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20.一度だけ
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季節が流れ、肌寒い季節になった。
放課後いつものように大学の図書館に向かいながら、私はそろそろブローチのことで研究室に行くのも終わりかなと考えていた。
長期休暇の後、何度か研究室に行ったけれどその後先生の方が忙しくなり、しばらく研究室には行ってなかった。
魔法がかかっていた理由はわからなかったけれど。
ブローチは誰でも魔法をかける事はない。
対象はライムント先生だけ。
ブローチを持っていなければ発動しない。
これだけわかっているなら対処だって簡単だ。ライムント先生と会う時に持っていかなければいいのだ。
出来る事は全てやったんじゃないかな?
お陰で元々アデム殿下のおばあ様の持ち物だってことまで知れたのだし。
私が押しかけて始まったことだけれど、そろそろ終わりなのだろう。
私は一抹の寂しさを覚えて心がきゅっと締め付けられるようだった。
これで、ライムント先生とのつながりが終わってしまう。
私のブローチが先生の研究の役に立てたかな。それなら嬉しいな。
これまでをなんとなく思い返しながら廊下を歩いていると、男子生徒から声をかけられた。
「いたいた! ヘルツォさん、待って」
「副会長さん」
いつも微笑んでいるように目が細く、くせ毛なのかブラウンの髪の毛はちょこちょこと跳ねているところがなんだか隙があってほっとさせてくれる。生徒会副会長さんだ。
「あのさ、これから時間あるかな? 君に会わせたい人がいるんだよ」
「会わせたい人ですか?」
「うん。エレナ・ライヴァ嬢と言って、王宮で働かれているんだ。あ、伯爵家だよ」
未だに貴族に不慣れな私にさりげなく教えてくれる。
「会ったらびっくりするかもね」
その言葉に誘われて生徒会室へ行くことにした。
部屋の前まで行くと、誰かの話し声が漏れ聞こえてきた。
いつも静かだから珍しい。
そう思いつつなかに入る。
部屋には生徒会長とフィデリオ。それから知らない女性がいた。
「忙しいところ悪いね、ヘルツォ嬢こちらへ」
促されて、私は女性の側による。
「ライヴァ嬢、こちらは先ほど話していたエジェ・ヘルツォ嬢だ」
年の頃は二十歳をいくつか過ぎた程度だろう。
ほっそりとした小柄な人だった。
肌は白く輝くように美しい。
黒髪が彼女の肌の白さを際立たせているようだった。
服装は、ベージュの上下揃いを着ていた。スカートにもジャケットにも刺繍が施されていて、帽子につけた鳥の羽が華やかさを出している。
私が古着屋で買った服とは格が違う。
「こちらはエレナ・ライヴァ嬢だ。王宮の役人で、プロジェクトの発案者だよ」
「あっ」
「はじめまして。エジェさん。あなたに会ってみたかったのよ。私のことは気軽にエレナと呼んでちょうだい」
「はい、エレナ様」
王宮の役人だと聞いて、勝手にもっとバリバリと働くキツそうな女性なのかと思っていた。
ところが身長や大きな目のせいか、リスのような雰囲気がある可愛らしい人だった。
「あの、私のことはどこで……?」
「フィデリオからよ」
フィデリオが待ってましたとばかりに話に加わる。
「エジェさん、エレナが前に話した僕の家庭教師です」
「ああ、あの」と言おうとしたら、一瞬早くエレナ様が口を開いた。
「やだ、どんなこと話したの? 恥ずかしい話はしないでよ」
「恥ずかしいなんて、僕の憧れだって言っただけです」
「それが恥ずかしいのよぅ」
顔を赤くして、でも満更でもなさそうにフィデリオの肩をパシンと叩く。
このやり取りだけで、ふたりが相当仲の良いことが伝わる仕草だった。
促されて生徒会室の来客用ソファーに座る。
その間もフィデリオはエレナ様にずっと話しかけていた。
「エジェさん、改めて学院に来てくれてありがとう」
「いいえ、こちらこそ貴重な機会をありがとうございます」
エレナ様がふふっと上品に笑う。
「そう言ってもらえると嬉しいわ。王宮では嫌味なジジィの相手ばっかしてるからなんだか癒される」
「は」
ジジィ?
エレナ様が言ったの?
「余計な金ばっかかかるって言われてるの。ふざけんなって話よ。私は与えられた役割をこなしているんだもの、ちょっとぐらい私の希望も通ってしかるべきだわ」
エレナ様の瞳がギラギラとした光をたたえる。
「えっと」
エレナ様は若く美しい伯爵家のご令嬢でありながら、役人としても活躍目覚ましいというのが巷に流れている彼女の評判だった。
そんな彼女でも……というか、だからこそ緊張感やストレスに常にさらされているのかもしれない。
私が言葉を詰まらせたのに気が付いて、エレナ様はパッと表情を笑顔に変えた。
「今日はあなたが提案してくれた件について、私にも聞かせてもらいたいと思ってきたの。良い案なら他の学校へもフィードバックしたいし。他校の取り組みはもう殿下に話しているから後で気になるなら聞いていてちょうだい」
「わ、わかりました」
「そうやってちょっとずつだとしても、どんどん良くしていけたらいいわよね。それで早速だけど相談役? っていうのいいわね。どういうイメージなのか聞かせてもらえる?」
「は、はいっ!」
口調が早く、返事以外を挟む間もなかった。
リスのように小さくて可愛らしい見た目なのに、どこにそんなエネルギーがあるのか。
王子様である会長もいたのに、エレナ様はあっという間に会話の主導権を握った。
次から次へと流れるように話は切り替わり、私はいつの間にか溌剌としたエレナ様の話に夢中になっていた。
最後は会長に、「ライヴァ嬢、そろそろ時間なんじゃない?」と、途中で会話を無理やり切られて終わりになった。
時間としては30分程度だったから、エレナ様が忙しい方なのだろう。
この後は王宮に戻って仕事の続きをするらしい。
「突然だったのに、ごめんなさいね。有意義な時間だったわ、ありがとう」
「こちらこそ、お会いできて光栄でした」
「あなたの報告書、読むの楽しみにしてるわね」
学期末毎に成績表と私が書いた報告書が管轄の部署に送られる予定なのだけれど、それを読むのがエレナ様なのだろう。
私は背筋がヒュッと伸びるのを感じた。
誰が読むかなんて気にしていなかった。でもエレナ様が読むことを意識すると、書く内容が変わりそうだわ。
フィデリオと生徒会室を出る。
エレナ様から、扉は開けたままでいいわと言われたのでそのままにしていると、室内から会長とエレナ様の会話が聞こえてきた。
「この後は仕事に戻るなんて忙しいね」
「私の代わりはいくらでもいるの。取り替えられないように頑張らないとね」
エレナ様の小さな溜息が聞こえた。
私が出て行ったからこそこぼれた本音だろう。
エレナ様の立場が垣間見えたような気がした。
聞き耳を立てているようで行儀が悪い。早く移動しよう。そう思っていたのに、聞こえてきた言葉に思わず足を止めてしまった。
「君よりも優秀な人なんてそうそういないだろうさ。ところで、せっかく来たんだからライムントと会って行くのかい?」
「そうね。最近会ってなかったから用事もあるし。行く予定よ」
「ならアデム殿下にもよろしくと」
「わかったわ」
ライムント先生?
歩き出していたフィデリオが、歩みの遅い私を振り返り不思議そうな顔をする。
「どうしました?」
「あ、あの。ライムント先生とお知り合いなのねって思って……」
「ああ」
フィデリオは私に歩くよう促しながら、からっと笑った。
「婚約者でしたから」
その言葉に身体が急に冷え、足が急に泥の中を進むように重くなった。
知っていた。婚約者がいること。
私には手の届かない人だってことも。
でもこんな風に突きつけられるとは思わなかった。
「あの方が……」
フィデリオの優しそうな微笑みに笑顔を返す余裕はなかった。
ふと、ダンスパーティーのパートナーの事を思い出す。
ローザリンデ様はフィデリオにお願いしたら? と言っていたけれど、私が踊りたいのはライムント先生だ。
私は卒業後先生と会わなくなる。
もうじきブローチを口実に会う事もなくなる。
それなら、ダンスパーティーに誘ってみてもいいんじゃない? 断られても会わなくなるのだから気まずい思いをしなくてすむ。
エレナ様に申し訳ないという気持ちはもちろんある。
でも、最後だから。
一度だけだから。
放課後いつものように大学の図書館に向かいながら、私はそろそろブローチのことで研究室に行くのも終わりかなと考えていた。
長期休暇の後、何度か研究室に行ったけれどその後先生の方が忙しくなり、しばらく研究室には行ってなかった。
魔法がかかっていた理由はわからなかったけれど。
ブローチは誰でも魔法をかける事はない。
対象はライムント先生だけ。
ブローチを持っていなければ発動しない。
これだけわかっているなら対処だって簡単だ。ライムント先生と会う時に持っていかなければいいのだ。
出来る事は全てやったんじゃないかな?
お陰で元々アデム殿下のおばあ様の持ち物だってことまで知れたのだし。
私が押しかけて始まったことだけれど、そろそろ終わりなのだろう。
私は一抹の寂しさを覚えて心がきゅっと締め付けられるようだった。
これで、ライムント先生とのつながりが終わってしまう。
私のブローチが先生の研究の役に立てたかな。それなら嬉しいな。
これまでをなんとなく思い返しながら廊下を歩いていると、男子生徒から声をかけられた。
「いたいた! ヘルツォさん、待って」
「副会長さん」
いつも微笑んでいるように目が細く、くせ毛なのかブラウンの髪の毛はちょこちょこと跳ねているところがなんだか隙があってほっとさせてくれる。生徒会副会長さんだ。
「あのさ、これから時間あるかな? 君に会わせたい人がいるんだよ」
「会わせたい人ですか?」
「うん。エレナ・ライヴァ嬢と言って、王宮で働かれているんだ。あ、伯爵家だよ」
未だに貴族に不慣れな私にさりげなく教えてくれる。
「会ったらびっくりするかもね」
その言葉に誘われて生徒会室へ行くことにした。
部屋の前まで行くと、誰かの話し声が漏れ聞こえてきた。
いつも静かだから珍しい。
そう思いつつなかに入る。
部屋には生徒会長とフィデリオ。それから知らない女性がいた。
「忙しいところ悪いね、ヘルツォ嬢こちらへ」
促されて、私は女性の側による。
「ライヴァ嬢、こちらは先ほど話していたエジェ・ヘルツォ嬢だ」
年の頃は二十歳をいくつか過ぎた程度だろう。
ほっそりとした小柄な人だった。
肌は白く輝くように美しい。
黒髪が彼女の肌の白さを際立たせているようだった。
服装は、ベージュの上下揃いを着ていた。スカートにもジャケットにも刺繍が施されていて、帽子につけた鳥の羽が華やかさを出している。
私が古着屋で買った服とは格が違う。
「こちらはエレナ・ライヴァ嬢だ。王宮の役人で、プロジェクトの発案者だよ」
「あっ」
「はじめまして。エジェさん。あなたに会ってみたかったのよ。私のことは気軽にエレナと呼んでちょうだい」
「はい、エレナ様」
王宮の役人だと聞いて、勝手にもっとバリバリと働くキツそうな女性なのかと思っていた。
ところが身長や大きな目のせいか、リスのような雰囲気がある可愛らしい人だった。
「あの、私のことはどこで……?」
「フィデリオからよ」
フィデリオが待ってましたとばかりに話に加わる。
「エジェさん、エレナが前に話した僕の家庭教師です」
「ああ、あの」と言おうとしたら、一瞬早くエレナ様が口を開いた。
「やだ、どんなこと話したの? 恥ずかしい話はしないでよ」
「恥ずかしいなんて、僕の憧れだって言っただけです」
「それが恥ずかしいのよぅ」
顔を赤くして、でも満更でもなさそうにフィデリオの肩をパシンと叩く。
このやり取りだけで、ふたりが相当仲の良いことが伝わる仕草だった。
促されて生徒会室の来客用ソファーに座る。
その間もフィデリオはエレナ様にずっと話しかけていた。
「エジェさん、改めて学院に来てくれてありがとう」
「いいえ、こちらこそ貴重な機会をありがとうございます」
エレナ様がふふっと上品に笑う。
「そう言ってもらえると嬉しいわ。王宮では嫌味なジジィの相手ばっかしてるからなんだか癒される」
「は」
ジジィ?
エレナ様が言ったの?
「余計な金ばっかかかるって言われてるの。ふざけんなって話よ。私は与えられた役割をこなしているんだもの、ちょっとぐらい私の希望も通ってしかるべきだわ」
エレナ様の瞳がギラギラとした光をたたえる。
「えっと」
エレナ様は若く美しい伯爵家のご令嬢でありながら、役人としても活躍目覚ましいというのが巷に流れている彼女の評判だった。
そんな彼女でも……というか、だからこそ緊張感やストレスに常にさらされているのかもしれない。
私が言葉を詰まらせたのに気が付いて、エレナ様はパッと表情を笑顔に変えた。
「今日はあなたが提案してくれた件について、私にも聞かせてもらいたいと思ってきたの。良い案なら他の学校へもフィードバックしたいし。他校の取り組みはもう殿下に話しているから後で気になるなら聞いていてちょうだい」
「わ、わかりました」
「そうやってちょっとずつだとしても、どんどん良くしていけたらいいわよね。それで早速だけど相談役? っていうのいいわね。どういうイメージなのか聞かせてもらえる?」
「は、はいっ!」
口調が早く、返事以外を挟む間もなかった。
リスのように小さくて可愛らしい見た目なのに、どこにそんなエネルギーがあるのか。
王子様である会長もいたのに、エレナ様はあっという間に会話の主導権を握った。
次から次へと流れるように話は切り替わり、私はいつの間にか溌剌としたエレナ様の話に夢中になっていた。
最後は会長に、「ライヴァ嬢、そろそろ時間なんじゃない?」と、途中で会話を無理やり切られて終わりになった。
時間としては30分程度だったから、エレナ様が忙しい方なのだろう。
この後は王宮に戻って仕事の続きをするらしい。
「突然だったのに、ごめんなさいね。有意義な時間だったわ、ありがとう」
「こちらこそ、お会いできて光栄でした」
「あなたの報告書、読むの楽しみにしてるわね」
学期末毎に成績表と私が書いた報告書が管轄の部署に送られる予定なのだけれど、それを読むのがエレナ様なのだろう。
私は背筋がヒュッと伸びるのを感じた。
誰が読むかなんて気にしていなかった。でもエレナ様が読むことを意識すると、書く内容が変わりそうだわ。
フィデリオと生徒会室を出る。
エレナ様から、扉は開けたままでいいわと言われたのでそのままにしていると、室内から会長とエレナ様の会話が聞こえてきた。
「この後は仕事に戻るなんて忙しいね」
「私の代わりはいくらでもいるの。取り替えられないように頑張らないとね」
エレナ様の小さな溜息が聞こえた。
私が出て行ったからこそこぼれた本音だろう。
エレナ様の立場が垣間見えたような気がした。
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「君よりも優秀な人なんてそうそういないだろうさ。ところで、せっかく来たんだからライムントと会って行くのかい?」
「そうね。最近会ってなかったから用事もあるし。行く予定よ」
「ならアデム殿下にもよろしくと」
「わかったわ」
ライムント先生?
歩き出していたフィデリオが、歩みの遅い私を振り返り不思議そうな顔をする。
「どうしました?」
「あ、あの。ライムント先生とお知り合いなのねって思って……」
「ああ」
フィデリオは私に歩くよう促しながら、からっと笑った。
「婚約者でしたから」
その言葉に身体が急に冷え、足が急に泥の中を進むように重くなった。
知っていた。婚約者がいること。
私には手の届かない人だってことも。
でもこんな風に突きつけられるとは思わなかった。
「あの方が……」
フィデリオの優しそうな微笑みに笑顔を返す余裕はなかった。
ふと、ダンスパーティーのパートナーの事を思い出す。
ローザリンデ様はフィデリオにお願いしたら? と言っていたけれど、私が踊りたいのはライムント先生だ。
私は卒業後先生と会わなくなる。
もうじきブローチを口実に会う事もなくなる。
それなら、ダンスパーティーに誘ってみてもいいんじゃない? 断られても会わなくなるのだから気まずい思いをしなくてすむ。
エレナ様に申し訳ないという気持ちはもちろんある。
でも、最後だから。
一度だけだから。
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