妖精の園

カシューナッツ

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【第7話】妖精の国と氷の華

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レガートは、三階のバルコニーから、硝子のドアを開け、自室に入り、腕の中で眠るフィルの靴を脱がせ、自分のベッドに横たえる。
月がフィルのまだ酷くやつれた青白い顔を照らす。レガートはフィルの細く骨張った指を弱く握り、妖精の気を送った。フィルの身体が、金色に光る。妖精の気、つまりは生命力だ。

何故自分はこんなことをしているのか。レガートは解らない。答えから、レガートは目を背けた。

レガートを包むような視線で見つめ『独りじゃないよ』と言い、レガートの為に涙を零したフィルを手放したくないと思う。ずっと傍にいて欲しいとも思った。
    
何も言わなければいい。誰にも言わなければいい。そんな気持ちがレガートに沸き起こった。誰かにあんな優しい瞳で見つめられるのは──もう、無いと思っていた。

『高貴で、美しいか……』

誰もが忌み嫌った、レガートの黒髪と紫の羽根。レガートは眠るフィルの金色の髪を撫で、その髪を一束持ち、口づけた。レガートはハッと我に返る。今、自分は何をしたのか。

【掟】はどうした?

今レガートにあるのは切なさとやるせなさだけだった。このままで、いさせて欲しい。叶わない願いだとは解っている、そう傍らのフィルを見つめレガートは思う。

レガートがフィルから離れようとすると、フィルはレガートの黒いマントをキュッと握り、微笑みながら眠っていた。レガートに芽生えた、生まれたての暖かな気持ち。何度目を背けようとしても、込み上げる心の臓を掴まれている甘い痛みで解る。

翁の姿の時、泣きながら一生懸命笑って見せる、悲しくも美しいあの姿に恋をした。美しい金の髪が月影に映えた。

『イモを馬鹿にしないで!』

と言う、今までの人生を卑屈にならず、凛と前を向く気高さに恋をした。強がる切なさに恋をした。

『……レガート、私がいるよ、だから、独りじゃないよ……私があなたを守るから。そんな悲しい顔しないで』

そうレガートを濡れた瞳で見つめる、フィルの儚い優しさに恋をした。

だが想っても叶わない。触れたくても、触れてはいけない。今、レガートを縛るのはこの国の掟の一つ、

【外から来たものは、王様のもの】

ということ。王様が目覚め次第、フィルは後宮に入る。扱いの最良は花嫁、悪くて伽人。レガートは、この事実を言いたくなかった。命をかけて妖精の国に来たフィルの夢の行き先が、王の側室とはあまりに残酷だと思えたからだ。 
    
レガートはマントを脱ぎ、フィルの肩に毛布のようにかける。嬉しそうに眠りながら笑うフィルの、まだあどけない寝顔を見るだけで、レガートは胸が苦しくなった。
    
月の光がフィルのやつれた顔を照らす。線が細く消えてしまいそうだ。

『フィル──』

この時間を失いたくない。レガートにとっての願いだった。

レガートはフィルの手をそっと握る。小さな、痩せた手。レガートはもう一度、妖精の気を送った。フィルの身体が、うっすら金色に光る。

夢なんかすぐに覚める。だから夢。けれど、少しだけ。少しの間だけでいいから夢を見たい。兄上、まだ目覚めないでくれ。こんな弟を許してくれ。そう金色の雫を落とし、レガートは目を閉じた。



フィルが目覚めたのは柔らかな、ふわふわした雲のようなベッド。それに温かくて、いい匂い。何処かで嗅いだ甘い清々しい匂い……。綺麗な金色の花の刺繍の濃紺のシーツ。

フィルは起き上がると辺りを見渡した。高い。三階くらいあるだろうか。高い階にある部屋なんて初めてだ。

バルコニーがある。大きな窓から見える景色が綺麗だ。硝子とラピスラズリ色の窓枠のドアがある。部屋が明るいと思ったら天窓まである。

陽差しが暖かく心地いい。フィルは猫のような伸びをする。窓の外はみずたまりなどはない。薄く氷がはっているが、花は咲き、蝶が飛んでいる。小さな透明な羽根の、薄い青色や緑色の髪の子供の妖精が蝶を追いかけ窓の外で遊んでいる。

「妖精の……国だ。おばあちゃん。妖精の国だ……夢じゃなかった」

ふと、視線の先に万年筆が凍りつき光っている。おそるおそる触れると冷たく、音を立て氷は消えた。

「氷……?何でこんな暖かい部屋に?」

魔法陣が書かれていた。魔法陣はストーブのように暖かく、室内も暖かだ。なのに氷がいくつもある。フィルは遊ぶように氷を溶かした。部屋に帰ったレガートは窓際の凍った蝋燭に手を伸ばすフィルの姿を見て声を荒げた。

『フィル!何をしている!『氷華』に触れてはいけない!手に怪我はないか?見せてみろ!』

フィルは険しい顔をしたレガートに強引に手首を捕まれ手を曳かれる。フィルはあかぎれだらけの手をレガートには見せたくなかった。レガートから顔を背け、力なく手を開いた。

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