と訊いてくれたけれど、家事はひととおりできると答えると、「じゃあ大丈夫ね」と、それきりだった。ヒト族の家庭に首を突っ込むのは御免だ、と顔に書いてあった。
学年が上がるにつれて、学級内での私は腫れ物扱いになっていった。私は何も変わっていない。変わったのは周りの空気だ。仲の良かった子達は少しずつ離れていって、気付けば別の仲良しグループに混ざっていた。ケンが秘密基地に誘ってくれなかったら、いずれ学校に行かなくなっていたかもしれない。
秘密基地は私の居場所だった。そこでは猫族羆族犬族ヒト族なんて区別に意味は無い。みんな子供で同級生で隊員で友達だった。それで良かった。確かにあの日まではそうだったのに。
打ち上げ花火が始まる前にお手洗いから戻ると、ケンとユウが言い合っていた。周りの大人は「あらあら」といった様子だったけれど、初めて見る二人の剣幕に足がすくんだ。何より恐ろしかったのは、その合間に「ゼッコウ」と聞こえたことだった。ゼッコウは友達における最後の一手で、禁断の言葉で、二度と元には戻れない覚悟をもって放つ最悪の兵器だった。
おしまいだ、と思った。私達はもう。私の居場所もまた。三人に背を向けて逃げ出した。タビが「サキちゃん」と呼びかける声も無視して。
神社の境内は静かだった。光源は淡い月明かりだけで、社殿をぼんやりと不気味に浮き上がらせていた。買ったばかりのスポーツサンダルで無理に走ったから、ヒールバンドで擦れて踵の皮がめくれた。右足だけ裸足になった。水色は好きな色だったのに。なんでこんなことになってしまったのか、と思った。
祭りの帰りにアイスでも買おうと残しておいた百十円を賽銭箱に放り込み、ぎゅっと目を閉じて手を合わせた。
「いなり様、お願いです。みんながゼッコウしませんように」
叶うはずがない。でも他にできることは無かった。私を助けてくれる人なんて誰もいなかった。
「その願い、叶える機会をやろう」
突然、辺りが明るくなり目が眩んだ。目が慣れて見えてきたのは、純白の衣装に身を包んだ白狐だった。大きな二つの耳と、足元を包むようにぐるりと横たえた豊かな尾。滑らかで一点の汚れもない白生地、緩やかに広がった裾、長く垂れた袖。白無垢みたいだと思った。角隠しで頭を覆っていたら、狐族だと見当も付かなかったけれど。首には翠色の勾玉を紐にとおして下げ、手には稲穂があった。
堂々たる立ち姿で、(楽観が過ぎるかもしれないけれど)敵意無く微笑んでいるように見えた。混じりけの無い白い被毛は非現実的な輝きを放っていた。
「狐に抓まれたような顔をしておるな」
と、したり顔だった。決め台詞のつもりなのかもしれない。
「本当に、いなり様?」
「如何にも。お前の願いだが、その賽銭ではちと足りぬな」
そう言われても、手元には一銭も無かった。「どうしたらいいですか」
「巫女として我を手伝うがよい。三日間働けばよかろう」
手伝いをするだけで願いが叶う。みんなはゼッコウせずに済む。断る理由が無かった。
「やります」
「よかろう。やよ励めよ」
期間限定の巫女は大した仕事ではなかった。いなり様が天界と呼ぶ場所から神社を見下ろして、参拝者が来たらいなり様にお知らせする。いなり様の散らかした巻物を棚にしまう。いなり様の肩を揉む。いなり様にお酌する。
巫女は他にもいて、狐族の子がほとんどで、ちらほら他の種族もいた。ヒト族は見た限り私だけだったけれど、誰もそんなことは気にしなくて、あの嫌な空気も無くて、久々に女の子同士で仲良くお喋りもした。
あっという間の三日間が過ぎて、
「下界ではお前が行方不明になったと騒ぎになっておる。我の力でどうにでもなるが、戻りたいか」
と、いなり様は言った。まるで私の心を見透かしたように。私はもう、ずっと巫女のままでいいと思っていたのだった。戻ったところで家には誰もいないし、学校の空気は重いし、秘密基地のみんなはまたゼッコウするかもしれない。
捜索されているのは知っていた。神社まわりはここからよく見える。サンダルを置いてきたのはまずかったかもしれないと思いさえした。
「戻りたくないです」と答えると、いなり様は「お前が決めることじゃ」と頷いた。
あの日をやり直せるかもしれないと思って、せっかく花火大会に誘ったのに。
まさか二度も逃げ出すことになるなんて。蘇った居場所の無い感覚が、足を神社に向けていた。右の踵が痛いのも同じ。でも、あのときとは違う。きっと、みんながすぐに追いついて私を見付けるだろう。
願われなければ、みんなと再会することもなかった。ユウの願いを聞いたいなり様は、「というわけで、お前も子供に戻るのじゃ」と言った。
毎日、神社に来るユウを見ていた。普段は無表情だったユウが思い詰めた顔をして。胸が痛まなかったと言えば嘘になるけれど、それでも戻らなかった私が、今更どんな顔をして会えばいいというのか。
「ユウの願いは叶えなきゃいけないんですか」
「お前が決めることじゃ。やよ励めよ」
そんな簡単なやり取りで、秘密基地に放り出されてしまったけれど。
背後で玉砂利を踏む音が聞こえた。
「やっぱりここか」
「探しに来てくれたんだね」
またも。何度でも。
「サキに言わなきゃいけないことがある」
ついに来たか、と思った。それなら私も打ち明けなければいけない。
「何から話せばいいか。自分と、自分達、つまりはあの二人もだが、本当は子供じゃなくて、いなり様に願い事をしたら秘密基地に、」
あまりにぶつ切りで、しどろもどろで、言葉少なで、それがユウらしくて、ついに私は吹き出した。
「ごめんね、全部知ってるんだ。ユウが『サキを連れ戻したい』って願ってくれたから、私はここにいるんだよ」
ねえ、みんな。私は戻ってもいいのかな。
何も知らないふりをして、子供を装って、みんなを騙した。全部知っている。みんなが本当は大人だってことも、本当の願いも。まだ迷っていたから、みんなには言えなかった。
子供時代は思い出したくない。父は私が産まれる前から家にいなくて、母には別の家で一緒に住んでいる恋人がいるらしかった。
学校からのお便りや、必要な物があれば書いておくメモ紙は、ポストに入れておく決まりだった。学校に行っている間に母が回収し、食費と必要物資を買うお金を置いていく。
美人で優しい声で人気な鹿族の担任の先生は、うちの事情を知っていて、「何か困ることはある?」と訊いてくれたけれど、家事はひととおりできると答えると、「じゃあ大丈夫ね」と、それきりだった。ヒト族の家庭に首を突っ込むのは御免だ、と顔に書いてあった。
学年が上がるにつれて、学級内での私は腫れ物扱いになっていった。私は何も変わっていない。変わったのは周りの空気だ。仲の良かった子達は少しずつ離れていって、気付けば別の仲良しグループに混ざっていた。ケンが秘密基地に誘ってくれなかったら、いずれ学校に行かなくなっていたかもしれない。
秘密基地は私の居場所だった。そこでは猫族羆族犬族ヒト族なんて区別に意味は無い。みんな子供で同級生で隊員で友達だった。それで良かった。確かにあの日まではそうだったのに。
打ち上げ花火が始まる前にお手洗いから戻ると、ケンとユウが言い合っていた。周りの大人は「あらあら」といった様子だったけれど、初めて見る二人の剣幕に足がすくんだ。何より恐ろしかったのは、その合間に「ゼッコウ」と聞こえたことだった。ゼッコウは友達における最後の一手で、禁断の言葉で、二度と元には戻れない覚悟をもって放つ最悪の兵器だった。
おしまいだ、と思った。私達はもう。私の居場所もまた。三人に背を向けて逃げ出した。タビが「サキちゃん」と呼びかける声も無視して。
神社の境内は静かだった。光源は淡い月明かりだけで、社殿をぼんやりと不気味に浮き上がらせていた。買ったばかりのスポーツサンダルで無理に走ったから、ヒールバンドで擦れて踵の皮がめくれた。右足だけ裸足になった。水色は好きな色だったのに。なんでこんなことになってしまったのか、と思った。
祭りの帰りにアイスでも買おうと残しておいた百十円を賽銭箱に放り込み、ぎゅっと目を閉じて手を合わせた。
「いなり様、お願いです。みんながゼッコウしませんように」
叶うはずがない。でも他にできることは無かった。私を助けてくれる人なんて誰もいなかった。
「その願い、叶える機会をやろう」
突然、辺りが明るくなり目が眩んだ。目が慣れて見えてきたのは、純白の衣装に身を包んだ白狐だった。大きな二つの耳と、足元を包むようにぐるりと横たえた豊かな尾。滑らかで一点の汚れもない白生地、緩やかに広がった裾、長く垂れた袖。白無垢みたいだと思った。角隠しで頭を覆っていたら、狐族だと見当も付かなかったけれど。首には翠色の勾玉を紐にとおして下げ、手には稲穂があった。
堂々たる立ち姿で、(楽観が過ぎるかもしれないけれど)敵意無く微笑んでいるように見えた。混じりけの無い白い被毛は非現実的な輝きを放っていた。
「狐に抓まれたような顔をしておるな」
と、したり顔だった。決め台詞のつもりなのかもしれない。
「本当に、いなり様?」
「如何にも。お前の願いだが、その賽銭ではちと足りぬな」
そう言われても、手元には一銭も無かった。「どうしたらいいですか」
「巫女として我を手伝うがよい。三日間働けばよかろう」
手伝いをするだけで願いが叶う。みんなはゼッコウせずに済む。断る理由が無かった。
「やります」
「よかろう。やよ励めよ」
期間限定の巫女は大した仕事ではなかった。いなり様が天界と呼ぶ場所から神社を見下ろして、参拝者が来たらいなり様にお知らせする。いなり様の散らかした巻物を棚にしまう。いなり様の肩を揉む。いなり様にお酌する。
巫女は他にもいて、狐族の子がほとんどで、ちらほら他の種族もいた。ヒト族は見た限り私だけだったけれど、誰もそんなことは気にしなくて、あの嫌な空気も無くて、久々に女の子同士で仲良くお喋りもした。
あっという間の三日間が過ぎて、
「下界ではお前が行方不明になったと騒ぎになっておる。我の力でどうにでもなるが、戻りたいか」
と、いなり様は言った。まるで私の心を見透かしたように。私はもう、ずっと巫女のままでいいと思っていたのだった。戻ったところで家には誰もいないし、学校の空気は重いし、秘密基地のみんなはまたゼッコウするかもしれない。
捜索されているのは知っていた。神社まわりはここからよく見える。サンダルを置いてきたのはまずかったかもしれないと思いさえした。
「戻りたくないです」と答えると、いなり様は「お前が決めることじゃ」と頷いた。
あの日をやり直せるかもしれないと思って、せっかく花火大会に誘ったのに。
まさか二度も逃げ出すことになるなんて。蘇った居場所の無い感覚が、足を神社に向けていた。右の踵が痛いのも同じ。でも、あのときとは違う。きっと、みんながすぐに追いついて私を見付けるだろう。
願われなければ、みんなと再会することもなかった。ユウの願いを聞いたいなり様は、「というわけで、お前も子供に戻るのじゃ」と言った。
毎日、神社に来るユウを見ていた。普段は無表情だったユウが思い詰めた顔をして。胸が痛まなかったと言えば嘘になるけれど、それでも戻らなかった私が、今更どんな顔をして会えばいいというのか。
「ユウの願いは叶えなきゃいけないんですか」
「お前が決めることじゃ。やよ励めよ」
そんな簡単なやり取りで、秘密基地に放り出されてしまったけれど。
背後で玉砂利を踏む音が聞こえた。
「やっぱりここか」
「探しに来てくれたんだね」
またも。何度でも。
「サキに言わなきゃいけないことがある」
ついに来たか、と思った。それなら私も打ち明けなければいけない。
「何から話せばいいか。自分と、自分達、つまりはあの二人もだが、本当は子供じゃなくて、いなり様に願い事をしたら秘密基地に、」
あまりにぶつ切りで、しどろもどろで、言葉少なで、それがユウらしくて、ついに私は吹き出した。
「ごめんね、全部知ってるんだ。ユウが『サキを連れ戻したい』って願ってくれたから、私はここにいるんだよ」
ねえ、みんな。私は戻ってもいいのかな。
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