外骨格と踊る

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石に映る林

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濡れ縁にひとりの男が腰掛けている。私がそこへ呼んだからだ。革のジャケットを羽織り、ジーンズの裾をライダーブーツに突っ込んでいる。いかにもバイク乗りの恰好であるが、二輪も四輪も扱えないことは以前に聞いた。家主が現れたことに気付いた彼は、長い前髪をかき上げてから振り返った。

「ああ、着けてくれている」

私の胸元を視線で示す。ガーデンクォーツのペンダントのことだ。つい昨日、彼がポケットから取り出して雑に寄越してきたのだ。お近づきの印だとか今さらなことを言って。確かに私たちはひと月ほど前に出会い、初対面から知人を経て、そろそろ友人と称してもいい頃合いだとは感じていたのだが。

「枕元に置いて寝たら、桜の夢を見た」

そう話すと、男は目を細めた。おそらく。正確に分からないのは彼がサングラスを着けているからだ。初めて会った晩夏の頃からそうだったし、すっかり秋になった今でも目元を晒さない。ただ、まだ関係が浅かった頃は挨拶の度に外してくれていた。それが彼なりの礼儀なのだろう。気を遣わなくてもいい、と私が伝えてからようやく、最初から最後までサングラスのまま語らうようになった。

彼はレンズの縁を指でなぞりながら言った。

「海のようだと感じる人もいる」

ライダー風の男が着けるには、いささか薄い色のレンズ。だから僅かに表情を窺える。機嫌が良さそうだった。視線は私の胸元に向いたままなので、ペンダントの話の続きであることが分かる。

「妙だな。桜色の海があるものか」
「そうか? 朝夕の海はそんな感じだ」

なるほど、時間帯か。それは思いつかなかった。海は青いものだとばかり思い込んでいた。まるで海と共に育った者のような口ぶりだが、都会っ子だと聞いたのでそれは違う。自然に対する彼の観察眼は、大人になってから身に着けたものだ。十代の後半、モラトリアム期の彼はカメラを手に日本を縦断したらしい。ヒッチハイクと公共交通機関で。その中で桜色の海を幾度目にしたことだろう。

「まあ、今日はこれの話をするために呼んだんじゃないんだ」

私は男の隣にしゃがみ込んだ。すぐに動く予定があるので完全には腰を下ろさない。傍らに積み上げられた四角い包みに目を遣る。黒布に覆われた板状のものが四枚。昨夜まではここに無かったので、間違いなく彼が持ち込んだものだ。

「これで最後かい?」

この男は先に述べた通り車両の運転ができないわけだから、荷物を運ぶのも数日がかりだった。私は免許を持っているが、肝心のマイカーがない。借りるあてもない。結局、彼は日に数枚ずつそれを背負って運び、ようやく全て終えたのだ。

包みの中身は額装された写真たちだ。写真家である彼はここで個展を開くことになっている。私がひとりで暮らす一軒家にて。真四角な田圃を貫く畦道の、ちょうど交点に建つ古い民家。漆喰の壁はひび割れ、全体が東側へ傾いている。家が傾いている、などと話せば家業の存続を心配されるが、そうではなく物理的に崩れかけているのだ。だから買い取るときは二束三文だった。もっとも、あの頃はまだ、私ひとりで使っていたわけではないのだが。

いや、私の話など今はどうでもいい。簡潔にまとめれば、色々あって私がこの家を引き取ることになった。そうして間もない頃、偶然にここを訪れた彼と知り合った。初対面の際には名前すら聞きそびれてしまったが、住処が近所なこともあり、頻繁に顔を合わせる仲となる。男の名前は林堂玲。現在、二十五歳でフリーの写真家。

「これで全部。二十枚だな」
「そうか。じゃあ、包みを解いていこう」

沓脱石にブーツを残し、林堂がこちら側へ上がってくる。手分けして荷ほどきをした。黒いフレームに白いマット紙。中央に四角く収まる色彩。風景写真と思われる作品ばかりだ。だが、どんなに焦がれてもその地に立つことはできない。

そう、ここにあるのは風景写真と〝思われる〟写真ばかりだ。実際にはどこの景色でもないことを私は知っている。一枚目を受け取った際に彼自身から教えられた。林堂は今も身軽に旅を続けているが、訪れた先々の風景を作品とすることはやめたらしい。その代わり、そこから持ち帰った土産を自宅のスタジオで撮影している。

「冬の並木道みたいだ」
「テンドリティッククォーツ」
「沈みゆく太陽の光芒のような……」
「ルチルレイテッドクォーツ」
「深い海に潜った先で見つけた洞窟だ」
「オイルインクォーツだな。ブラックライトを当てて撮影したから青白く輝いている。内容物に蛍光性のあるタイプだ」

包みを解きながら私たちは話す。自分が撮影したとはいえ、よく覚えているものだ。額縁にタイトルや詳細の記載はなく、撮影日だけがラベリングされていた。展示方法はこれから決めるが、鉱物の中の風景であることはすぐに明かさない方が面白いだろう。きっと彼もそう思っている。あたかも風景写真のように並べておいて、順路の最後で種明かしをするのだ。まだ殺風景な壁を見ながら私は想像した。

ただの民家であるこの場所で個展を開くというのは、初めての試みだった。つまり彼は実験台になってくれたのだ。設備が整っていなくとも、管理者に知識が無くとも、何とか扱えそうな作品から試していく。上手く行きそうなら絵画や造形も展示したいが、それは当分先のことだろう。採算がとれるかどうかも分からない。

良い奴だな、と改めて思った。

「展示は写真のみ。実物は置かない。俺も個展を開くのは初めてだし、小さな鉱物の扱いは何かと大変だろうから。ただ、どこかに解説パネルは置きたい」
「オーケー。おおむね私と同じ考えだ。貸す部屋はサンルームだけでいいか?」
「広さは足りるだろう。それに、お客さんが靴を脱がなくても上がれるようにしたい。そうなるとやはりサンルームだな」

民家の一階にて、外に向かって出入口のある部屋はふたつ。縁側のある和室と、ガラス張りのサンルームだ。当然、和室に土足では上がれない。一方のサンルームはタイル敷きで掃除も容易く、段差なく庭と繋がっている。家主である私は裸足で出入りしているものの、一時的に土足を解禁するのは構わない。後で水でも流せばいいことだ。

ふたりで話し合いながら壁に額縁を掛けていく。こういった写真は厚みのあるパネルに印刷するものだと思っていたが、どれもガラスで蓋をされた額縁に収まっていた。自宅のリビングに、家族写真と並んで飾られていても違和感のないデザインだ。

「一応、展示販売の予定だ。そこまで気に入ってくれる人がいるか分からないが」

謙遜しつつ林堂は言う。つまり、これらの写真は客が買い取ることもできるのだ。絵画と違って複製可能なものであるし、目玉が飛び出るほどでもない。数枚は貰われていくのではないかと思った。もっとも、全ては集客にかかっているのだが。

「会期中はずっと在廊する予定だから、買い取り希望があったら声を掛けてくれ。実在の景色ではないこともきちんと説明しなければならないし。あと……」

林堂の言葉が途切れる。壁に掛けたばかりの一枚の額を見詰めていた。何か問題があったのだろうか。しかし彼は続きを語らず、こちらを振り向いて笑った。

「いや、何でもない。良い展示になるように頑張ろうな」
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