妖精の園

華周夏

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【第22話】レガートとの別れ

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遠くの空の光を受けた雲の色がレガートの羽根の色と同じに見えた。 

「綺麗な色……。僕の一番好きな色だ……」 

そう言うフィルの頬を涙が伝った。
手のひらで拭っても拭っても涙は止まらなかった。
 夜が来る。運命の、花婿推挙。

花婿にならなければならない。
逃れられない運命の日。
夜なんて永遠に来なければいい。

少し前まではそう、思っていた。
今は、レガートに迷惑がかからないように。自分の一挙一動で、レガートが悪く言われるのは嫌だ。


 時の妖精がラッパを吹いた。ああ、時間だ。そうフィルは、手の甲で涙を拭いた。 用意してあった礼服にフィルは着替えた。

眩しい白地に、桃色の花の刺繍が綺麗だ。親衛隊の隊服のような格好だが、
しなやかで花嫁が着るドレスのようなの生地はフィルの金の髪をひきたてた。


これから花婿推挙。
重臣の前で王様が宣言する。

フィルはレガートとの思い出がつまった部屋の扉の前から動けずにいた。




後ろには穏やかな寝息を立てるレガートがいる。このひとと、もう会えない。
触れることもない。

これが最後。
これで最後。
そう自分に言い聞かせ、フィルは眠るレガートの形の良い額に口づけた。

 「……レガート。僕、レガートに会えて幸せだったよ」

 そう、言い終えた途端、フィルの瞳からは堰を切ったように涙が流れ落ちた。

眠っていると思っていたレガートに抱きよせられ、フィルはレガートに覆い被さる形になる。

暖かい、清々しい甘い香りがするレガートの身体。

耳元で囁くようにレガートは言った。 

『……いつまでも、愛している』

 「レガート……さよなら。忘れないよ。僕、レガートのこと、
ずっと忘れないから。だから、お願い。
僕のこと、忘れないで。
これから誰かを好きになっても、
僕のことも、忘れないでいて」

 フィルは泣きながら扉を開け、
泣きながら走った。

けれど謁見の間の前で立ち止まる。
荘厳な作り。
怖いくらい壮麗な重たそうな緋色の扉。



手の甲で涙を拭き、
呼吸を整えると、
ふわりと衛兵の妖精が現れる。


 『フィル・フェルマータ様、皆様お揃いです』

 ギィィッと低い音を立てて扉が開く。
皆透明な羽根、
薄い青や緑の髪の威厳のある妖精たち。


フィルを見てざわめきが起こる。
王様は難しい顔をして奥の玉座に腰かけている。 

『全員揃ったな』 

「お、遅れて申し訳ありません」

 フィルはペコリと頭を下げた。

 『気にしなくてよい。病みあがりで大変であったな。
森の瘴気は身体に悪い。
毒味も済んだことで花婿推挙の儀を行おうと思っていたが、
私には諦めきれぬ望みがある………やはり私が結婚を望むのはアルトだけだ。
フィルにアルトが亡くなりここに来て約三ヶ月と聞いた。
反魂の儀式を行いたい』 

王様がそう言った瞬間、
皆がまたざわついた。
重臣の一人の妖精が一歩前に出て恭しく頭を下げた。 

『恐れながら王さま、アルト様の反魂の儀式には、
人間の気と、
アルト様の生前拠り所にしていた遺品。
そして、かなりの力をもった術師が必要です。失礼を存じて申し上げますが、
今の王様だけでは儀式を完遂することは……難しいかと。そして、まだアルト様が空へ行っていないことが前提です』

 『私はフィルの『人間の気』を反魂の儀式に使う瓶に貯めていた。
それに、フィルが必要なものをくれた。
アルトの遺髪だ。
ときにフィル』

 王様の声が大理石の美しい部屋に反響する。

 『お前は生き返った身だが、その時アルトに会わなかったか?』

 フィルは思い出したすべてを王様に話した。おばあちゃんの
『体温』『狭間』
『空のお迎えがまだ来ない』
『帰り道は朱い花』

……… そしてその後、フィルが生命の珠を魔女クレシェンドに盗まれ、
レガートが取り返し、
代償にレガートが朱い爪を魔女に剥がれたこと。

フィルが泣くとおばあちゃんからもらった翡翠の指輪から雪のような光が舞ってレガートの爪は再生し、

透明な紫色になったこと。 

『失礼ですが王様。何故フィル様は森へ自ら入られたのですか?
自殺行為です。
迷い森が生命を脅かす危険はご存じのはずでは?』

 一人の重臣が一歩前に出て恭しく一礼した。王様は額に手をあて言った。 

『……私とフィルの痴話喧嘩よ。
あの日の夜中、
秘密裏にフィルを寝室に呼んだ。
疑うなら寝室の衛兵に尋ねるがよい……これ以上私に恥をかかせないでくれ』

 『も、申し訳ありませぬ』 

王様はフィルにしか解らない目配せをし、軽く微笑んだ。 

『さて、話をまとめる。
アルトはまだ空の世界に行っていない。
反魂可能だ。
そしてフィルには魔力、
しかも魔力を増幅させる力や変化させる力がある。
それに皆、あの唄の力を見ただろう。
もはや花婿とは呼べぬ。
フィルはこの国に必要な術師だ。 
近々親衛隊と不作の農地に出向いて唄を歌って貰おうと思っている。
そして王太弟レガートの力は、朱い爪によって、封じられていた魔力が解放された。レガートにも術師とし反魂に協力してもらう。私とほぼ対等な力を持つ術師だからな』

 その声に重臣とおぼしき妖精が頭を下げ言った。 

『王様、それでは掟に反しまする。外から来たものは王様のもの。
それを術師とは。
花婿にしないのでしたなら、伽人でも』

 王様はその重臣の妖精をギロリと睨んだ。 

『私の最愛の者、
ひいては反魂が叶えば立后させる者の孫を伽人とは。控えぬか!
私は王太弟、且つ親衛隊長の弟のレガートの日頃の功にかえて、
花婿フィルを降婿させようと思う』

 重臣たちは怯えるように、その場をざわつかせた。 

『論功下賜ですか。ですが……レガート様は、呪いを受けたと、
皆が申しております。
それに、クレシェンドの伝説ではアクセント王は黒髪、
クレシェンドは金色の髪をしていたと申します。
王様に何かあってからでは、遅いのです。我々は怖いのです、王様!
お取り消しを!』 

重臣の妖精達は、声を揃えて頭を下げた。 

『レガートにその気があれば私が眠っている間にクーデターでも起こしておるわ!口を慎め!
親衛隊長とし、
身を粉にして働き、
私が眠りについている間、
この国の氷を溶かし目覚めさせたのは、我が弟のレガートだ。異論がある者はあるか!』 

皆無言で一歩下がり、王様に深々と頭を下げ、 

『仰せのままに』

 と頭を下げた。
王様は立ち上がり言った。 

『これにて散会!』 
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