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すごろく

2.すごろくの中

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 気が付けば目を瞑っていたようだった。
 
「着いたみたいだ」
 
 私は目を開いて辺りを見回した。
 乳白色の空間の中、足元にはさっきまで手で触っていた魔法陣がある。
 今は光を失い、黒く沈黙している。

「ここはどこ?」

 すごろくに触れていたと思っていたけれど、あの魔法陣でどこか別の場所に移転させられたのだろうか?
 
「あそこに何か建物があるようだ。霧? なんだか見辛いけど」

 マリアスが指し示す方に視線をやると、確かにぼんやりと大きな建物のシルエットが見えるようだった。
 他に目印になりそうな建物はない。

「あれしかないようだし行ってみましょう」

 見えた方向へ歩き出したが、コツン、と音がしてすぐに見えない壁に阻まれる。

「あれ? 何か壁があるわ」

 私は目の前に手を伸ばし、見えない壁を確かめるようになぞる。
 マリアスも私の隣に立って同じように何もない空間を触る。
 上には何もないようだった。
 下を見ると、黒いインクで太い線が伸びている。
 インクは私たちを取り囲むようにぐるりと一周していた。どうやら私達は大きな楕円の中にいるようだった。

「これは……」

 壁から手を離して腕を組むマリアス。

「普通に考えたら、僕たちはさっきまで触っていたすごろくの中、ということになりそうだけれど」
「そっか、そうよね。そうだと思うわ」

 別の場所かとも思ったけれど、すごろくを起動したのだからその中に入ったのだろう。
 盤面を見ながら遊ぶんじゃなくて、自分たちがすごろくの中に入り込む仕掛けだったのか。
 私は驚きと新たな発見にワクワクしながらぐるぐるとあたりを見回す。ずっと気になっていたすごろくだ!
 
 起動の条件は曖昧にしかわからないけれど、男性が魔力を流す必要はありそうだ。
 後で弟にも試してもらわないとね。
 
「じゃあ、あの見えている建物がゴールかな」

 マリアスの低い声がすぐそばで聞こえる。
 建物の姿がぼんやりとしているのは、まだ私達がスタートにいるからだということなら辻褄が合う。

「ここに壁があるのは、ずるを防止するためかしらね?」

 ゴールが見えているのだから、マスを無視してゴールまで一直線に行く子もいそうだ。

「ふたりで対決するんだろうか?」

 マリアスが不安そうに呟く。
 その言葉に私はハッとマリアスの顔を見た。
 いつも心を見せない柔和な笑みではなく、わかりにくいけれど少しこわばった表情をしているようだった。

「あ、こんなところに連れてきちゃってごめんなさい。私、すごろくの中に入れたのが嬉しくてマリアスの事情なんて考えてなかった。忙しいよね、時間大丈夫かしら。ゴールしたら出れるとは思うんだけど……」
「え? ああ、違うよ。時間は大丈夫。アンヌとすごろくをして、何かマスで危険が指令があったらどうしようかと思ってただけなんだ」
「ああ、なんだ、そんな事……」

 柔らかい色を帯びたブラウンの瞳に見下ろされる。
 予想外に優しい言葉を言われて私はちょっとだけ心臓が跳ねた。
 顔に集まる熱を見られないように、顔をそむけるとスタートの位置に移動する。

「このすごろくは、昔の王族が持っていたものだそうなの。装飾から見て間違いないと思う。王族が危険な目に遭う遊びをすると思えないし、多分新年のお祝いに皆で集まって遊ぶ用に作られたんじゃないかな? 私の予想だと、命令も皆でお酒を飲むとか、楽器を演奏するとかだと思うの」
 
 ほっとしたのかマリアスの緊張が解けたのを感じる。

「そうか。なら楽しく遊べばいいだけってことかな。安心したよ」
 
 私は笑顔を作るとスタートラインに立った。

「じゃあ頑張りましょうね!」

 すると、金色の輝く光と共に、私の手のひらの上に薄く色のついたつるりとした手触りのサイコロが現れた。
 さすが王族、木製じゃない。動物の角でできているようだ。鹿かな?
 
 順番は私からでいいのかしら?
 マリアスを見ると、頷いているので、遠慮なく先に振らせてもらうことにする。
 私は手の中で振ると、少しかがんで地面に転がした。
 高い位置から転がして、割れでもしたら大変だからね。

 出た目は3。

「それじゃあお先に……」

 と言ってマリアスに手を振ったと思ったら、私はあっという間に3のマス目に移動していた。何故かマリアスも一緒に。

「ん? 僕も一緒に移動するみたいだね」
「そう、なの……?」
 
 顔を見合わせていると、空中に光り輝く金色の文字が現れた。
 
 『珈琲を淹れなさい』
 
 同時に私の目の前にはテーブルとその上には茶器が。
 マリアスの足元には絨毯が。

「珈琲? これは私に向かっての命令ってことよね、テーブルの位置からして……。マリアスに淹れるのかな?」
「そうだろうね。良かったよ、僕は待ってるだけでいいみたいだ」

 にこにこと微笑んでいるマリアスを軽く睨む。

「待ってなさいよ、お茶を淹れるのは得意なのよ私は!」

 珈琲だって何度も家で淹れてるんだからね。
 そう息巻いて道具を見たが、私の自信はあっという間にしぼんでしまった。

 テーブルの上には、コーヒーカップが一客。真鍮製の柄の長い小鍋、挽いた珈琲豆、砂糖のビン。それから水の入ったガラスのピッチャー。
 それと……小さな砂場?

「な、何これ? パーコレーターはどこ?」

 パーコレーターとはケトルの中に、珈琲豆のろ過ができるようにこし器がついたものだ。
 パーコレーターの中にお湯、ろ過装置の中に珈琲豆を入れて火にかけると珈琲ができあがる。今の王都でよく使われる珈琲を淹れる時に使う道具だ。
 私はその慣れた道具がなくて早速困惑してしまった。
 私の弱気な声を聞いて、マリアスが心配そうに絨毯から立ち上がった。

「大丈夫か?」
「えっと、この小さな鍋に珈琲豆と水を入れて煮るのかしら? 昔パーコレーターが出来る前までは豆と一緒に煮立てて作ってたって聞いたことがあるし」

 私は小さく独り言のように呟く。
 でも量ってどのくらい?
 鍋が小さすぎるけれど、とりあえず私はいつも入れてる量を小鍋に放り込む。水をカップ1杯分入れて、私は眉を下げた。

「火はどこにあるのかしら」

 小鍋の柄を持っておろおろしているのを見たマリアスが、テーブルの上にある砂場を指さす。

「その砂の上に置いてみてくれないか?」
「ここに?」
「その砂が熱せられているんじゃないかな」

 小さな砂場の上に手をかざすと確かに熱が手のひらに伝わって来る。
 私は砂場に小鍋を置くと沸騰するのを待つ。
 お湯がくつくつと沸騰して、吹きこぼれそうになる前に砂の上から持ち上げた。

「これで出来上がりかなぁ?」

 液体は真っ黒で、香りも十分に珈琲の香りがしている。

「濾し器がないわ……」
 
 私は「しょうがないわよね」と呟くと、鍋からカップに珈琲を注いで微妙そうな顔をしているマリアスに手渡した。
 私だって不安だ。珈琲の粉が浮いているけれどこれでいいのかしら?
 でも濾し器がないからどうしようもないと思う。

「砂糖はこれよ」
「ありがとう」

 カップを受け取ったマリアスが沈黙する。
 浮いている珈琲の粉が沈むのを待っているのだろう。
「砂糖はこれよ」と言ってビンを渡したけれど、砂糖をかき混ぜるスプーンはなかった。見た目の色からして珈琲が濃いのは間違いないだろうし、これはかなり苦いかもしれない……。
 
「……僕、本当にこれ飲むのかな?」
「そりゃ……ね?」

 半笑いのマリアス。
 飲みたくないって気持ちはわかる。
 変なの淹れちゃってごめんね。

「飲まなきゃ終わらないみたいだし」
「そうみたいだ」

 マリアスは覚悟を決めた顔をすると、まだ粉の浮いている珈琲に口をつけた。

「うっ……」

 マリアスの端正な顔が歪む。
 
「うっ、まい? とか?」
「そんな訳あるか」
「だよねぇ」

 へらへらと笑ってごまかす。
 私の下手な珈琲を飲ませてしまって申し訳ない。

 私はテーブルに残っていた水のピッチャーをマリアスに手渡した。
 ピッチャーから直接水を飲むマリアス。

「はぁ、とんでもない目にあった」
 
 でもこれでまたひとつわかったことがある。
 このすごろくの作られた国に合わせた指令が出るってこと。だから、この国にいる人たちはこの珈琲でさえ満足に淹れることが出来ないと思う。
 なんてこと! これじゃ、せっかく買ったこのすごろくを買う人がいないかもしれない……。

 水のピッチャーをマリアスが絨毯に置くと、それを待っていたかのように珈琲も絨毯もあっという間に消えてしまった。
 
 そしてまた私の手のひらにサイコロが現れた。
 
「今のってこれで終わりなの?」
「そうみたいだな」
「よかったぁ。でも珈琲ってあれでよかったのかしら?」

 多分、良くないと思う。
 でも正解はここでは教えてもらえないらしい。
 とりあえず珈琲の試練が終わってほっとする私にマリアスが不吉なことを言う。

「この後もこんな感じなんだろうか」
「ど、どうかなぁ?」

 珈琲ですっかり自信を無くした私。
 
 このゲーム、リタイアってできる?
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