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拭えない劣等感〖第30話〗──①
しおりを挟む「……はぁ」
「シローが呼んでいるわよ」と、綾小路さんからすぐに向かうように言われた個室に向かいながら、思わずため息がこぼれる。
向き合うって言ったって、いつ向き合えばいいの?
現状私はイツキに避けられてるし、視線も合わない。呼び出すことさえ困難なのだ。
そんなことを考えていると、指定された部屋のドアの前まで来ていた。
「……失礼しまーす……前野さん、いらっしゃいますか?」
ノックをしてから、そろりとなるべく物音を立てないように、部屋に入ると──。
「……──イ、イツキ」
そこには、誰よりも顔を見たくて……そして、誰よりも顔を合わせたくない相手がいた。
「……ど、どうして、」
久しぶりのイツキとの対面はすごく嬉しいけれど。まさかこんなにすぐに向き合うことになるとは思わなかったから。
私は彼の名前を呼ぶだけで精一杯で、「どうしてここにいるの?」という問いは声にならなかった。
だって、ここにいるのは、私を呼んでいたのは、前野さんのはずだ。イツキじゃない。
そんな私の心情を知ってか知らずか、イツキは私の表情から何かを察したようで、「ああ」と軽く告げてから、続けて「綾小路さんにここで待っているように言われたんだよ」と淡々と告げた。
……──は、嵌められたっ!!
気づいた時にはもう遅い。個室にふたりっきり。人に聞かれたくない話をするシチュエーションとしては完璧だ。ここまで、お膳立てをされて、今更逃げることも出来ずに立ち尽くす私に、彼は「座りなよ」と着席を促す。
イツキに言われるまま、とりあえず座ったけれど、何を話せばいいか分からない。
……私、今までイツキと何話してた? 思い出せないけれど、多分くだらないことを、たくさん話してた。でも、今は──。
とてもじゃないけれど、そんな話をする気にはなれない。
先に沈黙を破ったのは、イツキだった。
「ここに来たってことは、……もう、ぼくと話してもいいんだ?」
「……え、」
「それともまだ黙りを続ける? まだしばらくは話したくないとでも言うの? でもそれって、一体いつまでなの? 明日? 明後日? それよりもっと遠く? ……まあ、もうそんなことどうでもいいや。ぼくはぼくでこのまま勝手に喋るから」
「……えっと、……何のこと?」
彼の言葉の意味がわからず、思わず反射的に尋ねると彼は訝しげに眉間に皺を寄せた。
「少しひとりで考えたいから、きみがいいって言うまで、自分に話しかけないでくれって、……そうしたいと、きみが言ったじゃないか。違った?」
「……私、そんなこと言った?」
返した言葉に、不意にイツキが黙り込む。
「……まさか、自分の言ったことを忘れたの?」
「ごめんなさい……」
イツキはそう言うけれど、私にはまったく身に覚えがなかった。反射的に謝罪する私に、彼は呆れたようにため息をひとつつくと「きみは確かにぼくにそう言ったよ」と語気を強めに主張した。
「だからぼくは、きみがいいって言うのを待ってた。文句も言わず、ずっとね。きみがそう言うってことは、それだけの理由があったんだろうって思ったから。……まあ結局、我慢できずにこうして話しかけてしまったんだけどね」
……なるほど、ようやく納得できた。
婚約を解消してから、イツキが全く私と話してくれないと思っていたけれど、……そういうことだったのか。
単にもう婚約者でも何でもない女とは話したくもないのかと思っていた。だけどそれは違った。私がそう言ったから。だから彼は私に話かけてこなかったのだ。
正直私自身そんなことを言った記憶は全くないけれど。解消直後はイツキと笑顔で話せる自信なかったから、もしかしたらその場の勢いでそのようなことを口走ったかもしれない。
でも、だからって、そんなことをずっと律義に守ってるなんて。なんだかイツキらしいな。
「いつまで待てばいいんだろうってずっと思っていたけれど……なるほどね、そういうことか。そりゃそうだよね。言ったこと自体忘れてたのなら、きみがぼくに何も言ってこないのは納得だ」
『……今はひとりにさせて。お願いだから、私のことは放っておいて』
『……──わかった』
──思い出した。確かに言った。放っておいて、と。そのシーンだけ、今鮮明に思い出した。
そう、それで、その時イツキは私に対して文句のひとつも言わなかった。私のことなんて興味もないのか、わかったとだけ言うと、後は本当に私の望み通り放っておいてくれた。
だけど、そこからの記憶は、かなり曖昧だ。
全部全部言い訳にしかならないけど、あの時私は混乱してたの。
だって、自分の親の事業が失敗したって聞いた直後だったから。イツキとのことも、学校のことも、お家のことも。とにかく考えることがいっぱいで、ひとりになりたかったの。
けれども、私が話しかけるまでなんて、期限を指定したつもりはなかったし、その辺の記憶はやはり全くなかった。
でも、きっと言ったんだ。イツキがこんな風に断言するってことは、確実に。
でも、それって。今思えばすごい自分勝手な行いだ……。綾小路さんのこと言えない。私だって自分のことしか考えていなかった。イツキから聞かされて、今改めて思ってしまった。そんなだから、私はよく他人を傷つける。
こういう時、すべきことは1つだ。決まっている。
「……ごめん、なさい」
まずは謝罪だ。自分勝手でごめんなさい。好きになってしまって、ごめんなさい。今でもまだ好きで──
「本当に、ごめんなさい」
「……そんなに何度も謝らないでよ。ぼくも少し言い過ぎたよ。ごめんね」
「ううん、イツキは悪くはないわ……全部、私が悪いの」
私が悪い。イツキにふさわしい婚約者でいることが、辛くて苦しくて、頑張れなくて。だから逃げ出した。その後もイツキの気持ちなんて全く考えなかった。だからイツキは悪くない。全部全部私が悪いのだ。
すると、はぁと大きなため息が正面から聞こえた。
「……きみはさ、絶対ぼくを頼らないよね。助けて欲しいとは言わない、こんなに近くにいても──……」
「……そ、そんなこと、」
私が否定しきるより先に、「あるよ」とキッパリ言い切られてしまう。
「そうやって、いつも独りで抱え込んで、自分勝手に線を引いて、他人を寄せ付けようとはしない。何かあってもぼくには何も言ってくれない」
「そ、それは……」
──それは、言わない事がいつの間にか当たり前になっていたから。私がイツキに何かを言ったところで、この状況が変わるわけでも、ましてやイツキの気持ちが変わるわけでもないから。言ったって無駄だから。
「だって……」
……──だって、これは私の問題であって、それをイツキに背負ってもらうのは筋が違うと思ったから。私が勝手に頑張って、勝手に辛くなっただけ。自分の問題なのに、イツキにもその辛さの共有を強いるのはおかしいと思ったから。私の心が弱いのは私の問題で、例え相手が婚約者だろうと、関係ないことでしょう?
反論の言葉はいくつも浮かぶのに、何一つ言葉にはならなかった。
再度重たい沈黙が流れる。その沈黙を破ったのは、ピコンピコンという受信音だった。
「あ、私だ……」
「見ていいよ、緊急かもしれないし」
「うん」
開いて見ると携帯電話の連絡ツールに複数のメッセージが届いていた。私を心配する文面とくぅーんと鳴く可愛らしい柴犬のスタンプに、緊張しきっていた身体が少しだけ弛緩する。
……なんだかこの柴犬が前野さんに見えてきた。思わずくすりと笑みがこぼれる。
前野さんは誰にでも優しいし、綾小路さんのことがすごく好きだから、深い意味なんてないかもしれないけど。それでもこんな風に気にかけてくれる人がいるというのは私を嬉しくさせた。
「……相手は? 誰だったの?」
「……えっと、私達の学園の先輩の……」
「前野さん?」
「……え、誰に聞いたの?」
前野さんと親しくさせて頂いていることはイツキには言っていない。あいりに聞いたのだろうか。
いや、でも、あいりには前野さんにバレンタインチョコを渡したとか告白した(嘘だけど)とかは伝えたけど。連絡先を交換したことは伝えていないはずだ。
なのにどうして、イツキは私に連絡してきた相手が前野さんだとわかったのだろうか。他にもたくさん選択肢があった中で、何をもってそれを確信したのだろうか。
またしても表情に出てしまっていたらしく、私の顔を見るなりイツキは「見てればわかるよ」と言った。
……えっと、何を?
イツキの位置からは私の携帯電話の通知画面は絶対に見えなかったはずだ。彼は一体何を見て分かったのだろうか。
そう尋ねようとする前に、イツキからの質問攻めにあう。
「でも、珍しいね。きみが会ったばかりの人に連絡先を教えるなんて。前野さんは特別なんだ?」
「特別……というか、次に前野さんと会う時にその場で日時や場所を決めても、変更があった際連絡先を知っていた方が便利だからで……」
「へーーそうなんだ、この2ヶ月の間にもう何回か2人で会ってたんだ。2人がそんなに親密な関係になっていたなんて、そこまでは知らなかったな」
会うと言っても、ダンスパーティーの時1曲踊ってくださったお礼のバレンタインのチョコレートを渡したり、また購入する前に味の好みをお聞きしたくらいだ。
けれども、そんなことイツキは興味もないだろうと、私は言い訳はせずに口をつむぐ。
「ねぇ、なんでそんなに連絡が来るの?」
「いや、そんなに言うほど頻繁にきていないけど……ええと、どうしてだか私のことを気に入ってくださっていて……ほら、私のお父さんの会社がゴタゴタしてたから、そのことで心配してくれているのよ」
「……。ふーん……なるほどね、そういうこと」
その瞬間、空気が変わる。イツキの瞳がどことなく鋭さを増した気がした。
「……イツキ? 今日何か変よ。どうかしたの?」
今思えば初めから様子がおかしかった。私も久しぶりのイツキとの対面に動揺してしまって今まで気づかなかったけれど。
普段の彼はこんな風に私を詰問したりしないし、先程のように責めるような言い方なんてまずしない。いつもは穏やかで大人しくて、はっきりと物を言えない人だ。
それなのに、そんな彼が今日は様子がおかしい。……もっと早く気づくべきだった。彼はずっと体調が悪かったのだ。大方先輩である綾小路さんの頼みを断れず、無理してここに来てくれたのだろう。
「……今日はこのくらいにして、また今度話そう、イツキ」
セッティングしてくださった綾小路さんには申し訳ないけれど。話し合いは別に今日じゃなくてもいいし。そんなことよりも今はイツキの体調が心配だ。
今日のところは切り上げて、また後日彼に伝えたいことを整理してから話し合いの場を設ければいいだけの話だ。
今はとりあえず席を立とうとした瞬間、右手首をガシリと強い力で引っ張られる。
──まさかのイツキが私の手を離さない。これでは立ち上がれもしない。
「……イツキ?」
「…………」
彼からの返事はなかった。
「……イツキ」
言外に離してと伝えれば、彼は逃げるのは許さないと言わんばかりに私を掴む手に力をこめてくる。
「……いたっ、……イツキ、お願い離して」
「そんなにぼくから離れたい?」
「ちがっ……私はただ」
イツキの体調が心配なだけなのに。
「……本当に、もうぼくのこと好きじゃなくなっちゃった? 前野さんの方が良くなっちゃった?」
「……何を、言って……」
思いもよらない言葉に目を見開く。言っている意味が分からない。どうしてそんなことを私に尋ねるのだろうか。もう婚約者でも何でもない私に。
「そんなの嫌だよ。ぼくはずっときみの望む距離にいたよ。だったら今度はきみがぼくの望む距離にいてよ。離れてなんていかないで、ここにいてよ。……ずっとそばにいてよ」
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