34 / 38
嘉辰に生まれて
3
しおりを挟む*
「何を今さら……」
あざけるような表情を心掛ける。意識してそうしないと、自分の立場が崩れてしまいそうな気がした。私は、彼女を拒絶し嫌悪する側だ。公演の直前で失踪するという最大限の迷惑を被ったのだから、同情する心理などあろうはずがない。それなのに。
「あんたが劇団を捨てたんだろう。今さら、何も戻ってきやしないよ」
言葉とは反対に、深く納得している自分がいた。そうだよな、取り戻したいよな。あれほど美しい身体を持っていたのだから。たかだか子供を孕んだくらいで全て奪われてしまって。かくいう私だって、彼女の美しさに魅入られた人間のひとりだ。それを型にして作られた外骨格の標本を、ひがな一日眺め続けていられるほどに。
とはいえ、ここに来たって何もないことくらい、ハルカも知っているはずである。
「トルソーならジャックの手元にあるだろう。あいつが手放すわけがない」
「それは、私たちの目の前にあった方のトルソーよ」
はぁ、と息が漏れる。何を言い出すのだこの女は。あんな手の込んだ芸術作品が、ふたつもあったというのか。そもそもお前が協力しないと作れないものだ。呆気にとられる私を前に、ハルカは言葉を続けた。
「あのトルソーが、私の身体に紙を貼り付けて作ったものだということは知っているでしょう? ひと晩かけて制作している間、ジャックは私に目隠しをさせたの」
それは聞いたことがある。作業部屋でジャックとふたりきりになったとき、彼女自身が話していた。奴は自分の作業を見られることを嫌がる。音を聞くだけなら構わないらしいが、視界は徹底的に奪おうとするのだ。ハルカのときはどうしたのか、と私が尋ねると、こともなげに目隠しについて明かした。
だからここまでは確かな情報だ。
「目隠しをされていても、伝わる情報はあるでしょう?」
「音か?」
「それもあるけど。音だけで色々と分かるほど、私は敏感じゃないわ。そうじゃなくて感触よ。身体に紙を貼りつけられていく感触」
当然のように話すが、聴覚よりも触覚が敏感な人間は少ないのではないだろうか。どこか官能的なものを感じながら、私は質問を重ねた。
「それで、あんたはどんな情報を得たんだ。ジャックは何をしていたんだ」
「二重だったのよ……」
コップの水で唇を潤し、彼女は告げる。
「張り子の要領で作られていく私の殻が、どう考えても二巡していたの。トルソーとして必要な部分を貼り終えた後、しっかり乾かしてからもう一度。だからあんなに時間が掛かったのね」
「殻の強度を増すためじゃないのか?」
「そのくらいの区別はつくわよ」
そうは言うが、普通の人間にそれは不可能だ。トルソーの強度を増すための念入りな作業。どさくさに紛れてもう一体を作るための余剰な作業。視界を塞がれ、肌からの情報だけに頼る状況で、どうやって感じ分けるというのか。
しかしハルカの言葉は力強かった。分からない方がおかしい、とでも言いたげに。
「私の肌の上に貼られた紙が全て乾いて、かっちりと固まって、もう完成したはずという瞬間があったのよ。あとは上手く切り裂いて剥がすだけの状態だった。だけどジャックはそうせずに、少しだけためらった後、もう一度最初から同じことをしたの」
「ためらった? まるで見ていたかのように話すじゃないか」
「分かるでしょ、そのくらい。作業を一旦終えてから、次の動作に取り掛かるまでの時間とか。息遣いとか」
思わず唸ってしまった。感心、と呼べば良いのだろうか、この感情は。役者としては花開くことのなかったハルカだが、何らかの才能は確かに持っていたのかもしれない。具体的な形として視界に入らなかっただけで。
「それで、トルソーがもう一体あると考えたのか」
私の確認に彼女は頷く。
「同じものをわざわざ作るってことは、違う場所に保管しているのよ。同じ所にふたつあっても仕方がないでしょう?」
「人によると思うが……。スペアという可能性もあるし」
「ジャックには必要ないわ。あの子が私を壊したり汚したりすると思う?」
トルソーの話だ。そう分かっていても、どきりとしてしまう。驚きとは異なる、嫌な胸の高鳴り。ジャックがハルカを大切に扱っていたのは事実だが、単に愛とは呼べないものがそこにあった。覗き込めば足をとられてしまいそうな、深淵のような暗い何かが。そしてハルカの方もまた、それをしっかり認識していたと明かしたのだ。
――あの子が私を壊したり汚したりすると思う?
中身まで含めた全てではなく、外骨格だけに向けられた感情だとしても。その形を生み出したのは自分なのだから、優位に立ってもいいはずだ――そんな傲慢がにじみ出ている話しぶりだった。相手が自分のどこを見ているのかなど関係ない。どの部位であろうとひとたび絡めとることができたなら、永遠に私の虜。
「一度でも私を手に入れたあの子が、それを毀損するはずがないでしょう? だからスペアなんて必要ないのよ。そんなものを作った時点で、裏切りになってしまうわ」
「分かった。ジャックのところには無い、ということにしよう。どうせ行方知れずだし、探しに行くこともできないからな。だからといってここにあるというのはどうなんだ。それこそ何の根拠もないぞ」
「そうね……」
先ほどまで自信の塊であったハルカが、初めて逡巡を見せる。
「私、最初はここが空き家になったものだと思っていたのよ。まさか引き取った人がいるなんて想像もつかなくて」
「まあ、こんな崩れかけの家じゃあな」
「だからジャックがこっそり忍び込んでいるんじゃないかと考えたの。ほら、灯台もと暗しって言うでしょ。皆が散り散りになって一度は捨てた場所なんだから、何かを隠すには最適よ」
ハルカは劇団が解散する前に駆け落ちしたわけだが、顛末を知る方法はいくらでもあるだろう。ファンのひとりであった林堂は会報で知ったと話していたっけ。ただしジャックという個人の情報までは得られないはずだ。役者でもない、ただの裏方のことなんて誰も噂しない。ハルカはいまだにジャックの失踪を知らないのだ。人付き合いが悪いので自然消滅的に行方知れずになった、その程度の認識なのかもしれない。
「とりあえず探させてちょうだいな。あなたは全て調べたつもりでも、どこかに取りこぼしがあるかもしれないわ」
「あんな大きなものを、か? 本音のところはどうなんだ」
「赤ちゃんを抱えてここまで来たんだから、簡単には引き下がれないわよ」
首を傾げて小さく舌を出す。こんなに正直だと、いっそのこと心地よい。これだからどうしても突き放すことができないのだ。私は小さく頷き、渋々といった様子だけは見せつけながら立ち上がった。
0
お気に入りに追加
0
あなたにおすすめの小説
百合ランジェリーカフェにようこそ!
楠富 つかさ
青春
主人公、下条藍はバイトを探すちょっと胸が大きい普通の女子大生。ある日、同じサークルの先輩からバイト先を紹介してもらうのだが、そこは男子禁制のカフェ併設ランジェリーショップで!?
ちょっとハレンチなお仕事カフェライフ、始まります!!
※この物語はフィクションであり実在の人物・団体・法律とは一切関係ありません。
表紙画像はAIイラストです。下着が生成できないのでビキニで代用しています。
日給二万円の週末魔法少女 ~夏木聖那と三人の少女~
海獺屋ぼの
ライト文芸
ある日、女子校に通う夏木聖那は『魔法少女募集』という奇妙な求人広告を見つけた。
そして彼女はその求人の日当二万円という金額に目がくらんで週末限定の『魔法少女』をすることを決意する。
そんな普通の女子高生が魔法少女のアルバイトを通して大人へと成長していく物語。
ママと中学生の僕
キムラエス
大衆娯楽
「ママと僕」は、中学生編、高校生編、大学生編の3部作で、本編は中学生編になります。ママは子供の時に両親を事故で亡くしており、結婚後に夫を病気で失い、身内として残された僕に精神的に依存をするようになる。幼少期の「僕」はそのママの依存が嬉しく、素敵なママに甘える閉鎖的な生活を当たり前のことと考える。成長し、性に目覚め始めた中学生の「僕」は自分の性もママとの日常の中で処理すべきものと疑わず、ママも戸惑いながらもママに甘える「僕」に満足する。ママも僕もそうした行為が少なからず社会規範に反していることは理解しているが、ママとの甘美な繋がりは解消できずに戸惑いながらも続く「ママと中学生の僕」の営みを描いてみました。
45歳のおっさん、異世界召喚に巻き込まれる
よっしぃ
ファンタジー
2月26日から29日現在まで4日間、アルファポリスのファンタジー部門1位達成!感謝です!
小説家になろうでも10位獲得しました!
そして、カクヨムでもランクイン中です!
●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●
スキルを強奪する為に異世界召喚を実行した欲望まみれの権力者から逃げるおっさん。
いつものように電車通勤をしていたわけだが、気が付けばまさかの異世界召喚に巻き込まれる。
欲望者から逃げ切って反撃をするか、隠れて地味に暮らすか・・・・
●●●●●●●●●●●●●●●
小説家になろうで執筆中の作品です。
アルファポリス、、カクヨムでも公開中です。
現在見直し作業中です。
変換ミス、打ちミス等が多い作品です。申し訳ありません。
クラスメイトの美少女と無人島に流された件
桜井正宗
青春
修学旅行で離島へ向かう最中――悪天候に見舞われ、台風が直撃。船が沈没した。
高校二年の早坂 啓(はやさか てつ)は、気づくと砂浜で寝ていた。周囲を見渡すとクラスメイトで美少女の天音 愛(あまね まな)が隣に倒れていた。
どうやら、漂流して流されていたようだった。
帰ろうにも島は『無人島』。
しばらくは島で生きていくしかなくなった。天音と共に無人島サバイバルをしていくのだが……クラスの女子が次々に見つかり、やがてハーレムに。
男一人と女子十五人で……取り合いに発展!?
ちょっと大人な体験談はこちらです
神崎未緒里
恋愛
本当にあった!?かもしれない
ちょっと大人な体験談です。
日常に突然訪れる刺激的な体験。
少し非日常を覗いてみませんか?
あなたにもこんな瞬間が訪れるかもしれませんよ?
※本作品ではPixai.artで作成した生成AI画像ならびに
Pixabay並びにUnsplshのロイヤリティフリーの画像を使用しています。
※不定期更新です。
※文章中の人物名・地名・年代・建物名・商品名・設定などはすべて架空のものです。
元おっさんの俺、公爵家嫡男に転生~普通にしてるだけなのに、次々と問題が降りかかってくる~
おとら@ 書籍発売中
ファンタジー
アルカディア王国の公爵家嫡男であるアレク(十六歳)はある日突然、前触れもなく前世の記憶を蘇らせる。
どうやら、それまでの自分はグータラ生活を送っていて、ろくでもない評判のようだ。
そんな中、アラフォー社畜だった前世の記憶が蘇り混乱しつつも、今の生活に慣れようとするが……。
その行動は以前とは違く見え、色々と勘違いをされる羽目に。
その結果、様々な女性に迫られることになる。
元婚約者にしてツンデレ王女、専属メイドのお調子者エルフ、決闘を仕掛けてくるクーデレ竜人姫、世話をすることなったドジっ子犬耳娘など……。
「ハーレムは嫌だァァァァ! どうしてこうなった!?」
今日も、そんな彼の悲鳴が響き渡る。
【完結】お茶を飲みながら -季節の風にのって-
志戸呂 玲萌音
ライト文芸
les quatre saisons
フランス語で 『四季』 と言う意味の紅茶専門のカフェを舞台としたお話です。
【プロローグ】
茉莉香がles quatre saisonsで働くきっかけと、
そこに集まる人々を描きます。
このお話は短いですが、彼女の人生に大きな影響を与えます。
【第一章】
茉莉香は、ある青年と出会います。
彼にはいろいろと秘密があるようですが、
様々な出来事が、二人を次第に結び付けていきます。
【第二章】
茉莉香は、将来について真剣に考えるようになります。
彼女は、悩みながらも、自分の道を模索し続けます。
果たして、どんな人生を選択するのか?
お話は、第三章、四章と続きながら、茉莉香の成長を描きます。
主人公は、決してあきらめません。
悩みながらも自分の道を歩んで行き、日々を楽しむことを忘れません。
全編を通して、美味しい紅茶と甘いお菓子が登場し、
読者の方も、ほっと一息ついていただけると思います。
ぜひ、お立ち寄りください。
※小説家になろう、カクヨム、ノベルアップ+にても連載中です。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる