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12.責務
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ソフィアは帰りの馬車の中で、義父にホーリン氏のことをどう伝えようか迷っていた。
両手をこすり合わせたりして考えを纏める。
そういえば、今更だが気が付いたこともある。ホーリン夫人が見舞いに来たけれど、どうして義父が倒れたことを知っていたのだろう?
義父が倒れた時はそれどころじゃなかったから頭が回らなかったが、おそらくシエナのいう新しい貴族の人たちからの情報だったのだろう。
新しい貴族とシエナが言ったのは、財産があり郊外に土地と屋敷を購入した人たちのことだ。
王都で商売に成功した人たちの中には、地位を手に入れるために土地と屋敷を購入して、商売から手を引き地代収入や利子配当で生活している人がいる。
一代では無理だけれど、その生活を続ければ貴族のように爵位をもらうことができるのだ。
所謂、新興貴族というものだった。
彼らには伝統はないがお金はあったので、社交界でも無視できない存在だった。
ただ、地位も名誉も金もある、有力な貴族たちからは相手にされていないようではあったが。
義父は王都に来てから積極的に議会や紳士クラブに顔をだしている。
もし男爵家に出入りした医師の姿を見た人がいたら?
その様子をホーリン氏に話す人もいるかもしれなかった。
王都の家は集合住宅のようなもので、すぐ隣に他の貴族の家がある。どこに誰の目があるかわからず、何かあればあっという間に噂が広がるこの街のことがうんざりしたソフィアだった。
ソフィアが物思いにふけっていると、義父が話しかけてきた。
「ソフィア、出版の事だが私も聞いてみたんだ」
「お義父様、ありがとうございます。いかがでした?」
「うむ。まず知り合いの出版社には断られたよ。学術書をメインに出版している会社だったから聞くところを間違えたな」
ソフィアは目線を膝に落として息を吐いた。
わかっていたことだが、道のりは遠い。
「だがそう落ち込むこともないさ。主に翻訳出版を手掛けている出版社を紹介してもらえたからな」
「まぁ! それは嬉しいお知らせですわ!」
にこにこと人好きのする笑顔で義父は笑っている。
「でしたら著作権? というのもなんとかなるのでしょうか?」
「ほう、知っていたかね。著作権法というのは、無許可で再販を禁止する法律だ。そしてこれまで出版組合が独占していた権利を、一定期間の間印刷屋ではなく作者に与えるという権利でもある。逆を言えば一定期間を過ぎると知的財産権が消滅した状態になるんだが」
義父は自分の考えを整理するようにつらつらと話を続ける。ソフィアはだんだんと専門的な話になってきて必死に理解しようと身を乗り出して耳を傾ける。
「まぁ、だから新しく出版されている本の再生産の権利は作者が持っているはずなんだ。とはいえ、著作権法の内容は我が国と隣国とでは違いがあるはずだ。著作権契約の仲介業者もいるのかもしれないな。隣国のほうが紙と印刷技術の進歩が早かった。その分野では我が国は後れを取っているとも言えるな。これも識字率が隣国より低い理由のひとつだな……」
義父は苦々し気に最後は呟いていたが、咳払いをして気を取り直すとつづけた。
「まぁそういう訳で、翻訳出版はそれに慣れている出版社に相手方とのやり取りを任せた方がいいようだ。君の翻訳したものを読んで、面白いと判断されれば出版社の方から相手方に働きかけるだろうさ」
ソフィアはさっきまで暗雲が立ち込めていた出版という目標に、急に光が差し込んだような気持になった。
「お義父様……。なんだかできそうな気がしてきましたわ。ありがとうございます!」
「なんの、造作もないことだよ。私は聞いただけだからね。……娘の願いを叶えてやれそうでよかったよ」
「まぁ……」
娘。
息子の再婚相手として嫁いできた孫ほどの年齢の女に、義父として出来る限りの不自由のない生活をと考えてくれていたのには気が付いていた。
本当の娘のように。そう思って可愛がられているとは思っていたけれど、正面から言われてじんわりとした喜びに心が震えるのを感じた。
「私もお義父様の娘で嬉しゅうございますわ」
義父は照れ隠しのように咳払いをし、ステッキを握りなおす。
「ん、ではソフィアは作者に熱烈なファンレターを送っておいてくれよ」
「感想と出版のお願いのお手紙でしたら一度送りましたが……」
「そんなに面白い本なら他の翻訳者からも手紙が届いているかもしれない。それに、正式に出すことになっても出版社は自分の囲っている翻訳者に書かせたいと思うかもしれない」
「ライバルがいるってことですの?」
そんな可能性を考えたこともないソフィアは目を白黒させた。
「本の再生産には作者の許可がいるのだよ? 君が作者からお墨付きをもらえれば、出版社にも翻訳を任せてもらえるはずだよ」
「そうですわね! 私、この熱い想いを作者の方に伝えたいと思いますわ!」
顔を輝かせるソフィア。
なんとなく沈黙がふたりの間に降りたことで、ソフィアはホーリン氏のことを伝えるのはこの機会しかない、と思った。
この勢いのまま言おう、と決意して改まった表情を作る。
「あの。お義父様お伝えしなければいけないことがございますの」
「なんだね?」
「小耳に挟んだのですが、相続人の方が最近夜会等で目撃されているそうですわ」
ソフィアは表情がこわばるのを感じた。
義父は難しい顔をして唸ると、ソフィアに尋ねた。
「ふむ……。ソフィアは彼らの事をどう思ったかい?」
「それは、そのぅ……。とても責務を果たせる方々とは思えませんわ」
庶民からは贅沢な衣装を着て、派手な夜会をはしごしてお気楽に過ごしていると思われているかもしれない。
だが、課せられた義務をこなし、使用人や家族、そして領民たちへの責任もある。貴族社会でそれなりにやっていくには目に見えないルールを順守していく必要もある。
彼らが男爵家の相続人としてカントリーハウスに来たとしても、きっと領民や使用人たちのことは考えないだろう。ソフィアたちのことなんてあっという間に追い出してしまう気がした。
「そうだろうな……。まぁ、私にも考えがある……」
「お義父様?」
「君は君のやるべきことに集中しなさい」
義父の覚悟を決めたような瞳が印象的だった。
両手をこすり合わせたりして考えを纏める。
そういえば、今更だが気が付いたこともある。ホーリン夫人が見舞いに来たけれど、どうして義父が倒れたことを知っていたのだろう?
義父が倒れた時はそれどころじゃなかったから頭が回らなかったが、おそらくシエナのいう新しい貴族の人たちからの情報だったのだろう。
新しい貴族とシエナが言ったのは、財産があり郊外に土地と屋敷を購入した人たちのことだ。
王都で商売に成功した人たちの中には、地位を手に入れるために土地と屋敷を購入して、商売から手を引き地代収入や利子配当で生活している人がいる。
一代では無理だけれど、その生活を続ければ貴族のように爵位をもらうことができるのだ。
所謂、新興貴族というものだった。
彼らには伝統はないがお金はあったので、社交界でも無視できない存在だった。
ただ、地位も名誉も金もある、有力な貴族たちからは相手にされていないようではあったが。
義父は王都に来てから積極的に議会や紳士クラブに顔をだしている。
もし男爵家に出入りした医師の姿を見た人がいたら?
その様子をホーリン氏に話す人もいるかもしれなかった。
王都の家は集合住宅のようなもので、すぐ隣に他の貴族の家がある。どこに誰の目があるかわからず、何かあればあっという間に噂が広がるこの街のことがうんざりしたソフィアだった。
ソフィアが物思いにふけっていると、義父が話しかけてきた。
「ソフィア、出版の事だが私も聞いてみたんだ」
「お義父様、ありがとうございます。いかがでした?」
「うむ。まず知り合いの出版社には断られたよ。学術書をメインに出版している会社だったから聞くところを間違えたな」
ソフィアは目線を膝に落として息を吐いた。
わかっていたことだが、道のりは遠い。
「だがそう落ち込むこともないさ。主に翻訳出版を手掛けている出版社を紹介してもらえたからな」
「まぁ! それは嬉しいお知らせですわ!」
にこにこと人好きのする笑顔で義父は笑っている。
「でしたら著作権? というのもなんとかなるのでしょうか?」
「ほう、知っていたかね。著作権法というのは、無許可で再販を禁止する法律だ。そしてこれまで出版組合が独占していた権利を、一定期間の間印刷屋ではなく作者に与えるという権利でもある。逆を言えば一定期間を過ぎると知的財産権が消滅した状態になるんだが」
義父は自分の考えを整理するようにつらつらと話を続ける。ソフィアはだんだんと専門的な話になってきて必死に理解しようと身を乗り出して耳を傾ける。
「まぁ、だから新しく出版されている本の再生産の権利は作者が持っているはずなんだ。とはいえ、著作権法の内容は我が国と隣国とでは違いがあるはずだ。著作権契約の仲介業者もいるのかもしれないな。隣国のほうが紙と印刷技術の進歩が早かった。その分野では我が国は後れを取っているとも言えるな。これも識字率が隣国より低い理由のひとつだな……」
義父は苦々し気に最後は呟いていたが、咳払いをして気を取り直すとつづけた。
「まぁそういう訳で、翻訳出版はそれに慣れている出版社に相手方とのやり取りを任せた方がいいようだ。君の翻訳したものを読んで、面白いと判断されれば出版社の方から相手方に働きかけるだろうさ」
ソフィアはさっきまで暗雲が立ち込めていた出版という目標に、急に光が差し込んだような気持になった。
「お義父様……。なんだかできそうな気がしてきましたわ。ありがとうございます!」
「なんの、造作もないことだよ。私は聞いただけだからね。……娘の願いを叶えてやれそうでよかったよ」
「まぁ……」
娘。
息子の再婚相手として嫁いできた孫ほどの年齢の女に、義父として出来る限りの不自由のない生活をと考えてくれていたのには気が付いていた。
本当の娘のように。そう思って可愛がられているとは思っていたけれど、正面から言われてじんわりとした喜びに心が震えるのを感じた。
「私もお義父様の娘で嬉しゅうございますわ」
義父は照れ隠しのように咳払いをし、ステッキを握りなおす。
「ん、ではソフィアは作者に熱烈なファンレターを送っておいてくれよ」
「感想と出版のお願いのお手紙でしたら一度送りましたが……」
「そんなに面白い本なら他の翻訳者からも手紙が届いているかもしれない。それに、正式に出すことになっても出版社は自分の囲っている翻訳者に書かせたいと思うかもしれない」
「ライバルがいるってことですの?」
そんな可能性を考えたこともないソフィアは目を白黒させた。
「本の再生産には作者の許可がいるのだよ? 君が作者からお墨付きをもらえれば、出版社にも翻訳を任せてもらえるはずだよ」
「そうですわね! 私、この熱い想いを作者の方に伝えたいと思いますわ!」
顔を輝かせるソフィア。
なんとなく沈黙がふたりの間に降りたことで、ソフィアはホーリン氏のことを伝えるのはこの機会しかない、と思った。
この勢いのまま言おう、と決意して改まった表情を作る。
「あの。お義父様お伝えしなければいけないことがございますの」
「なんだね?」
「小耳に挟んだのですが、相続人の方が最近夜会等で目撃されているそうですわ」
ソフィアは表情がこわばるのを感じた。
義父は難しい顔をして唸ると、ソフィアに尋ねた。
「ふむ……。ソフィアは彼らの事をどう思ったかい?」
「それは、そのぅ……。とても責務を果たせる方々とは思えませんわ」
庶民からは贅沢な衣装を着て、派手な夜会をはしごしてお気楽に過ごしていると思われているかもしれない。
だが、課せられた義務をこなし、使用人や家族、そして領民たちへの責任もある。貴族社会でそれなりにやっていくには目に見えないルールを順守していく必要もある。
彼らが男爵家の相続人としてカントリーハウスに来たとしても、きっと領民や使用人たちのことは考えないだろう。ソフィアたちのことなんてあっという間に追い出してしまう気がした。
「そうだろうな……。まぁ、私にも考えがある……」
「お義父様?」
「君は君のやるべきことに集中しなさい」
義父の覚悟を決めたような瞳が印象的だった。
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