外骨格と踊る

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冬を越える形

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「君は、夜顔さんの四つ目の句を書かなかったな」

まずはその話から切り出す。来場者は気付かなかったかもしれないが、主催たちの間ではとっくに共有してある内容だ。カードの正しい並びを知り、完成した俳句を書き写した胡桃は、自宅でそれを清書する手筈だった。だが数日後に彼女が持参した短冊は、三枚しかなかったのだ。

我ひとり師走の空に影消えて

この句の短冊だけが用意されていない。当人いわく、理由は

「手が震えてどうしても書けなかった」

とのことだ。百合も山茶花もこの言い分を疑いはしなかった、ように思える。内心ではどう感じていたのか知らないが、いわば遺書を書き写すような行為に抵抗を覚えるのは、納得のいく心理ではあった。

結局、過去に夜顔が詠んだ作品から冬のものをひとつ選び、代わりに展示した。この一連の流れは私もよく知っている。今さら話すようなことでもない。だが、本当に確かめたいことを聞き出すためには、ここから話し始めなければならないと思った。

「あれが夜顔の最後の一句だと思うと、どうしても書けなくて……」
「違うだろう?」

以前も聞いた釈明をする胡桃に問い掛ける。ここには百合も山茶花もいない。本当のことを認めてほしかった。

「あの句を書けなかったのは、夜顔さんが詠んだ形を捻じ曲げることになるからだ。たった十七音で完結する俳句の世界。言葉の順番、一音の足し引きにすら最大限に気を払いながら詠むものだと、君もよく分かっているはずだから」

山茶花は、彼女自身の信念によって句を解釈した。だから確信を持ってカードを並べ替えたし、作品として完成させることに抵抗はなかったはずだ。百合の方は、正解が分からないながらも「誠意を込めた結果なら間違っていても許される」という考えがあったはずだ。泣いても笑っても当人が展示を見に来ることはない。ならばもう、残された側の心理的な問題なのだ、と。

そして、部長の胡桃は――

「君は正解を知っていた。当然、山茶花さんが二択を誤ったことにも気付いていた。部長権限で修正することも可能だが、根拠も提示できないのに強い主張をしては疑われる。だから流されるしかなかった。間違いだとしても、自分がそれを秘めたまま清書してしまえば済むことだと考えていた。けれど、いざ筆を手にしたとき」
「どうしても、書けなかった……」

朗読するかのように、胡桃が続きを呟く。どこか他人事にも聞こえる声色だった。

「そう考えているのですね。私すっかり、犯人扱いだわ」

口元に手を添えて、小さく笑った。私の方は全く笑えない。今から話すことの内容が正しければ、彼女らは近いうちにとんでもないことをしでかすのだ。犯罪ではないので犯人というのは違うかもしれないが、胡桃のせいで他のふたりも誤った行為に手を出してしまう。ならば犯人〝扱い〟までは許されるだろう。

「君だけなんだよ。夜顔さんが何も告げずに姿を消して、本来なら捨てられていたはずの俳句をかろうじて回収できた――そんなシナリオは、君にしか作れない。それが全部虚構だったとしても、他のふたりには調べようがないんだ」

そもそも、夜顔が亡くなったとする根拠は、胡桃が告げた「病棟の移動であればあらかじめ伝えてくれるはず」という意味の言葉しかない。そんな不確かなものを理由に、少女たちは葬式まであげようとしている。もし、夜顔が死んでいないとしたら? 生きている人間の依り代を燃やし、荼毘に付してしまったら? 当人が知らない限りは何の問題も起こらないだろうが、良いか悪いかで言えば明らかに「良くない」ことだ。まだ引き返せるうちに問い詰めておきたかった。

それでも真実を明かせないというのなら、仕方ないが。

「夜顔がいなくなったのが嘘だというのはあり得ないでしょう。百合も山茶花も、自分の目で確認に向かっています」

胡桃の反駁に、私は自身の記憶を辿りながら返す。あのときに調査をしておいて良かった。以降はなにかと忙しく、散歩をする時間なんて作れなかったから。

「そうだな。私も実際に、それらしき病室の前まで行って確かめた。カーテンがきっちりと閉められていたので覗けなかったが、おそらく誰も使用していないだろう。だから夜顔さんがいなくなったのは本当だ」
「それじゃあ、私は嘘つきなんかじゃないです」
「単純に、病状が好転して退院したんじゃないか。それか別の病院に移ったか。いずれにせよ、夜顔さんは自らの意思であの部屋を去った。自分の手で部屋を片付け、やっておくべきことをこなし、何もかも済ませてから心置きなく部屋を空けたんだ」
「どうして、見てきたかのようにそんなことを言うの?」
「君が、ちゃんと俳句を受け取っていたからだよ」

夜顔が生きていて、確かに課題を提出したならば、どのような形にまとめたのか。少なくとも切り刻まれた紙片になど綴らない。これとこれとこれがひとつの句なので持ち帰ってから繋げてくれ、なんて雑な託し方はあり得ない。白い紙にまっすぐ書き記し、その一枚だけを手渡したことだろう。

「A4の紙に四行、完成した俳句を綴ったものを受け取っていた。急に亡くなってしまったので未完成のまま――なんてことはなく。計画的に句作をし、期限までに書き上げ、部長に提出してから立ち去った。夜顔さんにとってはただそれだけのことだったんだ。まさか仲間に泣かれていたなんて、つゆも知らないだろうな」

目の端をぬぐっていた百合の姿を思い出す。知らぬが仏、とは言うけれど。この場合、百合は知った方が喜ぶだろう。夜顔が生きていることを知り、泣いて損をしたなどと言うはずがない。だが、ここにいる部長が認めない限り、事態は何も変わらなくて。

「あの紙箱に原稿が入っていたのだと思う。小さな紙片ではなく、繋がった一枚の状態でね。だがここで箱を開けた際には、俳句はばらばらになっていた。まるで手品だな。どんなトリックを使ったのやら」

少し茶化しながら話す。トリックだなんて冗談だ。夜顔の病室からこの座敷まで、持ち運ばれる間に紙箱が滞在した場所など、胡桃の手元しかないのだから。遠回しに「君がやった」と言われたことに気付いた胡桃は、語気を強めて反論する。

「私が切り分けたとでも言うのですか。文字の隙間を縫ってカッターナイフを走らせるのは、かなり難しいと思いますが」
「そんなことをすればカードのサイズがまちまちになってしまう。そうじゃなくて、最初から全部やり直したんだ。夜顔さんの筆跡を真似して新しい紙に書き写した。その際に俳句をばらばらにしておいたわけだな」
「どうしてそんな回りくどいことを」
「そりゃあ、未完成の状態に見せかけたかったからだろう」

夜顔が亡くなっているという主張は「こんな半端な状態で急にいなくなるはずがない」という推測のみに支えられている。つまり完成した提出物が手元にあるだけで、生きている可能性がつきまとうのだ。完全に隠してしまい、何も残っていなかったと主張するのも手だが、諦めきれない山茶花あたりが深入りをする恐れがある。あるいは、こちらの方が「いかにも作りかけ」に見えると欲をかいてしまったか。その余計な行動こそが私にヒントを与えてくれた。

「私がそんなことをした証拠でもあるの?」

ついに彼女はそう言った。いかにも何かやった人間が言いそうなことを。私はこの家に預けられていた紙箱を取り出し、中の紙片を取り出す。何度も繰り返した行為だが、今度は隙間が空かないように、元の用紙の大きさを取り戻すかのようにくっつけて並べた。次にごく普通のコピー用紙を取ってくる。サイズはA4だ。

そのふたつを、見比べられるように置いた。

「こちらの方が少し大きいだろう?」

私は指し示す。以前メジャーで測った通り、俳句の紙の方がひとまわり大きい。A4は201×297で、こちらは243×334だ。

「これは……」

胡桃があからさまに驚きの表情を浮かべた。そうだろう、こういった大きさの違いは、隣同士に並べてみないと案外気付けないものだ。ましてや切り離してカードにした後では意識することもなかったはず。彼女はしばらく言葉に詰まっていたものの、やがて冷静に意見を述べた。

「用紙の規格が違うだけじゃないですか? 夜顔がどんな紙を使おうと自由ですよ」
「B判ならB4が近いが、それでもぴったりとは合わない。かなり特殊なサイズなんだ。ずっと病室で過ごしている人が理由もなく使うようなものじゃない」
「いったい、何の紙なんです?」

胡桃が首を傾げる。本当に分からないのか、分からないふりをしているのか判断のつかない表情だった。私は彼女が「これ」をやったのだと確信しているが、その根拠を彼女自身が把握しているとは限らない。何かの事件の犯人が、自分も気付かないうちに証拠を残してしまうことはよくある。

私は、用紙の縦横の長さから逆引きして知った情報を告げた。

「半紙だよ。書道に使う半紙のサイズだ」

それが、A判にもB判にも当てはまらない大きさの用紙の正体だ。

「君はごく普通のコピー用紙のつもりで手に取ったんだろう。何しろこういった紙が身近に転がっている環境だ。お父上はプロだから今さら半紙など使わないかもしれないが、たとえば自宅で書道教室を開いているなら、大量にストックしてあってもおかしくない。君自身が練習に使うこともあるはずだ。だから間違えてしまった」

部活動の提出物を求められて、わざわざ半紙に記す者はいない。そのまま掲示するわけでもないのだから。夜顔から受け取ったのはA4サイズの紙のはずだった。それを模写する段階で胡桃はミスを犯したのだ。

「まあ、こうやって並べてみないと分からないよな」

書き写してから紙を切るのではなく、切り分けてカードの形にしてから内容を書く。その方が圧倒的に楽な作業だ。だから双方の大きさを並べて見比べる機会が無かった。ばらばらのカードの状態になってから、元の原稿を隣に置いたのだろう。

胡桃の方を見る。彼女はぼんやりと口を開いていたが、やがて手を差し出して机上の紙片を触った。半紙の質感であることを確かめたのか。あのときに気付いていれば、こんな失敗には繋がらなかった。手近にあった紙を引き抜いたとき、コピー用紙との違いに気付いていれば。後悔が胸のうちを渦巻いているのかもしれない。

「私が持ち帰っておけばよかった」

そんな言葉がぽつりと聞こえた。既に完成されたものを崩すという、緊張と罪悪感に苛まれる行為の中、ミスを犯すのはやむを得ない。しかしその後に挽回することはできたはずだ。私なんかに預けなければよかったのだ。胡桃自身が持ち帰って清書をし、葬式のときまで確保していれば闇に葬れた。
爪の先が触れる瞬間、直前で怖気ついてしまったせいで。

「私がやったこと、誰にも気付かれたくなかったのに。罰が当たったのね。夜顔を勝手に殺そうとしたから」

それはどうだろう。生きている人間は、自分の知り得ないことにまで呪いを飛ばすだろうか。夜顔の視点では、間違いなく円満に別れているのだ。何も知らない。何をされても恨みようがない。呪いという形ですら今後いっさい関わることはない――そういった事実の方がむしろ、胡桃に対する罰なのかもしれない。

「このままだと君たちは、生きている者の葬式をあげてしまうことになるが」

ひとまずそう告げてみたものの。色々と話しているうちに、葬式くらいあげてもいいじゃないか、という気もしてきた。どうせ本人は知らないのだ。彼女がここまで執念をもって捻じ曲げようとした事実を、私たちの間だけでは成立させてもいいのでは。何かひどい禁忌のように捉えていたが、たかが紙を燃やすだけ。所詮、高校生のするままごとのような葬式なのだから。

「私は告発なんてしない。夜顔さんの葬式をあげると言うのなら、止めはしない。それで構わないか? 他のふたりを巻き込んで、このまま残された側であり続けるか?」

そんなことを話している最中に、胡桃が素早く顔を上げた。本当に即座だったので、私の言葉のどの部分に反応したのか分かるほどだった。残された側。その表現が引っ掛かったようだ。

「何をおっしゃるの?」

引っ掛かる、というよりまるで――逆鱗に触れた、かのような。

そんな眼光の鋭さをもって、彼女は私に語りかける。

「私たちは残された側じゃないわ。むしろ、みじめに置いて行かれた側になってしまわないよう、夜顔を亡くしたことにしたのよ。私だけじゃなくて、百合も、山茶花も、これで救われた。私は皆を守ったの」

話しているうちに、怒りの感情は高揚へ変化したようだ。目を輝かせ、自らの勝利を宣言するかのように言葉を紡ぐ。夜顔の葬式をあげたいと言い出したのは山茶花だが、彼女が言っていなければ胡桃の方から提案していたかもしれない。

「どうしてこんなことをしたんだ?」

ついに私はそう言った。長い話を経て、ようやくこの質問にたどり着くことができた。カードの元の形が半紙であると気付き、胡桃が何か関わっているのだと確信したが、その動機がいまだ分からない。私の推測が合っているなら、夜顔は少し冷たい人だ。退院、または転院の予定を部長だけに伝え、翌日にはさっさといなくなってしまった。依頼された作品は提出したものの、その後の展示には我関せずで。

だからといって、死んだことにまでしなくても。

夜顔が俳句活動を始めた頃は、確かに自らの死期を悟っていたのかもしれない。その気持ちの整理をするために、本心から句作に打ち込んでいたのかもしれない。しかし病状は変化するもので、次第に恢復して他にできることや行ける場所が増えてくると、心移りするのは自然な流れだ。胡桃たちと同い年ということは、きっとまだ遊びたい盛りの高校生なのだから。

いくら仲間だったと言ったって、このくらいのことはよくあるだろう。全員そろって会うことすらなかった、無理やり繋げたような女の子同士の友情だ。恋人に捨てられたわけでもあるまいに――そこまで考えたとき、私はふと気づく。

「もしかして……」

女の子同士ではなかったとしたら? 彼女らにとって身近にたくさんいる「女子」ではなく。関わっていくうちに少しずつ夢を見てしまっても仕方がないほどの、絵空事に近い存在が舞い降りてきたのだとしたら……?

「夜顔さんは、男子だったのか?」

胡桃は私の顔を見る。ふわりと微笑む。やっと気付いたのね、とでも言いたげな表情。少女特有のガラス細工のような人差し指を立てると、自らの口元にそっと添えた。眠っている子供に語り掛けるくらいの声量で、以前と同じ言葉を繰り返す。

「高浜先生には内緒でお願いしますね」

こんなこと、絶対に言えるはずがない。私は、かつて彼女らを星に例えた女性を思い出しながら、操られるようにがくんと頷いた。
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