Arachne 2 ~激闘! 敵はタレイアにあり~

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第二章・公差×交錯=神頼み

マリアの秘密

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   *

 翌日、俺は有給が余っていたので休みをとった。平日の自由時間ほどありがたいものはない。溜まっていた手続きや用事を済まし、ぶらりと町を歩く。このところ晴れの日が続いているので、空気が暖かく快適だった。

(そういえば、ここって神社だっけ)

 延々と続く石の柵に目を留める。これの正式名称は「玉垣」だ。もう何区画も景色が変わらず、相当に大きな境内であることが分かった。内側には樹木が植わっているので、中を窺うことはできない。せっかくだからお参りしていこうと考え、入口を探して歩みを進めた。

――蜂須賀神社。

 ようやく着いた玉垣の切れ間。そこに佇み、石柱に刻まれた社号を読んだ。覚えのある字面だ。上京前、旅行で東京を訪れた際に寄ったことがある。強欲な中学生だった頃、恋愛成就のご利益のある神社で神頼みを繰り返していたのだ。

 なるほどねえ。すっかり忘れていたが、ここにあったのか。

 十年前の青い記憶を必死で押し込めた。もう思い出さなくてもいいことだ。相変わらず浮いた話はないものの、恋愛だけが全てではないと今の俺は知っている。神様の方だって、恋愛成就ばかりを生業にしているわけではあるまい。家族愛や友愛、あるいは自分を大切にする心など、もっと幅広くご利益があるはずだ。

 だから、俺が今から参拝したとしても、決してそういうアレではないのだ。恋人が欲しいわけではない。そんな個人的な欲望ではなく、もっと大きなことのために願いたい。そう、アラクネの盛栄だとか。ちょうどうちの社長と名前が似ていることであるし、縁があったということで――

(見苦しいな、俺……)

 吸い寄せられるように境内へ入り、拝殿に向かって柏手を打った。願いごとが頭の中で混ざり合う。アラクネよ、永遠なれ。それは確かに願ったが、その隙間に「良い人と出会いたい」が挟まらなかったかと言えば嘘になる。

 まだ焦る時期ではないと思いつつ。結婚から逆算すれば、そろそろ出会っていなければならないというのも事実であり。とはいえ、大学というコミュニティを抜けた現在、対等な立場の女性と関わる機会は減った。

 ぐるぐると思案しながら辺りを見渡す。平日ながらに人出が多く、カップルや家族連れの姿が見られた。授与所には人が集まり、列ができたり解消したりを反復している。恋愛成就のご利益があるもんな。お守りのひとつも欲しくなるか。

 よく見ると、本来の授与所とは別の場所にも列ができている。どうやら特別な絵馬を授けているらしい。近くに寄り、立て看板の説明を読んだ。

〈一年がかりの特大企画!〉
〈四万枚の絵馬を集めて巨大絵を作ろう!〉

 ここで授与される絵馬には色が塗られており、願いごとを書いて渡すと特設会場に掛けられていくらしい。各辺二百の正方形、つまり四万マスからなるドット絵を完成させようという試みだ。

 今年の元旦から始まった企画なので、五月の現在では三分の一くらいまで進んでいるのだろうか。経過は「お楽しみ」ということらしく、工事現場にあるようなシートの向こう側に隠されていた。

「よかったら参加していかれますか?」

 制服姿の女性に声をかけられ、ハッと我に返る。神社の関係者のようだが、巫女の服装ではない。話を聞いてみると、この企画はイベント会社が主体となって運営している、とのことだった。つまり彼女は派遣スタッフだ。

「よく見ると、絵馬を手渡しているのも巫女さんではないですね」

 同じ制服を着た男女が、仮設の授与所に立っている。カラフルな絵馬が遠目にも分かった。

「ええ。蜂須賀神社の皆さまは、本来の業務でお忙しいですから。長丁場の企画になりますし、我々が直接管理しています」
「管理? ああ、ドット絵ですもんね。順番が狂わないように、か」

 絵馬を掛ける場所がひとつでも狂えばおかしなことになってしまう。これは確かに大変な作業だ。一辺二百マスということは、全体の高さは何メートルに達するのだろう。間違えてしまったら取り替えるのも難しい。

 だからこそ、完成したときの感動もひとしおだろうな、と思った。今はシートの向こう側にある絵の、たった一マスを担えるというのは面白い体験かもしれない。興味が湧いたので俺もそちらに近づいた。

 すると、出迎えるように別のスタッフが現れて説明をする。

「絵馬を受け取った後は、列から外れずにその場で文面を書いていただきます。書きたい内容は事前に決めておいてくださいね」

 なるほど。絵馬の順番を狂わせないための対策か。うっかり持ち帰ってしまう人が出るのも防げる。指示されたとおり、俺は列から離れたところで書き記したいことを考えた。

 そのとき。

「あれっ」

 どこかで見たような後ろ姿が通り過ぎる。長い黒髪。すらりとした体躯に、モデルのような歩き方。羽織っているカーディガンは初見のものだが、それ以外の部分が記憶と一致した。

「マリアさん……?」

 その女性は授与所の列の最後についた。俺はまだ並ぶつもりではなかったのだが、思わず近づいて話しかける。口元に手を添え、こっそりと。

「何しているんですか、こんなところで」
「きゃっ」

 振り返った顔はしっかりとサングラスで覆われ、素顔が分からない。だが、声と雰囲気で断定することができた。一年以上も共に働いてきた相手を間違えはしない。アラクネの社会科講師・マリアが、絵馬を受け取るために並んでいるのだ。

 それは、俺にとってあまりに意外な光景だった。
 プライベートなのだから放っておくべき。冷静に考えれば分かることなのに、つい声をかけてしまうほどに。

「マリアさんって、こういうのには興味がないと思っていました」

 味方になろうとする神を振り払ってでも、自分の手で勝利を掴もうとする人。そんなイメージがあった。誰かの付き添いならともかく、わざわざひとりで来るなんて。しかも、特別な企画の絵馬まで書いたりして。

「せっかくなので、俺もこれから絵馬を書こうと思っていて。マリアさんはどんなことを書くつもりなんですか?」

 よほど驚かせてしまったのか、なかなか返答がない。こちらも焦ってしまい、矢継ぎ早に言葉を浴びせた。本当にただ、雑談をしたかっただけなのだ。何気なく視線を巡らせ、ふと彼女の手元に視線を落とした。

 その瞬間。とんでもない失態を犯したことに気づく。

「……見た?」

 鋭い声が俺を射抜いた。

「見ました……」

 後悔しても時すでに遅し。マリアの手には赤い絵馬が握られており、すっかり記入が済んでいたのだ。俺はその内容を読んでしまった。綺麗な筆跡で、簡潔に記されていたものだから。

――蜂須賀さま、お願いします。職場の上司と両想いになれますように。

「どうしてもう書いてあるんですか」

 俺がようやく口に出せたのは、本題から離れた質問だった。

 列に並び、絵馬を受け取り、列から抜けずに文面を書いて手渡す。そんな流れなのだから、列に並び始めた時点では手ぶらのはず。混乱する俺を一瞥すると、マリアは前方を指さした。

「ここ、絵馬の文面を書いてから提出する場所へ向かうための列よ」

 つまり最後尾ではなく、列の途中だったということか。完全に俺の勘違いであり、俺が悪い。絵馬が手元にあると分かっていれば近寄らなかったのに。カラフルな絵馬は通常のものよりひと回り大きく、書かれた文字も目に留まりやすい。

 マリアは深く溜め息をつくと、腕を伸ばして本当の最後尾を示した。

「とりあえず、あなたも並んできなさい。話は後よ」

 消え入りたいほどの気持ちだったが、勝手に帰るわけにもいかない。何度も頭を下げながら列に加わった。マリアと俺の間には十名が挟まっている。

 あらゆることが頭から吹き飛びかけたが、何とか自分の番が来るまでに文面を考えることができた。水色の絵馬を渡され、その場で記入する。裏側には通し番号らしき数字が刻印されていた。しっかり確かめてはいないが、既に中盤あたりだったので、絵馬の消費スピードは順調のようだ。周囲には複数名のスタッフが待機し、追い越しが発生しないように見張っている。

 ぞろぞろと列は進み、無事に絵馬をスタッフに預けた。……さて、問題はここからだ。きょろきょろとあたりを見渡し、マリアの姿を探す。社務所の裏手で彼女は待っていた。

「すみませんでした」

 俺が謝ると、相手も申し訳なさそうな表情で視線を下げた。

「私も不用心だったわ。せめて裏返しで持っておけば良かったものを。怒っちゃってごめんなさいね」

 大きなサングラスが外された。決して笑顔ではないものの、平常心を取り戻しつつある表情だ。とはいえ、起きてしまった出来事は変わらない。

 俺はマリアの願いを知ってしまった。職場の上司と両想いになりたい、という。
 そして現状、この人にとって上司にあたる人物はひとりしかいない。

「……時間、あるかしら? 大丈夫だったらついて来て」

 マリアは再びサングラスを装着し、どこかへ向かって歩き始めた。脚が長いので歩幅も大きい。俺は鞄を肩にかけ直すと、慌ててその背中を追いかけた。
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