外骨格と踊る

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冬を越える形

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私の住む土地にも冬が来た。

庭で世話をしているダリアは地中に身を潜め、花壇は殺風景になった。球根として冬を越すのだ。家の前の田圃もすっかり彩りを失い、赤茶けた土壌に時折白い霜が降りる。散歩中の人影も見当たらず、ただでさえうらびれた我が家は更に忘れられた存在となった。まさに「田」のような形をした田圃の中央、畦道の交差する地点にある一軒家。漆喰の壁に濡れ羽色の瓦屋根。見渡してみても他の民家は見当たらない。少なくともこの「田」のエリアには何も。

だが、この冬に入ってから、私の会話する機会は格段に増えた。南に向かって開けている和室、その濡れ縁に視線を向ける。そこには三人の少女が並んで腰かけており、私の出したココアを手に談笑をしていた。

「それを飲んだら早く行けよ。うちは駄菓子屋じゃないんだからな」

庭先で掃除をしていた私は振り返り、彼女たちに声を掛けた。あたり百メートルほどは何もないというのに枯葉が飛んでくるのだ。紅葉や落葉とも呼べない、すっかり干からびて縮れたものだった。早くひとりになりたいわけでもなかったが、立場上そう言わなければならない気がした。この三人は近くの女子校の生徒たちだ。同性とはいえ、職も定まらない大人の家に入り浸っているのはまずい。この家に住み始めてからの私の仕事は、個展のために二週間だけここを貸し出したことくらいだった。

「駄菓子屋さんって、こんな感じなのかしら」

少女のうちのひとりが呟いた。三つ編みをふたつ括りにしており、膝から爪先まで綺麗に揃えて座っている。外見よりも幼い声だが、落ち着いた育ちの良さがにじみ出ていた。そうか、彼女らのような「良いトコ」のお嬢さんは、駄菓子屋の実状など知りはしないのだ。物語の中や、知識としては見聞きしたことがあったとしても。

波久亜はくあ学園は幼稚園から大学までを擁する名門校だ。この三人は同学年の友人同士らしい。先ほど呟いた三つ編みの少女――胡桃まどかと私は二ヶ月ほど前に知り合い、親しくなるうちに友達も誘って来るようになった。こんな田圃の真ん中にある民家になぞ、本来ならば何の用もない。胡桃は塾へ向かう際に近道として通ることもあったが、他のふたりは本当にただの寄り道として顔を出していた。

指定制服がないので、それぞれ私服で登下校している。しかし鞄は学校側から支給されたものがあるらしく、黒い革のボストンバックらしきものが座敷に三つ並んでいた。子供が持つにしては異様に大きい。それでも彼女たちにとっては必要な大きさなのだろう。型崩れすることもなく、常にしっかりと中身が詰まっている様子だった。

「塾の夏期講習で地方へ行ったとき、見たことがあるよ」

胡桃の右隣に座る少女が言った。頬骨のあたりで切り揃えた髪が爽やかな、マニッシュな容姿だ。背もすらりと高く、いわゆる「女子校の王子様」のようだ。実際にそういったポジションなのかは知らないが。白いシャツに紺色のセーター、タータンチェックの長ズボン。どこかの学校の男子制服にも見える装いだった。

「店先にベンチが置いてあるんだ。そこで子供たちが買ったものを楽しんでいた」

あくまで「見たことがある」だけなのか、と考えたが口にはしない。地方といえばここも地方だが、彼女は勉強のためにもっと辺鄙な場所へ連れていかれたのだろう。遊びに行ったわけではないので、買い食いもできない。移動中のバスの車窓から見た、という程度の経験か。最後のひとり――胡桃の左側の少女が、カップを傾けてココアを口にした。紅を引いたように赤い唇に、ちらりと舌先が這う。

「……一椀のココアに浮かぶ寒雀」

私は視線を上げた。ココアに浮かぶということは、それは空にあるはずなのだから。冬の張りつめた空気を過る雀たち。電線から電線へと、戯れるかのように飛び回る。ひと通り眺めてから、彼女の詠んだ一句に誘導されたのだと気付いた。たった十七音の言葉のままにカップを覗き、そこに映る芥子粒のような影を見て、実物を確かめるために空を見上げた。それだけの情景が凝縮されていたということだ。

「良い句ね、山茶花さざんか

胡桃が賞賛する。山茶花と呼ばれた少女は、すました顔で黒髪を指に絡めていた。前も横もまっすぐに揃った、市松人形のような髪型だ。極端に口数が少ないため、余計に人形じみて見える。赤いラインとスカーフが映える真っ黒なセーラー服を身に着けていた。もちろん、どこの学校の制服でもない。あくまで彼女の私服だ。

「……百合が以前に詠んだものを参考にした」
「ああ、サイダーの句か? あんなの夏の話じゃないか。半年ほど前だ」
「でも覚えてる。好きだから」

山茶花というのは彼女の雅号だと聞いた。初対面の際に本名も聞いたはずだが、そちらの方は記憶していない。彼女たちがずっと雅号で呼び合っているからだ。王子様風の少女は百合と呼ばれているが、こちらも同じく。

「俳句を詠むのは楽しいわね」

まだ中身の残るカップで両手を温めながら胡桃が言った。吐く息が白い。寒い日なのだから中に入れてやれば良かったかな、と思いつつ、私にそこまでの義理は無いなと思い直した。本人たちも楽しそうなのでこれでいいのだろう。
百合が大きく頷きながら言葉を返す。

「我らが俳句部も、もう少し部員が増えてほしいものだが」

いつもならここで会話が止まる。発言の機会を均等に設けるため、心優しいふたりは山茶花の手番を用意するのだ。ふたりきりで次々とお喋りをしない。しかし当の彼女が人形のように無言でいるものだから、ほとんどの話題は一往復で終了した。それでも空気が淀まないのだから不思議な関係だ。今回は珍しく、山茶花の唇が小さく動いた。

「私は、気に入っている」

控えめな話し方なのに、すとんと届く。不思議な魅力のある声だった。

「私たち四人だけで、誰にも邪魔されずに、ずっと楽しんでいたい」

山茶花の言葉に、他のふたりは末っ子を見るような態度で相槌を打っていた。
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