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「僕は留学中でね。大学部に在籍しているよ、一応」
「アデム殿下は教授の助手をしている」
留学生で教授の助手なんて、優秀な人なのだろうな。
殿下の後ろには影のように控える従者がいた。髪色や目の色がそっくりで、醸し出す雰囲気もよく似ている人だった。
改めて頭を下げて名前を名乗ると、殿下は興味深々と言った様子で私の顔を見た。
「気を悪くしないで欲しいんだけど、もしかしてアナトリア国に縁があるかな?」
私の小麦色のような肌の色を見て気が付いたのだろう。
隠す必要もないので正直に言う。
「祖母が殿下のお国の出身なのだと聞いたことがあります」
「そうなんだね。珍しいなぁ、商人か何かだったのかな?」
アナトリア国は隣国だけれど、私の領地にあるタウルアス山脈が大きく横たわっているせいで陸路での直接の行き来はない。
アナトリア国から来るならば他の国を通過してくるか、間にある海を渡って来る必要がある。
今は海軍のお陰で安全になったけれど、昔は海賊がいて危険な海だったそうだ。
「そう聞いています」
そして行商で行った先で祖父と出会い、電撃的な恋に落ちて結婚したのだとか。
ロマンチックよね。
祖父母は大恋愛をしたのに私にはそんな大恋愛が起こりそうな片鱗はない。
いいけどね、一応婚約者がいるから起こっても困るし。多分神様が「後進の為に勉学に励み道を開きなさい」って言ってるんだと思う。
「嬉しいなぁ、久しぶりだよ、同郷の子と会うのは」
私は王子の喜ぶ笑顔が眩しくて瞬きをした。
「そんな、もうすぐ夏の長期休暇ですし帰ったりなさらないのですか?」
殿下の笑顔を直視するのがなんだか恥ずかしくて、目をそらしていたので私は殿下の表情が曇ったのに気が付かなかった。
「うん。帰らないよ。こっちでいろいろ忙しいしね。例えば可愛い後輩の悩み相談に乗ったりね」
殿下は従者の引いた椅子に座ると身を乗り出した。
ライムント先生は立ったまま成り行きを見守っている。
「それで、面白い物を持ってるんだって?」
「面白いかはわかりませんが、祖母の形見です」
私も席に座ると青色の宝石のついたブローチを取り出してテーブルの上に置いた。
殿下の顔が一瞬驚きに染まる。
「確かに宝石は我が国原産のもののようだね」
驚いた。パッと見ただけでわかるのか。
「わかるよ。僕の国のものだからね」
何で考えてることがわかったの!?
ぎょっと目を見開いた私をおかしそうに見る殿下。
「顔に出ている」
ライムント先生が呆れたように言った。
「駄目だよ、ばらしたら」
クスクス笑いながら殿下が言う。
「じゃあちょっと失礼して。宝石の色は青に近くて、輝きもある。周りの装飾はラーレと……」
殿下は後ろを振り向くと、視線で従者を呼び寄せた。
従者が私のブローチを見ると、殿下と視線を合わせて頷いた。
「なるほどね。ちょっと僕も調べたいことが出来たから特徴を書き写させてもらうね」
そう言うと、従者の人がブローチを見ながらさらさらと紙に何かを書き込み始めた。
私はおずおずと口を開いた。
「あの、良ければ持って行ってもらっても大丈夫ですが」
「駄目だよ、高価なものだから自分で大切に保管していてほしい」
「えっ! 高価?」
そんなわけない。
「知らなかったの?」
「はい」
だって、私の実家も伯母様の家も平民の家がちょっと大きくなった程度の大きさで。
あちこちガタがきた古い家だ。
宝飾品の類もいくつも持っていなかったはずだ。
伯母様の家もおばあ様が居た頃は何人か使用人かいたらしいが、今は通いで使用人と庭師がひとりずついるだけ。
そんな家に高価なブローチがあるなんて誰が想像する?
困惑している私をよそに、殿下は自分の耳から小さなピアスを外すと机の上に置いた。
「これは何色に見える?」
「青です」
青空のように美しい。
「この石、カレイズは青ければ青いほど価値があるんだ。緑色に近かったり、青くても色むらがあれば価値が下がる」
ピアスを光に当てるように机の上で傾かせる。
「透明度はないけれど、屈折率が高いから。ほら、光をよく反射しているだろう」
青い色が鮮やかな光沢を放っている。
「君のも、色は僕のよりも薄いけれどその分大きさがある。ただ残念なことに、少しひびが入ってしまっているようだね」
「えっ!」
私はブローチを手に取った。
表面をじっくりと見つめると、確かに小さなひびが入ってしまっているようだった。
「そんな……」
気が付かなかった。
最初から? 階段で落とした時に入ってしまったのかもしれない。私の扱いが悪かったから。
私はしょんぼりと肩を落とした。
「身に着けるものだからいつかは劣化するものだよ」
「修理とかはできないのでしょうか?」
「あー、うん、どうかな?」
殿下がちらりと従者の男性を見る。
「この国では無理でしょう。技術があると聞いたことはありません」
「そうですか」
殿下が眉を下げて微笑んでいる。
「できれば柔らかい布で拭いて手入れしてあげてね。修理はいつか機会があったらできるかもしれないし。その時まで大切にしてくれているといいな」
「わかりました」
私も顔を上げて微笑んだ。
「ところで魔術の件はどうだ?」
黙って聞いていたライムント先生が口を開いた。
従者が新しく淹れた珈琲を殿下の前に置く。
殿下はそれを一口飲むと言った。
「ああ、うん。かかっているかもね」
なんてことないように、さらっと。
「ただ、何がかけられてるかは今はわからないよ」
「今は?」
「うん。君たちの国は魔法陣を使って魔力を利用しているね? でも僕の国ではそのもの自体に魔力を込めるんだ。つまり、魔法陣を読み解いたら内容がわかるような作りになっていないんだ」
「では殿下のお国だと何の魔法がかけられているかはどのように知るのですか?」
「わからないものは魔術を読み解く専門の人間がいるよ。そういった人間は……」
いったん言葉をきって、ライムント先生の顔を見る。
先生が首を左右に振る。
「なら起きた事柄から調べた方が早そうな気がする。ヘルツォ嬢はこのブローチを持っていて何か気になる事が起きたんだろう? だからライムントに助力を求めたわけだし」
私はライムント先生に魔道具かと聞かれた事と、迷ったけれど前世と思われる記憶を思い出したことを伝えた。
前世の記憶云々を言ったときは、興味深そうな顔をしていたが「そういった類の魔術じゃない気がするんだよなぁ」と呟いた。
「どうしてそう思うのでしょうか?」
そういう魔法だってあってもおかしくないじゃない?
殿下は私の質問に首を傾げて言った。
「だって、前世なんて思い出しても意味ないだろう? 例えばあの時計は時を知るために作られた。このコップは飲み物を飲むために作られた。じゃあ前世は? 思い出したところで今の自分には何の意味もないよ。そんなものを作るくらいならもっと他の有益なものを作ろうと思うのが普通なんじゃないかな」
あっさりとそう言い切られてしまって、私は少しだけ呆然としてしまった。
私が知らず知らず固執していた『乙女ゲーム』にも何の価値もないと言われたような気持になったからだ。
殿下は私の様子には気にすることなく続きを口にする。
「このブローチが作られた経緯が分かれば、何の魔術が込められているのかわかるかもしれないな。ところで君のおばあ様はこれをどこで手に入れたのかな? 買ったの? 作らせたの?」
私はおろおろと視線をさまよわせた。
「ごめんなさい、わかりません」
謝りながら、私はこのブローチを手に入れた時の事を思い出していた。
あれはおばあ様の形見分けをするからとお母様と一緒に伯母様の家に行った時だった。
形見分けと言っても、お母さまと伯母様がメインだ。
私はおばあ様との想い出を思い出しながら、のんびりと部屋を眺めていた。
部屋は太陽の光が降り注ぎ、明るかった。
壁のタペストリーも、ドライフラワーもいつも通りで。ベッドだって綺麗に整えられていた。
いつも通りの空間で、おばあ様だけがいない。
まだ慣れそうにないな。そんなことを考えながらくるりと室内を見渡した時、ドレッサーの前にあった革の宝石箱が私の目を引いた。なんとなく手に取る。
両手にすっぽりとおさまるようなサイズだ。
「あら、エジェその宝石箱気に入った?」
伯母様が優し気に微笑みかけてくれる。
「あ、ごめんなさい勝手に触って」
「いいのよ、それはもう中の指輪とかは取り出した後だったから空っぽなの。気に入ったなら宝石箱をエジェが持って行って」
おばあ様の形見だ!
私は嬉しくなって微笑んだ。
「ありがとうございます!」
飾り気がなくて無骨な印象だけれど使い込まれた艶があって美しい。
擦れているけれどところどころ金彩が施されていたようだった。
中を開くとクッションの部分に刺繍が施されている。
プチポアン刺繍かしら。おばあ様が刺したのかもしれない。
「チューリップ? 可愛い」
よく見ようと箱を傾けた時、コロッと何かが転がる様な音がした。
「ん? あ!」
コロコロとブローチが手のひらに転がり落ちてきた。
隅にでも挟まってたのだろうか。
私はブローチを持ったまま伯母様へ駆け寄った。
「伯母様、このブローチが出てきたんだけど」
「あら! これはお母様が一番大事になさってたものよ。驚いた。どれだけ探しても見つからなかったのに……」
両手を口元に当てて目を見開いている。
「あ、これ……」
宝石箱はもらったけれど、ブローチは違う。
おばあ様が大切になさってたならなおさら伯母様が持っていたいだろう。
伯母様の手に渡そうとしたが、伯母様はにこっと笑うだけで受け取ろうとはしなかった。
「そのブローチはエジェを選んだのよ。大事にしてあげてね」
「いいんですか?」
「もちろん」
こうして宝石箱とブローチは私のものになったのだった。
こんなことになるなら、もっとちゃんとブローチについて聞いておけばよかった。
手紙で聞いてみようかな。
そう考えていると、ライムント先生が口を開いた。
「アデム殿下、さっきメモを取っていたが調べればもっと何かわかるのか?」
「うん。気になる事があって。一旦屋敷に帰って調べたい」
「わかった。じゃあ今日はこのくらいにしよう」
そう言われて、私は壁にかかっていた時計に目をやった。
先週より少し遅い。
「寮まで送ろう」
私は頷くと立ち上がった。
* * *
私は先生の後ろを歩きながら口を開いた。
「ライムント先生、今日はありがとうございました。アデム殿下にまでお話を聞かせていただいて」
そんな高貴な人が出てくるなんて思わなかったからびっくりした。
先生はちょっと後ろを振り向いた。
「問題ない。あいつも研究室の一員なのだから協力する義務もあるはずだ」
それは教授の研究に協力する義務であって、私やライムント先生に協力する義務じゃないような?
それでも口ぶりから親しさを感じたので、私はまぁいいか。と思うのだった。
「先生のお時間もいただいてしまって申し訳ありません」
「いや、俺のためでもあるから。……そういえば俺は君に研究のことをどれくらい話していただろうか?」
「確か、魔力を日常生活で応用する研究をしている。と聞きました」
先生は「ああそうか」と小さく呟いた。
「今の時代、魔法陣を使って魔力を使うのは昔の技術になっている。まだ十分使われている技術だが、いつかは魔力を他の方法で応用できるようにするのが、最近の傾向なんだ。うちの研究室でもそうだ。ただ俺は、昔の技術を研究して今に生かせないかを調べてる。だから今は古い魔道具をメインの研究対象として調べているんだ」
「へぇ」
それで私のブローチにも興味を持ってもらえたのね。
寮が見えて、いつの間にか私達は足を止めていた。
太陽が真っ赤に輝き紫色が少しずつ空を覆い始める。
オレンジ色の粒がキラキラと輝き、ライムント先生のアッシュブロンドの髪の毛を暖かい色に染める。
「知ってるか? アナトリア国から我が国に続く街道は何千年も前に作られた古代のものだ。でも今も使われている。昔の技術を調べることは未来につながるんだ」
本当に楽しそうに笑ったから、私も思わず目を細めて笑顔になったのだった。
「アデム殿下は教授の助手をしている」
留学生で教授の助手なんて、優秀な人なのだろうな。
殿下の後ろには影のように控える従者がいた。髪色や目の色がそっくりで、醸し出す雰囲気もよく似ている人だった。
改めて頭を下げて名前を名乗ると、殿下は興味深々と言った様子で私の顔を見た。
「気を悪くしないで欲しいんだけど、もしかしてアナトリア国に縁があるかな?」
私の小麦色のような肌の色を見て気が付いたのだろう。
隠す必要もないので正直に言う。
「祖母が殿下のお国の出身なのだと聞いたことがあります」
「そうなんだね。珍しいなぁ、商人か何かだったのかな?」
アナトリア国は隣国だけれど、私の領地にあるタウルアス山脈が大きく横たわっているせいで陸路での直接の行き来はない。
アナトリア国から来るならば他の国を通過してくるか、間にある海を渡って来る必要がある。
今は海軍のお陰で安全になったけれど、昔は海賊がいて危険な海だったそうだ。
「そう聞いています」
そして行商で行った先で祖父と出会い、電撃的な恋に落ちて結婚したのだとか。
ロマンチックよね。
祖父母は大恋愛をしたのに私にはそんな大恋愛が起こりそうな片鱗はない。
いいけどね、一応婚約者がいるから起こっても困るし。多分神様が「後進の為に勉学に励み道を開きなさい」って言ってるんだと思う。
「嬉しいなぁ、久しぶりだよ、同郷の子と会うのは」
私は王子の喜ぶ笑顔が眩しくて瞬きをした。
「そんな、もうすぐ夏の長期休暇ですし帰ったりなさらないのですか?」
殿下の笑顔を直視するのがなんだか恥ずかしくて、目をそらしていたので私は殿下の表情が曇ったのに気が付かなかった。
「うん。帰らないよ。こっちでいろいろ忙しいしね。例えば可愛い後輩の悩み相談に乗ったりね」
殿下は従者の引いた椅子に座ると身を乗り出した。
ライムント先生は立ったまま成り行きを見守っている。
「それで、面白い物を持ってるんだって?」
「面白いかはわかりませんが、祖母の形見です」
私も席に座ると青色の宝石のついたブローチを取り出してテーブルの上に置いた。
殿下の顔が一瞬驚きに染まる。
「確かに宝石は我が国原産のもののようだね」
驚いた。パッと見ただけでわかるのか。
「わかるよ。僕の国のものだからね」
何で考えてることがわかったの!?
ぎょっと目を見開いた私をおかしそうに見る殿下。
「顔に出ている」
ライムント先生が呆れたように言った。
「駄目だよ、ばらしたら」
クスクス笑いながら殿下が言う。
「じゃあちょっと失礼して。宝石の色は青に近くて、輝きもある。周りの装飾はラーレと……」
殿下は後ろを振り向くと、視線で従者を呼び寄せた。
従者が私のブローチを見ると、殿下と視線を合わせて頷いた。
「なるほどね。ちょっと僕も調べたいことが出来たから特徴を書き写させてもらうね」
そう言うと、従者の人がブローチを見ながらさらさらと紙に何かを書き込み始めた。
私はおずおずと口を開いた。
「あの、良ければ持って行ってもらっても大丈夫ですが」
「駄目だよ、高価なものだから自分で大切に保管していてほしい」
「えっ! 高価?」
そんなわけない。
「知らなかったの?」
「はい」
だって、私の実家も伯母様の家も平民の家がちょっと大きくなった程度の大きさで。
あちこちガタがきた古い家だ。
宝飾品の類もいくつも持っていなかったはずだ。
伯母様の家もおばあ様が居た頃は何人か使用人かいたらしいが、今は通いで使用人と庭師がひとりずついるだけ。
そんな家に高価なブローチがあるなんて誰が想像する?
困惑している私をよそに、殿下は自分の耳から小さなピアスを外すと机の上に置いた。
「これは何色に見える?」
「青です」
青空のように美しい。
「この石、カレイズは青ければ青いほど価値があるんだ。緑色に近かったり、青くても色むらがあれば価値が下がる」
ピアスを光に当てるように机の上で傾かせる。
「透明度はないけれど、屈折率が高いから。ほら、光をよく反射しているだろう」
青い色が鮮やかな光沢を放っている。
「君のも、色は僕のよりも薄いけれどその分大きさがある。ただ残念なことに、少しひびが入ってしまっているようだね」
「えっ!」
私はブローチを手に取った。
表面をじっくりと見つめると、確かに小さなひびが入ってしまっているようだった。
「そんな……」
気が付かなかった。
最初から? 階段で落とした時に入ってしまったのかもしれない。私の扱いが悪かったから。
私はしょんぼりと肩を落とした。
「身に着けるものだからいつかは劣化するものだよ」
「修理とかはできないのでしょうか?」
「あー、うん、どうかな?」
殿下がちらりと従者の男性を見る。
「この国では無理でしょう。技術があると聞いたことはありません」
「そうですか」
殿下が眉を下げて微笑んでいる。
「できれば柔らかい布で拭いて手入れしてあげてね。修理はいつか機会があったらできるかもしれないし。その時まで大切にしてくれているといいな」
「わかりました」
私も顔を上げて微笑んだ。
「ところで魔術の件はどうだ?」
黙って聞いていたライムント先生が口を開いた。
従者が新しく淹れた珈琲を殿下の前に置く。
殿下はそれを一口飲むと言った。
「ああ、うん。かかっているかもね」
なんてことないように、さらっと。
「ただ、何がかけられてるかは今はわからないよ」
「今は?」
「うん。君たちの国は魔法陣を使って魔力を利用しているね? でも僕の国ではそのもの自体に魔力を込めるんだ。つまり、魔法陣を読み解いたら内容がわかるような作りになっていないんだ」
「では殿下のお国だと何の魔法がかけられているかはどのように知るのですか?」
「わからないものは魔術を読み解く専門の人間がいるよ。そういった人間は……」
いったん言葉をきって、ライムント先生の顔を見る。
先生が首を左右に振る。
「なら起きた事柄から調べた方が早そうな気がする。ヘルツォ嬢はこのブローチを持っていて何か気になる事が起きたんだろう? だからライムントに助力を求めたわけだし」
私はライムント先生に魔道具かと聞かれた事と、迷ったけれど前世と思われる記憶を思い出したことを伝えた。
前世の記憶云々を言ったときは、興味深そうな顔をしていたが「そういった類の魔術じゃない気がするんだよなぁ」と呟いた。
「どうしてそう思うのでしょうか?」
そういう魔法だってあってもおかしくないじゃない?
殿下は私の質問に首を傾げて言った。
「だって、前世なんて思い出しても意味ないだろう? 例えばあの時計は時を知るために作られた。このコップは飲み物を飲むために作られた。じゃあ前世は? 思い出したところで今の自分には何の意味もないよ。そんなものを作るくらいならもっと他の有益なものを作ろうと思うのが普通なんじゃないかな」
あっさりとそう言い切られてしまって、私は少しだけ呆然としてしまった。
私が知らず知らず固執していた『乙女ゲーム』にも何の価値もないと言われたような気持になったからだ。
殿下は私の様子には気にすることなく続きを口にする。
「このブローチが作られた経緯が分かれば、何の魔術が込められているのかわかるかもしれないな。ところで君のおばあ様はこれをどこで手に入れたのかな? 買ったの? 作らせたの?」
私はおろおろと視線をさまよわせた。
「ごめんなさい、わかりません」
謝りながら、私はこのブローチを手に入れた時の事を思い出していた。
あれはおばあ様の形見分けをするからとお母様と一緒に伯母様の家に行った時だった。
形見分けと言っても、お母さまと伯母様がメインだ。
私はおばあ様との想い出を思い出しながら、のんびりと部屋を眺めていた。
部屋は太陽の光が降り注ぎ、明るかった。
壁のタペストリーも、ドライフラワーもいつも通りで。ベッドだって綺麗に整えられていた。
いつも通りの空間で、おばあ様だけがいない。
まだ慣れそうにないな。そんなことを考えながらくるりと室内を見渡した時、ドレッサーの前にあった革の宝石箱が私の目を引いた。なんとなく手に取る。
両手にすっぽりとおさまるようなサイズだ。
「あら、エジェその宝石箱気に入った?」
伯母様が優し気に微笑みかけてくれる。
「あ、ごめんなさい勝手に触って」
「いいのよ、それはもう中の指輪とかは取り出した後だったから空っぽなの。気に入ったなら宝石箱をエジェが持って行って」
おばあ様の形見だ!
私は嬉しくなって微笑んだ。
「ありがとうございます!」
飾り気がなくて無骨な印象だけれど使い込まれた艶があって美しい。
擦れているけれどところどころ金彩が施されていたようだった。
中を開くとクッションの部分に刺繍が施されている。
プチポアン刺繍かしら。おばあ様が刺したのかもしれない。
「チューリップ? 可愛い」
よく見ようと箱を傾けた時、コロッと何かが転がる様な音がした。
「ん? あ!」
コロコロとブローチが手のひらに転がり落ちてきた。
隅にでも挟まってたのだろうか。
私はブローチを持ったまま伯母様へ駆け寄った。
「伯母様、このブローチが出てきたんだけど」
「あら! これはお母様が一番大事になさってたものよ。驚いた。どれだけ探しても見つからなかったのに……」
両手を口元に当てて目を見開いている。
「あ、これ……」
宝石箱はもらったけれど、ブローチは違う。
おばあ様が大切になさってたならなおさら伯母様が持っていたいだろう。
伯母様の手に渡そうとしたが、伯母様はにこっと笑うだけで受け取ろうとはしなかった。
「そのブローチはエジェを選んだのよ。大事にしてあげてね」
「いいんですか?」
「もちろん」
こうして宝石箱とブローチは私のものになったのだった。
こんなことになるなら、もっとちゃんとブローチについて聞いておけばよかった。
手紙で聞いてみようかな。
そう考えていると、ライムント先生が口を開いた。
「アデム殿下、さっきメモを取っていたが調べればもっと何かわかるのか?」
「うん。気になる事があって。一旦屋敷に帰って調べたい」
「わかった。じゃあ今日はこのくらいにしよう」
そう言われて、私は壁にかかっていた時計に目をやった。
先週より少し遅い。
「寮まで送ろう」
私は頷くと立ち上がった。
* * *
私は先生の後ろを歩きながら口を開いた。
「ライムント先生、今日はありがとうございました。アデム殿下にまでお話を聞かせていただいて」
そんな高貴な人が出てくるなんて思わなかったからびっくりした。
先生はちょっと後ろを振り向いた。
「問題ない。あいつも研究室の一員なのだから協力する義務もあるはずだ」
それは教授の研究に協力する義務であって、私やライムント先生に協力する義務じゃないような?
それでも口ぶりから親しさを感じたので、私はまぁいいか。と思うのだった。
「先生のお時間もいただいてしまって申し訳ありません」
「いや、俺のためでもあるから。……そういえば俺は君に研究のことをどれくらい話していただろうか?」
「確か、魔力を日常生活で応用する研究をしている。と聞きました」
先生は「ああそうか」と小さく呟いた。
「今の時代、魔法陣を使って魔力を使うのは昔の技術になっている。まだ十分使われている技術だが、いつかは魔力を他の方法で応用できるようにするのが、最近の傾向なんだ。うちの研究室でもそうだ。ただ俺は、昔の技術を研究して今に生かせないかを調べてる。だから今は古い魔道具をメインの研究対象として調べているんだ」
「へぇ」
それで私のブローチにも興味を持ってもらえたのね。
寮が見えて、いつの間にか私達は足を止めていた。
太陽が真っ赤に輝き紫色が少しずつ空を覆い始める。
オレンジ色の粒がキラキラと輝き、ライムント先生のアッシュブロンドの髪の毛を暖かい色に染める。
「知ってるか? アナトリア国から我が国に続く街道は何千年も前に作られた古代のものだ。でも今も使われている。昔の技術を調べることは未来につながるんだ」
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