外骨格と踊る

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嘉辰に生まれて

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「何を今さら……」

あざけるような表情を心掛ける。意識してそうしないと、自分の立場が崩れてしまいそうな気がした。私は、彼女を拒絶し嫌悪する側だ。公演の直前で失踪するという最大限の迷惑を被ったのだから、同情する心理などあろうはずがない。それなのに。

「あんたが劇団を捨てたんだろう。今さら、何も戻ってきやしないよ」

言葉とは反対に、深く納得している自分がいた。そうだよな、取り戻したいよな。あれほど美しい身体を持っていたのだから。たかだか子供を孕んだくらいで全て奪われてしまって。かくいう私だって、彼女の美しさに魅入られた人間のひとりだ。それを型にして作られた外骨格の標本を、ひがな一日眺め続けていられるほどに。

とはいえ、ここに来たって何もないことくらい、ハルカも知っているはずである。

「トルソーならジャックの手元にあるだろう。あいつが手放すわけがない」
「それは、私たちの目の前にあった方のトルソーよ」

はぁ、と息が漏れる。何を言い出すのだこの女は。あんな手の込んだ芸術作品が、ふたつもあったというのか。そもそもお前が協力しないと作れないものだ。呆気にとられる私を前に、ハルカは言葉を続けた。

「あのトルソーが、私の身体に紙を貼り付けて作ったものだということは知っているでしょう? ひと晩かけて制作している間、ジャックは私に目隠しをさせたの」

それは聞いたことがある。作業部屋でジャックとふたりきりになったとき、彼女自身が話していた。奴は自分の作業を見られることを嫌がる。音を聞くだけなら構わないらしいが、視界は徹底的に奪おうとするのだ。ハルカのときはどうしたのか、と私が尋ねると、こともなげに目隠しについて明かした。

だからここまでは確かな情報だ。

「目隠しをされていても、伝わる情報はあるでしょう?」
「音か?」
「それもあるけど。音だけで色々と分かるほど、私は敏感じゃないわ。そうじゃなくて感触よ。身体に紙を貼りつけられていく感触」

当然のように話すが、聴覚よりも触覚が敏感な人間は少ないのではないだろうか。どこか官能的なものを感じながら、私は質問を重ねた。

「それで、あんたはどんな情報を得たんだ。ジャックは何をしていたんだ」
「二重だったのよ……」

コップの水で唇を潤し、彼女は告げる。

「張り子の要領で作られていく私の殻が、どう考えても二巡していたの。トルソーとして必要な部分を貼り終えた後、しっかり乾かしてからもう一度。だからあんなに時間が掛かったのね」
「殻の強度を増すためじゃないのか?」
「そのくらいの区別はつくわよ」

そうは言うが、普通の人間にそれは不可能だ。トルソーの強度を増すための念入りな作業。どさくさに紛れてもう一体を作るための余剰な作業。視界を塞がれ、肌からの情報だけに頼る状況で、どうやって感じ分けるというのか。

しかしハルカの言葉は力強かった。分からない方がおかしい、とでも言いたげに。

「私の肌の上に貼られた紙が全て乾いて、かっちりと固まって、もう完成したはずという瞬間があったのよ。あとは上手く切り裂いて剥がすだけの状態だった。だけどジャックはそうせずに、少しだけためらった後、もう一度最初から同じことをしたの」
「ためらった? まるで見ていたかのように話すじゃないか」
「分かるでしょ、そのくらい。作業を一旦終えてから、次の動作に取り掛かるまでの時間とか。息遣いとか」

思わず唸ってしまった。感心、と呼べば良いのだろうか、この感情は。役者としては花開くことのなかったハルカだが、何らかの才能は確かに持っていたのかもしれない。具体的な形として視界に入らなかっただけで。

「それで、トルソーがもう一体あると考えたのか」

私の確認に彼女は頷く。

「同じものをわざわざ作るってことは、違う場所に保管しているのよ。同じ所にふたつあっても仕方がないでしょう?」
「人によると思うが……。スペアという可能性もあるし」
「ジャックには必要ないわ。あの子が私を壊したり汚したりすると思う?」

トルソーの話だ。そう分かっていても、どきりとしてしまう。驚きとは異なる、嫌な胸の高鳴り。ジャックがハルカを大切に扱っていたのは事実だが、単に愛とは呼べないものがそこにあった。覗き込めば足をとられてしまいそうな、深淵のような暗い何かが。そしてハルカの方もまた、それをしっかり認識していたと明かしたのだ。

――あの子が私を壊したり汚したりすると思う?

中身まで含めた全てではなく、外骨格だけに向けられた感情だとしても。その形を生み出したのは自分なのだから、優位に立ってもいいはずだ――そんな傲慢がにじみ出ている話しぶりだった。相手が自分のどこを見ているのかなど関係ない。どの部位であろうとひとたび絡めとることができたなら、永遠に私の虜。

「一度でも私を手に入れたあの子が、それを毀損するはずがないでしょう? だからスペアなんて必要ないのよ。そんなものを作った時点で、裏切りになってしまうわ」
「分かった。ジャックのところには無い、ということにしよう。どうせ行方知れずだし、探しに行くこともできないからな。だからといってここにあるというのはどうなんだ。それこそ何の根拠もないぞ」
「そうね……」

先ほどまで自信の塊であったハルカが、初めて逡巡を見せる。

「私、最初はここが空き家になったものだと思っていたのよ。まさか引き取った人がいるなんて想像もつかなくて」
「まあ、こんな崩れかけの家じゃあな」
「だからジャックがこっそり忍び込んでいるんじゃないかと考えたの。ほら、灯台もと暗しって言うでしょ。皆が散り散りになって一度は捨てた場所なんだから、何かを隠すには最適よ」

ハルカは劇団が解散する前に駆け落ちしたわけだが、顛末を知る方法はいくらでもあるだろう。ファンのひとりであった林堂は会報で知ったと話していたっけ。ただしジャックという個人の情報までは得られないはずだ。役者でもない、ただの裏方のことなんて誰も噂しない。ハルカはいまだにジャックの失踪を知らないのだ。人付き合いが悪いので自然消滅的に行方知れずになった、その程度の認識なのかもしれない。

「とりあえず探させてちょうだいな。あなたは全て調べたつもりでも、どこかに取りこぼしがあるかもしれないわ」
「あんな大きなものを、か? 本音のところはどうなんだ」
「赤ちゃんを抱えてここまで来たんだから、簡単には引き下がれないわよ」

首を傾げて小さく舌を出す。こんなに正直だと、いっそのこと心地よい。これだからどうしても突き放すことができないのだ。私は小さく頷き、渋々といった様子だけは見せつけながら立ち上がった。
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