外骨格と踊る

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外骨格と踊る

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大学の演劇サークルを軸として発足したクレセント劇団は、田園風景の中にある民家を稽古場として買い上げた。古民家という単語から想像するほど風情があるわけでもない。所帯じみたキッチンとリビングの他には和室とサンルーム、二階には洋間がいくつか。あからさまに傾いて崩れかけていたので、団員が少しずつ懐を痛めれば買い取ることのできる物件だった。正直私はこんな古臭いところ、と不満だったが、ここを最も気に入っていたのは他ならぬハルカだ。砂糖菓子の城にしか住まないような見た目をしていながら、最も不安定な二階の角部屋に入り浸っていた。きっと、崩壊するならここからだろう、と思うような場所に。我々が想像する以上に居心地が良かったのだと思う。窓枠には彼女の垂らしたシャボン液の痕が残っている。

和室とサンルームを隔てる襖は取り去り、二間続きの空間にして舞台としていた。二階の洋間は休憩室や更衣室などに。元より三、四人程度の家族向けの家なのだから、十名もの団員が集えば手狭になる。それでも演技に必要な広さは確保しなければならない。思い返してみれば、役者や演出家は屋内で過ごしていたものの、それ以外の裏方係は縁側や庭先に放り出されていたような気がする。特に私なぞは大道具係だったわけだから、庭で鋸を引いたりセットを組み立てたりしていた記憶ばかりだ。雨が降れば来なくなる団員も少なくなかった。

ハルカは女優だった。他の役者は性別を違えた役を演じることも多々あったが、ハルカは女の役しか引き受けなかった。年寄りでも子供でもなく、実際の彼女と同じく若い女の役ばかり。プロの世界では通用しないだろう。世間では、それを「表現力が乏しい」と言う。しかしハルカはそれで良かったのだ。脚本係は彼女のために若い女が主役の劇を書いた。衣装係は演目ごとに新しいドレスを作った。彼女に見合う役者を外部の劇団から招致することもあった。大道具係の私だけが何も気にすることなく、使い回しのセットの中で彼女を走り回らせていた。

このようなことを述べれば、皆がハルカに心酔していたように聞こえるだろう。だが不思議なことに、彼女に気に入られるためだとか、愛されるためにそうしていたとは思えないのだ。あくまで私の主観ではあるが。たとえばハルカが団員の中から恋人を決めると言い出しても、その対象に選ばれたいと願う者は少なかったのではないだろうか。彼女が幼馴染のような距離感で私に接してくることもあったが、それに対する嫉妬の気配を感じることも無かった。愛憎だとか思慕だとかを飛び越えた先の本能による、働き蜂のように収斂した行動がここにあった。

贅沢に役を選ぶ女優を核とする劇団に、多くの仕事が舞い込んでくるはずもなく。道楽に毛の生えたような活動を我々は続けていた。クレセント劇団の前身は大学の演劇サークルなのだが、この大学は実家の裕福な者が集いがちだったので、稼げずとも逼迫した問題は起きなかった。例外的に私は身寄りのない貧乏人であったが、劇団のあらゆる出費における割前勘定からは除外されていた。実は家具屋でアルバイトをしており、少しばかりの貯えならあるのだが。私は団員の中で最も体格が良く、腕力もあったので、それで十分に役立っているという認識だったのかもしれない。

このように、待っていても仕事なぞ来ない劇団であった。そのため、定期的に公演を催してチケットを売る必要がある。大学サークルであった頃は構内のホールを覗きに来る学生もいたものだが、拠点を変えてからは団員の人脈に頼るしかない。民家の片隅に客を座らせるわけにもいかないので、劇場も手配しなければならなかった。団員がそれぞれ知人や友人に声を掛け、ようやく客席の半分が埋まる程度だ。ハルカの関係者も来ていたらしいが、誰がそれであるのかついぞ分からなかった。

最後の公演は、中世後期のヨーロッパを舞台にした芝居だった。もっとも、当時の我々はこれが最後になるとは知らなかったのだが。どう足掻いても赤が出るのは今に始まったことではないし、これでいよいよ終わりだという覚悟もなかった。普通の劇団ならとうに見切りをつけて解散している頃である。だがここには終わりがない。終わらなければならないという制約がない。少なくとも、資金面においては。例外的存在の私には考えられないことだが、いざとなれば親に頼ればいいという認識が皆にあったので、とにかく金の心配はなかったのだ。だから、終わるとすれば資金以外の問題で――もっと、こう、輪になって踊っていた妖精たちが一斉に飛び立ってしまうときのような、儀式の失敗めいた何かがあったということだ。

とにかく、誰もこれが最後だとは思っていなかった。だからいつものように新しく衣装や小道具を作ったし、私の担当する大道具も何か作れとせっつかれた。主役を演じるのはもちろんハルカだ。フランスの皇女として生まれたハルカ(の演じる女性)が、陰謀や権力争いや戦争勃発の危機を乗り越え、幼い頃から慕う隣国の王子と結ばれる話。と思いきや、最後には祖国の傀儡として隣国を内側から掻き回し、愛する夫も殺めてしまう。クレセント劇団の役者はハルカを含めて五人しかおらず、侍女役や皇后役に割り振れば誰も余らなかった。つまり王子を演じる者がいない。そのため他の劇団から男の役者をひとり呼ぶことになった。ハルカの弟の学友の先輩という鴇色ほどの関係の他人であったが、彼女にとっては些末な問題だったようだ。瞬く間に距離を詰め、恋人のように彼と接した。事実、役としては確かに愛し合っているわけで。ひとつかふたつ歳下にあたる彼のことを、時に揶揄いながらも事あるごとに世話を焼いた。

舞踏会のシーンがあるため、ドレスは何着も必要だった。侍女は踊らないはずだが、役者不足のために貴族の子女としても舞台に上がった。クレセント劇団の役者は五人。ハルカを除けば四人。ふたりが女、あとのふたりが男を演じれば二組のカップルが成立する。そこにハルカと王子を足して三組。狭い舞台でくるくると移動しながら踊れば、舞踏会のシーンを表現することができた。所詮人間は、同じものが三つ以上あれば「たくさん」と認識するのだ。とはいえ演者は兼役ができても、衣装はそういうわけにいかない。侍女の姿のままでは踊れないし、皇女がずっと同じドレスでは様にならない。それを解決するための作業は、小道具係兼衣装係の団員に任せられた。何か秘策があるわけでもなく、ただ新しく衣装を作れ、というだけの話ではあるが。

衣装係の名は蛇崩(じゃくずれ)という。だからジャックと呼ばれていた。当人はそんな呼び名に見合う風貌ではなく、不愛想な私をさらに超えて陰気で地味な人間だった。土色の汚れたエプロンを身に着け、ジーンズにはデザイン性とは別の理由によって穴が開いていた。シャツだけは黒だったり白だったりと日によって変わっていたが、真面目に選んでいるわけでもなかろう。稀に来客があった際は、ともすれば奴の方が大道具係だと思われがちだった。常にどこかが汚れていて、破れていて、繊細な作業などできそうに見えないから。

しかしどうして、団の中では最も優秀だった。それぞれ適所があるため一概に横並びで比べることはできないが、与えられた任務の達成度という意味では、ジャックが頭ひとつ抜けていた。役者なんてどだい不可能な見目で、広報も任せられない気質であるが、小道具と衣装を作ることにおいては完璧だったのだ。団員が団のために行う作業なので、具体的な報酬があるわけでもない。それでも一切手を抜くことなく、ふと思い出した頃には美術館にでも展示されていそうな衣装が出来上がっていた。作業場の片隅のトルソーは、普段は裸で、衣装が完成した際にそれが着せられる。作業中のものがどこにあるのか誰も知らない。とにかく全て揃ってからトルソーは衣装をまとい、その演目の本番を終えるまではそこが定位置となっていた。ジャック自らトルソーから脱がせて該当の役者に手渡す。稽古が終われば回収して、またトルソーに着せる。稽古のほとんどは稽古着で行い、衣装まで合わせるのは本番直前の短い期間なのだから、我々は人間よりもその無機物がまとっている状態の衣装を見慣れていた。

頭のない、肩から腰までだけの白い人形。大仰なドレスを着せていれば、その姿などすっぽり隠れてしまう。ドレスが宙に浮いているようだった。透けたレースのスカートが層を成し、向こう側に何かが見える気がして目を凝らしても、決して何もないのだ。トルソーに脚はない。ただアイアンの柱がまっすぐ下に伸びており、最低限の形で支えているだけだ。トルソーは様々な服を着た。森の妖精のための花びらドレス。貞淑なシスターのための漆黒の修道服。ギムナジウムで暮らす少女のための、クラシカルな制服。衣装の色形はすっかり思い出せるのに、それを着て舞台を舞う役者の姿はぼやけている。あらゆる演目の主役はハルカなのだから、きっと、着ていたのは彼女であるはずなのに。

しかしそれはこの際どうでもいい。衣装が完成し、トルソーが着て、数回だけ役者の肌の上とを往復したのち仕舞われる流れが何度繰り返されようと、私にとってはさして興味のない話であった。皆が出来栄えを褒めたたえている間も、使い回せば良いのに、などとしか考えていなかった。問題は最後の衣装だ。我々が披露する最後の劇の、何着もあるハルカのドレスのうち、舞踏会で着る予定だったもの。相変わらずジャックは誰も見ていないうちに作業を進め、その全容はなかなか表に出なかったが、ついに作業部屋の片隅へ置かれたとき――そこには新しいトルソーがあった。

ジャックは、中身ごと衣装を作ったのだ。

はじめてのことだった。いつも通りのトルソーの方は、ハルカの別な衣装をまとっていた。芝居の冒頭から着ることになっている、いわば皇女の普段着。それでも十分に立派なドレスなのだが、隣のものを見れば霞まざるを得ない。クライマックス、舞踏会にて披露されるであろう真っ赤なドレスが、中身のある状態で優雅に屹立しているのだった。

それを目にした私は、ふらふらと歩み寄って触れてみた。とろりと流れる袖の内側には確かに質量がある。広がったスカートの中身までは分からないが、隣のトルソーと比べ、支柱一本とは思えないふくらみのシルエットがあった。おそらく、脚もある。腰の下から鼠径部を辿り、足首まで。そんな形にスカートが落ちている。胸元は控えめながらも美しく張り、縫い留められたビジューを陽光にきらめかせていた。この中身が誰か、なんて勘ぐるまでもない。ハルカ。ハルカのためだけに作られたドレスが、糸の一本も崩れることなく彼女の形に沿って佇んでいる。

「どのように作った?」

振り返らないままに私は尋ねた。どうやって背後にジャックがいると知ったのか、今となっては思い出せない。そう問い掛けてから、私は背中に人の気配を感じたのだ。

「薄い和紙に溶いた糊を塗って、何層も型に貼りつけた」

ジャックが簡潔に答える。

「一巡した後は乾くのを待ち、それから次の層を貼る。その繰り返し」

他の団員はこのドレスに触れようともしなかった。今までの他の衣装であれば、場所を空けるために少し運ぶ様子などは何度も目にしたのに。役者も、演出家も、脚本係も遠巻きに眺めるだけで、しかし私が触れることを止める者もいなかった。きっと私は許されたのだ。私なら構わないと判断された。ジャック本人ではなく、外側から価値を推測するだけの烏合の衆に。本当の価値は作り手自身にしか分からないし、おそらくそれは、誰かがそっと触れた程度で崩れるものではないというのに。

それより私は、ジャックが彼女のことを「型」と言ってのけたことに驚いた。
同時に、どこか納得するような気持ちもあった。

白状したも同然だろう。彼女らふたりは、我々の預かり知らない場所と時間を共有し、透けて見えるほどに薄い和紙を何層も重ねてトルソーを作った。ただのマネキンを型にしたのでは意味がない。下着ひとつまとわないハルカの肢体を元に、首から下、足首までを丁寧に、繭のように薄紙で覆っていった。刷毛で糊を広げ、糸のような繊維の浮かぶ紙を敷き詰め、完全に乾くまで待つ。一、二層程度ではまだ肌の色が見えていただろう。それがある程度の強度を持つまで、しかし本来の構造がぼやけてしまうことのないよう、陽が沈んでから再び昇るまでの時間を目一杯ついやして。その間ハルカは全く動けない。取りやめたくなっても後には退けない。その行為がどういった意味を持つのか、団員たちは即座に理解した。そして私も――

いや、意味なんて。
意味なんて今さら、必要あるのか?

たとえ、ハルカがジャックの前で裸になるような関係であると知れたところで。王子役の俳優と恋人のように接している状況で、ふたりがこのような一夜を過ごしたところで。どうせ彼はトルソーを見ない。外部から呼ばれた俳優なので、作業場の中までは覗いてこない。彼と彼女が付き合っていようがどうでもいい。そんな低俗な話とは別の位置にこのドレスは――否、ハルカの外骨格は存在していた。

ドレスは赤い。トルソーは白い。血肉と骨のようにも見えるか? と考えかけたが、すぐに首を振った。彼女の骨はこんなものではない。見たことがないので知る由もないが、死んで燃やされるまで分からないようなものがこれほど美しいはずがない。人間も神も自然も、見えない部分ではきっと手を抜くだろう。だが、例えば甲殻類や虫や貝であれば、最初から骨格は晒されている。だから美しいし完成している。そして、適切な処置を施せば、本体が死んでもいつまでも残るのだ。

気合を入れて作ったドレスが、崩れてしまわないように。とってつけたような理由がジャックの口から告げられたのは数日後のことで、そのあまりの粗さが滑稽だった。言い訳を考えることなぞ面倒で、このまま好きに想像させておこうと思ったが、数日かけてようやく適当な内容を思いついた。そんなところだ。だがこれは団員たちにとって僅かにありがたいことだったろう。当人が建前を話してくれなければ、事あるごとにハルカが裸になった理由を考えてしまう。考えて分かる者はとうに分かっているだろうし、分からない者は何度考えても分からない。つまりは全くの無駄だ。当人がおざなりにもその無駄を排除してくれたのだから、稽古に集中しなければならない者たちは助かったはずだ。

衣装は完成したからといってすぐに着るものではない。ハルカは相変わらず白いワンピースを稽古着にしており、ドレスはトルソーに着せられたままだった。大道具係の私は稽古に用がないので、時折作業部屋に向かってそれを眺めた。もはや衣装に興味はなく、目的はその内側の白い外骨格。張り子の要領でこさえてあるため中空で、頭部はない。覗き込めば暗い空間が続いているが、もしドレスを脱がせたなら和紙を透ける光がランタンのように温かく灯るだろう。跪いて裾を捲ってみる。継ぎ目は見当たらないが、型が人間である以上、どこかで切り裂いて取り外したはず。ジャックのことだからすっかり綺麗に補修したのだ。関節は動くようにできていない。しかし直立不動の姿勢ではなく、手足の広げ方が絶妙だった。見る角度によって歩いているようにも、踊っているようにも映る。もっとも、このトルソー自身が舞台に上がるわけではないのだから、動きの表現なんて必要ないのだが……と、このときは考えていた。
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