上 下
2 / 29

2 教会で

しおりを挟む
 自分の声が教会に響くのを黙って聞いた後、両手が使えるようになったので、試しにお供え物を持ってみる。
 二個しか持てなかった。
 これじゃ口で咥えたのと変わらないじゃないか。
 
「もっと持ちたい……。寒いし」

 ぱっと顔を上げる。
 目の前の女神像にはよく見ると洋服が着せられていた。前合わせで着せることができるような、白い木綿の簡素な衣服でウエストの部分が布で絞られている。その上から赤いポンチョのようなものを被っていた。

「あったかそう」
 
 躊躇なく石像からはぎ取ると、衣服を見様見真似で着込んだ。
 胸がないので布があまり、裾がズルズルと地面を引きずっている。歩きにくいので、裾を前と後ろの真ん中で合わせてぎゅっと縛る。ひらひらしていた裾が、股下に余裕があるズボンのようになった。
 ポンチョにはお供え物を詰め込めるだけ包んで背負う。

「これ貰ってく。ありがとう!」

 像に向かってそう言うと、意気揚々とねぐらへと歩き出したのだった。
 しかし元気に歩けたのは森の出口までだった。
 歩いても歩いても遅々として進まない。走ってみたが、速度も狼と比べて遅すぎる。
 
「疲れたしちょっと休憩……。足も痛いんだけど、人間はどうしてたっけ?」

 はだしだっただろうか?
 多分、とっても足の皮が固いんだろうなと思った。
 
 よいしょ、と足の裏を見てみると白く柔らかそうな肌が土に汚れている。
 大地を踏みしめる爪もないし、どこもかしこも鍛えられた狼の足とは大違いだった。
 黒土の森の中はまだしも、この先にある石や岩の転がる場所なんて、足の裏の痛みでのたうち回る想像しかできなかった。
 ふと狼だった頃の自分を思い出す。

 ーーもっと早く走りたいなぁ。

 するとまたしても瞬きする間に狼の姿に戻っていたのだ。
 自分の変化に呆気にとられたのは一瞬で、なんだ便利じゃん!と荷物と脱げた衣服を咥えて再び歩き出したのだった。




 図らずも衣服を手に入れた最近のディンの楽しみは、人間を近くで観察することだ。
 ディンというのは自分の名前だ。
 
 森にある石の教会の近くに巣を構える梟のモーシュに聞いたら、皆生き物には親からもらった名前があると言っていた。でもディンには名前がない。あったのかもしれないが忘れた。
 それなら新しく人間の名前をつけようと思ったのだ。
 山からも行きやすくて、人間が集まる場所は教会しか知らないディンだったので、教会に向かったのは自然なことだった。
 教会では女神像に向かって「エーディン様」とみんなが言っていた。そこから名前をもらったのだ。
 
 今日は30日に一度の石の教会での集まりの日だ。
 集まる日はその時によって30日だったり、31日だったりするが、だいたいそれくらいで街に住む人たちがわざわざ森の奥にあるこの場所にで祈りをささげに来ていた。
 ディンは先日手に入れた衣服を身に着けて、教会の小窓からこっそりと中をのぞいた。

 ――いっぱい人間がいるぞ。こんなにたくさん人間が街にいるのかな?
 
 ちょうど説教の時間なのか、村の人間よりも質の良さそうな衣装を身にまとった男性が人々の前に出て何かを喋っている。
 何人かいる司祭のうち、金髪の特に目立つ若い男が講壇こうだんに立った時、女性たちから遠慮がちながらも色めき立つ声が聞こえて、ディンは笑いをかみ殺した。

 どうせ話を聞くなら見目麗しい人から聞いたほうが楽しいに決まってる。
 それくらいはディンだってわかった。
 男の金の髪は光を浴びてキラキラと輝き、長いまつげは瞳に影を落としている。静かだが落ち着いた声色はディンにも心地よく聞こえてきた。
 もっとずっと聴いていたいような気になる。

 しばらくすると、年嵩の男と入れ替わり金髪の若い男はどこかへ出て行った。それを残念に思いながらも、次に出てきた背が低くて少しぽっちゃりした優しそうな男を観察し始めた。
 人の良さそうなおじいちゃんと言ったところだ。
 髪がないのを剃っているのか、禿げているのかどうでもいいことを真剣に考えていたせいで、人の気配に気づくことが遅れてしまった。

「よければ中で聴きませんか?」
「わっ!」
 
 飛び上がり、後ろを振り返るとさっき見た金髪の司祭が立っていた。
 見つかった!そう思って驚いたディンだったが、驚いたのは相手の方も同じだったようだった。
 緑の目を大きく開くと、ディンの顔を見つめて動かなくなってしまった。
 ここではないどこかを見ているように、呆然としているようにも見える。

「あ、あの……。ええと、ここで大丈夫です」
「……」

 初めて人と話したので、どぎまぎしてしまう。
 返事がないのを焦ってディンはさらに言葉を重ねた。
 
「ええと、服はごめんなさい。洗って返すので怒らないで……」
「……あ、いえ。あの、この街の方ではない……ですよね?」

 我に返った様子で言う司祭に、ディンは少し困ってしまった。
 街の人間じゃないのだが、それだとまずいだろうか?街の人間と答えたいけれど、相手は確信して聞いているようだった。

「あの、森から来ました」

 結局ふんわりと答えたのだが、それはさらに司祭を混乱させただけだったようだった。
 美しい緑の瞳に困惑の色を浮かべる。

「森ですか……」

 ディンは何かおかしなことを言ってしまったのだと焦った。
 自分は怪しい者じゃないし、ここで見させてもらっていただけだし……。
 拙いながらも、どうにか言葉を重ねたが、上滑りしているような感覚に襲われる。
 うまく言えている自信もなかった。
 段々と彼の瞳を見ているのが怖くなり、視線があちこちとさ迷う。

「あの、ええと、さよならっ!」
「ちょっと待ってください……!」


 そして、彼の続く言葉を聞くのが怖くなり、止める声を振り切ってディンは森へと逃げるように走って行ったのだった。
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

獣人の子供が現代社会人の俺の部屋に迷い込んできました。

えっしゃー(エミリオ猫)
BL
突然、ひとり暮らしの俺(会社員)の部屋に、獣人の子供が現れた! どっから来た?!異世界転移?!仕方ないので面倒を見る、連休中の俺。 そしたら、なぜか俺の事をママだとっ?! いやいや女じゃないから!え?女って何って、お前、男しか居ない世界の子供なの?! 会社員男性と、異世界獣人のお話。 ※6話で完結します。さくっと読めます。

冤罪で投獄された異世界で、脱獄からスローライフを手に入れろ!

風早 るう
BL
ある日突然異世界へ転移した25歳の青年学人(マナト)は、無実の罪で投獄されてしまう。 物騒な囚人達に囲まれた監獄生活は、平和な日本でサラリーマンをしていたマナトにとって当然過酷だった。 異世界転移したとはいえ、何の魔力もなく、標準的な日本人男性の体格しかないマナトは、囚人達から揶揄われ、性的な嫌がらせまで受ける始末。 失意のどん底に落ちた時、新しい囚人がやって来る。 その飛び抜けて綺麗な顔をした青年、グレイを見た他の囚人達は色めき立ち、彼をモノにしようとちょっかいをかけにいくが、彼はとんでもなく強かった。 とある罪で投獄されたが、仲間思いで弱い者を守ろうとするグレイに助けられ、マナトは急速に彼に惹かれていく。 しかし監獄の外では魔王が復活してしまい、マナトに隠された神秘の力が必要に…。 脱獄から魔王討伐し、異世界でスローライフを目指すお話です。 *異世界もの初挑戦で、かなりのご都合展開です。 *性描写はライトです。

王子様と魔法は取り扱いが難しい

南方まいこ
BL
とある舞踏会に出席したレジェ、そこで幼馴染に出会い、挨拶を交わしたのが運の尽き、おかしな魔道具が陳列する室内へと潜入し、うっかり触れた魔具の魔法が発動してしまう。 特殊な魔法がかかったレジェは、みるみるうちに体が縮み、十歳前後の身体になってしまい、元に戻る方法を探し始めるが、ちょっとした誤解から、幼馴染の行動がおかしな方向へ、更には過保護な執事も加わり、色々と面倒なことに――。 ※濃縮版

異世界に転移したショタは森でスローライフ中

ミクリ21
BL
異世界に転移した小学生のヤマト。 ヤマトに一目惚れした森の主のハーメルンは、ヤマトを溺愛して求愛しての毎日です。 仲良しの二人のほのぼのストーリーです。

モフモフになった魔術師はエリート騎士の愛に困惑中

risashy
BL
魔術師団の落ちこぼれ魔術師、ローランド。 任務中にひょんなことからモフモフに変幻し、人間に戻れなくなってしまう。そんなところを騎士団の有望株アルヴィンに拾われ、命拾いしていた。 快適なペット生活を満喫する中、実はアルヴィンが自分を好きだと知る。 アルヴィンから語られる自分への愛に、ローランドは戸惑うものの——? 24000字程度の短編です。 ※BL(ボーイズラブ)作品です。 この作品は小説家になろうさんでも公開します。

【完結済】転移者を助けたら(物理的にも)身動きが取れなくなった件について。

キノア9g
BL
完結済 主人公受。異世界転移者サラリーマン×ウサギ獣人。 エロなし。プロローグ、エンディングを含め全10話。 ある日、ウサギ獣人の冒険者ラビエルは、森の中で倒れていた異世界からの転移者・直樹を助けたことをきっかけに、予想外の運命に巻き込まれてしまう。亡き愛兎「チャッピー」と自分を重ねてくる直樹に戸惑いつつも、ラビエルは彼の一途で不器用な優しさに次第に心惹かれていく。異世界の知識を駆使して王国を発展させる直樹と、彼を支えるラビエルの甘くも切ない日常が繰り広げられる――。優しさと愛が交差する異世界ラブストーリー、ここに開幕!

転生したので異世界でショタコンライフを堪能します

のりたまご飯
BL
30歳ショタコンだった俺は、駅のホームで気を失い、そのまま電車に撥ねられあっけなく死んだ。 けど、目が覚めるとそこは知らない天井...、どこかで見たことのある転生系アニメのようなシチュエーション。 どうやら俺は転生してしまったようだ。 元の世界で極度のショタコンだった俺は、ショタとして異世界で新たな人生を歩む!!! ショタ最高!ショタは世界を救う!!! ショタコンによるショタコンのためのBLコメディ小説であーる!!!

狼くんは耳と尻尾に視線を感じる

犬派だんぜん
BL
俺は狼の獣人で、幼馴染と街で冒険者に登録したばかりの15歳だ。この街にアイテムボックス持ちが来るという噂は俺たちには関係ないことだと思っていたのに、初心者講習で一緒になってしまった。気が弱そうなそいつをほっとけなくて声をかけたけど、俺の耳と尻尾を見られてる気がする。 『世界を越えてもその手は』外伝。「アルとの出会い」「アルとの転機」のキリシュの話です。

処理中です...