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第四章・飛翔の正しいフォームとは
思いつき
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「先輩もどうぞ。そのお菓子、ウチの三番目のお父さんが好きだったやつです」
デスクにぽつんと残された菓子折りに視線を向け、茜が言った。俺が退室しないので彼女も立ち去りづらいのだろう。
「ごめん。ちょっとだけ時間をくれないかな」
威圧的にならないように気をつけながら告げる。こうなることは読めていたのか、素直に頷いてくれた。花房からも会場の場所を聞いていたということ。その上で無視をしたということ。違和感を覚えるのは当然だ。
「ありがとう。そこに座って」
俺に促されるまま、茜は席についた。菓子折りを挟んで対面する。今さら駆け引きなんて不要だろう。率直に結論から述べることにした。
「君は、タレイアの記者にわざと嘘の情報を流したんだね」
俺はてっきり、自分の作戦が成功したのだとばかり思っていた。第一ビルの屋上で茜と会えたのは、俺の嘘に騙されたからだと思っていた。でも実際は違ったのだ。俺の渾身の作戦なんて、他の幹部メンバーに裏取りをされるだけであっけなく崩れるのだから。
「そもそも、茜さんが本格的に記者として活動していた期間って、かなり短いんじゃないかな」
彼女の返答を待つべきなのに、つい次々と話してしまう。一旦は解決したと思った事件が、再び滝のように流れ始めたのだ。思いついたこと。気づいたこと。振り返りたいこと。すぐに吐き出さないと、頭の中がパンクしそうだ。
「風見さんと蜂須さんの記事――ここまでは確実に君の仕事だ。オフィスで見た映像を参考にしたのは明らかだし、絵画の見間違いについては前に説明したよね。でも、その次のマリアさんの記事には関わっていないと思う」
「……そうですけど」
あっさりと肯定される。だが、その表情には疑問符が浮かんでいた。
「そうですけど、どうしてそう思ったのか知りたいです」
「マリアさんのカーディガンだよ」
病院まで迎えに来てくれたマリアは、ツートンカラーのカーディガンを羽織っていた。蜂須賀神社に参拝したときと同じだ。
「高級ブランドの最新作として、記事でもしっかり紹介されていた。ということは、茜さんが書いた記事ではないよね。君の視点では、無地一色のデザインにしか見えないはずだ」
「ん……? 無地じゃないんですか?」
「写真は載っていたけど、言葉での説明は無かったから分からなくても仕方ないか。あれはピンクと水色のツートンカラーだよ」
「マジっすか!」
ピンクと水色は全く見分けがつかない。そう言っていたはずだ。どんなに綺麗な配色であっても、茜には同じ色に見えてしまうのだ。カーディガンのブランドなんて特定できるはずもない。
「少なくとも君は尾行をしていないし、記事も書いていない。せいぜい、マリアさんの行先を教えたくらいかな」
「そうっすね。マリアさんが蜂須賀神社に行くという情報は流しちゃいました」
「でもそれだけだ。他には何もしていない。この時点で既に、タレイアから足を洗いたいという気持ちがあったんじゃないか?」
自分はタレイアから見切りをつけられた――そんな話をしていたが、実際は逆だったのでは。茜の方からタレイアを切り捨てた。パパラッチ活動なんてくだらない。罪のない人たちを追い詰めることは終わりにしたい。そう思っていたからこそ、裏切り者として報復に怯えていた。
「金森由美さんの個展のときなんて、何も起きなかったからね。事務所に電話が掛かってきたらしいけど、君は情報を売らなかったし注意喚起までしてくれた。月日が経つにつれて、君の心はどんどんタレイアから離れていったのだと思う。ほとんど悪いことなんてしていない。反省するまでもなく、君はまともだった」
茜が書いた記事はふたつだけだ。それなのに言い訳ひとつせず、こんなに丁寧な謝罪をして。罪を被りすぎている。今さら撤回するつもりはないだろうが、せめて俺だけでも分かっておきたかった。
「だって、アラクネは温かかったから」
俺の顔を見てにっこりと微笑み、茜は言った。
「ウチみたいなごりごりのギャルも雇ってくれて。進学すら危うい高校生だからってバカにもしない。蜂須さんは対等に接してくれるし、風見さんはウチが困っていたら手伝ってくれるし、マリアさんは妹みたいに可愛がってくれるし、花房さんは滅多に顔を合わせないけど、お菓子とか置いてってくれるし……」
「……俺は?」
自分から訊くのもどうかと思ったが、ぽろりと口にしてしまった。いや、だって、この流れで何も言われないのは寂しいだろう。
茜は目を細める。今までと変わりないギャルメイクだが、素顔を知ってから見れば印象も変わった。等身大の少女の笑顔が同時に浮かんでいる。
「先輩は、良い人です」
「良い人かぁ~」
褒めているのか微妙な誉め言葉筆頭。でも、俺にはこれがしっくり来るし、俺が目指している人もこんな感じだった。具体的に何が凄いというわけでもない。ふと気づいたときにはそばにいて、単なる〝良い人〟として協力してくれる人。
「蝶野さんになんて、会えるわけないじゃん」
苦笑まじりに俺は言った。茜は本当の会場を知っていたのだから「蝶野に会えるかと思ってここに来た」という言葉も嘘になる。
「第二ビルの幽霊の正体は君でしょ。第二ビルに入ってから第一ビルに移動し、また第二ビルに飛び移って脱出した。計算が合わないのは当然だ」
「どうやって第一ビルに移動するんです? 火事の起きる前なんですから、屋上から屋上に渡ろうとは思いませんよ」
「でも、不可能ではないはずだ。あれらのビルは全く同じ高さと大きさだった。橋にしていたトタンが割れたからって、潔く幅跳びに切り替えることができたのは、既に予行演習していたからだと思うんだ」
「第二ビルから第一ビルへ跳躍を?」
「そう。実際に跳んでみて、思ったより余裕だと感じたんじゃないかな。そうでもなければあの高さを渡ろうなんて考えないよ」
「ウチがそんなことをする理由は何ですか? 火事から逃れるためならまだしも、予行の時点では何も起きていないはずです。命綱もなしに屋上から跳ぶなんて、それこそ自殺行為ですよ」
「うん。だから」
言葉を区切る。高校生が抱くには重すぎる動機を推測した。
「死のうとしていたんじゃないかな。茜さんは」
ついさっき、彼女自身がほとんど答えを言っていた。自殺行為としか思えない行動をした理由は、そのままずばり自殺だ。人は、死ぬつもりであれば大抵のことを実行できる。助かる方法や先のことを考える必要がないのだから。
「四メートル先の屋上へ向かって跳んで、成功すれば生きられるし、失敗すればその場で死ぬ。それでいいと思っていたんじゃないかな。理不尽なことで夢を断たれて、一年ほどが経って。もう競技には戻らないし戻れない。それでも、どうせ生きるのなら〝自分はまだ跳べる〟という心の支えが欲しかった……」
そして、もし失敗すれば、元凶となった記者は一部始終を目撃する。
彼は地上を行き来する人間ばかりにカメラを向けていた。だから屋上にいる茜には気づかず、落ちてきて初めて事態を知ることになる。そのファインダーの中に、ひとりの少女の終焉を見る。ウィッグを外し、メイクも落として、あの頃の姿のままの海原ミコトと再会するのだ。
「でも、君は跳びきった。成功したんだ」
「はたして成功だったんですかね……」
茜が首を傾げると、偽物の金髪がさらりと揺れた。
「この幽霊騒ぎを知ったとき、ものすごく落胆しました。生きている人間のことは追い回すくせに、幽霊にはビビるんだ、って。ダッサいですよね。こんな奴に人生めちゃくちゃにされたんだ。いっそのこと、目の前で死ねたらよかったのに」
「それは違うよ」
即座に口を挟む。確かにこの記者はダサいし、何度も痛い目を見ればいいと思う。でも、そのために茜が犠牲になるなんて間違っている。
「君は跳べるんだ。跳ぶ能力を持っているんだ。生きていれば、これから何だってできる。誰も追いつけないくらい幸せになることも。あの記者を見返すことも」
「あくまで結果論ですけどね」
「走り幅跳びだけのことじゃないよ。たとえ、怪我の影響で跳べなくなってしまったとしても。スポーツ推薦が無理だったとしても。今度は芸術の才能が花ひらくかもしれない。人から尊敬されることを成し遂げるかもしれない。そこまで大きなことじゃなくても、誰か大切な相手と出会えるかもしれないだろ」
「そんな突拍子もない……」
「まだ高校生なのに達観しないでよ。俺なんて、美大を出たのに今は国語の先生をやっているんだよ? この先どうなるかなんて分からないじゃないか」
必死に説得をするが、茜の表情は晴れない。他のメンバーの前ではあんなに明るく振る舞っていたのに。もちろん、どちらも本当の彼女であることは分かっている。十代の少年少女たちは、大人が思うよりずっと複雑だ。様々な情報を浴びせられ、振り回され、それでいて自分の人生にも責任を持たなければならない。
無邪気なままではいられない、というのは分かるけど……。
「ねえ、君にひとつ相談があるんだ」
俺の言葉に、茜はハッと視線を上げる。その瞳を真正面から見据えながら、さっき思いついたことを述べた。
「幽霊嫌いのそいつ、一緒に懲らしめてみない?」
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