外骨格と踊る

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冬を越える形

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夜顔が抜けた分の仕事は、三人で分担することになった。つまり改めて冬の俳句を作るのだ。表向きは彼女らの共同雅号なのだから、皮肉にも正しい形になってしまった。何の嘘をつくこともなく、部員は三人のまま二度目の展示を迎えることになる。

和室の壁に並んだ額縁は、四枚だけがまだ空っぽだ。その空白を見ていると何とも言えない気持ちになる。私は散歩に出ることにした。どうせ、胡桃たちが新しい句を完成させるまで、私ひとりで進められる作業は無い。

散歩という名目ではあるが、はっきりとした目的地があった。夜顔のいた病院を探そうと思ったのだ。衛星写真である程度の目星はつけてある。波久亜学園の裏門を出て、住宅街へ向かう道。右手に総合病院の外壁を眺めながら、離れないように分岐を選んで歩く。やがてグリーンのフェンスが目に入ると、その破れ目を探しながら更に進んだ。道は下り坂になり、病室の窓が次第に高くなっていく。このまま頭上を越えてしまうのではないかと考えた頃、ひしゃげて破れたフェンスをようやく見つけた。

窓枠の高さは私の顎下あたり。小柄な少女たちの場合、かなり見上げなければ会話できないはずだ。それもまた、秘密のやりとりめいて楽しかったのかもしれない。三人の中では百合が最も長身だが、ずば抜けて大きいわけではない。カーテンはぴったりと閉められており、中の様子は窺えなかった。反対にこの病室からは何が見えるだろう。私は辺りを見渡した。街路樹がいくつか植わっているが、花が咲いたり実が成ったりする木ではなさそうだ。

下校中の子供たちが走り抜けていく。学園初等部の児童だろうか。怪しまれないように窓から離れ、ただの通行人を装うべく散歩を再開した。調査を続けようにも、あそこにはあまりに何もない。花壇もなければ山も川も見えず、人も立ち止まらず、学園と住宅街を繋ぐための通り道でしかなかった。

夜顔にとって胡桃たちはどのような存在だったのか。私は渡り鳥を想像した。遠い土地から訪れて、季節を教えてくれる存在。彼女らを経由しなければ、夜顔は多くの題材を得られない。今回の句作においても、先に完成した作品を見せながらやり取りしていた、と胡桃が話していた。カードに書かれた字列は思いつきによるものだが、その思いつきのどこかには他の俳句から受け取った要素が含まれているはずだ。人間は自分の知ることしか吐き出せないのだから。

歩きながら更に思考を巡らせる。例えば、こういうのはどうか。既に短冊に記された十二句の作品から、逆算して夜顔の意図を読むのだ。箱の中のカードを組み合わせるといっても、くじ引きではないのだから、少なからず意図は存在するだろう。何とかしてそれを辿って正解を見つける。胡桃の、百合の、山茶花の俳句を糧に想像し、生み出そうとしたものを推測することはできるのか。

そういえば、他の俳句についても少し気になることがある。私の思い過ごしかもしれないが。異なる季節を担当し、連作でもないはずの作品で、三人ともが同じ単語を使っているのだ。

窓を出て旅を始めるシャボン玉   山茶花
窓辺にてレースを編みし昼下がり  百合
長き夜に風のふりして窓を打つ   胡桃

「窓」だ。空や風といった使い勝手の良い単語ならともかく、窓が被るのは少々特殊ではないだろうか。しかも、夜顔の残した紙片の方にも「窓」がある。それは「窓にぶつかり」という中七の形で存在していた。とはいえ、こちらの方はまだ分かる。夜顔にとっては病室の窓こそが生活のほとんどだった。題材として使うことに疑問はない。ならば胡桃たちの方はなぜ揃いも揃って――と考えたとき。

私の中に浮かんだ光景があった。

展示の準備を進める中で、少女たちは考える。表沙汰にはできないが、夜顔も大切な仲間であると示したい、と。たとえ、自分たちにしか伝わらない暗号めいた形になったとしても。誰が提案したのか分からないが、三人の間で決めたことがあったのだ。自分の受け持つ四句のうち、ひとつは夜顔について詠もう――その結果、三人ともが「窓」という単語を使うことになった。

こんな流れが、あったのかもしれない。

それに思い至った途端、私は走り始めていた。いてもたってもいられなかったのだ。帰路を急ぎ、靴を脱ぎ捨て、座敷に転がり込む。机上の紙箱を掴んだ。中には何も変わらず十二枚の紙片があった。振り返ってみれば、最初からおかしかったのだ。これを見た瞬間に気付くべきだった。夜顔の句作スタイルは、しっくり来るまで言葉の組み合わせを試してみること。ならばもっとストックを用意するのではないか? たった十二枚。自分が詠むべき四句ちょうどの分しかないなんて。

カードを広げる。それから立ち上がり、壁に並んだ額縁に歩み寄った。窓という単語を含む三句を取り外し、机の脇に置く。胡桃が、百合が、山茶花が、大切な仲間を詠んだ作品だ。そして、夜顔当人はこれを意識しながら自分の句作に取り組んだ。そういうことなのだろう。部外者である私には分からずとも、実際にその景色を見たことのある者には通じるメッセージ。サプライズプレゼントのように仕込まれたそれらへ、返事をしようと考えるのは自然な流れだ。

完成しているはずの俳句が切り刻まれている理由は、まだ分からない。その答えにはたどり着けていない。とはいえ、このパズルに解法があるのだと気付けたことは大きな収穫だった。まずは春の句――山茶花に対する返事から順に考えてみよう。

 窓を出て旅を始めるシャボン玉  山茶花


カードに記された言葉は、必ずどこかに使われる。ならば「泡凍る」はここに対応するはずだ。シャボン玉は春の季語だが、山茶花がこの光景を見たのは凍てつくように寒い日のことだろう。彼女らが出会ったのは今年の春だそうなので、まださほど経たない出来事なのか。それとも花冷えの頃の話か。私は素直に句を観賞し、そこに詠まれた景色を思い浮かべてみた。

夜顔が病室の窓からシャボン玉を飛ばす。いくつかは風に乗って旅を始めたが、冷気に凍って落ちてしまうものもある。上手く飛び立てたものは空へ。一方、落ちたものはどこへ向かうのか? そう考えたとき、人形のように艶やかな山茶花の髪が見えた。雪の結晶を浮かべたそれは、窓の下にいる少女の黒髪に花を咲かせたのだろう。

 泡凍る黒髪に落ち六つの花  夜顔

これが返事だ。これが夜顔の見た光景だ。山茶花が流れゆくシャボン玉を見上げる傍らで、夜顔は彼女の黒髪を眺めていた。頭上で起きた現象など、当人は知る由もない。だから山茶花は句を組み立てることができなかったが、少し俯瞰して眺めてみれば、これ以外に答えはないと感じる。

次は、百合の詠んだ夏の句について考えよう。

 窓辺にてレースを編みし昼下がり  百合

最初、編み物をしているのは彼女の母親だろうかと考えていた。しかしこの句を詠んだ経緯を踏まえれば、夜顔以外にいない。窓の外で立ちながら編むわけもないのだから。退屈な時間を消費するべく手を動かす友人を、百合は窓辺で眺めていた。休日の昼下がり。学校へ向かう用がなくとも会いに行くほどに夜顔のことを好いていた。そんな彼女に返された言葉を探していく。

編み物の話なのだから「毛糸玉」はここで使うだろう。レースは夏の季語だが、編まれる前の形なら冬の季語として扱うことができる。二通りの可能性に悩まされた「手中でとけて」は「解けて」という表記が正解だ。あとは、ほどけた毛糸玉がどのようになるのかを考えれば、ひとつの句が完成する。

 毛糸玉手中でとけて根のごとし  夜顔

夜顔は編み棒を持っているのだから、この手は他人の手であるはずだ。毛糸玉は百合の手元にあったのだろう。本当はそんな必要もないが、ふたりで一緒に作業をしている実感が欲しかった。糸が絡まらないよう徐々に繰り出す役目を担っていたはずが、不器用なためぐしゃぐしゃにしてしまう。慌てて挽回しようとする彼女に夜顔は微笑みかける。まるで根っこみたいだね、と。

最後は、胡桃の詠んだ秋の句について。

 長き夜に風のふりして窓を打つ  胡桃

胡桃の担当した四つの作品を見たとき、これだけは情景が浮かばなかったのだ。犬や流れ星や月など、他は分かりやすいモチーフを詠んでいたにもかかわらず。窓を打つのは誰だろう。胡桃自身だとすれば、誰の家の窓を打ったのだろう。なぜ風のふりをするのだろう。そういった疑問が今、流れるように解消していく。

「風」という単語が共通しているので分かりやすい。窓の外側と内側、鏡写しのような関係になるように組み立てていく。胡桃が窓を打ったのだから、夜顔の方では何かのぶつかる音がしたはずだ。夜なのでその正体までは分からないかもしれないが。

 北風や窓にぶつかり落ちる実よ  夜顔

胡桃が叩いているのは病室の窓だ。塾の帰り道。すっかり夜は更けて、消灯時間を過ぎている。山茶花や百合が詠んだ光景のように、夜顔と直接関わることはできない。ただ窓の外を通り過ぎるだけ。派手な物音すら立てられないが、風のふりをして合図を送るくらいは許されるだろうか――そんないじらしい意図を察し、夜顔は返事をした。大丈夫、木の実が落ちて窓に当たっただけだよ。近くに実の成る木なんてないけれど。

あとは、残った三枚で最後の句を作るだけだ。私はそれらの紙片を手に取った。

 我ひとり 師走の空に 影消えて

これが正解だろうか。七音の言葉は動かしようがないが、五音の二枚は逆の可能性もある。とはいえ、私ひとりで考えてもこれ以上は絞れない。胡桃たちの意見も伺い、どちらかを選んで完成としよう。

時計を見る。三時を少し過ぎた頃で、彼女らは授業を受けている最中のはずだ。私は携帯電話を取り出して波久亜学園の番号にかけた。高等部の職員室。国語科の高浜先生に繋げてください、と告げる。ちょうど近くにいたらしく、保留音はすぐに途切れた。

「例の作品が見つかりました。新たに作る必要はない、と伝えてくれますか」

三人のうち、胡桃とだけは連絡先を交換している。しかし高浜を経由する方が確実だろう。どのタイミングでメッセージを送れば迷惑にならないのか、私の立場では判断がつかないからだ。夜顔の俳句が完成したこと。どうやって組み立てたのか、どうして気付いたのか。とうてい電話越しに伝えられることではない。

「展示について相談したいことがあるので、なるべく近いうちに来てほしい、ということも伝えてください」

ここ数日、彼女らと会えていない。きっと句作に打ち込んでいるのだ。分担して一句か二句ずつ詠めば終わるといえども、夜顔の名前を借りる以上、雑な仕事はしたくないはずだ。だからこそ「もう大丈夫」だということをいち早く伝えたかった。そして、どうやってそこに至ったのかを共有したかった。

電話口の向こうから高浜の落ち着いた声が聞こえる。事務的な話を何度か交わした後だが、いまだに緊張してしまう声色だ。とはいえ悪い人ではないし、私の急な依頼も確かに受け入れてくれた。早ければ今日にでも会える。全てを伝えることができる。受話器を置いた後、天井を見上げて大きく深呼吸した。
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