【完結】乙女ゲームの男爵令嬢に転生したと思ったけれど勘違いでした

野々宮なつの

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4.背筋が凍る

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 翌週。
 大学部の図書館で、私は枢機卿の孫であるフィデリオと一緒に勉強をしていた。
 彼がさらりとした黒髪を耳にかける仕草は知的で品の良さがある。
 高等部の図書館ではその仕草に見惚れている人がいたのを知っている。
 
 フィデリオは17歳で年下だけれど、知識が豊富でいろいろなことに詳しかった。
 だから一緒にとはいっても、私が一方的に教えてもらうばかりになっていた。理想は教え合いなんだけど、残念ながら私には彼に教えられそうな知識はなかったから。

 ペンを置いて小さく息を吐いた私にフィデリオが視線をよこした。

「大丈夫ですか?」

 私の手が止まると、つまずいているのかと気にして声をかけてくれるのだ。

「ありがとうございます。実は、ここを訳してみたのだけれど意味がおかしく感じて」

 外国語だ。
 私は例文と、翻訳した文章をフィデリオに見せた。
 彼は一瞥すると、サラサラと私のノートの隙間にペンを走らせた。
 
「この単語はこちらにかかります。このグループと分けて考えるとわかりやすいですよ。それから……」

 多分、簡単な質問なんだと思う。でも馬鹿にしたりせず丁寧に教えてくれる。

「あ、なるほど」

 フィデリオと知り合ったのは、高等部の図書館だった。今みたいに課題で悩んでいるときに、たまたま目の前に座っていたフィデリオが教えてくれたことがきっかけだった。
 助かったし嬉しかったんだけど、一緒に勉強をしていると注目されて落ち着かないので私は大学の図書館を使うようになった。
 そしたらいつの間にかフィデリオも大学の図書館を使うようになっていて、タイミングが合えば一緒に勉強をする仲間になったというわけ。

「ありがとうございます」

 私はノートを引き寄せて教えてもらったところに目を通した。
 フィデリオは知識が豊富なだけじゃなくて、教え方も上手だ。
 
「とってもわかりやすいです」
「そうですか?」

 フィデリオは驚いたように視線をあげるとフッと微笑んだ。

「実は、僕もその部分よくわからなくてつまずいていたところだったんです」
「へぇ」

 なんでもできるようなイメージだったから意外。

「僕の家庭教師をしてくれていた人が、昔僕に同じように教えてくれて。今のはそれを真似してみたんです」
「そうだったの」
「だからわかりやすかったなら彼女のおかげです」

 フィデリオはそう言うと、ちょっとだけ照れたように頬を赤らめた。
 
 私は微笑むと、ノートの隅に教えてもらってわかりやすかったポイントを書き込んだ。こうしておけば、町に帰って誰かに勉強を教える時に役立つんじゃないかな。
 私がフィデリオに教えてもらったように、わかりやすく伝えることができるはずだ。

 それに、来年私のような立場の子が来た時にも教えてあげられる。
 その時には私の失敗談も一緒に話してあげたいと思ってる。是非私の経験を反面教師として役立てて欲しいわ。そしてちゃんと学院に溶け込んでお友達も作って欲しい。
 私、まだお友達って言える人いないんだよね……。

 * * *

 今日はライムント先生と約束していた日だったので、勉強は早めに切り上げて大学の研究室に向かった。
 フィデリオはまだ勉強をしていくとのことだ。
 物珍しさであたりを見回しながらゆっくり廊下を歩いていると、曲がり角を曲がってすぐのところにライムント先生がいた。
 
「あ、先生……」

 声をかけようかと思ったが、すぐそばに優美なドレスを身にまとった女性がいるのが見えて私は思わず近くの壁に隠れた。

 高等部は制服があるけれど、大学にはない。好きな服を着て良いようだった。

 あれ? やだ、隠れる必要なんてないのに。
 これじゃいつ出て行けばいいのかわからないわ。

 今から普通を装って出て行こうかな。でもふたりを通り過ぎて先に研究室に行っても、ライムント先生がいないなら意味ないし。
 どうしようかと考えていると、僅かに話し声が聞こえてきた。

「この後一緒に夕飯でもどうかしら?」
「悪いが研究の続きがある」
「前もそう言ってたじゃない。たまには息抜きも必要よ」

 鈴のような軽やかな声でありながら、その声色からは断られるわけがないという自信も伝わってきた。

 行くわけないよね? 私と約束してたし……。

 そっと陰からのぞく。
 女性は肩甲骨まである亜麻色の長い髪に指を絡めながら小首を傾げていた。
 ゆるりとカーブした髪の毛は毛先まで艶やかだ。

 思わず、自分の鎖骨までしかない髪の毛の毛先を見つめる。
 痛んでる……。

「この後約束があるんだ」
「そうなの? じゃあ今度でいいわ。いつなら空いてるかしら?」

 すると小さくため息を吐く音が聞こえてきた。
 ライムント先生の纏う空気が鋭いものに変わる。

「無理だ」
「え?」
「空いている時間はない。そんな時間があるなら研究をする。君の頭の中はドレスと男のことしかないのか。もっと他にやるべきことがあるだろう」

 空気が凍った。
 近くで聞いていただけの私の背筋も凍った。

「はっ」

 女性から小さく息を飲む音が聞こえた。
 そして鋭く冷たい声色で吐き捨てた。
 
「最低! 顔だけしか能のない男のくせに」

 そう言うと、女性は淑女らしからぬ大股で廊下をずんずんと歩いて行ってしまった。

 怖い……。
 ライムント先生、しつこい女性にはあんな感じになるのか。それなら図書館で声をかけたとき、先生は大分優しかったんだな。年下で教え子だと思ったからかな。まぁ、あの時も怖かったけど。

 そっとのぞくと、ライムント先生もいなくなっていた。

 あの人、婚約者じゃないよね? そうだとしても、もう少し優しく言ってあげてもよかったんじゃないかな……。
 余計なお世話かな。
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