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深山さん、泣かないで〖第8話〗
しおりを挟むあんな姿など、本当は見たくはないのに。傷つけるような言葉も、言いたくはないのに。いつも後悔が深山につきまとう。それでも少年は毎日決まった時間になると、
『ふかやまさん、ご飯が出来上がりました』
とアトリエをノックする。深山がドアを開けると、まるく微笑む。
簡単に、許さないで欲しい。
そんな優しい瞳で笑わないで欲しい。自分はその微笑みに値する人間ではないのだから。
深山は少年の笑顔がつらい。胸を掴まれるように、いつも苦しくて悲しくなる。
主従という少年の無償の優しさがあまりにも切ない。
──────────
久しぶりの雨の日だった。叩きつけるような雨で、気温も一気に下がる。深山は寒気を覚え、少年に「夕飯は寝室で取る」と少年に伝え、ベッドで休んでいた。そんな微睡みの中だった。幼い頃から独りだったな、そう、ぼんやり夢と現実の間で深山は思う。
父は優しかったが世界中を飛び回っているか、大学の研究室に閉じ籠りきりだった。父も亡くなって久しく、深山も年を重ねた。母は産むと同じくしてこの世を去った。
画家としての仕事も順調に軌道にのり、女性と付きあう中で、深い関係になった人は何人もいたが、何処かで深山は冷めていた。夢中になった女性は、一人だけ。
美しく、我儘が似合う猫のようなひと。彼女の隣に似合うのは自分くらいだと思っていた。昔の深山は野心もある、お洒落な伊達男だった。
だが火事の後、彼女は他の人を選んだ。酷い火傷はは深山からあらゆるものを奪っていった。
深山は、あの日の彼女の言葉を忘れることが出来ない。こんな浅い夢の中にまで、思い出すほど。
「譲治さん、私は、昔のあなたが好きだった……今のあなたは、まるで違う人だわ。ごめんなさい。あなたを見ていると、つらいの」
とうに別れた婚約者の夢を見るなど、みっともないと思いながらも、夢の狭間の喪失感は、あまりにも強く、深山をどうしようもなくさせた。
要は醜いからだ。釣り合いがとれないと思っているからだ。視力まで落ちて、人気若手画家の妻は金銭的にも名声的にも期待できなさそうだというわけだ。
婚約までしていた女性に別れを告げられて、八年経った。絵は描いた。ひたすらに描いた。いくら絵が高値で取引されても、いくらそれらが世間に認められても、深山を満たすものは、何もなかった。ただ、虚しい。それだけだ。
『……泣かないで下さい、ふかやまさん。泣かないで。ふかやまさんが泣くと、つらいんです』
優しい声だった。誰だ?きっと、夢の続きだ。大抵、夢は都合が良くできている。だから、きっと望む言葉を、こんな優しい声を聞くことができる。ぼんやりとした意識の中で、深山は、そんなことを考えていた。
『ふかやまさん、泣かないで。お願いだから、泣かないで下さい。悲しいんですか?火傷の痕が痛いんですか?解らないんです。どうして、ふかやまさんがこんなに苦しそうなのか。ごめんなさい、解らなくて。どうすればいいか、解らなくてごめんなさい』
深山は、優しく澄んだ、語りかけるような声を臆病な腕で、そっと抱きしめた。
「『泣くな』と言うなら私を独りにしないでくれ。火傷の痕が気味が悪いか?……解っているんだ。醜いと、皆がそう思っていると自意識過剰になって怯えているのは。何より一番、こだわっているのは私自身なんだから。でも、そう思わないと生きられない。けれど、つらい。人が嫌いなんじゃない。怖い。お願いだから独りにしないでくれ」
次々に伏せられた睫毛に涙を滲ませる深山にしがみつかれ、少年はどうしていいか解らなかった。そしてこんな、あまりにも無防備で、弱さを見せる深山を見るのは初めてだった。
『泣かないで下さい。ふかやまさん。ふかやまさんが泣くとつらいんです。ずっと傍にいます。だから、もう泣かないでください』
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