外骨格と踊る

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冬を越える形

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その日の夕刻、三人が連れ立ってやって来た。

胡桃は塾の予定があったのだが、母親に許可をとって休んだらしい。以前から頑張りすぎだと感じていただけに、申し訳ないというより安堵の方が勝った。勉強なんてほどほどに楽しむのが一番だ。私を含めて四人、座卓の四辺をぐるりと取り囲んで座った。

私は、小箱の中に仕舞っていたカードを彼女らの目の前で並べた。どうしてその言葉が繋がるのか、どんな情景を描いたものなのかを解説し、あるべき姿に戻して見せた。三人の少女たちはそれを黙って聞いていた。夜顔に向けて詠んだ句を混ぜていただろう、という私の追及に対しても、すぐには否定も肯定もしなかった。

「確かに、私たちは一句ずつ夜顔に向けて詠みました」

胡桃がそう話したのは、説明が全て終わってからだ。

「高浜先生は鋭い方ですから。特定の誰かに向けた句が混じっていると知れたら余計な心配をおかけすると思い、なるべくさりげなく詠んだつもりなのですが……窓という単語が被ってしまいましたね」

その「窓」という単語から全てがほどけていった。夜顔の残そうとしたものを察することができた。もちろん当人ではないので絶対とは言えないが、これ以上に納得できる組み合わせは思いつかない。

私の右隣に座る百合が、自らに言い聞かせるように言った。

「私たちは夜顔の句作の流れを知っているから、その先入観に邪魔されたんだな。カードに書かれた単語はこれから組み合わせを試すものであり、まだ正しい繋がりは決まっていない、未完成なのだから答えなんて見つかるはずがない……と思い込んで諦めていたよ。まさかちゃんと完成した上で、切り刻まれたものだったとは」
「そう、完成した後にあえて切り分けた理由だけが分からない」

三つのパーツに分かれた句が、四行。つまり紙片は三×四の形に並んでいる。隙間を空けずにぴったり寄せ合わせれば、ごく普通のコピー用紙のサイズになると思われた。実際に測って確かめたわけではないが。

「A4用紙の一枚くらい、病室にありそうなものだけどな。このカードだって、元は一枚の白紙だったはずなんだから。提出の際には清書するだろうし、どうしてこんなことをしたのやら」
「まあ、あいつも抜けているところがありましたから。カードのストックを作っておこうとして、全て切り尽してしまったのかもしれません。普通に文章を書きたいときに不便であることをすっかり忘れて」

百合の言葉に頷きながらも、まだ疑問は残っていた。名刺サイズのカードでも、一句丸ごと書き込むことはできるだろうに。たった十七音なのだから、少し小さめに字を書けば済むことだ。紙片に綴られた文字は綺麗に整っていて、極端に視力が弱いだとか、手が不自由だとかという事情は読み取れない。私は念のため胡桃に尋ねてみた。

「これは確かに夜顔さんの字なのか?」
「そうですね」

彼女はするりと即答する。まるで、こう訊かれることを予測していたかのように。

「記憶にある限りは、確かに夜顔の筆跡です。もちろん素人判断ですので、意図的に真似したものであれば見分けがつきませんが」

さすがにそんな偽装をする者はいないだろう。可能性があるとすれば、胡桃に箱を手渡した看護師くらいだが――などと考えているところに、私の左袖を引く手があった。

「そんなことより」

無表情のまま、山茶花が口を挟む。彼女はいつも唐突な話し方をする。いや、無口だという印象が強いので、何を話しても唐突に感じてしまうだけなのか。

「夜顔の最後の句。完成させなきゃ」

そうだ。私たちにとって重要なのは経緯ではなく結果だ。俳句が分断している理由など今はどうでもいい。私は残った三枚のカードに触れた。当たり前だが、二通りの並べ方を同時に示すことはできない。それらを動かしながら順番に読み上げることにした。夕暮れの和室に、さして上手くもない朗読の声が響く。

 我ひとり 師走の空に 影消えて
 影消えて 師走の空に 我ひとり

「どちらが正解だと思う?」

三人の部員に問い掛ける。私より彼女らの方が圧倒的に詳しいはずだ。たった一年足らずではあるが、夜顔と活動を続けてきたのだから。

「どちらでも文脈は通じますけどね……」

百合が首を捻りながら話す。

「前者だと、最終的に〝我〟が消えてしまったと解釈できますよね。影というのは自分の人影のことで。逆に後者では〝影〟と〝我〟が別々に扱われている気がします。影は消えたけれど、自分はひとりぼっちで空の下に残った、みたいな……」

確かに「我ひとり」が先に来るか後に来るかで印象は少し変わる。何の影であるのか明記されていない以上、それを「我」と同一視すべきなのか分からないが。後に置かれた言葉の方が印象に強く残るため、後者の方が孤独を感じる。ひとり、という単語で終わっているのだから。

「私はこっちだと思う」

山茶花が腕を差し出し、するりとカードを並べ替える。下五にあった「我ひとり」を一番上まで持っていった。

「夜顔の句が『我ひとり』で終わるはずがない。だって、私たちがいる」

何度も夜顔と接した彼女がそう言うのなら、そうに違いないのか。四人同時に揃ったことがない以上、誰が最も親しかったか、という話に答えは出ないが――山茶花は、きっと自分が最大の理解者だと自負しているのだろう。だから今の言葉にも、譲るような気配は全く感じられなかった。

「じゃあ、こちらだとして。これはどういった解釈をすべき句だと思う?」

百合が尋ねる。山茶花は自身の完成させた句に視線を巡らせた。ガラス玉のような瞳が上下へ揺れる。

 我ひとり師走の空に影消えて

「孤独ではなく、お別れを綴ったもの」

それ自体がひとつの俳句であるかのように、彼女は告げた。

「夜顔は残された側じゃない。置いていく方。そして、寂しさを感じるのは私たちの方。だから夜顔はこの句を詠んだ。ちゃんとお別れをするために」

例えば、空の上に天国があるとして。命尽きた者がそこへ向かうには、空へと昇っていく必要がある。向こうに着けば先立った誰かが待っているのかもしれないが、今はひとりきりで。自らの影と共に空へ吸い込まれていく。師走の空に影が消えていく。

「夜顔の病気について詳しいことは知らないけれど。おそらく身体の中に何か悪いものがあって、ずっとそこで飼っている。取り出すことができなかったから。外に出ていかない以上、いつか呑まれる時は必ず来る。本人は分かっていたはず」

つまり遺書のようなものか。そう思ったが口には出せない。それはあまりにも直接的すぎる。夜顔が残した四つの作品のうち、三つは仲間を詠んだものだった。そして残るひとつは自らを詠んだものだとしたら、それは何のため?
ほとんど答えは出ているとはいえ。

「胡桃さんはどう思う?」

先ほどから口数の少ない部長へ向けて私は言った。私たちがどれほど議論を重ねたとしても、最終的な決定権を持つのは彼女だ。都合よく全て任せてしまおうと投げかけたパスに、寂しげな笑顔が返ってくる。

「私には分かりません。でも、山茶花が言うのならこちらなのでしょうね」

彼女は最後まで、俳句の内容にはひと言も触れなかった。

「とにかく、夜顔も展示に参加できるようになって良かったです。これは私が持ち帰って短冊に書きますね――」

机の上の紙片へ手を伸ばす。しかし、爪の先が触れる直前でぴたりと止まった。触れることを恐れているかのような動きだった。

「持ち帰るのは、やめておきます。内容だけ書き写させてください」

胡桃は手帳を取り出し、俳句を写し始めた。黙々と手を動かす姿を見て、そうか、連れ帰ることが怖いのか、と納得する。これを燃やしてお葬式をあげたい、と山茶花が話していたのを思い出した。亡くなった仲間の一部として残されたものを持ち帰る。それはいわば骨壺と共に帰宅するようなものだと、手を伸ばした一瞬の間に思い至ったか。

骨の代わりに俳句を燃やすなど、突拍子のない提案だとあの時は考えた。しかし夜顔のことを知りつつある今では、同意できる部分も大いにある。中身は紙片の集まりでしかないこの箱を、いつまでも弔い続ける責任を抱えきれるだろうか?

鉛筆が紙面を走る音だけが響いている。一分も必要ないことのはずなのに、なぜか永遠に続く時間のように思えた。
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