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9.お城へようこそ

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 馬車の中では不機嫌そうに何かを考えている様子だった夫人だけれど、城に着くまでには機嫌も直ってくれたらしい。
 よかった。
 断ったのに連れてこられて、その上ずっと不機嫌なんだもの。
 だったら私たちのことなんて途中で降ろしてほしかった。

 城は山の傾斜を利用した小高い丘の上に建っていた。
 山と谷に守られていて、堅牢な印象があるが城壁で囲まれていない。
 自然が要塞の役割も担っているのだろう。
 
 城門をすぎると庭があり、そこで降ろされる。
 
「素晴らしいお城ですね!」

 私は馬車から降りて城を見上げると声をあげた。
 
「古いだけよ。隙間風もあって暖炉にいくら薪をくべても寒くてしょうがないの。さ、こちらに。フレスコ画がある場所まで案内するわ。その後は夕食をご一緒しましょう」
「はい」

 夫人に案内されたのは、城の中に作られた小さな礼拝堂だった。
 礼拝堂の門にはこの国の建国の歴史と、幾何学模様が大理石に彫られている。
 門をくぐるとその真正面の壁一面に、フレスコ画が描かれている。
 3人の女神が地上に降り立った一番有名なシーン。
 まるで光が本当に降り注いでいるかのように、女神は鮮やかな色合いをまとっている。

「すごい!」
「そうでしょう? 礼拝堂はね、城が出来た後の時代に増築して造ったそうなのよ。その時にフレスコ画で有名な画家に描かせたものだそうよ。名前を知ってるかしら?」

 私は大きく頷いた。
 女神をモチーフに使った宗教画といえばこの人というくらいの有名な画家だ。
 大聖堂の壁画もその画家が描いている。

「この礼拝堂も昔は村人たちに使ってもらっていたそうよ。今は馬車もあるし、ここは使われなくなったのだけど独り占めするものじゃないでしょう? 泊まる方に見てもらってるのよ」

 歌うように滑らかに、夫人の説明は続く。
 私とジュストも興味深く聞き入っていた。
 
 その後は城内の一部を案内してもらっていたところで、執事が夫人の耳もとで囁く。
 夫人は一瞬顔をこわばらせたが、すぐに表情を戻すと執事に何かを指示した。
 
「そろそろ移動しましょうか」

 くるりとドレスの裾をひるがえして歩く夫人を私とジュストは慌てて追いかける。
 先ほどまでのご機嫌な様子からまた一転して、イライラとしているようだった。
 
 小さく「どうしたのかしら?」とジュストに聞いてみるけれど、わからないらしく首を振るだけだった。

 長い廊下を歩き、連れてこられた客間に入るとカルロがいた。
 ウールのタペストリーが飾られた明るく豪華な部屋だ。

「お前、どうしてここに!?」

 ジュストが驚きで目を丸くしている。
 私はカルロに駆け寄った。
 
「どうやって来たの?」
「いやぁ、お二人が帰る時の足が必要でしょう? 馬車で迎えにきましたよっ」

 カルロは締まりのない顔で私を見る。
 その顔にピンと来た。
 背伸びをしてカルロの耳もとで小声で尋ねる。
 
「まさか、男爵夫人が目的ね⁉」
「そんなことないですよぅ、おふたりが不便だと思ってね?」

 そうは言っているけれど、下心が見え見えだ。
 どうやら、本当に美人で有名な男爵夫人を見たくて、私たちをダシにして来てしまったらしい。
 二の句が継げないでいると、ジュストが私の肩をつかんでカルロから距離を取らせる。

「近すぎだ」
「お知り合いのようね?」

 夫人も執事を連れて客間に入って来る。

「あ、はい。知り合いです」

 夫人に軽く睨まれているようで、私は視線を逸らせて答えた。
 カルロのあからさまな行動に、私の方が恥ずかしくなってしまう。
 
「そう」

 そう言うと、夫人はくるりと身を翻して部屋から出て行ってしまった。
 多分、また機嫌が悪くなったのかもしれない。
 院長が言っていた「慈愛とお心の広さ」でどうかカルロの失礼を許してほしい。

「皆さま、晩餐の準備が整うまでこちらでお待ちください。それから城内では帯剣はお控えください」

 執事が慇懃に礼をして部屋を出て行く。
 私はどっと疲れて椅子に座りこんだ。
 柔らかな質感に疲れが癒されるようだ。
 
 カルロは今初めて見た男爵夫人に一瞬で心奪われたらしい。
 心ここにあらずで、椅子に座ったまま、ぽぉっと惚けている。

「女神だ……。女神様がいらっしゃる……」
「いないわよ」
「あんなに美しいのに未亡人だなんて、神様は酷なことをなさる……」

 案外楽しくやってるかもよ? と思ったけれど、それは言わないでおく。
 美人の未亡人がアプローチされないわけないじゃない? それなのに再婚していないのにはきっと理由があると思うのだ。
 
「そういえば、どうしてここに来たってわかったの? 院長から聞いたのかしら?」

 夢見心地のところ悪いけれど、聞いておきたい。
 
「それはですねぇ、ジュストが伝言をするように院長に言ってくれたからですね。宿屋に孤児院の子が伝えに来てくれました」

 どうやら馬車に乗り込む前、院長と話していたのはそれだったようだ。
 ジュストは客間を歩き回り、タペストリーの裏を見たり備品や調度品を持ち上げたりしている。
 一応、室内の安全チェックかな?
 
「迎えに来いとは言わなかったけどな」
「まぁそう言わずに。おふたりとも帰りどうしようかと思ってたでしょ?」
「ええ。まぁ」

 でも帰りも夫人が送ってくれたと思うけれど。
 私の心の声が聞こえたのか、カルロが真面目な顔をする。
 私は珍しく真剣なカルロに、つられて表情を引き締める。

「実はですね、ここだけの話……」
「どうしたの?」
「隊長に叱られまして」
「はぁ?」
「お前は遊び過ぎだ! って。だからこっちに逃げてきました。いやー、アリーチェ様が優しくて助かるなぁ」

 私はすっかりあきれ果ててしまった。
 避難所じゃないんだけど?
 
 そうは思ったものの、男爵夫人との会話に落ち着かなさを感じていた私は、カルロに感謝すべきかもしれない。
 ジュストも商人の家で育ったからか、人の懐に入り込むのが得意で初対面の相手との会話も苦にならないタイプのはずなのに、夫人に対してはなんだか警戒しているようだった。私の緊張が伝わっているのかもしれない。
 カルロは陽気でおしゃべりだから、きっと晩餐も気詰まりな雰囲気から解放されるはず。そこだけは助かったわ。

 それから私たちは使用人が呼びに来るのを待った。
 ずぅっと、待った。
 待ちすぎて、手持無沙汰に客間にあった本を読み終わってしまった。

 室内に蝋燭の光が灯されだしたころに、ようやく執事に食堂へ案内される。
 食堂で、夫人が現れた時彼女の姿を見て私は衝撃と共に納得した。

 着替えてる!

 お風呂にも入ったのだろう。肌は透明感で蝋燭の光をはじくように輝き、かぐわしい香りがこちらまで漂ってくるようだ。
 カルロがデレデレと鼻の下を伸ばしている。
 そういえば貴族ってたくさん着替えるって聞いたことがあるけど、待たされる方はたまったもんじゃないわね……。
 
 私は顔に笑みを貼り付けると、夫人の「待たせましたね」という言葉に「いいえ」と答えるので精いっぱいだった。
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